第38話 吸血衝動と新たな仲間

 ローゼリッテの出した条件に見合うものがない以上、ローゼリッテのことは諦めようと胸中で決め、紫音はその意思を伝えようと彼女の方に視線をやると、


「……? どうした、ローゼリッテ?」


 なぜか息をハアハアと吐き、瞳を潤ませながら顔を紅潮させていた。それだけでなく、なにかぶつぶつと紫音には聞こえない声で呟いている。

 明らかに様子がおかしいことに気付いた紫音は、ローゼリッテに近づこうとする。


「ちぃ……ち……が……」


「え? 『ち』がなんだって?」


 まだよく聞こえないのでさらに紫音は近づこうと、さらにローゼリッテの元へと近寄る。


「ま、まさか……」


「シオン、今すぐ離れるのじゃ!」


「シオンさんっ!」


 後ろの方からフィリアたちの慌てた声が紫音の耳に届く。三人の尋常ならぬ様子から悪い予感を覚えた紫音はすぐに離れようとするが、


「ちぃ……血を寄こせええぇっ!」


 がばっとローゼリッテが襲い掛かり、紫音に抱き着く。

 突然の行動に思考が麻痺していると、首筋に注射器でも打たれたような痛みが走る。


 痛みの方向へ視線を送ると、そこには紫音の首筋に噛み付いているローゼリッテの姿があった。


 吸血鬼である彼女がこういう行動をとるということは、これが『吸血行為』というやつか。

 紫音がこの行動の意味に気付くのにそう時間がかからなかった。


 首を噛まれたといっても痛いのは最初の内だけだった。その後は犬にでも甘噛みされるような感覚で、逆に気持ちよくも感じていた。

 紫音がローゼリッテの行為にされるがままでいると、フィリアたちは心配そうに紫音のことを見ていた。


「……だ、大丈夫なの……紫音?」


「え、なにが?」


 なにが大丈夫なのか、フィリアの質問の意味に気付かず首を傾げていた。


「……瞳に異常はないようじゃが……体の方になにか異常はないのか?」


「……? 別にさっきと変わらないけど……さっきからどうしたんだ?」


 あまりにも様子がおかしいみんなにたまらず質問してみた。

 すると、ディアナの口から答えが返ってきた。


「そやつ、空腹のせいで吸血衝動に駆られて紫音に吸血行為を行ったのじゃぞ。一般的に吸血鬼族に吸血行為をされると、その者はそいつの眷属けんぞくとなるのじゃよ」


「……眷属?」


「この場合じゃと、シオンは本来、ローゼリッテの眷属となるはずなのじゃが、今のところ紫音に変わった様子はないようじゃな」


「こいつの眷属になるとどうなるんだ?」


 未だに紫音の首筋に顔をうずめているローゼリッテを指差しながら言う。


「眷属は例外なしに吸血鬼族の仲間となり、その体も本来は吸血鬼族と同じになるはずなんじゃよ」


「それってつまり、俺にも不老不死と再生能力が……」


「それはないわね。体に異変が見られないようなら吸血鬼化していないようね」


 自分にも超人的な能力が備わったのかと一瞬期待したが、フィリアの言葉によってその可能性が潰されてしまった。

 しかし、話を聞く限り吸血されるだけでお手軽に吸血鬼の能力が手に入り、今のところ不利益なところが見つからない。


「残念そうな顔をしているところ悪いけど吸血鬼化されてもいいことないわよ」


「……え? それってどういう意味だ?」


 紫音の質問にやれやれと言いながらフィリアが答えた。


「いい。吸血鬼化された者は吸血した者に対して絶対服従。逆らうこともできない下僕みたいなものよ。一生主人の意のままに動き、血を飲まされ続ける家畜のようなものなのよ」


「……うわぁ」


 そんな恐ろしい目に遭わずにすみ、紫音は心底ほっとした。

 しかし、吸血鬼族に血を吸われるとどうなるのかはこれまでの話で十分理解できたのだが、ここで1つ紫音の頭の中には疑問が浮かんでいた。


「俺は吸血鬼化しないみたいだからいいけど俺が寝ている間はいったいどうしていたんだよ?」


「さすがに私たちの中から犠牲を出すわけにもいかないからね。この森にいる魔物の血を与えていたわ」


「もしかしてそこらへんに散らばっている空のビンって……」


「お察しの通り、それ全部血が入っていたビンよ」


 この部屋から入ってから気になっていた空のビンの謎が今解けた。

 疑問も解決したところだが、紫音にはそれ以外にももう一つだけ気になっていることがあった。


「なあ、お前はいつまで俺の血を吸っているんだよ。いい加減離れてくれないか」


 フィリアたちの話を聞いている最中もずっと紫音の血を飲んでいたローゼリッテの存在だった。

 血を吸われている間は犬にでも甘噛みされているような感覚であったためそれほど気にも留めていなかったが、血が吸われているせいかだんだんと体の力が抜けてきている。

 このままではさすがにまずいと思い、軽くローゼリッテの顔を手で押しながら離れるよう催促した。


 すると、紫音の願いが通じたのか、さっきまで紫音の首筋に顔をうずめていたローゼリッテは特に拒否するわけでもなく紫音から離れる。


 この行動にひとまず安心した紫音であったが、ふと彼女の様子がおかしいことに気付いた。

 顔を俯かせ、体を震わせている。何があったんだと心配になりながらしばらく様子をうかがっていると、ローゼリッテは顔を勢いよく上げ、


「お、美味しいー!」


 目をきらきらと輝かせ、声を弾ませながらそう叫んだ。


「な、なによこの血! 今まで味わってきた中でも最高に美味しいじゃない」


 あまりの展開に動揺する紫音だったが、どうも紫音の血はローゼリッテにとって美味なものだったらしい。

 ローゼリッテに喜んでもらえて悪い気はしなかった。紫音がそう思っていると、本能的に身の危険を感じた。


 ローゼリッテに視線を向けると、よだれを垂らし、荒い息を上げながら今にも紫音に襲い掛かりそうな姿勢でいた。

 さっきとは打って変わって別の意味で様子がおかしいかった。


「ハアハア……もっと……こんなんじゃ足りないわ。こんな美味しい血、味わったらもう他のじゃ満足できないじゃない」


「おい……待て。……な、なにをするつもりだ」


 しかし紫音の声が聞こえないのか、ローゼリッテはごくりとつばを飲み込み、舌なめずりをしながらじりじりと紫音との距離を縮める。


「ハア……アナタの血……ハア……アタシにもっと寄こしなさい!」


「なっ!?」


 ローゼリッテは血を求めて紫音の元へ飛び掛かった。


「おい、待てコラ。……離れろよ」


「こ、こいつ……アタシの腕力が効かないなんて……やっぱりただの人間じゃないわね。……でも今はそんなことどうでもいいから……ハアハア……さっさとアタシに血を吸われなさい」


 吸血鬼特有の鋭い牙を見せつけ、懸命に紫音の血を飲もうと試みるが、軽く紫音に押しのけられていた。

 紫音はこの襲われている状況に助けを求めようと、フィリアたちの方へ顔を向けるが。三人は関わりたくないというような目で見ていた。


 助けが来ないと悟り、この状況を打破する術を考えた。

 いくらローゼリッテが武力行使を訴えようとしても紫音の特異な能力をもってすれば軽くあしらうことができる。しかしそれでもこの娘は諦めようとしないだろう。

 紫音の血の虜となっているこの娘をなだめるのは骨が折れそうな話だ。


(しかしこいつ欲望に忠実だよな。さっきも惰眠を貪りたいとか言っていたし、今も俺の血を飲もうと必死になっている…………あっ)


 ローゼリッテの猛攻に軽くあしらっていた紫音はふとあることを思いつく

 それは紫音とローゼリッテ、二人の望みを叶えることができることであった。


「ローゼリッテ、提案がある」


「な、なによ!」


「お前さっき、俺たちに協力するなら今すぐ出せるものを提供しろって言ったよな」


「言ったけど、そんなこと今はどうでもいいでしょう。……それより血を――」


 話を最後まで聞かず、吸血しようとさらに力を込めているローゼリッテ。興奮したローゼリッテを押さえつけながらに紫音は話の続きを言う


「もしお前が俺たちの仲間になるのなら俺の血を飲ませてやるよ」


「…………えっ? ……ホント?」


 紫音のその言葉を聞いたローゼリッテはいったん吸血行動をやめ、期待したような眼差しで紫音を見る。


「紫音、あなたそんなこと言ってどうなっても知らないわよ」


 おそらく紫音の身を案じて言った一言だろうが、それでも貴重な戦力が手に入るのならそれでもいいと紫音は思っていた。


「ただしだ。俺の血を飲みたければ条件がある」


「いいわよ。アンタの血が飲めるならなんだってしてやるわ」


 先ほどまで頑なに紫音たちの要求を呑もうとしなかったローゼリッテが今ではまるでおねだりをする犬のようになっている。


「まずは俺たちに協力はもちろんとして、与えられた仕事をきっちりとこなすこと」


「……えぇ」


 その言葉を聞いた瞬間、心底嫌そうな顔をしていた。どれだけ働きたくないのか最早この顔自体が物語っている。


「俺のいたところでは『働かずもの食うべからず』なんて言葉があるようにお前も俺の血が飲みたければそれ相応の働きをしてもらうからな。もしサボっていたらやらないからな」


「……うぅ、分かったわよ」


 紫音の血を脅しの材料にされ、しぶしぶローゼリッテはその条件を呑む。


「それと、提供する血の量もこちらで決めさせてもらう」


「なっ!? 飲み放題じゃないの!?」


「そんなわけねえだろ。お前にガブガブ吸われたらあっという間に干からびて死んじまうだろ。そうならないためにも量は決めさせてもらう。俺の血を長く飲みたいならこの条件も呑め」


「………………………うぅ」


 さすがにこの条件は厳しいのか、悩ましいうめき声を発していた。


「ひとまず、この条件を呑んでさえくれれば血を提供してけど、どうする?」


「…………わ、分かったわ。アナタたちに協力してあげるわ」


 長い長考の末、消え入りそうな声でそう答えるローゼリッテ。

 仲間が増えたことに喜ぶ紫音だったが、フィリアはというと、面白くないというような顔をしていた。

 ついこの間まで敵であり、しかもフィリアが負けた相手が今日から仲間になるのだから本人としては複雑な気持ちなのだろうか。


 それでも今は強力な仲間ができたことに心を躍らせようと考えた紫音はローゼリッテに手を差し伸べながら声をかける。


「これからよろしくな、ローゼリッテ」


 この言葉の返事としてローゼリッテは差し伸べられた手を掴み、握手を交わしながら言った。


「不本意だけど、こちらこそよろしくっ――いただきます」


 気持ちよく締めようとしていたというのに懲りずに吸血行為をしようとしたが、これを読んでいた紫音にあっけなく阻止されてしまった。


 紆余曲折がありながらもこうして紫音の望み通り、吸血鬼であるローゼリッテを仲間へと引き入れることに成功したのであった。

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