第8話


 一つ、灯りがともった気がした。この何をしたらいいかも分からない世界で、私が出来る事。


「あの、よかったら、もっと焼きましょうか?」


 ダジマさんが皆に伝えてくれる。ワカバの顔が初めて見るように明るく輝いて、本当はワカバも食べてみたかったんだなあと思わせて、やっぱりその健気さが可愛かった。

 とりあえず、自分の分を平らげた後、私はしばらくそこでホットケーキもどきを焼いた。

 誰が伝えたのか、キャンプのメンバーもちょこちょこ顔を出して、皆おそるおそる薄いホットケーキをちぎっては「悪くない」と口にする。

 おおむね、好評らしくて、焼くという方法は随分褒められていたと団長が教えてくれた。


「よかったら、明日の朝メシに皆の分焼いてくれないか」


 団長じきじきのお願いに、私はためらいつつも頷いた。でも、いいんだろうか。私はただ、自分が食べやすいものを作っただけなのに。

 とりあえず空腹は収まったから、と部屋に戻ろうとしたとところで、サリュに引きとめられる。そのまま団長のテントに連れていかれ、テントにはいつの間に戻っていたのか団長とダジマさんが腕を組んで座っていた。かしこまった雰囲気にちょっと緊張する。

 おもむろにサリュが口を開いた。


「メイ。お前はどうしたい」


 どう?

 そんなの決まっている。


「帰りたい――日本に帰りたいよ、お父さんお母さんに会いたいし、友達に会いたいし、ダブルに会いたい。日本に帰りたい」


 ダジマさんが通訳をしてくれた。


「だったらその方法を探すしかない」

「……そんな事出来るの?」

「団長が言ってただろ、お前と同じ言葉を話す男を知ってるって。その人探せば何か分かるんじゃないのか」


 それは私も最初に話聞いたときに聞いてみたけど、もう今は死んでいないって事だった。だから絶望してたんだから。


「でもいないんでしょう」

「そいつを知っている人はいるかもしれないだろ、団長みたいに。それを探す事は無駄だと思うか? 毛布にくるまって転がっているよりも無駄だと思うか?」


 それは、立ち上がらない私をまっすぐに正面から批判しているのだと、分かる。そんなの、自分でも分かっている。本当は団長だって、こんな拾った訳の分からない私なんて放っておいてもいいはずなのに、宿に泊めて、よくしてくれている。そんな事は分かっているけど、私は自分が可哀そうすぎて、そんな問題にまで心をさく余裕がないんだ。私の言葉は分からないはずなのに、全部的を射たサリュの言い分は、恐ろしくまっとうで正論で、私を刺した。


「無駄でも、歩き出せない事だってあるよ!」

「お前みたいな弱いポンコツ一人だったら無理もないだろうな」

「また、またポンコツって言った!」


 本当サリュは優しくない! 拳を振り上げるとダジマさんになだめられた。


「サリュー、君は言葉を選べ」

「俺は思った事しか言えない」

「メイ、サリューは、君一人に抱えさせないから、と言っているんだ。幸いこのキャンプは旅芸人のキャンプだ。色々な事情を抱えた人達を団長が拾って皆色々な目的を持って、旅をしている。そこにメイ一人増える事くらい、団長にも私達にも何の負担でもない。日常の一幕だ。だから」


「団長だっていつまでもここにいられない。メイ、お前は自分で選べ。このまま毛布にくるまって転がっているか――踏み出すか」


 踏み出せ、一歩。

 何故、その言葉をサリュが言うのか。


 それでも、不思議なほど私はその事をすんなりと受け入れた。


「踏み出、したい。あの、私、帰りたいから、一緒に、一緒に連れていってくれませんか」


 ぱん、と目の前の壁がはじけ飛んだような気がした。絶望しかなかったこの状況で、私が自分の決断で踏み出した一歩、それは私の状況を、きっと変える。

 それは確信だった。

 団長は黙り込んだままで私を見つめていたが、難しい顔をしたままで口を開く。


「お前には何が出来る?」

「あっ、その、私は」


 ただ子供のようにくっついていく事は許されないんだ――何か団長の役にたつような事、私に出来る事なんて……。

 不意に、さっきホットケーキもどきを食べていた皆の顔を思い出す。


「あの! 私、あれ焼けます、どろどろのやつ! それに、もしかしたらもっと違うご飯も作れるかもしれないし」

「言葉も分からないのにか」

「お、覚えます!」


 あ――!

 私、多分、今一番しなきゃいけないのは、それだったんだ!


「言葉、覚えます、誰とでも話せるように」

「どうやって」

「あの、お、教えて下さい、勉強します!」

「じゃあ、しばらくメイのすべき事は言葉を覚えて調理係の見習いかな」


 ダジマさんが小さく頷いて、サリュがどこか満足そうに鼻をならす。

 ああ、嘘みたいに目の前が晴れていく。一歩踏み出したら転がるようにやるべき事が出来て、それは小さな希望になった。


「では、メイ、お前を我が団の正式な一員とする事を認めよう。しばらくはサリュー、お前が面倒を見ろ。言葉はダジマと俺で教えるが、サリューもメイの言葉を覚えろ」

「何で俺が!」

「お前がメイ担当だからだ」

「なんで俺が……」

「拾ってきたのはお前だ、それにどうせずっとメイの事を気にしているんだから、今までと変わらないだろう」

「気にして?」

「そうだな、普段なら最低限しか人と関わらないお前がかいがいしく側にいては何かと面倒を見ているなあ」


 ダジマさんのからかうような声に、サリュは舌を打って顔を背ける。

 サリュ、私を拾ったから責任を感じているんだろか。私はなんとなく昔拾った犬の事を思い出していた。

 コロは私が見つけたんだからって、頑張って世話したっけ。って、私は捨て犬か。

 ……サリュにとってはそんなものかもしれない。

 それでも、誰かに気に掛けて貰えるというのは、この右も左も分からない場所でこんなにありがたい事はない。


「サリュ、よろしくお願いします」


 サリュに向かって頭を下げると、また舌打ちが響いた。


「せいぜい早く一人だちしてくれ」


 そしてそのままサリュはテントを出ていった。

 団長が口元を緩ませながら教えてくれる。


「お前を団に入れられないかと掛け合ってきたのは、サリューからだ。よほどお前が気になるんだな、あいつは」


 サリュが?

 あの人の優しさって分かりにくい。

 きっと面倒な男の人なんだ。大学にいても絶対関わり合いになりたくないタイプだ。

 でも、なんか、今はすごく嬉しい。

 団長とダジマさんに挨拶をしてテントを出ると、すぐにサリュを見つける。これも、待っていてくれたんだろうか。


「サリュ」

「お前の言葉を覚えなきゃいけなくなった、くそ面倒だ」

「サリュ、あの、ありがとう」


 通じないだろうと思ったけれど、神妙な私の態度からなんとなく礼を言われていると察したのか、珍しくサリュは優しげな声で言う。


「進めない事は、俺だってある。そういうときは目的を見つけるのが一番早いからな」


 私が踏み出せない事を分かっているから「帰る為の方法を探す」という目的を示してくれたんだろうか。だとしたら、この人は私が思うよりももっとずっと優しい。


「私、頑張ります!」

「うるさい、お前の言葉は面倒そうだな」


 噛みあわない会話を噛みしめながら、言葉が通じるようになったらもっと喧嘩が増えるかも、とちょっとだけ思った。

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