第13話
買い物から戻ってきたサリュを見つけて駆け寄ると、心底嫌そうな顔で睨まれた。
「お前、ジイに何言ったんだ?」
「何って、アイドルになって欲しいなあってやつ。ジイから何か言われたんだ?」
「お前の言う通りにはならない」
サリュは吐き捨てるようにそう言うと、団長のテントへと歩き出した。少し後ろからついて歩くけど、背も高いし足も長いしやっぱりスタイルいい。普通に見てもカッコいいんだけどな、口が悪いからときめかないんだろうか。
って、いや、私にはヨージがいるからじゃん。
サリュはちらと私を見た後、大きくため息をついて前髪をかき乱す。金色の髪が指の間から零れ落ちるのは、さすがにどきりとする程カッコよかった。
「メイは何で俺にこだわる。カツキとアイジがいればそれでいいだろう?」
そんな事を言いながら、サリュは団長のテント裏に回ると、身をかがめた。何をしているのかと思えば、テントの下の方に空いた穴を修繕しているみたいだった。こういう事までサリュの仕事なんだなと、ちょっと感心する。雑用係っていうのは、本当は一番大変な仕事なんじゃないだろうか。
「サリュは何でこの仕事してるの?」
不意な私の質問にサリュは目を丸くして手を止めた。
「今は俺の質問に答えるところだろうが」
「ん、でも気になって。なんか、ジイがサリュは目立つのが嫌なんだろうって言ってて。だったらなんで旅芸人のテントにいるんだろうって」
「――行きたい場所がある。旅芸人のキャンプにいれば稼ぎながら旅が出来る」
サリュの手はまだテントの修繕に戻っている。当て布を縫いつけているみたいだけど押さえながら縫うのは大変そうで思わずその端を押さえると、今度は不思議そうな顔で見られた。
「何だ」
「押さえてるから早く縫ったら」
「これはお前の仕事じゃないだろう?」
「仕事じゃなくても私が手伝いたいんだからいいの。早く縫って」
サリュは黙ったままでテントの修繕を続けた。こっちの世界では人の仕事は手伝わないのが普通なんだろうか。だったら余計な事したかもしれないけど、まあいいや。
「サリュの行きたい所って遠いの?」
「遠い」
この一団には色々な事情の人が集まっている。その事情を探るのはいけない事だとなんとなく感じているからサリュの事情も深く踏み込んではいけないのだと、頭の奥の方で警鐘が鳴った気がして、私は言葉を飲んだ。
私が黙ると沈黙だけが広がる。サリュは黙々とテントを直し、私はただその手伝いを粛々と続けた。沈黙は苦痛なんだけど、サリュが話をしたくないのなら今は黙っているしかない。
意外な事にこの沈黙を破ったのはサリュの方だった。
「それで、お前は何で俺にこだわる」
「そんなのサリュが必要だからじゃん」
「……必要」
「うん、サリュじゃないと駄目なんだ」
「カツキもアイジもいるのにか」
「サリュはサリュでしょ、二人とは全然違うんだし」
元気系、お兄さん系ときたら王子系。素晴らしい三角形。何より、サリュはカッコいいし綺麗だ。この顔を嫌う女の子は少ないはずだし。
「それに私はサリュの歌に助けられた。上手いよね、やっぱりお母さんが歌姫だったから?」
「っ、ジイはそんな事まで話したのか」
小さく舌を打ったサリュは嫌そうに私を睨むけど、何か力がなくて怖くない。ジイから聞いた事だから話してもいい事なのかと思ったけど、これは地雷だったんだろうか。うう、やっぱりこの人の心って分かりにくい。
「ごめん、この話駄目だった?」
「お前……そんな真っ直ぐ聞くか? 普通」
テントの修繕が終わったのか立ちあがったサリュは私の髪をぐしゃぐしゃとかき回してから、またため息をついた。
「俺は人前で歌うなんて無理だ」
言い捨ててどこかへいこうとするサリュの腕を掴んで引きとめると、その手を振り払われてちょっとびっくりした。口では随分な事をいうけど、掴んだ手を払われた事なんてなかったから。
ちょっと、傷ついたんだけど。
ぼんやりする私に気付いたのか、サリュは憮然としたままで呟く。
「あまり軽々しく男に触るな。お前の国ではどうか知らんが、この辺りでは誘惑していると見られる」
「ゆうっ――そんな訳ないでしょ!」
「お前は違っても、ここではそうなんだ。こんな風にテントの陰に二人でいるのも良くないぞ。お前、カツキとも二人でこそこそしてたんだろ、噂になるぞ」
「えええ」
それはカツキに悪い事をした。っていうか、今度はサリュとテント裏にいるんだし、私ってとんだ尻軽って事になるんじゃ!
「そんな訳ないのに! カツキとも歌の練習してただけだよ!」
「どうでもいい。まあ、俺はお前の世話係だから一応忠告しておく」
サリュはちょっとだけ面白そうに笑うと私を置いてさっさと行ってしまった。残された私はテントの陰でへたり込む。
うう、カツキをそんな風に見た事ないのに。カツキは年下だろうし、それに私は――。
そっとテントを見上げて、中にいる人の事を想った。
最近、団長は忙しそうで休みの昼はダジマさんとどこかへ出かけている事が多い。私の言葉も随分マシになったから、前みたいに団長について回る事も減って、そういえばあんまり話してないなって気付く。
気付かなければよかったのに、気付いてしまったら寂しくなった。
……別に、団長を好きな訳じゃないと、思う、多分。あれだ、すりこみ。だって団長はすごく年上だし、顔濃いし、強くてカッコいいのは確かだけど、恋愛対象になるには何もかも違い過ぎて――。
「やめよう、うん」
考えれば考える程どつぼな気がして私は大きく首を横に振って考え事を追いだした。
とにかく今はサリュの事だ。結局いまだYESの答えを貰っていないのだから。
夕食の後、片づけを済ませて明日朝食の仕込みを済ませると、がっくり疲れるのはいつもの事だ。ガスも電気もなく、レンジもフードプロセッサーもないっていうかピューラーもないから皮剥きだけでも大変!なんだ。自炊は嫌いじゃないけど、それは便利な道具があってこそです、もう本当慣れるの大変。おかげで私はナイフ使いが上手くなったと断言出来る。
とはいえ、まだ鳥をさばいたりは出来ないんだけど……。目が見えないのにさくさく料理が出来るニーナって本当にすごい。
そんな事を考えながらサリュのテントに顔を出して、また怒られた。
「だから! お前は! 男のテントに軽々しく来るなと言ってるだろう!」
「だってサリュは私に変な事しないでしょ!? サリュは私の世話係なんだから、えっと、お母さんみたいなものだし!」
「おかあさんってお前」
そのまま絶句するサリュに、後ろにいたじジイが声をあげて笑ったのが新鮮だ。
「わしは席をはずそうか」
「……かまわん、俺が出る」
どこか面白そうなジイにそう言い放つをサリュは目で私を促してテントから出る。電灯のない夜はびっくりするくらい暗い。動物よけにテントの周りは松明と焚き火で明るくしているけれど、それでも私の知ってる夜とは暗闇の深さが違って、怖い。
それなのにサリュはキャンプから少し外れた大木の下まで黙ったままだった。
「怖いんだけど」
「うるさい。ここなら誰にも会わないだろ」
「かえって怪しい気がするんだけど」
「お前も言っただろう、俺とお前の関係なんて世話係とぽんこつ意外の何でもない」
なんか言い方に棘がある気がするんだけど、まあ、今更サリュの物言いにイライラしても仕方がない。若干慣れた私って、微妙にマゾ体質なんだろうか。
「お前もしつこいな、俺は人前で歌いたくない」
「何で? やっぱり犯罪者で追われてるとか、なの?」
「違う!」
そのままサリュはまた黙って、ふてくされたように座り込んでしまった。でも、どこかへ行ってしまわないところ、サリュは優しい。それくらいは分かるようになった。
サリュがここまで嫌だって言うのなら、無理なのかもしれない。いや、無理なんだろう。私はきっと酷い事をしてるんだ。もし逆の立場だったら死ぬほど嫌かもしれない、ストーカーかって。
反省半分がっかり半分でサリュの隣に座り込んで、膝を抱えると、おとなしくなった私にサリュが眉を寄せた。
「なんだ、静かだな」
「うん」
何気なく空を見上げると、満天の星だ。
太陽が二つあるのに、今は出てないけど月は一つだし、星空も写真集で見た事があるみたいな綺麗さだった。本当にここは地球じゃないのかなと、何度も思ってしまう。
その度に何度も「ここは私の世界じゃない」と付きつけられる現実に直面して肩を落とす。
それでも、この星が輝く空が私は大好きだった。
「綺麗」
「この辺は星が良く見える。山が遠いし、街明かりも少ない。この時期は霧も少ないし、星を見るにはちょうどいいんだ」
だからここへ来たんだろうか、松明の光から離れた場所まで。
「サリュも星好きなの?」
「――昔、母親とよく見た」
「お母さんと。可愛いね」
「馬鹿にしたな」
「違うよ、本当にそう思ったの。っていうかサリュにも子供時代があったの、笑える」
「黙れ」
きつい言葉を使っても、声が優しい。お母さんを思い出しているのだろうか。
今なら、聞いてもいいかな。
「どんな人?」
歌姫のお母さん。一緒に星を見たりとか、きっと優しい人だ。サリュは星空を見上げたままで、ぼんやり呟く。
「よく歌ってたな。興業でじゃない、普通の時も」
「歌姫って、吟遊詩人とは違う?」
「そうだな、吟遊詩人程放浪しない。そのうち城お抱えの歌い手になった」
「おー、すごいね。王様の前で歌ったりするんだ?」
この世界で「王様」って凄い凄い存在みたいで、総理大臣とか大統領とかよりもっとすごいみたいな印象。皆、王様を同じ人間と思ってなくて特別な存在としてあがめてる感じがする。王様の住んでいる街、王都はまだ遠くからしか見た事ないけど、人の多さも物流もケタ違いって感じだった。
そんな王様お抱えの歌姫っていったら、きっと私が想像してるよりももっとすごい。
「サリュってもしかして、坊ちゃんなんだ?」
「ぼっちゃん? 何だそれは」
「あー、うん、なんでもない。それよりお母さんはまだお城にいるの?」
「母親はとうに死んだ」
サリュの表情が絵に描いたように暗く沈んでいく。
ああ、お母さんの話が地雷だったのは、このせいだったのだ。
「なんか、ごめん」
「謝る事じゃない」
それでも傷つけた。
サリュが人前で歌いたくないのは、そのせいなんだろうか。お母さんを思い出すから、とかそんな。
何も知らずに私ってばしつこく食らいついて、さぞ邪魔くさかっただろう。
酷く、心が痛かった。
気まずさをごまかす為に、慌てて口を開く。
「サリュのお母さんって美人なんだろうな。うちのお母さんもね、若い頃はモデルにスカウトされたとか言ってたけど、今は全然駄目。太っちゃって、階段は三階までしか昇れないわーとかいつも言ってて」
こんな話をサリュにしてどうするんだと思ったけど、今は黙っている方がしんどい。多分、知らない言葉だらけの私の話を、それでもサリュは静かに聞いていた。
「カラオケは好きだから時々一緒に行ったりするけど、頑張っていまどきの歌なんか歌っちゃって」
そういえば最後に一緒にカラオケ行ったのいつだっけな、なんて頭の隅で考える。大学に入ってからは連休も帰らなかったし、春休みが最後かな。パートが忙しいって電話で話したのはいつだっけ。
……元気かな。
そういえば私って元の世界ではどういう事になっているのだろう。失踪、とか?
ざわ、と背中が粟立った。
どれだけ心配してるだろう。
高校のとき、ちょっと遅く帰っただけですぐ電話してくる心配性な父親と、ストレスがすぐ睡眠に出る母親は眠れているのだろうか。
――ヤバい。
この三カ月、ここでの生活に慣れる為に必死だったから「こういうこと」を深く考える事はなかった。いや、避けていたのかもしれない。ダブルの歌を聞く事だけで元の世界と繋がっていた。そういう逃避だった。
自覚してしまうと途端に感情があふれ出した。サリュの前だという自制も乗り越えて、勝手に涙が溢れてくる。
会いたいな。
会いたい、顔が見たい、声が聞きたい。
元気だって事だけでも伝えたい。
サリュに気付かれないようになるだけ声を抑えようとしたけれど、押さえようとすればするほどに嗚咽がこぼれた。
「どうした」
急に泣きだした私に、サリュは困ったような顔をしてから首を傾げる。サリュはもうお母さんに会えないのだし、そんなサリュに弱音を吐くなんて駄目だ。分かっているけど、涙は止まらなくて、私はしばらく子供のように泣いた。
サリュはそんな私を静かに見ていたけれど、やがて小さく呟いた。
「泣くな」
「と、止まらない」
「――母親に会いたいのか」
「うん」
ごめん、サリュ。あなたは会えないのに。
サリュは酷く苦しそうに眉を寄せて、目を伏せた。
そして、小さく何か口ずさみ始める。
それは前にも私が泣いたときに歌ってくれてた子守唄みたいな歌だった。
ささやかな歌声だった。
私のすすり泣きと変わらない程の空気の震えは、けれど、柔らかに私の耳に届き、静かに癒してくれる。喋る声よりも少し高い耳触りのよい歌声は私の涙を拭きとるように響く。
ああ、やっぱり私この人の歌好きだなあ。
優しいのは、痛みを知っているからなんだろう。
口は悪いのに。意地悪なのに。
こういうのツンデレっていうんじゃなかったっけ。
後で教えてあげよう。きっと嫌な顔で「馬鹿じゃないのか」って日本語で言うんだろう。
サリュが歌声を止めたのは、完全に私の涙が止まってからだった。
黙ったまま顔を背けるから、面白い。
「サリュ、ありがと」
「ふん」
ふん、って、普通言葉で言わないでしょうに。やっぱりツンデレなんじゃないの。
「やっぱりサリュの歌って人を元気にするんだよ」
「――……歌なんてどれも同じだろう」
「違うよ、私はサリュの歌がいいな」
「カツキよりか」
「カツキ?」
「……なんでもない。お前は」
不意に立ち上がったサリュは前髪をかきあげて私を見下ろしてくる。左右違う瞳の色が少しだけ見えて私はぼんやりとそれに見惚れる。なんて綺麗なんだろ。
「お前は、元気になるのか。俺が、その、歌ったら」
「え、うん、当たり前」
「少しだったら、やってもいい」
それだけ言うとサリュは私の腕を掴んで立ちあがらせる。そのままずるずると引きずられ歩きながら、私はようやくその言葉の意味に気付いた。
「サリュ! 歌ってくれるんだ!?」
「少しだけだ、仕事に差し支えないくらいだ、いいか、少しだけだ!」
私をちっとも見ないでいい放つサリュの声が上ずっていて、こんな綺麗なのにやっぱり残念な人だなあと思う。
あ、でもツンデレ王子キャラって需要あるんじゃない?
そんな事を思って笑ってしまったから、また不機嫌に「馬鹿じゃないのか」と言われる事になるんだけども。
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