第35話
「おい、久しぶりだな」
女性はゆっくりと振り返る。大きな目に長いまつ毛、すっと筋の通った鼻とか左右バランスの崩れていない唇とか、魔女は、それはそれは美人だった。灰色の長い髪を揺らしながら首を傾げた魔女は鈴が鳴るような声で笑う。
「誰じゃ?」
「以前、お前から石を買ったものだ。分かるだろう」
「ふふ、覚えておるよ。精霊は呼べたか」
「よくもまあそんなことが言えるな、あれは偽物だったんだろう!」
「偽物?」
魔女はまた首を傾げ、それからゆっくりと瞬きながら私を見た。
「呼べているではないか」
「これはただの娘だ!」
「じゃが、この世界の者ではない」
魔女の言葉にサリュと顔を見合わせて息を飲んだ。これは本当に魔女なんだ、私のことを分かっている。
「あのっ、私、精霊じゃないからサリュの役にたてません」
「ん、私はちゃんとこの男に言ったぞ? お前の一番欲しい精霊を迎えられる、とな。男、お前はこの娘が欲しかったんだろう?」
「いや、俺は――竜を眠らせる力をもつ、精霊を」
「本当か? 本当はこの娘が欲しかったのではないか? 石は心を見抜く。お前が欲しいのは本当に兄からの承認なのか?」
魔女はサリュの顔前に人差し指をさしだし、静かに追い詰めて行く。サリュは黙ってしまったけど、これは聞き捨てならない。だってサリュは本当にお兄さんに認められたいと思っているはずだから。
「あの、サリュは本当にお兄さんに認められたいんです、だから私が来たのは何かの間違いだと思うんです」
「そ、そうだ、だからこいつを元の世界に戻さなければならん、方法を教えろ」
立ち直ったサリュが顔前にあった魔女の指を払いのけて強い目で魔女を睨んだ。魔女は顔色を変えず、言い放った。
「教えてもいいが、元の世界でその娘は死んでいるぞ」
――。
……は?
「あ?」
「あの石は精霊の世界で命絶えた者を選ぶ性質なんだ。その中から願者の望んだ者を呼ぶ。つまりここにいるということは精霊の世界では死んでいる」
はあ。
私が、死んでいる。
はあ。
は?
え?
「あの」
「娘、それでも戻りたいか。戻りたいなら戻してやってもいいが、男、お前はもう一度、石を買えよ」
「待て、メイが死んでいる? 馬鹿を言うな! そんなこと、信じない!」
「信じないのは自由だがな、まあ、石が欲しければまた私を探すがいい――待てよ、お前、見たことがあるな」
「だから前に石を買った」
「そうじゃない……もしかしてお前、歌唄いじゃないか? 街の外で奇妙な肉を売って興行をしていただろう?」
魔女はサリュを指さしてから壮絶に綺麗に笑った。
魔女はあのフェスを見てくれてたらしい。暇つぶし程度だって言ってたけど、カアサを見て気持ちが変わったって。
「いやあ、長く生きてるけどなかなかの衝動だったよ。とくにカアサには目を引かれた。中でもアイジ、あれは素晴らしい。輝いている、声、顔もいい」
つまり魔女はアイジ君の、ファンだった。
カアサを作ったのは私だって話になって、態度が一変した。
「そうか、君が彼らを生んだのか、感謝する」
「大げさです」
「いいや、私はあの時、久しぶりに自分の時間が動くのを感じたな。城での興行も見たぞ、サリューお前がしくじってたな」
っていうか、あの時は王族と城の者しかいなかったはずなのに魔女はどうやって見たんだろうとは思ったけど、それを聞く暇もなく魔女が続ける。
「しかしお前がとちったおかげで、アイジの男らしいところも見れたしな。感謝するぞ。そうだな――カアサに免じて、一度だけ私の力を貸してもいい。メイは精霊の国にもどりたいんだな? 死んでいても?」
「それは――分からないし」
「三日後の夜は満月だ。私の力が倍になる。そのとき石の力を通して精霊の国戻すことができるかもしれない。まあ考えて気が向いたらここに来な」
三日後。
たった、三日?
あまりに急なことで頭が回らない。
サリュはいつの間にか私を酒場から連れだしてくれてたけど、よく覚えていない。我に返ったのは、大広場の石ベンチに座っているときだった。サリュが木のカップを差し出してくれて、無意識のように受け取る。
「モモの果汁だ」
「あ、ありがと」
そっと口につけたそれは、頭をすっきりさせてくれるくらい甘かった。モモは美味しいから好きだけど、私の知っている白桃とは違って少しだけ酸味もある。けど、どちらかというと女子に人気の飲み物感は元の世界と同じだった。これをサリュが女子に混じって買ってくれたと思うと、嬉しくなる。
「それで……どうする」
「うん……」
元の世界に戻れるのなら迷いなくこの話に飛びつくべきだ。魔女は私が死んでるなんて言ったけど、本当かは分からない。分からないなら戻らない方がいいんだろうか。それとも魔女の言葉など信じないで戻ればいいのか。分からない。一番分からないは私が「戻りたい」と思っているかどうかも「分からない」ことだった。自分のことなのに。分からない、なんて甘えている。人生は選択の連続なのだという。私は選択しなければならない。
私には世界がある。両親がいて高校の友達がいてダブルがいて、大学へ行って帰るだけの日常があって、平和で、大切な世界。
私にはもう一つ世界がある。知ってる人はいなくて、でも友達とお世話になっている人がいて、毎日が忙しくて、シャワーも水洗トイレもコンビニも、ダブルもいない。平和じゃない、けど笑うことが増えて自分の足で踏み出した大切な世界。
どちらかを選ばなくてはならないなら、私は。
「メイ、俺はお前を元の世界に戻すと約束した。今もそう思っている。だが、元の世界で死ぬなら話は別だろう」
「でも死んでないかもしれない」
「試すこともできないだろう? だったらこのまま――」
やっぱり私は、戻るべきだと思う。
この世界は私の本当の世界ではなく、仮住まいなんだ。本来私はここにいない存在なんだから。戻るべきなんだ。
「メイ、俺は、お前に、居てほしいと思う」
「サリュ」
「お、俺の、側に、いてほしいと、思う、勝手ですまない、だが、本当に、そう思う」
「ありがと」
サリュは優しいから、これからもずっと私をこの世界に呼んでしまったことを後悔し続けるんだろう。私のことを見るたびに。
「でも私、やっぱり帰りたいよ。お父さんとお母さんに会いたいし、ダブルにも会いたいんだ」
「――そうか」
サリュはもう何も言わなかった。言えないよね、言えないように私が追い詰めたから。三日後、私は魔女のところに行こう。
皆には私のことを知っている人と会えたことにしよう。設定上、奴隷商人から助けられたことになってるんだから、納得してもらえると思う。寂しいけど、そんな感傷に浸っている時間もない。
カアサは私が作った。三人は踏み出したいと思っているところだ。このまま知らぬ顔でいなくなるのは、駄目なんじゃないか。私がいなくてもカアサは興行を続けるだろうけど、いや、そうじゃない、責任とかじゃなくて、私が何かしたいんだ。
でも何ができる?
本当は新曲をって思ってた。ナラとゾラは忙しくて、なかなか曲が作れないから待っているところだった。それから、いつかはグッズとか作れないかな、とか、スピーカーとマイクの代わりになるものって何かないかな、とか、うん、色々。けど三日。あと三日。
「メイ、とりあえずキャンプに戻るか」
サリュ、私がいなくなってもカアサ続けてくれるかな。元々、私に負い目があってやったカアサだし。
いや違う、今のサリュはちゃんと、歌で、カアサでお兄さんに認められたいって言った。サリュの歌は本物だ。前にカピバラさんと歌った子守唄だって凄く良かった。
「あ!」
「何だ急に」
「サリュ、カピバラさんのこと行こう!」
「はあ? なんでやつのところに」
「新曲、作って貰うんだよ!」
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