第202話 犬と呼ばれたくない、ただの犬
夕食の際に、顔合わせは済ませた。
男は
明石はエスパーであり、桜庭は魔術師ともなれば、いろいろと勘繰りたくもなったものだが、あまり触れないでおいた。まだ若いのだ、好きにさせるくらいが丁度良い。
とはいえ、ルイだとて年齢は変わらないのだが。
それから夜になって、二十時を過ぎたあたりで天来を誘って外へ出た。移動はもちろん、徒歩だ。
「お前だけフライングボードでも良かったんだがな」
「いえいえ、買い物に行くわけでもなし、徒歩で充分ですよ」
夏が近づいてきているが、夜になると涼しさを感じ、上着が一枚欲しくなるくらいだ。
「こっちじゃそろそろ雨季か?」
「はい、梅雨に入りますね。このあたりは、それなりに降りますよ。フライングボードは使えなくなりますが、学校はそれなりにあります」
「それなり?」
「二日に一度くらいですかね? 自宅学習が多くなって、学生たちは嫌がる時期でもあります」
「近場に元軍人がいるから、躰を動かす時期ってわけか」
「はい。雨天行軍の練習なんかもしていますよ。うちはやっていませんが」
「ヨルノクニでは、完全休業らしいな」
「あちらは、四国の海上ですが、エイジェイの所持する独立国家ですからねえ。そのぶん、夏休みも冬休みもありませんから」
「長期休暇なんてのは、中だるみを誘発する悪習とも言えるけどな。日本人は真面目だから、息抜きの仕方も知らないんだろう」
「否定はできません」
「フライングボードの扱いも、性能を引き出してはいなさそうだ」
「性能を?」
「スペックというよりも、構造上の限界だな。加速と減速の利用ならともかく、空中を足場にしたコーナーとか、宙返りとか、そのあたりの遊びだ」
「――そんなことが可能なんですか?」
「おそらくな。そんなに難しいことじゃないが、黙っておけ。俺が交渉材料に使うつもりだ」
「交渉って……」
「たとえば、歩く灰皿に賭けを持ち込んで、喫煙許可を得るとかな」
「あー……ほどほどにお願いします。彼女もそれほど打たれ強くはないので」
「なんだ、情報は渡してないのか」
「そこはお任せします。ルイくんだって、必要なら話すでしょう?」
「都合が良いなら、そうするさ。最初から言ってると思うが、俺は隠してない。ないが……自分が犬になれたとも、思い上がっちゃいない」
「そうなんですか?」
「俺は末席だからな。よく中尉殿に訓練をしてもらったが、それで上達したとも思ってない」
「厳しかったんですね」
「いや? 俺らは基本的に、自主鍛錬ばかりだ。自分にできることをやって結果を出す――必要なのは何だ?」
「できる、できないの判断です」
「そうだ、それを平時にやって、できないならどうする」
「勉強して、できるようにします。それは当たり前のことですよね?」
「その当たり前ってやつを、馬鹿みたいに積み重ねたのが、犬だ」
「……でも、できることなんて、人によって違います」
その通りだと、ルイは笑う。
「だから、俺たちは出した結果だけが、同じだ。仕事の結末、任務の遂行、その完了は結果として出るが、それまでの過程は全員違う」
何が得意で、何が不得意か。
同じ状況で現場入りしたって、そこからの行動が変わるのは当然だ。右のヤツと同じことができないなら、違う方法で同じようにしなくてはならない――だから、結末だけ、同じになる。
「ただ、がむしゃらに訓練したって駄目だから、いろいろ指示は受けた。平時は中尉殿から、仕事のやり方は軍曹殿からだ。電子戦も必要だから覚えた」
「必要、ですか。でもそれは、どんな仕事だって同じでは?」
「覚えなきゃ死ぬなら、な」
「あー……」
「なんだ」
「いえ、比喩ではなく現実的な物言いで、そうなんだろうなと思いまして」
「お前らは目標を定めて、そこへ向かうんだろう?」
「ええ、それが一般的ですね。昔の私もそうでした」
そこは、大きな違いだろう。
「犬はな、先にデッドラインを背中側に引くんだよ。これ以上は退かない、いや退けない。それを割った時点で俺たちは犬じゃなくなる。それは、死ぬのと同じだ。つまり否応なく前へ進まなくちゃいけないんだよ――それだけ、中尉殿の背中は遠かった」
「――だから、必要だったんですか」
「結果を出して生きて帰れと言われたからな。平時で死ぬほど訓練して、現場じゃ平気な顔をして仕事を終わらせる。俺らにとっては、与えられた仕事なんて、いつだってぎりぎりだ。事前準備、今の自分を見て結果までの
――そうだ。
「俺らは、
そのことだけは痛感した。
「なりたいんですか?」
「どうだろうな。なれないとわかっていても、追いつこうとすることはできる。仕事をやれと言われて、できませんと言う間抜けにだけは、なりたくないな――あそこか」
「はい、そうです」
街灯とは別に、明かりがついている店なのでわかりやすい。食事も提供するらしいことは聞いているが、中に入っても六人ほど客がいるくらいの、静かな酒場だった。
「テーブル席でいいだろう。――おいバルディ」
「ん? ――げ、なんであんたがいるの?」
「今日の着任だ、覚えておけ」
「面倒じゃないでしょうね?」
「それは俺もごめんだ」
「はいはい」
隣にいたファーゴ・フグルサンが誰だと問えば、エリザミーニ・バルディは短く、芽衣の部下だと答えた。
二人は夫婦らしく、軍部からは身を引いている。そもそも彼らは朝霧芽衣の訓練校時代の同期だ。
「それとカウンターにいる女、あんた俺に用事があるんだろ。デートの邪魔をされたとすねるほどガキじゃない、遠慮するな」
言いながら天来の隣の席に腰を下ろした。
「そもそもデートじゃないです」
「じゃあ酒は少なめにしておけ」
「何が、じゃあ、なのかわかりませんが、私はそれほど強くないですし、子供たちの世話がありますから、明日に残るような飲み方はしませんよ」
「お前くらいなら運んでやるよ」
「それはどうも。――ああ、お久しぶりです、鷺城さん」
カウンターで飲んでいた女性がやってきて、対面に腰を下ろした。
「
「うちのドクと会話をしているのを聞いてた。寝台で寝ころんで治療を受けながらな」
「治療ですか」
「お前は刃物で人を刺す感触を、知っておいた方がいい――それがまさか、俺の躰に刺される感触だとは思いもしなかった」
「朝霧のやりそうなことね」
「よくあることだ」
「どうして?」
「あんたが誰かは知らないにせよ、あそこにいるのは緑の竜族だろ。白を殲滅したのは俺の仕事じゃないが、繋がりを見出すのには充分だ」
食事のあとなので、つまみは軽く。会話がメインなので酒も度数が低いものにしておいた。
「で?」
「質問よ。あんたにとって、道しるべってなに?」
「ああ」
そういうことかと、煙草に火を点けた。
「天来、広い砂漠をイメージしろ。方角もよくわからん。だが、立て看板を見つけた。そこには方角が描いてある。ありがたいだろ?」
「はい、助かりますね」
「鷺城、俺はその看板を立てるのが仕事だ。何がどうだって?」
「そう。魔術に関しては、ちゃんと正しく受け入れてるのね。道具に近い使い方をしてた
だとしたら。
「あんたは、なかなかバランス良く、道具にしてるわね」
「手入れを欠かしたことはないな」
「あんたが一番、仕上がってるわよ」
「冗談はよしてくれ。俺は犬の末席で、連中と一緒にされると反吐が出る」
「あらそう。……この場所は、あんたに任せるか。最悪の事態になった時、落ち着くまでは防衛戦でもして、それから野雨を目指しなさい」
「……とりあえず覚えておく」
「そうなさい。さて、天来――なにあんた、ラムなんて飲むの?」
「ちょっとだけですよ」
「ふうん? で、桜庭はどう?」
「夜中にこっそり抜け出してる女は、お前が面倒を見てたのか」
「そこの竜族と一緒で、少し魔術を教えただけよ」
「あれ? なんで今日来たばかりのルイくんが、それを知ってるんですか?」
「庭に足跡をべたべた残すようなアマチュアがいたからな。ついでに、窓枠の足跡を消しきれてない」
「そういう技術は教えてないわね。数ヶ月くらいだもの――どう見た?」
「へたくそな次元術式の話か? 専門じゃないから詳しくは知らないと言いたい気分だ」
「どう天来、接触しただけでこのくらいの情報は抜けるのよ」
「そうですねえ、私にはできないです。でも確かに、魔術が扱えるから犬なのだ、という認識は改めます。それはあまりにも説得力がありませんね」
魔術師にとって、魔術とは世界を知るための題材だ。だからこそ研究に余念がないし、極論を言えば術式なんてのは、世界においてルール違反をしていないかどうかの確認でしかない。
だが、ルイのように現場に出ていると、感覚も違ってくる。
「術式なんてのは道具だ。愛着もあるし、銃器と同じで内部構造を理解するし手入れもする。状況に応じて使うし、使わないのならそれに越したことはない」
「それは朝霧の教え?」
「いや、ごく当たり前の判断だ。人なら、誰だってそうする」
「そう。――だから犬は厄介なのよ」
吐き捨てるように言って、鷺城は不機嫌そうに頬杖をついた。
「駒としての自覚もあるんでしょ?」
「使う側に回った覚えはないな。それよりも、あの竜族を連れまわしてるのか?」
「これからヨルノクニに入れて、私の手からは離れるわよ」
「へえ……住みやすくなってんのか、あそこは」
「ん?」
「ギョクは俺らで面倒を見てたから、楽しくやってんなら何よりだ。それと、――中尉殿が来るぞ」
「待ってまだ早い」
「七草の予想じゃ一ヶ月以内。だとして?」
朝霧芽衣は性格が悪い。その情報が、あえて教えなくても犬なら知るだろうことを見越して、一ヶ月くらいを提示した。
だったら。
それは、本当に一か月後でも、明日でも、ルイは驚かない。
「……ゾウム! 行くわよ」
「げ、まあた夜移動かよ……」
「邪魔したわね」
「本当にな。次からは予約してくれ」
「天来はまた、今度は落ち着いて」
「はい」
八つ当たりじみた蹴りを、ゾウムと呼ばれた竜族の尻に入れた鷺城は、店を出ていった。
「……」
しばらく閉じた扉を見ていたルイは、やがて肩に入っていた力を抜く。
「緊張ですか?」
「さすがにあんな化け物の前で、冷静じゃいられないな。あの女の探りに対しても、防御は充分じゃなかった」
「それは魔術の、ですか?」
「まあな。一応、いくつか
「あー、はい。それなりに強化したつもりのセキュリティを一発で突破されると、へこみますねえ」
「ま、鷺城は爵位持ちくらいの実力はあるけどな――言葉通り、電子戦で」
「……そうなんですか?」
「ああ、身を引いたお前じゃ、ライセンス持ちのリストの更新はしてないか」
「更新どころか、持ってませんよ、そんなリスト」
「ティオは持ってたぞ?」
「私は情報屋ではありませんから」
それもそうだ。
天来は、そういう生き方をしていない。
「羨ましいとは思わなくなったな……」
「はい?」
「聞き流せ、なんでもない。いずれにせよ、一ヶ所に留まるのは随分と久しぶりだから、勝手がわからん。退屈だからと、トラブルを引き起こすような真似はしないが」
「それはやめてください」
「犬にとっては当然だったから、どこまでがトラブルかよくわからん。誰かの誕生日にストリッパーを呼ぶのは恒例になってたな」
「そもそも、ここにストリッパーはいません……」
「ヘリで輸送か」
「そうではなく、呼びません!」
「冗談だ、わかっている。のんびり、何もせず、昼寝でもできるような生活を目指しているから安心しろ」
「はあ、まあ、最初は難しいかもしれませんが、馴染んでください」
「これが仕事なら楽なんだけどな」
「そうですか?」
「スーツでも着て、教員免許を偽造して、らしいことを口にしながら、裏で目的を達成し、そのまま消えればそれで済む。馴染むってのは、そういうことだ」
「潜入捜査じゃないですか……」
「その必要はないとわかれば、逆に面倒なんだよ。まあ最初だけか」
「一ヶ月くらいはかかりそうですねえ」
「優先順位を考えて、適当にやるさ」
特に、あの朝霧芽衣がこちらに来るのなら、そちらの対処を優先したい。
まったく。
――どんな仕事を投げられても、できるようにしておくのが、最低限だなんて、犬らしいじゃないか。
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