第19話 魔境の森に住む者

 フィリアから魔法の講義を受けた川から十分ほど歩いた場所で魔境の森に住んでいる者たちがが待っているとのことらしい。

 あれから紫音は、何度かその住民についてフィリアに質問を試みるが、そのたびにはぐらかされてしまっている。

 意気揚々と紫音の前を歩くフィリアだが、紫音の胸中はフィリアとは反対に不安でいっぱいであった。


 こんな魔獣が蔓延はびこる森に平然と住んでいるため、フィリアと同等か、それ以上の怪物だと予想される。そんな中に人間である紫音が会ったとして、しかもこれから同じ森に住むことになるため歓迎されない未来が容易に想像できる。


 その際、紫音がその者たちに殺されるまではいかないだろうが、袋叩きにされる恐れはある。そうなった場合はフィリア同様、鉄拳制裁をするのもいとわないが今の紫音にそのような迂闊うかつな真似はできない。


 紫音の持つ能力は未だに解明されていない部分が多く、フィリアに対して通用する力ではあるが、他の人にも同じような結果になるとは限らない。

 そういった理由があり、紫音は不安に襲われ、落ち着かない様子でいた。


 そんな紫音の今の気持ちをまったく理解していないフィリアがしばらく木々の中を歩いていると、やがてひらけた場所に辿り着いた。

 前方には、空を見上げるほどの大きな大樹がそびえ立っており、その根本に二人ほどの影が遠目で見えた。もしかして、と嫌な想像をしている紫音のことなど知らないフィリアは大樹を指差しながら言う。


「待たせたわね、紫音。ほら、あの樹の下にいるのがさっき言っていた仲間よ」


「そ、そうか……」


 紫音の予感が当たってしまったが、これは避けては通れない道。遅かれ早かれ会うことは必至であるため紫音はこれまでの不安を脱ぎ去り、覚悟を決める。


「お待たせ。遅くなったわね」


「まったく遅かったではありませんか! 待ちくたびれましたぜお嬢」


「心配いらんぞ、フィリア。時間通りであったぞ。短気な此奴こやつのことなぞ気にするな」


 フィリアの呼びかけに返事を返したのは二人であった。

 一人は、一言で言えば物語の中に出てくるような魔女の格好をした女性であった。つばの広いとんがり帽子。闇に包まれたような黒い色のマントを羽織り、露出度の高い服を着ている。その魔女の手には、自身の身長ほどある大きな魔法の杖を所持していた。


 もう一人は、獣のような男だった。動物の毛皮を材料とした服を着ており、野性的な風貌に黒く長い髪。そして何より注目すべきは、頭部と臀部でんぶのあたりに狼の耳と尻尾が生えていた。


「な、なんだあれ……」


 紫音からしてみれば、ただコスプレをしている人のように見えてしまい、不思議と怖いなどという恐怖の感情が芽生えてこなかった。


「これで揃ったわね。紫音、こいつらがさっき私が言っていた民たちよ」


「…ええと、天羽紫音です。よろしくお願いします。」


 紫音は戸惑いながらも二人に挨拶を交わした。

 しかし反応はあまり芳しくない。特に獣人の大男には睨みつけられ、紫音の挨拶にもフンと鼻を鳴らすだけであった。

 歓迎されている様子はなく、このあとどうすればいいかおろおろしている紫音にもう一人の魔女の格好を女性が話しかけてきた。


「紫音とやら、心配はいらんぞ。此奴は仲間意識が異常に高くてな、よそ者であるお前さんがただただ気に食わないだけじゃよ」


「あ、あの……お気遣いありがとうございます。ええと……」


「ああ。申し遅れたな、儂は森妖精族のディアナと申す。こいつと違って儂はお前さんを歓迎しておるぞ」


 隣りにいる獣人の大男を指さしながら笑顔を浮かべるディアナという女性。

 年寄り臭い喋り方をしているこの人がフィリアの言っていた森妖精の人かと思い出しながら紫音はその女性を眺めていた。


(しかし、きれいな人だな……)


 それがディアナに向けた紫音の印象であった。

 これまで紫音が見てきた大人の中でディアナは超然とした美女だ。外見は二十代くらいだろうか。紫色のストレートの長い髪。森を思わせるようなエメラルドのような瞳に細長く横に尖った長い耳。

 顔立ちは見目麗しく整っており、大人の色香を醸し出しそうな魔性さが感じられる。開放された胸元に服からすらりと伸びる長い手足は艶かしくあり、まるでモデルのような体型をしている。


「喧しいぞディアナ! お嬢から話を聞いてまさかとは思ったが、こいつは人間だぞ! お前正気か!?」


「ん? 儂は気にしておらんぞ。むしろ儂はフィリアからの話を聞いて逆に紫音に興味を抱いておるぞ。未知の能力を持っている此奴に儂の探究心が刺激され、今すぐにでも調べてみたいという欲求でいっぱいじゃ」


「待ちなさい、ディアナ。そういうのは後でいいのよ。今日のところは顔合わせが目的よ。ほら、ジンガも早く自己紹介しなさい!」


「なっ!? お、お嬢! 冗談はやめてください。なぜこの俺が人間に……」


「これは命令よ。あなたがさっさと自己紹介しないと話が進まないでしょう!」


 獣の大男の膝に足蹴りを入れながらフィリアに急かされてしまったためしぶしぶといった表情で自己紹介する。


「俺は……獣人族のジンガだ。……いいか人間、お嬢がお前を認めても俺はお前なんぞ認めないからな!」


 鋭い牙と爪を紫音に向かって見せながら威嚇のようなポーズをとっている。今にも紫音を食ってかかる態度を見せるジンガの迫力に紫音は気圧されそうになっていた。


 ジンガという大男はそれだけの風貌をしていた。無精ひげを生やした精悍せいかんな顔立ちに人間離れした鋭い牙。猛々しく、野性味溢れる黒髪に二メートルはある身長。岩のように硬い筋肉に覆われており、力強い体つきをしている。

 ジンガの風貌に圧倒されていた紫音だが、その前に気になることがあった。


「さて、これでお互いの顔合わせは終わったようね。次だけど……」


「なあ、フィリア」


「どうしたの紫音……?」


「なんでお前。こいつに『お嬢』なんて呼ばれているんだ?」


 フィリアのことを変わった呼び方で呼ぶジンガに紫音は疑問を感じざるを得なかった。

 紫音の疑問にフィリアは恥ずかしそうにしながらジンガを睨みつけていた。


「こ、これはジンガが勝手にそう呼んでいるだけよ! 言っておくけど私はこんな呼び方、命令していないからね!」


 答えになっていない言葉が返ってきた。結局のところ肝心な部分の説明が抜けているため紫音は勝手にお嬢と呼んでいる張本人のジンガに視線を移す。


「フン。……何だ知りたいのか? まあいい、教えてやろう。……いいか、お嬢は俺の命の恩人だ。祖国を飛び出し、いろいろあってこの森にたどり着いたまではいいが、そこで魔物の集団に襲われてな。瀕死の状態に陥りながら魔物どもに敗北を喫するはずであった俺にお嬢が救いの手を差し伸べてくれたのだ」


「ちょっと待ちなさい、あれはただの偶然よ。あのときはお腹が空いていてちょうどよく魔物の群れを見つけたから襲いかかっただけで、あなたはたまたまそこにいただけなのよ」


 涙を流しながらそのときのことを話すジンガとは対象的にフィリアにとっては本当に単なる偶然でジンガを助けたつもりなどまったくなかったようだ。


「うっ……と、とにかくだな、形はどうあれお嬢に助けてもらった恩義を感じているため尊敬の念を込めてお嬢と呼ばせてもらっているまでだ!」


「はあ、そうなんですか……」


 バツが悪そうに早口で喋っているジンガに紫音は苦笑いを浮かべる。


「くっ! そ、そうだ! 俺はまだお前を認めてはいないんだ! お嬢がよくても俺は許さんぞ」


「そんなこと言われても今のところ、ここしか住むところがないんだから俺としてはしばらくの間、ここで暮らしたいんだが……」


「だからそれを認めんと言っているのだ。そ、それに貴様……お嬢と一緒の家に住んでいるそうではないか」


「え? そうだけど」


 紫音の当たり前の答えにジンガは怒りを爆発させたかのように声を荒げる。


「貴様のような人間がお嬢のように崇高なお方と一緒の家に住むこと自体、許されぬ行いなのだぞ! 即刻この森から出て行け!」


 この言葉で紫音は悟った。

 この獣人の男、フィリアを敬愛するあまり斜め上の言動をとっているようだ。ここまで行き過ぎた忠誠心に紫音は正直言って鬱陶しく感じていた。


「はあ……なんだかめんどくさいなお前」


「なにっ!?」


「たしかに少しめんどくさいわね。ジンガの場合いつもやりすぎなのよ……」


 どうやらフィリアも紫音と同じ気持ちだったようだ。


「お、お嬢まで!?」


「それで、お前に認められるには俺はどうしたらいいんだ?」


「むっ……それはだな……」


「勝負でもすればよかろう」


 三人との会話の間にこれまで静観していたディアナが話を割って提案してきた。


「別に俺はいいけど、勝負の方法は?」


「お前さんら男なんじゃから殴り合いの喧嘩でよかろう」


「喧嘩だぁ。……まあ、それはいいかもな。どちらかが『降参』と言うまで殴っても構わんだろ」


「ふむ、それでいこうか。攻撃方法は肉弾戦のみでどちらかが参ったと言うまで続けてよいことにしよう」


「おい、俺抜きで勝手に話を進めるな……」


 結局ジンガとディアナとの間で流れるようにルールと勝利条件が設定され、そのまま獣人族のジンガと殴り合いの喧嘩をする羽目となってしまった。

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