第34話 竜血の儀式
――結界と鎖は破壊され、フィリアを縛り付けるものはなくなった。
しかし、フィリアの胸の内には喜びの感情は生まれず、ただただ悲しみと自分の愚かさに打ちひしがれていた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
悲しみに満ちたその咆哮は樹々を揺らし、大地が震え上がる。
蛇牢団たちは今までに感じたことのない恐怖に襲われていた。腰を抜かすもの、恐怖のあまり失禁するもの、その場から動けないもの、など様々な反応を見せている。
ローゼリッテというフィリアに対抗できる唯一の切り札がたった今、瀕死の紫音の手によって倒されたため蛇牢団たちにはもう抵抗する手段が見つからなかった。
それは蛇牢団のリーダーである男も同じことを考えていた。
もちろん、なぜあんな雑魚相手にあの吸血鬼が倒すことができるのか、という疑問は残っていたが、それを考える余裕すら彼の頭の中には存在していなかった。
この場から一刻も早く逃げ出したいという気持ちでいっぱいだったが、リーダーであるこの男も皆と同様、恐怖のあまり足が動けず、ガタガタと震えていた。
最初、フィリアが現れたときには物怖じせず、皆を奮い立たせていたが、それもローゼリッテという切り札がいたからこそできた行動だった。
その切り札を失った今、彼らにできることはただ死を待つことだけであった。
そんな恐れおののいている敵を見たフィリアは彼らに制裁を与えようと行動に移す。
『復讐』などということを考えているわけではないが、紫音の意思を無駄にしないため、彼との約束を果たすため、そして彼を助けるためにも目の前にいる敵を早急に片付ける。
……フィリアの決心は固まった。
「貴様らは私の物を傷付けた。……私の怒りをその命をもって思い知るがいい」
そこからフィリアによる虐殺が始まった。
実行に移すのは実に簡単だった。彼らにはすでに逃げ出す気力もなかったため、悲鳴を上げるだけで簡単に殺せた。
ある者は踏み潰され、ある者は上半身を噛み殺され、ある者はフィリアの放った炎によって苦しみながら焼け死んだ。
「あ…………あ……ああ」
リーダーである男は仲間たちが次々と殺される様を見ながら次は自分の番か、と恐怖しながら待っていた。
そして、彼を除くすべての仲間が死に絶え、遂に自分の番が回ってくる。
「や、やめろ……まだ……死にたくない……」
彼は涙を垂れ流し、地べたに這いつくばりながら後退していた。その姿を見ていたフィリアは三下にはお似合いの結末だと憐みの視線を送る。
そして、振り上げたフィリアの腕は男目掛けて振り下ろす。
「ああああああああああああああぁぁぁっ!」
男はこの時ようやく分かった。
こいつが現れたときに俺らはすぐに逃げ出すべきだったと。しかしそれはもう叶わない。なぜなら殺意を込めたフィリアの手によってその男の体は引き裂かれたのだから。
こうして獣人族の集落を襲った蛇牢団たちは魔境の主によってその命を刈り取られた。
「はあ…………はあ……」
彼らの虐殺を終えたが、フィリアにはまだやるべきことがあった。
息を整え、ちらりと横たわる紫音に視線を送る。血の流れは収まってきておるが、ぴくりとも動かないでいるが、まだ紫音からは微かだが魔力を感じ取れる。魔力が感じ取れている内はまだ命の灯は消えていない。助かる見込みはゼロではないが現状、生命力だけが徐々に失われてきているため危険な状況に変わりない。
フィリアは紫音を救うべく、少女の姿に戻り、紫音の元へ駆け寄る。
体に手を触れてみるが、冷たくなっており、血色も悪い。紫音の口元に顔を近づけると微かに息をしているのが感じ取れたことだけがせめてもの救いだった。
しかしそれだけで現状は何も変わっていない。ディアナがこの場にいれば、治癒魔法で一命を取り戻せる可能性はあるが、この場にいない以上、どうすることもできない。
フィリアが治癒魔法を使うという手もあるが、生命力が強く、自己治癒能力の高い竜人族にとって治癒魔法など必要ないため当然フィリアも治癒魔法は覚えていない。
このまま何もしなければ紫音はこのまま死んでしまう。そんな打つ手のないこの状況の中、フィリアは紫音の頭を自分の膝の上に乗せ、そっと頭を撫でた。
「まったく、頼んでもないのに無茶をして……助ける義理も本当はないのに……本当に馬鹿な男ね」
紫音の悪口を言っているが、その目には涙がこぼれそうになるくらい溢れていた。
会って間もない男だが、いろいろなことあった。
異世界から現れた自殺願望のある不思議な男。フィリアに圧倒的な力で勝ち、住むところを与え、一緒に食事をした。魔法を教え、フィリアの窮地には駆けつけてくれた。
……そしてなにより、紫音には二度も命を救われた。
人間など脆弱な存在だけにしか思っていなかったフィリアだったが、彼だけは……紫音だけは違った。
「紫音……あなたをここで死なせたりはしない。私が……いいえ、私たちが創る国を一緒に見届けるためにもあなたの力が必要なの…………だから生きて」
残念ながらその言葉は紫音には届かず、この間にも紫音の生命力は失われている。
この打つ手のない絶望的状況に対してフィリアは諦めてはいなかった。
なぜならフィリアには、一つだけ紫音を救う手立てがあったからだった。
「人間に対して行ったという前例はないけど……今はこれに賭けるしかないわね」
フィリアはすぐ近くにあった短剣を拾うと、何の躊躇いもなく自分の腕をその短剣で斬った。その傷口から血が流れていたが、それを気にする様子も見せずその流れ出る血を紫音の口元の上に置く。
その血はそのまま紫音の口内に侵入した。
「お願い……血を飲み込んで。そうしないと儀式を行えないのよ……」
しかしフィリアの願いは届かず、もはや飲み込む力すら失っていた紫音にはどうすることもできなかった。
「しかたないわね……でもちょうどいいわ。これもしなくちゃいけないことだったから都合がいいわ」
そう言うと、フィリアは紫音の顔を両手で包み込む。その顔はほんのりと朱に染まっており、気恥ずかしそうな表情を浮かべながらじっと紫音の顔を見続けた。
「いい。今からするのは竜人族にしか行えない特別な儀式――『竜血の儀式』というものなのよ。これを行うには二つ条件があって……一つは女性の竜人族の血を相手に飲ませること。それともう一つは…………うっ、これはあなたを救うためにやるんだから感謝しなさいよ」
紫音の耳にはおそらく届いていないというのに、まるで言い訳を述べるかのように話している。
傷口から流れる血を自分の口の中に含む。そして覚悟を決めたフィリアは紫音の顔に近づき、そっと口付けを交わした。
口に含んだ血を無理やり紫音の口内に押し込み、ごくりと飲み込ませる。
――刹那、2人のいる地面から魔法陣が出現した。
その魔法陣から光の粒子が現れ、二人を包み込む。それはやがて天まで続く光の柱へと変わった。
暗闇に満ちた空間に一筋の光がそこには溢れていた。
この光景にフィリアは「成功したわ」とほっと安堵のの声を漏らす。
これで紫音を救えるかもしれない。フィリアは慈しむような表情を見せながら紫音の頭をもう一度撫でた。
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