第7話
◆
目を覚ましても目が覚めない。そんな思いをもう何度繰り返しただろう。変わったのは今、ここがテントの中ではないという事だ。
私が倒れてから団長は野原でのキャンプをたたんで、近くの街まで移動した。詳しい事は分からないけど、気付けば私は宿屋の一室に入れられ、サリュや他の皆は宿屋の庭を借りてテントを張っていた。
私の為に普段はめったにとらない宿を借りてくれたのだとサリュが教えてくれたけれど、どうしたらいいかも、今の私には分からないでいる。
宿屋の部屋は驚く程に「普通」で、レトロな内装とか、土壁の建物とか、見た事がある感じで、あまり「異世界」感はない。部屋にあるものも、使用用途は分かるし、窓から見た街並みは映画とかで見る昔の外国って感じだった。
ベッドがあって、机があって、椅子もあるし、カーテンもある。小さな机の上には花瓶らしき陶器があって、窓にはガラスが嵌められている。文明は発達している国みたいだ。驚く程に私達と変わらない概念や考え方を持っているのだろう。だからこそ、ここがまったく知らない世界だと言われてもよく理解出来なくなってしまう。
何より。
私はこれからどうすればいいのか、それが全然分からないから、どうしても動き出せずにいるのだ。
朝起きたらご飯食べて学校に行く。勉強して、家に帰ったら本読んで、テレビ見て、ご飯食べて寝る。
それが私のすべき事だったのに、今はご飯を食べる事すら一人ではままならない。
そして何より、この世界には大好きなダブルがいない。誰にどう馬鹿にされても、私にとってはかけがえのない支えだったのだ。
もうやだ。
こんな事なら、砂漠か、あの鳥に襲われたときに死んでた方が良かったかもしれない。
毛布にくるまってベッドで丸まると、控え目なノックの音と同時に、ワカバが顔を出した。ワカバは鳥騒ぎのときに助けた小学生くらいの女の子だ。言葉は分からないけれど、ワカバは何度もこうやって私のところにきては時間を過ごしている。
「メイ」
ワカバは食事も運んでくれる。自分よりも随分小さな子に何をさせているのかと情けない気持ちになるけれど、それでもまだ立ち上がるのは辛かった。
「ごはん」
言葉は分からないけれど、何度も使われる単語はなんとなく分かる。
ワカバに差し出されたスープを受け取って、スプーンで具をかき回す。見慣れない葉っぱとか、黄色い木の実とか、これは本当に食べられるのだろうかと考えだすと、何も口に出来なくなって、最初のうちは何を食べるのも怖かった。特に、肉。何の肉か分からないというのはこうも食欲をなくさせるのかと思う。
比べて、スープはまだマシだったから、私の食事はスープが中心になっている。
ありがたい事に、薄い塩味のそれは私の味覚ともあっていて、食の文化も私の知っている世界とかけ離れていないと知った。
「メイ」
ワカバはもう一つの器を差し出してくる。小さめのどんぶりみたいな器に入れられたそれは、どうしても私が苦手なものだった。何かの粉を何かのミルクで溶いたもので、どうやらこの国の主食らしい。皆美味しそうに食べてるけど、どうしても得体のしれないどろどろ感が嫌だ。
「それは、いい、いらない」
「メ」
ワカバは珍しく強く推してくる。だから苦手なんだってば。どうやって断ったらいいのか分からなくて途方にくれていると、ひょいとサリュが顔を出した。
「なんだ、起きてたか。メシか? 早く食え」
「サリュ。私、これ、苦手」
粉のミルク溶きをサリュに見せて首を横に振ってみると、サリュは面白そうに笑ってずいとそれを私に押しつけて来る。
「なんだ、嫌なのか? 食わないと元気にならないぞ。それにこれはワカバが自分の分を食わずにお前にと持ってきたものだ」
小さいワカバが私の顔を見て、にこりと笑う。
う、そんな天使みたいに笑われたら私がすごく悪い子みたいだ。
そんな事言われても嫌なものは嫌なんだけど。なんか焼く前のお好み焼きみたいで。
……焼く前の。
だったら、これ、焼いたらマシになるのかな。ミルクで粉を溶いているなら、膨らまないパンっぽくなるかも?
でも、焼いてみてと伝える事が出来ない。団長かダジマさんがいてくれたらいいんだけど、二人とも忙しいのか少ししか顔を見せに来てくれない。それも心細さを増長させてる。
「やっぱりお腹いっぱいだから」
ワカバに申し訳ないと思ったけれど、私はまた毛布にくるまって体を丸めた。サリュの非難に満ちた視線が痛い。
「置いておくから、必ず食えよ」
半ば脅迫のようにそう告げると、サリュはワカバを連れて部屋から出ていった。
分かってる。私はあんなに小さな子の親切も受け取れない程小さいって事。でも仕方ないじゃない。私は訳の分からない世界に放り込まれて、まともに会話だって出来ない。きっとこの世界に私の気持ちが分かる人なんていないんだ。
帰りたい。
どうしようもなく気持ちが落ちていく。このまま沼の底まで沈んでしまう前に、と私はイヤホンを耳に突っ込んで音楽を聞く。毛布にくるまってダブルの歌を聞いていると、ここがどこかなんて事が全部飛んでいって私はただの結城メイでいられる。
やっぱりダブルは好きだな。
ダブルを聞いていると素直になれる。
イヤホンからは応援歌が流れている。
踏み出せ一歩 一歩だけ
ああでもヨージ、私は「ここ」で何の一歩を踏み出したらいいというの。何も出来ないというのに。
一曲が終わる頃私は慌ててプレイヤーの電源を落とす。きっとここには電池なんてないし、充電も出来ない。電池が切れてしまったらもうダブルを聞く事も出来なくなってしまう。それだけはどうしても避けたかった。
音楽を聞くのをやめて丸まっていると、ぐう、とお腹が鳴った。ここのところずっとスープばかりだったから、いよいよ限界かもしれない。ベッドサイドの机には、さっきワカバが持ってきてくれた「焼く前のお好み焼き」がある。思いきって口にしてみたけど、やっぱりこれ以上食べられる気がしない。
せめて、火が通っていれば。
……焼けばいいのかな。
ダブルの歌が頭をぐるぐると回っている。
『踏み出せ一歩だけ』
私の一歩は、ご飯を食べる事、なんだろうか。
しばらく思い悩んだけれど、思いきって立ち上がる。団長かダジマさんに会えれば、これを焼く方法を教えて貰えるかもしれない。器を片手に部屋を出たところで、まるではかっていたかのように団長とダジマさんが立っていた。
「メイ、具合はどうだ」
団長はいかつい顔をしているのに、声が優しい。それが私の勇気を奮い立たせる。
「あ、の、あの!」
「何だ」
「キッチン……台所? あの、料理が出来る所を借りたいんですけど」
「料理? 何か作るのか?」
「これ、焼いてみたくて」
ああ、とすぐに反応してくれたのはダジマさんだった。
「じゃあ宿の台所を借りられるか聞いてみよう。キャンプの窯には大鍋か鉄板しかないから」
ダジマさんについて宿の料理場に向かうと、主人さんは快く窯を貸してくれた。
でも、私が「これ」を焼きたいと言うと、心底驚いたように目をぱちぱちさせて「見ていていいか」と腕組みをしている。サリュの話では団長が言葉の分からない私の事を「遠い国から売られてきた奴隷で、逃げているところを助けた」設定になっているらしい。まあ、半分は嘘じゃない。宿の主人は「遠い国の料理」に興味があるようだった。
なんでも使っていいと言われたけど、全然勝手が分からない。まず、フライパンがない。代わりになりそうな子ぶりの鍋を用意して、次は油。探せなくてダジマさんを頼ると、何かの実から絞ったらしい油を見つけてくれた。油を使うという概念も同じで、少しだけ嬉しい。
小さめの鍋に油を引いて、窯にかける。どろどろを注いで様子を見てたけど、ガス台じゃないし、火の調節が分からない。窯の上で鍋を遠ざけてみたり近づけてみたりしながら、なんとか焼きあがったのは、全然膨らんでないホットケーキみたいなものだった。
でも、どろどろよりは絶対いい。
宿の主人も、いつの間にか見に来ていたサリュやワカバも初めてみる「焼いたどろどろ」の姿になんとも言えない声をあげている。
「焼くと固まるのか」
「美味いのか?」
なんだか、興味津津みたい。
とりあえず味見に、と端をちぎって食べてみると、ほんのりミルクの風味と塩味のするそれは、意外といけた。出来ればはちみつとがジャムがあればいいんだけど。
「メイ、美味いか?」
皆の代表みたいにサリュが唸っていたから、端をちぎってサリュの手に乗せた。サリュはおそるおそる、という風にそれを口に運んで、小さく「おお」と漏らした。
「いける」
その声ですぐに宿の主人が笑顔で近付いてくる。
「わしにも一口」
団長やダジマさんもその後に並んで待っているのが面白い。ワカバが何か険しい顔をしてそんな大人の前に立って、腰に手を当てて何か叫んだ。ダジマさんがこっそり教えてくれる。
「ワカバが、これはメイのご飯だから食べちゃ駄目だって怒った」
健気なワカバの優しさが、素直に心の奥にしみ込んでくる。
ああヨージ。私の一歩は、やっぱりこれだったのかな。
帰りたいと泣いてもお腹はすく。どうせなら美味しいもの食べたい。今私に出来る事は、食べる事なのかも。
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