第200話 フライングボードの手配
そういえば煙草を寮の中で吸うことができただろうか。
ふとそんなことに気付いたルイは、教員室の中、窓際で煙草を吸っている女性の後ろ姿が見えたため、思い直してそちらへ入った。
「――あ?」
扉の開閉音に気付いて彼女が振り向くが、軽く手を上げて近づき、灰皿があるのを確認してから、煙草に火を点けた。
「おい」
「なんだ?」
「ここは喫煙所じゃねえよ」
「似たようなもんだろ」
「……お前がもう一人の編入生か。さっきのガキより、よっぽど怖ぇな」
「あんたは?」
「
「覚えておく。歩く喫煙所が誰かわからないと困るからな」
「言うねえ。――お前、軍人じゃないだろ」
「元軍人だと考課表には書いてなかったか?」
「当てにしろってか」
「少なくともうちの上官は、目の前にいるヤツから手に入れた情報が一番確実だと言ってたな。もっとも、手に入れられるなら、だが」
「へえ」
「詮索屋は嫌われるぜ? それにあんたは、教員だろ」
「まあな」
「資格も取ったんだから、大したもんだ。
「――」
「隠してもねえ情報を見せられて、驚くなよ……現場研修は足りてないみたいだな」
「そんなことまで調べたのか」
「赴任先の情報を集めるなんてのは、安全確保の一つだろうが。平和だの安全だの、そんなもんはまやかしだ。自分で作らなきゃ実現はしねえよ」
「なるほどねえ……」
「で、教員からの助言は?」
「あー、……フライングボードは買っとけ」
「授業で使うのか?」
「半ば遊びだが、一応な。距離を移動するのにも便利だぞ、あれは。うちの学生がやってる店があるから、顔を出しとけ」
「じゃあそうするか」
「ほかに質問は?」
「天来の酒の好み」
「本人から聞け……」
呆れたように言われたので、笑っておいた。
帰り道の途中に、その店舗はある。
敷地面積はそれほど広くなく、プレハブをそのまま使ったような店構えで、その奥に自宅があるような造りだ。しかも、自宅といっても十畳一間のような、小さなものだろう。庭先で商売をしたいので、プレハブを置いたのかもしれない。
いつもなら一服してから中に入る気分だったが、喫煙所でもなかったので中に入れば、所せましと商品が置いてある。ぱっと見れば、サーフボードが並んでいるように見えるが、これはフライングボードだ。
「あ、いらっしゃいませー」
「おう」
「む……貴様も来たのか」
店主はまだ、ルイよりも若いくらいの少女で、短い髪を二つの三つ編みにしている。着ているつなぎは汚れが目立っているくらいには、使い込んでいるらしい。カゴメと比較すると、だいぶ大小の差が出ていた。
「俺のことはいいから、そっちの堅物を先に済ませていいぞ」
「……否定はしない。ではすず、支払いはこのカードで構わないか?」
「はあい、ちょっと確認しますね」
軍の御用達バンクのカードだ。身元が割れることを心配しないのは、まあ、良いことなんだろうとは思う。そんな生き方はできそうにないが。
「あ、大丈夫そうです。じゃあ調整して、そちらに持っていきますねー」
「頼んだ。――待たせたな」
「気にするな。お前の迂闊さもいろいろわかって、世間ってのはこんなもんかと気付けて良かった」
「なんだと?」
「相手にするのも面倒だ、帰って荷ほどきでもしたらどうだ? 俺も用事を終わらせて、とっとと同じ作業をしたいもんだ」
「……、まあいい。ではな、すず」
「はあい、ありがとうございましたー」
店内をざっと見ても、ボードは百種類くらいはあるようだった。
「さて、土屋すず。フライングボードを出してるメーカーはどこだ?」
「大きくは三種類です。日本の芹沢、アメリカのイリノイ、ドイツのケイヴァ。基本システムは開発元である芹沢のものを使ってますが、それぞれ特徴も違いますね。どのメーカーも、速度重視と、一般用の二種類を出してます」
「お前の所感は?」
「そうですねー、あくまでもフィーリングですが、芹沢はバランスが良いです。癖が少ないって感じの商品が多いので、悪く言えば大衆向けかもしれません。イリノイはちょっと尖ってる部分があって、
「土屋の仕事は?」
「販売と調整です。ただ売り上げの大半はレンタルですね。世間的に夏休みになると、一部大学生が遊びにきますから」
「認可されているのはここと、ヨルノクニだけだったな。あっちはバカンスって感じじゃないか」
「はい。というわけで、新規のお客、つまりお兄さんにはぜひとも購入していただきたいです」
「ちゃんと経営してるのか。それは先代の教えか?」
「へ? くるみさんをご存じなんですか?」
「以前、あいつの尻を追っかけたことがある。俺が顔を見せると、嫌そうな顔をする前に逃走するから面白いぞ?」
「お兄さん、何やっているんですか……?」
「ただの遊びだ。さて、俺は金に困ってるわけでもなし、
「なにかあるんですか?」
「手元にないって理由で授業をサボれなくなる」
「……え、重要ですかそれ」
「さあ? こっちの学校なんてものが、どんな仕組みかもあまり興味がないから、とりあえず様子見も兼ねて、そういう言い訳は作っておいた方がいい」
「よくわかりませんが……でも、うちに来た以上、難しいのでは?」
「そこで、だ。土屋、これは確認だが芹沢からの搬入経路は持ってるんだな?」
「え、あ、はい。芹沢の販売部から正規の卸しですけど」
「少し連絡を入れる、静かにしていてくれ」
「席を外しますか?」
「いや、状況の流れを掴むために聞いてろ」
ルイは携帯端末を取り出し、それを受付のテーブルに置くと、そのままスピーカーにして通話を繋げた。
コールは五つ、それで相手が出る。
『なんだルイ、ついに軍曹殿が男を捕まえたって話なら今度にしてくれ。ツラ合わせて酒を飲みながらにした方がいい』
「本人が現れて殴られるまでセットだぞ」
『銃を取り出さないなら、大丈夫だ』
「ぎりぎりのラインを攻めるのは、お前らの癖だな……
『俺を何だと思ってる?』
「芹沢の開発課は近いだろ。知り合いは?」
『……フライングボードか』
「話が早くて助かる。繋がりがないなら窓口だ。面白いボードを寄越せ、オーダーは以上だ」
『できないと言ったら?』
「その程度かと笑ってやりゃいい、安堂なら得意だろ」
『人聞きの悪いことを言うな。上限は?』
「販売価格で上限は50だ」
『送付先はデータで寄越せ。店頭販売価格で伝えておく。30くらいで仕上げられるだろ。期限は?』
「俺がボードを使って授業に参加したくなるまで」
『楽しんでいるようで何よりだ。詳細は共用サーバに上げておく』
「おい」
そこで通話が切れた。
共用サーバに情報があげられるということは、ほかの犬も閲覧できてしまう。こっちの事情が筒抜けというのは、なかなか面倒である。
いや。
面倒ごとが起きないようにと、祈りたい。
「……そういうわけだ、土屋。時間はそれなりにかかるだろうが、お前に損はない。連絡があるだろうことは覚えておけ」
「えっと、質問が」
「ん?」
「金額です」
「ああ、こっちじゃ円だから馴染みがないのか? 国外の仕事も多いから、基本的に
厳密には、違う。
会話で金額を提示する場合、相手の理解度に合わせることがほとんどだ。日本なら円、アメリカならドル――たとえば、ルイはアメリカで過ごしていたことになっているから、円よりもドルを使う方が自然に聞こえるだろう。その場で訂正の一つでも入れれば、それで充分なほど疑惑を払拭できる。
仲間内でも基本はドルが多かった。しかしそれは報酬などの話であり、今回のよう誰かに依頼をしたり、支払いをする場合は、共通通貨単位を使う。これはどの単位かを、いちいち確認する手間を省いた結果だ。
そんなことを説明するよりも、普段から使っているような感覚で話した方がわかりやすいのは、見ての通りである。ちなみにルイは、まだ円に慣れていない。
「おかしいと思ったんですよ……特注品でも30、あるいは50万は高すぎるんです」
「そうなのか?」
「うちで一番高いのも、せいぜい15万くらいですかね? 平均すると7万円くらいで購入できます」
「まあ、ちょっと高いおもちゃだな」
「開発費込みにしては、高すぎると思うんですけど」
「その時はサファイアでコーティングでもすりゃいい。強度が上がって丁度良いだろ。それに、販売はともかく、開発に関して連中は金に糸目をつけねえよ」
「そう……なんですか?」
「開発課は、開発できりゃそれでいい。それを販売可能にするコストダウンは別の部署だ」
「言われると納得できますね」
「一番早いパターンだと、既に在庫があって微調整したものが送られてくる」
「それはありえそうですが、遅いパターンだとどうですか?」
「熱が入って複数人が集まるケースだ。直接は知らないが、研究者ってのは興味がなくなると、あっさり捨てるくせに、再燃することがあるからな」
「その間はサボれるわけですか。えっと、お兄さんはどちらに?」
「ナナネ寮だ」
「ああ、
「ああ、そういうケースもあるのか。よくできてる。お前が学業を免除されてる理由もな」
「あはは、今回は編入生が来ると学長から連絡をいただいたので」
「フライングボードを使った授業は、お前が指揮を?」
「指導ってほとじゃないですけど、形ばかりのライセンスは持っているので、指導できる立場ではありますね。といっても、仕組みを理解できれば誰でも取れますけど」
「授業じゃ何をやるんだ」
「遊びですかね。ボードは乗り方さえわかれば、尻もちをつくことはあっても転ぶことは、ほとんどありません。速度重視のボードであっても
「ふうん?」
「パイロンを立てて、細かい制御を学んだりすることもあります。こちらは遊びに来た大学生などにレクチャーする時に、よくやりますね。フラッグを立ててコースを作ってみたりとか、いろいろ試してはいます」
「それが商売か」
腕を組んだルイは小さく笑う――が。
発想の飛躍があれば、もっと遊べるおもちゃだと思う。特に、ヨルノクニと違ってこちらは広い場所が使えるのだから、誰かが気づいても良さそうなものだ。
いや。
気付いたところで、か。
あるいはもう製作段階でそのあたりをバグとして、排除しているのかもしれない。ただなんとなく、それを前提でバランスを取っているはずだと、そんな確信もあった。
技術屋は、作るだけ作るが、使う人のことも考える。
「なんだかお兄さんは、軍人って感じではないですね」
「そうか? ……そうかもな。さて、俺も戻って荷ほどきでもするか」
「あ、お兄さんの連絡先は?」
「まだこっちの新しいサーバを準備中だ、後にしてくれ」
「……ん?」
「わからないなら、それでいいさ。学校にツラを見せるかどうかは気分次第だ、よろしくな土屋」
「あ、はい。芹沢から連絡が来たら教えますね」
「おう」
さて、荷ほどきするほどの荷物はないが、作業は残っている。今日中にできることは、とっとと済ませてしまおう。
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