第199話 ルイ・シリャーネイ

 ルイ・シリャーネイは、組織の解体があるからどうすると問われた時、すぐ返事ができるほど明確なものは持ち合わせていなかった。

 だから、消去法である。

 忠犬として動き続けるのは、嫌だ。たとえばグレッグのよう、あちこちに足を向けて現場を回るなんて、命を危険にさらす馬鹿のすることだと思っている。

 では軍部に戻るか? 犬の一人が軍に下ったとあれば、引く手あまただろう。その結果として、馬鹿のすることと同じ結果になることは目に見えているので、却下だ。そして追加するのなら、ほかの犬と一緒にいるのは、劣等感を抱き続けることになりそうで、精神的によろしくない。

 半年遅れの着任で、その半年という大きな時間を失ったルイは、ずっとそのハンデを負っていて、それが埋まらないものだと思っている。ほかの犬がどう思っていようと、現実なんてそんなものだ。

 では、どうするか。

 腕を組んだ上官を前にして、あまり待たすのもいけないと感じながらも、にやにや笑ってるこの中尉殿は、どうでもいいと思ってんだろうなと考えながら、ふいに。

「……じゃあ、田舎でのんびり暮らす」

 そう返答した。

 そうかそうかと笑う上官に反して、ルイはものすごく嫌そうな顔をした。当然だ、上官が笑っている時に良いことなんてない。

 ――ただ。

 結果として紹介されたのは、日本にある田舎だったので、そこは条件通りだ。しかし、のんびりできるかどうかは、貴様次第だ、なんて言われれば、それは上官の気分次第の間違いだろうと言い返したくもなる。

 事前にある程度の下調べはしてきたが、長い農道のような砂地でできた道が続いており、車のわだちも目立つ。海に近いので海路は改めて確認する必要もあるが、隠れたリゾート地だと考えれば、まあ、だいたいイメージは合うだろう。


 その場所は、ナナネと呼ばれている。


 村なのか町なのかは定かではないが、元軍人や孤児などが多いらしい。田舎というだけあって学生の数は少ないものの、学校はあるし物流もある。ルイが知っている名前もちらほらあった。

 立場としては、年齢的にルイは学生だが、さて、どうしたものか。学校なんて訓練校で充分だったし、仕事ではなく、軍人でもなく、ましてや犬でもない生活なんて想像もできない。

 なるようになる。

 そんな気軽な気持ちで歩いていれば、二階建ての建造物が見えてきた。出入りの道路は基本的に一つであり、まるで窓口のよう一番最初に見えるのが、これからルイが暮らす寮である。

 腕時計に目を走らせれば、デジタルの数値は十一時近くを示していた。

 入り口には庭があり、玄関までは石が埋め込まれていて、道ができている。庭木もそこそこあって手入れはされているようだ。

 鼻で一つ笑い、足を踏み出す。仕込みは感圧センサーで、地雷ではなく来訪者の感知だけ。通知先はあとで調べておこう。

 玄関まで行って、ノックをしようとしてインターホンに気付く。だがこの振り上げた拳をどうすべきか考えてから、まあいいかと、インターホンを押した。

 ぱたぱたとスリッパの音が聞こえて、扉が開かれる。

「はあい」

 はて、どこから声が聞こえてくるんだろうと、左右を見たルイは、姿が見えないと腕を組む。

「……あのう」

「ん? ああすまん」

 そこにいたのかと、視線を少し下げれば、エプロンをつけた小柄な女性がいた。

 小柄――とはいえ、ルイもどちらかと言えば背が低い。なので自分より背の低い女性は好みだし、丸顔の彼女は――幼さがあまり見えないのも、好きな部類だ。

「ルイ・シリャーネイだ。ルイでいい」

「はい、天来てんらい穂乃花ほのかです。この寮の管理人です、よろしくお願いします」

「じゃあ最初の仕事だ、俺の部屋へまず案内を頼む」

「はいはい、男性は二階です」

 玄関で靴を脱いで上がるが、ブーツなので少し時間がかかった。

 木造の床に見えるが、模様が描かれているだけのようだ。正面から見て右側に居住エリアが集中しているらしく、ちらっと見た限り、一階と二階がほぼ同じ作りになっている。

「ルイくんを除くと、男性が一人、女性が一人です。同じ学生ですから、仲良くしてください」

「お前よりも仲良くできるかどうかは、確約しねえよ」

「……へ?」

 二階の部屋は四つあり、奥の左側は使われている形跡があった。

「選んでいいなら、手前がいいな。右側」

「はい、大丈夫です」

 中にはベッドとテーブルが用意されており、大き目のアタッシュケースをベッドに投げると、軽く弾んだ。それから背負っていたリュックを足元に置く。

「ルイくんは軍人でしたね」

「ん? ああ……送られてきた書類には目を通したんだろう?」

「はい。ただ軍部直通ではなく、ナナネの責任者である前崎さんからですが」

「そうか。下に降りよう、ほかの場所は?」

「ああはい」

 また戻ってきて、居住エリアの逆側に大浴場、それからキッチンとリビングがある。

 ざっと、そういう感じの寮だ。天来も一階に部屋があるらしい。

「食事のルールは?」

「平日の朝食と夕食は、定刻に。必要なかったら連絡をください。休日の昼食は、選択制ですね。代金は寮費として回収してます」

「味の評判は?」

「悪くないですよー」

 変わろうと思えば、人は変わるらしい。

 いや。

 思わなくても、時間があれば変化するものか。

「尻のサイズは?」

「へ?」

「スリーサイズを全部言わなくてもいい、一つだけ教えろ。それで全部わかる」

「失礼ですね!」

 体形は子供に近いので、どちらかと言えばルイの趣味ではない。――躰で選ぶような思考もないが。

「じゃあ、今日はこのまま学校に顔を出して、少なくとも夕方には戻ってくる」

「行動が早いですねえ」

「そうか? あんたが遅いだけだろ」

「――ん?」

「フタマルのファーストってのは、もう名乗らなくなったのか? だったら今のフタマルもその程度ってわけだ」

「どうして、それを」

「おっと? 正解をここで口にした瞬間、情報収集能力は俺の方が高いってことでいいんだな? 返事は夕方に聞こう、せいぜいがんばってくれ」

 そもそもだ。

 ルイが犬であることを知っていたのならば、顔を合わせた瞬間に嫌そうな反応があるはずだが、そういう素振りはまったくなかった。それに、犬としての情報は隠していないので、辿るくらいはできるだろう。

 できていなかったら、その時にまた笑ってやればいい。

 さて、また徒歩移動だ。

 田舎というのは、雑音がない。ほぼほぼ自然音ばかりであり、静かだ――が、否応なく耳を澄ませている自分に気づくと、舌打ちが出た。

 音がしている、ならいい。だが、静かだからこそ、聞こうとする行為がストレスだ。これには慣れるかどうかわからない。

 不便さは、あまり苦にならないはずだが、仕事と日常では違うかもしれないので、多少は気にかけておく。

 どうしてルイが田舎を選択したのか、その理由に大したものはない。

 犬になる前。

 軍属だった頃、ある作戦に新兵としてルイは参加した。

 ――ギニア撤退戦、〇〇六二マルマルロクフタ号。

 そう、あの朝霧芽衣と同じ作戦である。当時にも帰還の際に名前だけは聞いていたし、それがまさか、自分の上官になるとは考えていなかった。

 その時だ。

 訓練校時代の同僚が、敵の銃弾によって負傷し、そのまま敵を引き付けてルイたちが逃げる時間を稼いでくれた。

 今でも覚えている、まだ未熟だった頃の自分を。

「ここは任せろ、ルイ」

 軽く笑いながら言う、ホーナーという男に対して文句を言おうとして、遅く、ルイは負傷に気づいた。腹部から血が流れており、いつの間にか膝のあたりまで染まっていて。

 もう手遅れだと、けれどそれを認めたくもなかったが。

「なあに、もうすぐ田舎暮らしができる。目の前に見えてる。任せろルイ、俺はここを片付けて、田舎でのんびりするさ。お前らはまだまだ、仕事をしろや」

 ホーナーは誰よりも状況を理解していた。自分が死ぬことも、それで仲間を守れることも。

 ――どうする、と問われた時、ホーナーのことを思い出したのは、やはり、ルイはその時のことを忘れていなかったからだろう。戦場ではよくあることだし、ほとんどの部隊が仲間を失っていた作戦だった。

「そういう甘さが、お前の弱点だな」

 つい、部隊の損失という点を目で追ってしまい、それを考慮に入れ、被害を最小限にしようなんて考えてしまうから、ルイは兎仔とこ軍曹によく殴られた。

 自分が死ぬことより、仲間が死ぬ方が嫌だ――けれど。

 確かに、あの時に安堂あんどうが言ったよう、忠犬という部隊において、それは過ぎた心配だった。

 連中はおかしい。

 半年くらい、訓練や仕事をこなして、同僚扱いされたくもなくて、誰もが朝霧芽衣ちゅうけんになれるわけじゃないと言えば、どいつもこいつも。

 ――ようこそ犬へ。

 なんて言いながら笑われた。

 本当に勘弁して欲しい。ルイは犬になりきれない、末席にいるだけの存在だ。

 ただ。

 それは本人の見解であり、誰もがルイを認めている。


 しかし、自然音ばかりだと、改めてそれを感じながら歩いていると、建造物があれこれ見えてきた。

 ほぼ無意識に数えていた歩数から、距離を算出。1キロくらいはありそうだ。まあ、だからこそ、ルイのような危険人物を町の外側に置いておく場としては、適切だろう。

 建築は木造もコンクリートもあるが、日本では珍しく敷地面積が余っているようで、建物同士の距離も広い。

 人影はちらほらといるが、あまり気にしないようにした。ここで足を止めて話すほどではない。街中の道路も広いが、車はほとんどなかった。ナナネではフライングボードの利用が認可されているため、逆に車の使用に制限がかかっている。

 買うかどうかは、まだ決めていなかった。

 遠目でも学校というのは、よく見える。建築物として大きいのもあるが、避難所としての役割もある――それにしては、人口に対して、金をかけすぎだとも感じた。

 中に入っても、下駄箱はない。マットがあったので、軽く汚れを落としてから、中へ入った。遠くから声がするのは授業中か。

 この学校の理事長兼校長が、前崎まえざきかんなぎ。町の総責任者でもある。

 だから教員室を横目に通り過ぎ、理事長室をノックして中へ。


 ――先客がいた。


 やや目つきが悪い女性で、背も少し高いが、きっちりした服を着ている。幼さはないものの、若い風貌だったので、すぐ自分と同じ編入生であることには気付いた。

「邪魔したか?」

「いえ構わないよ」

「そりゃ良かった」

 事務机にいた男は、白髪が少し混じった髪からも、年齢をうかがわせるが、柔らかい微笑みを浮かべられるくらいには、配慮ができるらしい。ガキを相手に柔和を演出できる大人は、良い評価をすべきだ。

 少女の対面に腰を下ろしたルイは、テーブルに置かれている灰皿を手元に寄せ、足を組んでから煙草に火を点けた。

「――おい」

「ん?」

「年長者を相手に、もう少し敬意を持ったらどうなんだ?」

「上官を相手に背筋を伸ばしたいなら、軍部でやってろクソッタレ」

「なんだと!?」

「軍令で仕事をするために、お前は今、ここにいるのか?」

「それは……」

「そうなら、俺は無関係だ、とっとと出て行け。違うなら雰囲気を読んで、――黙ってろ」

「ルイくん」

「なんだ前崎」

「彼女は学生だ、その言葉は少し厳しいよ」

 そうかと、小さく呟いたが、どうやらこの少女には意味が伝わらなかったらしい。

 だから。

「そりゃ悪かったな。話題だったか」

「――っ」

「ところで前崎、よく俺みたいなのを住まわせようなんて考えたな?」

「関係各所から、いろいろと推薦状は届いたよ。正式な考課表は軍部での仕事しか記されていなかったけれどね」

「俺らの仕事に公式なんてものはないからな。――おい、風祭カゴメ。あんたがいると、真面目な話もできない。用件が済んだなら退室してくれないか?」

「どうして、私の名を?」

「どうして? どうして、だって? ははは、事前調査の能力差が証明されて良かったな? ここからは、ガキが聞いて良い話じゃない。退室するタイミングを失う前に、自分から退室したらどうだ?」

「……、……すまない前崎殿、自分はこれで失礼する」

「追い出すようで悪かったね、カゴメくん。気を悪くしないで欲しい――彼には、俺でも必要があるからね」

「――はい、失礼します」

 扉が開閉され、足音が遠ざかるのを確認してから、ルイは煙草を消した。

「軍人が嫌いかな?」

「いや? ただ、ああいう頭の固い、命令にしか従えない兵ってやつは、すぐ死ぬからな。厳しい言葉を口にしたくもなる」

「なら彼女の階級は黙っておこうか」

「賢明だな」

 あれでも尉官であり、彼女は部下を持つ身だ。関係者には同情を禁じ得ないが、なにも上官とは優秀である必要もない。部隊のかたちなど、さまざまだから。

「日本はここと、鈴ノ宮すずのみやが受け入れ窓口になってるな。三〇サンマルの〝かっこう〟がいた形跡もあったし、うちの組織インヴィジブルハンドの上と繋がりが?」

あきらさんとは、個人的にね」

「大佐殿か。まあ、あの人がうちのトップだ。人選に関してもよく見てくれている……が、犬を引き受けるだけの度量があるとは思えなかったな」

「そうかな? そこらの軍人よりは、よほど信頼できるよ」

「まあ、弁えてはいるだろうな。荒事を持ち込んでも、自分で処理もできる」

「リスクリワードを考えて、受け入れ判断をしているわけじゃないからね」

「慈善事業じゃないだろう?」

「似たようなものだ。寄付金って名目で、それなりに集まってるからね。その金額と同様の面倒を抱えている、とも言えるけれど」

「なるほどな。俺としても、仕事でこっちに来たわけじゃない。のんびり暮らせるなら、それに越したことはないな」

「仕事を希望するかい? ああ、これは金銭を得る意味での仕事だ」

「貯蓄がなくなったら、その時にな」

「君たち犬にとって、居場所なんてものは仕事に関係なさそうだけれどね。一応、学生として招き入れてはいるけれど、好きにして構わないよ」

「今さらって感じだが、体裁くらいは――ああ、まあ、期待しないでくれ。俺は正直者でな」

「任せるよ。俺はいつも、ここにいるわけじゃないから、ほどほどにね」

「それが一番難しいんだ。お前も、俺に仕事を渡すなよ? 一度くらいなら受けてもいいが、手元に戻るのは結果だけだ。それをよくよく考えておけ」

「しないよ。同じことができる狩人ハンターに頼んだ方が、割りが良い」

「はは、まあ連中ほど仕事ができるとは思っちゃいねえよ」

 ただ。

 仕事の邪魔になれば、排除するだけの間柄だ。

「邪魔したな、前崎。ところで最後の質問だが」

「うん?」

「この学校に喫煙所はどのくらいある?」

「ここと、教員室と、いつも灰皿を常備している歩いた先を喫煙所にする金代かなしろ教員かな」

「ははは、諒解だ」

 なかなか愉快なやつがいるらしい。

 ――さて、どのくらい長続きするかは知らないが、田舎での生活ってやつを、堪能してみようじゃないか。

 今はいない、戦友の望みがどんなものか、確かめてやろう。


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