第31話
だから大広場を実際に見たときには、思わずテンションがあがってしまった。今までは立ち見とか地べた座りとかだったけど、石造りのベンチがあったりどうやっているのか噴水があったりして凄い。
興行は盛況だった。とにかく人が多い。それに気のせいかもしれないけど石畳に響くせいか音響がいい気がする。同じ場所での続けて興行は何度も見に来てくれる人もいて、カアサにもちょっとしたファンがついたりした。
だからサリュと買いだしなんていくと、ちょっと面白いことになった。
「ねえ、サリュ、めちゃ見られてない?」
「言うな、気になる」
興行の時と違って買いだしの時のサリュは地味な服を着て帽子もかぶっているんだけど、それでも気づく人は気づくみたいだ。ひそひそ後ろで声がしたと思ったら、こっそりついてきたりする。
「すごい、本当にアイドルみたいねえ」
「邪魔だ」
「まあそう言わないで。向こうから何か言わない限り反応しなきゃいいんだし」
機嫌が悪くなるサリュの背中を叩いて慰めると、後ろから小さな悲鳴が聞こえた。あ、そうか、ファン心理はよく分かる。ヨージが女の子と歩いてたら複雑な気分になるもんな、それと同じなのだ。つまり私は今、後ろにいるサリュのファンから良く思われてない。
まあ騒ぎになるのも嫌だし、ここは早々に引きあげるほうがいいだろう、と思ったけど、私はサリュの人気を甘く見ていた。
「ねえ……なんか、人増えてない?」
「知るか」
サリュはテント修理のための皮を吟味していてそれどころじゃなかった。ちらと後ろを見てみたら、やっぱりさっきより女の子が増えているような――。なんかサリュの近くにいるのが悪くなって、ちょっと身を引いたら、サリュに腕を掴まれた。
「離れるな」
「あ、はい」
サリュは責任感で言っているんだけど、後ろの女の子達には分かるはずもない。なんか妙な悲鳴が聞こえた。あーこれは誤解されるやつだ。空気が重いような。
「サリュ、なんか、やっぱり私キャンプに戻ろうかな」
「離れるなと言ってるだろう」
皮を選びながらサリュは鋭い目で私を睨んでくる。これはサリュの大事な仕事だってのは分かってる。邪魔をしちゃいけない。
けど、やっぱり後ろが怖いんですけど!
その時だった。
「おい、ヤギ! 手紙を読まなかったのか!」
聞き覚えのある声に呼ばれて、サリュ共々がばりと振り返る。そこにはサリュファンの女の子達を掻き分けて、カピバラさんが立っていた。
「あー、手紙?」
「おまえのところの団長に渡したぞ!?」
ああそういえば謝罪の手紙貰ったんだった。
「はいはい貰いました」
「何故、返事をよこさない!?」
返事? あれには返事をしなければならなかったのか。でも私は直接読んでないし、読んでくれたのはサリュだし、サリュは返事を送らないといけないようなことは言わなかった。サリュを盗み見ると、微妙に気まずげな顔をしている。
「サリュ、手紙、返事しなきゃいけなかった?」
「そんなもの必要ない。もう行くぞ」
「本当の名を教えろと書いただろう!? 紅茶を淹れるしピアノを聞かせるから家に来いとも書いた」
名前か。ヤギが偽名ってのはばれてしまったんだな。名前くらい教えてもいいけど、サリュは怖い顔のままだから黙っておいた。それより気になるのは
「カピバラさん、ピアノ見せてもらえるんですか!?」
聴きたい、この世界のピアノ、見たい。
カピバラさんはどこか得意げに胸を張る。
「だから来いと言っている。――手紙に書いたように、俺も昔すこし音楽をやっていたから、おまえらのアレはその、悪くないと思った。俺もまた音楽をしたいと思ったんだ。その金髪も一緒でいいぞ」
「サリュ」
「駄目に決まってるだろう」
「手紙にそんなこと書いてるって言ってくれなかった」
「っ、必要ないと思ったんだ!」
「必要かどうかは私が決めることでしょ?」
このままでは喧嘩になってしまうと思ったとき、どこから現れたのか、っていうかいつからいたのか、ジールさんが私とサリュの肩を掴んでにっこり笑った。
「とにかくこちらへどうぞ」
有無を言わせぬ迫力であらよあらよと言う間に馬車に押し込まれ、気がつけば豪邸の前にいた。
「さすが」
「そうか?」
「そりゃお城に比べたらね」
「何か棘があるぞ」
「そうですかねえ」
また睨み合いの喧嘩になりそうなところでジールさんに案内されて室内に入る。この世界にきてなんというか「まともな家」に入る機会が宿に泊まった時くらいしかないから、すごい、安心する。いつもはテントだから窓とか廊下とか懐かしい気までしてくる。あ、なんか泣けてきた。
案内された部屋は広くて、隅にピアノがあった。すごい、本当に私が知っているピアノだ。グランドピアノじゃなくて、ピアノ習ってる子の家にあったみたいなやつ。なんて名前だっけ。でもピアノはピアノだ。
その前のソファに座らされ、猫足のサイドテーブルには紅茶が置かれた。すごい、私の知ってるティーカップだ。紅茶も綺麗な澄んだ紅色だ。カピバラさんって、本当にお金持ちだった。
「紅茶はどうだ」
ジールさんと入れ替わりに入ってきたカピバラさんはご機嫌だ。
「美味しいです」
「メイっ、もう飲んだのか! もう少し警戒心をっ」
「そうだろう、これは俺の好きな茶葉でな。気にいってもらえて良かった。ヤギ、じゃなくて、メイ、かな?」
カピバラさんがサリュにむけてにやりと笑う。あ、さっきサリュ、私をメイって呼んだわ。サリュは自分のミスに気づいて歯を噛みしめている怖い。
「まあ別におまえ達に危害を加えるつもりはないさ。これも詫びのつもりだ。メイ、ピアノ聴きたいんだよな?」
「あ、はい」
「メイっ」
「聴くだけじゃん」
「あとで何を要求されるか分からんぞ」
「そんなせこいことはしないさ」
いや、しそうだよ、と言いかけて我慢したけど、サリュも同じことを思っている顔をしている。そんなこと気にしないのかカピバラさんはおもむろにピアノの前に座ると、静かに弾きはじめた。
私はピアノのことなんて分からない。けど、これは、カピバラさんのピアノは、すごく優しくて綺麗だった。
「これは」
サリュもさっきまでの不機嫌が嘘みたいな顔でぼんやりカピバラさんを見ている。
カピバラさんのピアノは長かったような短かったような、よく分からない感覚だった。でも終わったとき私は無意識に手を叩いていた。
「あの、私は音楽のこと分からないんですけど、すごく良かったです!」
「そうか? メイが気にいったなら良かった」
カピバラさんは嬉しそうに私を見て、それから何か言いたげにサリュの顔を覗いている。ああそうか、カピバラさんはサリュに聞かせたかったんだ。多分、カアサでのサリュを見て何か思うことがあったんだろうな。当のサリュは憮然としてるけど。
「何か言ってあげたら」
「何を」
多分、カピバラさんもサリュのファンになったんじゃないかな。そう思うとなんか笑えて来る。カピバラさんもなかなか可愛いじゃない。
「おい」
「なんだ」
「今の曲はなんだ」
「俺が作った」
「作った?」
「作ったんですか!?」
「趣味でな。こんなものは市政の役になどたたん」
「いや凄いですよ、いい曲です」
「まあ、悪くない」
褒めた。サリュが褒めた。明日は雨だ。カピバラさんも嬉しそうだ。
「お前の歌も悪くないぞ。歌わせてやってもいい。歌えるのはあるか?」
「歌わん」
サリュは嫌な顔をしたけど、カピバラさんがピアノを弾きだし、私は思わずサリュの腕を掴んだ。
「サリュ、これ、子守唄」
「ああ、そうだな」
「聴きたいな、サリュの歌」
「っ、少しだぞ」
カピバラさんのピアノに乗せて歌うサリュの子守唄は、息が止まるくらい綺麗だった。綺麗ってだけじゃない、やさしくて、でも切なくて、勝手に涙がでてくる。いつの間にか部屋に来たジールさんも上を向いてる。
サリュの言葉通りすぐにサリュは歌をやめたけど、私は力いっぱい手を叩いた。やっぱりサリュの歌はすごい。それにカピバラさんのピアノもすごい。二人の相性は実はいいんじゃないだろうか。
歌い終わったサリュは私の手を握ってそのまま部屋から出て行こうとする。
「待って、せめて挨拶」
「いらん」
「凄い良かったよ?」
「そうか」
カピバラさんとジールさんはサリュを止めなかった。かわりにカピバラさんがサリュに声をかける。
「また、歌いに来てもいいぞ」
サリュは黙ったまま部屋を出たから、せめてと私は深く頭を下げた。
カピバラさんの家から出て街を歩く。まるで夢みたいだった。
「なんか、良かったね」
「そうか?」
「うん。サリュってピアノと歌うのが合ってるのかもね」
とはいえ、ピアノって私の給料で買えるんだろうか、きっと無理だわ。いい夢を見たんだ、とキャンプに戻った私達の感傷は、ビッグニュースに吹き飛ばされることになるんだけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます