第30話 予想外の乱入者

 ゴゴゴッ。

 轟音ごうおんを上げながら降り注ぐ炎の雨。ローゼリッテはまたもや避ける素振りがなく悠然ゆうぜんと佇んでいる。

 するとおもむろに手を前に突き出し、ただ一言だけ。


「……《イージス》」


 ドドドオオオォンッ。

 いくつもの爆発音が響き渡り、辺り一面に炎が舞い上がる。家屋は焼け落ち、地面にはいくつもの小さなクレーターが出来上がっていた。


(これでどうだ……)


 爆発により生じた煙のせいでローゼリッテの姿を確認できないためしばらくの間、彼女が立っていた場所を凝視していた。

 それはどのくらいの時間だっただろうか。永遠にも似たその時間の中でフィリアは額に汗を流し、固唾を飲みながら待っていた。

 やがて煙が晴れ、ローゼリッテの姿が鮮明に映る。


「……っ!? な、なに……あれ」


 ローゼリッテの身の丈以上ある魔法の盾が彼女を守るように鎮座していた。この盾のおかげでさきほどの攻撃を防いだのか、彼女の体には傷の一つもついていない。


「残念だったわね。極大級防御魔法の《イージス》よ」


 数ある防御魔法の中でも圧倒的な防御力を誇る魔法。いかなる物理攻撃も魔法攻撃すら防ぐことができると言われている無敵の防御魔法だが、発動には本来、膨大な詠唱時間が必要となるためあまり実践向きではない。

 しかし……、


「まさかこいつ……詠唱を破棄はきして発動させたの!? ……高レベルの魔法を詠唱なしで魔法名だけで発動させるなんて……驚いたわ」


 あまりの相手のレベルの高さに思わず感嘆の声を上げる。


 それもそのはず。魔法を発動させるには必ず詠唱と魔法名は必要である。例えば初級魔法にあたる《ファイアボール》でさえ『火の魔弾よ敵を穿て』という詠唱を唱えなければならない。初級魔法程度なら少し練習すれば詠唱を破棄して《ファイア・ボール》という魔法名だけ唱えれば発動することができる。

 しかし、それよりも上となると、至難のわざ。並外れた努力と素養がなければできないことだ。


「お褒めいただき光栄だけど……あなたはもう終わりよ」


「へえ、ちょっと防ぎ切ったからっていい気にならないことね。私にはまだ戦える術が残っているのよ」


「……残念だけど、どうあがいてももうあなたはアタシに捕まる運命なのよ」


「……? いったいなにを言って……なっ!?」


 ローゼリッテの予言じみた言葉に不審に思ったその瞬間、どこから現れたのか突如無数の鎖がフィリアを襲う。それは四肢や身体、口の周りにしまいには翼にまでまとわりつく。


「い、いつのまに! いったいどこから!?」


「さっきの炎の雨が降ってきたときよ。あれだけ長い時間、攻撃していからね。仕込む時間は十分あったわ。感謝するわ」


「こ、このおぉっ!」


 ローゼリッテの策にまんまと嵌まったフィリアは為す術もなく、全身を拘束さえ、飛ぶ力さえ奪われてしまったためそのまま急降下で墜落する。


「ぐほぉっ!?」


 地面に激突した瞬間、全身に激しい激痛が走り、悲痛の声を上げる。


 ガチャガチャ。

 金属の擦れる音が聞こえる。この拘束からなんとしてでも逃れるために足掻いてみるが手足を縛られてしまってはどうすることもできない。


(このままではまずい。なにか手は……そ、そうだ)


 フィリアの身体が光に包まれ、ドラゴンから人間の少女の姿へと変わる。体が小さくなったことにより、思惑通り鎖の締め付けが緩む。その隙に脱出を試みるが、


「ムダよ」


 ローゼリッテの操作により、再び鎖が動き出し、またもや拘束されてしまう。


「……くっ!?」


「言ったはずよ。私は血を自由自在に操ることができるって。たとえ姿が変わったとしてもすぐに捕まえて見せるわ」


(変身を解いたとしてもすぐに対応してくる……でも、その一瞬の隙さえあれば……)


 無謀にも今度は人間からドラゴンへと竜化するフィリア。さきほどとは逆に大きくなったことにより、拘束している鎖からぎしぎしと悲鳴が上がっている。


「……っ!? まずい」


 鎖を破壊されてしまっては復元するのにまた余計な体力を使わなくてはならない。それは何としてでも避けるべきだと判断したローゼリッテは少し鎖の締め付けを緩めた。


(……今だ!)


 僅かな隙間が空いたことを確認すると、バサッと無理やり翼を広げ、その場から飛び立つ。飛び立ったフィリアは再びローゼリッテと相対するために一度態勢を立て直す。

 しかし……、


 ドンッ。


「がっ!?」


 突如、フィリアの頭に何かが衝突し鈍い音が走る。


「うぅ……いったいなによ……って、これは!?」


 そこには薄く赤みを帯びた壁のようなものがいつの間にかフィリアの行く手を阻んでいた。よく見るとそれは、四方八方フィリアを閉じ込めるように配置されている。


「や、やられた……」


 逃げることができなくなってしまったこの状況に悔しそうに歯を軋ませる。その光景を見ていたローゼリッテはまるでイタズラが成功した子どものような笑みを浮かべていた。


「残念だったわね。そのくらいのことあなたが竜人族だと分かったときからこうなることは予想していたからね……念のために仕掛けておいたのよ」


 先の先まで読むローゼリッテの行動にフィリアはまったく対処しきれないでいる。

 この状況を打破するために四方八方囲まれたこの壁に対して炎を吐き、殴るなどをして破壊を試みるが、傷一つ付けることすらできないでいる。


「《ブラッド・プリズン》――発動させるのに大量の血を必要とするけどアタシが造れる中でも最上級の結界よ。……そして、ダメ押しの《チェーン・ブラッド》ッ!」


 ローゼリッテの声に反応するように地面に転がっていた鎖が再び動き出す。行動が制限されてしまっているフィリアは為す術もなく鎖の餌食となり、さきほどと同じように身動きが取れないように拘束されてしまった。


「くっ……くそ……」


 短い期間の中で二度目の敗北を期してしまったフィリアの目から涙がこぼれる。自信満々に息巻いていたというのにこの体たらく。あまりにも滑稽な自分に情けなさを感じていた。


「アハハハハッ! やるじゃねえか化物風情が。さすが、高い金を積んだだけはあるな」


 これまでフィリアとローゼリッテとの戦いを離れて見ていた異種族狩りのリーダーの男は下卑た笑い方をしながら近づいてくる。


「……それで、リーダー様はこいつをどうするつもりかしら?」


「なに言ってんだてめえ。奴隷商人のところまで運んでいくに決まっているんだろ。元々は獣人どもだけの予定だが、こいつぁでけえ臨時収入が入るぜ」


 男が再び高笑いをする中、ローゼリッテは小さく首を振り、


「ムリよ。アタシの力じゃこの拘束と檻を維持するのに手一杯なのよ。ここから動かすなんてできっこないわ」


 理由を混ぜながら男の発言に対して否定の言葉を発する。


「ちっ、役立たずが」


 男は舌打ちをしながら無能なローゼリッテをにらみつける。移動させる方法もなく、打つ手のないこの状況に対してその元凶であるフィリアを眺めていると、ふとあることを思い出した。


「そうだ! こいつさっきガキの姿に化けていたよな。あれなら俺らでも運べるじゃねえか」


「……それで、どうやって変身させるのよ」


「そんなもん、痛めつけてやれば済む話だろ。とっととやれ」


 男の命令にローゼリッテは深くため息を吐いた。

 運び出す方法としては確かに合理的だが、そうさせるために多大な労力が強いられる。


 ローゼリッテの中での竜人族のイメージは、とにかくプライドの高い種族。そんな奴相手に痛めつけたとしても大人しく言うことを聞くはずもなく抵抗するに決まっている。余計な体力を浪費するため面倒な仕事を極力避けたいローゼリッテだが、命令に逆らえない今の立場では是が非でも遂行させなければならない。


「はあ……悪いわね。こっちも仕事なもんで痛めつける前に人間の姿にまた変身してくれないかしら?」


「……イ、イヤに決まっているでしょう……。だれが……あなた……なんかに……」


 必死に抵抗するも鎖は徐々にフィリアの身体を締め付ける。金属同士が擦り合うようなぎしぎしとした音とともにフィリアの苦痛の声が漏れるが断固として人間の姿に変身しようとはしなかった。


「おい! もっと痛めつけろ!」


「これ以上やったら死ぬかもしれないわよ」


「そんなもん問題ねえよ。竜人族ともなれば死体でも欲しがる奴はたくさんいるんだから早くやれ!」


「はあ……どうなっても知らないわよ」


(こ、こんなところで私は終わってしまうの……私……。い、いや……だ……)


 身体がさらに締め付けられ、思うように呼吸ができなくなるほどに追い込まれてしまう。

 やり残したことや叶えたいことなど走馬灯のように頭の中を駆け巡り、薄れゆく意識の中でここが自分の人生の終着点だとフィリアは静かに悟った。


「アハハハハハッ! これで俺も大金持ちの仲間入っ――ぐへええええええええぇぇぇっ!?」


「「っ!?」」


 男の悲鳴のような声が聞こえ、フィリアとローゼリッテは一同に声のした方に顔を動かす。そこには首を変な方向に曲げたまま吹っ飛ばされる男の姿。そして足先を空中で前に突き出し、飛び蹴りの姿勢で飛んでいる紫音の姿が見えた。


 状況からにして男の顔面に紫音の飛び蹴りが決まったということは容易に想像できるが、そこにいたもの全員が予想していなかった展開にただ茫然としていた。


「ウチの王様になにしてんだよ!!」


 紫音の怒りに満ちたその声がこの戦場に響き渡った。

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