第33話 解放への一撃

 ――私は今なにを見ている。

 最強の種族とうたわれた竜人族に対して完膚かんぷなきまでに叩きのめすほどの力を持つあの紫音が、たった今、脆弱ぜいじゃくな人間の手によって瀕死の重体に陥っている。


 なぜこんなことになっている、

 私を倒した力をなぜ使わない、まさかあの力を使えないのか、本人も自分の内に秘めている力について理解していないところが多いと言っていた。


 まさか、そのせいでやられてしまったのか、可能性があるとするならば人間に対しては紫音の能力は通用しない。むしろこの世界の人間にとって紫音の力は単なる児戯のようなものに成り下がっているのか。


 そう考えると、いくつか納得する点がある。紫音の飛び蹴りを食らったというのに立っていられた事実しかり、紫音の放つ魔法がことごとく通用しなかったことも説明できる。


 しかしそうなってしまうと、私の目論見が大きく外れてしまう。当初は私をも打ち倒せるほどの力を持つこの男を手元に置き、私の願いである種族問わずに亜人種が暮らせる国を創るために利用しようと考えていた。

 建国までの過程で歯向かってくる亜人種や人間に対して力を持って制する、そのための戦力として紫音を引き入れたというのに、もしも私の予想が正しかったならば私の計画に綻びが生じてしまう。


 ……いいや、今はそんなことなどどうでもいい。そんなことは後で考えればいい。人間に対して能力が発動しないというならば、私が代わりに倒せばいい。元々私の計画に紫音は入っていなかった。

 紫音というイレギュラーな存在が私の前に現れたから私の計画に加えただけのこと


 今私がやるべきことは、民を守ること……ただ一つ。その民が心無い者の手によって傷つけられたのなら王としてとる行動はただ一つ。


「うおおおおおおおおおおっ!! 貴様ら……よくも私のものに手を出してくれたな。この落とし前……貴様らの身をもって償わせてやるからなっ!」


「「「ひいいいぃぃ!?」」」


 フィリアの怨念に満ちた叫びが蛇牢団の者たちに恐怖を刻み込ませている。

 体の震えが止まらないもの。腰を抜かし、がくがくと震えているもの。フィリアの言葉は奴らの戦意を削ぐものであった。


 ……ただ2人を除いて。


「お、おいっ! テメエら、なに怖気ついてやがる。こいつは今、手も足も出せねえんだぞ。そんな奴になにができる。吸血鬼テメエも手ぇ抜いてねえで縛り付けろ!」


「……ちっ」


 男の言葉にローゼリッテは舌打ちをしながらも命令に従う。

 命令通り、縛り加減を先ほどより強めるが、フィリアはそんなことお構いなしに必死に抗っている。


(な、なんなのこいつ。拘束を強めているっていうのにどこにそんな力が残っているのよ。一瞬でも気を抜くと拘束が解かれてしまうほどだわ)


 紫音がやられたことをきっかけにフィリアの猛攻が続く。

 しかしそれでもローゼリッテの拘束からは逃れることは敵わない。彼女の集中が途切れない限りこのままではジリ貧となってしまう。


 なにか戦況を変える手立てが見つからなければフィリアの猛攻は無駄になってしまう。

 フィリアは切に願った。


 誰でもいいからこの状況を何とかしてくれ……と。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 痛い痛い痛い。

 今まで受けてきた暴力よりも何倍もの痛みが紫音を襲う。胸から焼けるような熱い痛みが込み上げ、息が思うようにできない。

 震える手で胸元を抑えると、べっとりとした液体に触れる。抑えた手を見ると、そこには真っ赤に染まった自分の手が飛び込んでくる。


 ――この血の量はまずいな、と紫音の頭の中には『死』という一文字が浮かんでいた。

 このまま死ぬのは別に構わない。ディアナの忠告を無視し、自分の力におごった結果がこれだ。誰のせいでもない、自分のせいで引き起こしてしまったのなら自己責任として死ぬのもやぶさかではない。


 しかし紫音には心残りがある。

 それはリースとレインを自分の都合で巻き込んでしまったこと……そしてフィリアも巻き込んでしまい、異種族狩りの連中に囚われてしまったこと。


 これを解消しない限り、紫音は死んでも死にきれない。だが、どうすればいいのか紫音には何も打つ手がなかった。こんな瀕死の自分に何ができると卑下しつつも自分が起こした問題は自分の力で解決したいと願っていた。


 しかし自分にいったい何ができる。

 紫音は激しい痛みの中で必死になって考えていた。


(せめて、フィリアの拘束が解かれさえすれば、後のことはフィリアがなんとかしてくれるはず……)


 しかし、そうするにはあの鎖と結界を操っているあの娘をどうにかしなくてはならない。そのためにはどうすればいいのか再び紫音は考える。

 考えて考えて何かこの状況を打破する突破口はないかと考えを巡らせていると、あることを思い出した。


(……そういえばあの男、気になること言っていたな。…………確か……フィリアを拘束しているあののことを『』と……っ!? まさか……)


 それは紫音も知っている有名な存在。

 血を啜り、日の光を嫌い、死ぬことのない不老不死の存在。そんなものただの空想上の存在だが、ここは紫音のいた世界とは違う。そういう存在がいてもおかしくない世界だ。

 もしもこの男の言葉を信じるのなら一見、普通の女の子に見えるあの娘の正体は吸血鬼ということになる。


(もしそうなら試したいことがある。どうせもうすぐ死ぬのなら最後の最後まであらがってやる)


 決心した紫音は自分の身体に鞭を打つ。

 鉛のように重くなってしまった自分の左腕を上げ、指先をローゼリッテの方へと向ける。


 痛みに堪え、乱れる息を整え、自分に残っているすべての魔力を左手に乗せるように集中する。


 魔法を覚えてまだ一日も経っていないが、感覚で分かる。いつも魔法を発動するときに起きる暖かな感触が左手に集中している、そんな感覚に陥っている。おそらくこれが魔力というものなのだろうか。

 紫音に残った魔力が左手に集まり、魔法の詠唱の準備をしようとしたところで問題が起きる。


「……テメエ、なにしてやがる」


「っ!?」


 不覚にもリーダーの男に見つかってしまった。

 男は頭が回るようで紫音が何をしようとしていたのか、一早く理解しているようだった。


「この死にぞこないが。雑魚がなにをしようたってムダなことだが、念のためだ。……もう一度死ね!」


 男は手に持っていた曲刀をぶんぶんと振り回し、詰め寄ってくる。

 このまま詠唱を行ったとしてもその前に斬られるのがオチ。この絶体絶命な状況の中、さらなる問題が起きる。


「リーダー、大変だ! 生き残っていた獣人どもが仲間を助けに来やがった」


「チッ。そんなのテメエらでなんとしかしやがれ! こっちはそれどころじゃねえんだよ!」


「へ、ヘイ! わかりやした」


 仲間の救出を命じていたリースとレインが敵に見つかってしまったのだ。

 最初は二人だけだったから紫音が気を引いている内に助け出せると思っていたが今は状況が違う。気を失っていたものが目覚めてしまったことにより起きてしまった出来事。


 さらなる状況の悪化に紫音は歯ぎしりを鳴らす。

 このままではリースとレインの身が危ない、何とかしなくては、と紫音が考えている内に無情にも男は紫音の前に現れ、今まさに斬りかかろうとしていた。


「じゃあな。すぐにお仲間とも会わせてやるから安心して……あの世に行け!」


 そういうと同時に、鋭利な刃物が紫音に襲い掛かる。誰もがもうダメだと思ったとき紫音の口元から微かな笑みがこぼれる。


「ライム…………《放出》っ!」


 それはとても小さな声だったが、その者には聞こえたらしく、森の中から突然火球の弾丸が飛来してくる。

 まるでライフルの弾丸のように凄まじい速度で男の背中目掛けて飛来し、男の持つ曲刀がまさに紫音に襲おうとするその瞬間。


 ドオオオンッ。

 衝突した瞬間、火球の弾丸は男を包み込むほどの炎へと変わり、男を襲う。


「ぐわあああああああっ!?」


 男は悲鳴を上げ、その場に何度も往復しながら転がり、炎を消そうとしていた。

 紫音はにやりと口角を上げ、再びローゼリッテの方に意識を向ける。


(保険をかけておいてよかった……)


 紫音は切にそう思った。

 この戦場に突入する前に紫音はライムに対して「森の中に隠れて、俺の指示を待っていてくれ」と告げていた。

 その指示通りライムは木の枝に陣取り、紫音が見える位置でいつでも援護できるように準備していた。


 先ほどの火球の弾丸も紫音があらかじめ仕込んでいたものだった。ライムと主従契約を結んだ後、ライムが持つ能力スキル、放出は一度放ってしまえば再度、吸収しなくてはならないことが分かった。そのため何かあったときのために、と紫音はあらかじめ《ファイア・ボール》をライムに吸収させていた。それが結果的に自分のピンチを救ってくれた。

 この絶好の機会を逃さないためにも紫音は魔法を詠唱するための準備を続ける。


(あの娘が人間じゃないのなら俺の力は通用する……はずだ。吸血鬼相手に俺の力が通用するかは試したことがないから分からないが、今はこれに賭けるしかない。……大きさはどうでもいい、とにかく威力と速度を上げるように調整すれば……おそらく倒せるはずだ)


 紫音の狙いは実に簡単なものだ。人間に通用しないことは身をもって痛いほど理解したが今狙うのは吸血鬼の女の子。人間じゃないのなら紫音の力で鎖と結界を操るあの娘を倒せば、フィリアの拘束が解かれるはず。


 実に穴だらけな作戦ではあるが、紫音にはこれしか手がなかった。紫音は最後の賭けに出たのだ。失敗すれば無駄死に。成功すればフィリアたちを助けることができる、そんな賭けに紫音は出ていた。


 やがて魔力はすべて紫音の左手に集まり、準備が整った。紫音は覚悟を決め詠唱を始める。


「《火の魔弾よ……敵を穿て――ファイア・ボール》っ!」


 手のひらから現れた火球は勢いよく紫音の元へ離れ、ローゼリッテの元へと向かっていった。


(――当たれ)


 紫音は神頼みをするかのように必死に願いを込めていた。

 紫音の放った《ファイア・ボール》はいつものより小さく、石ころほどの大きさではあったが、先ほどのライムが放ったものと同じほどの速度でどんどんとローゼリッテとの距離を詰める。


 ローゼリッテは暴れるフィリアを止めるために集中しているため《ファイア・ボール》の存在に気付いていなかった。

 そして……。


 ボンッ!


「……っ!? な…………に……」


 それは小さな爆発音とともにローゼリッテの後頭部に被弾する。頭を激しく揺らされたローゼリッテは何が起きたのか分からないまま前のめりに倒れ、そのまま動かなくなった……次の瞬間。


 ガラスに罅が割れるような音が立て続けに起こり、それと同時にフィリアを縛っていた鎖と結界に亀裂が走っていた。

 それは音が鳴るごとに大きくなり、やがてガラスを叩き付けたときのようなけたたましい音とともに鎖と結界が消滅した。


「後は……頼んだよ……フィリア」


 その光景に対して満足そうに笑みをこぼしながら紫音はすっと目を閉じた。

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