第198話 北上響生の新生活
居場所が変わったところで、自分が自分であることに変化はなく、違いを探そうと思うよりもむしろ、順応した上で何をするかに焦点を当てる。
不安は、正直言ってなかった。
学生たちに紛れていても、どうしたって馴染めないのは理解していたし、それならほどよい立ち位置で、あまり関わらず、かといって無関心ではなく――それが、溶け込むという行動になる。
慣れないのは。
朝起きると、七草ハコが隣で寝ていることくらいなものだ。
同僚と一緒のベッドというのは、一体どうなんだと思ったが、そう気にすることなく眠れた。お互いに無警戒で熟睡しているわけではないけれど、よくよく考えれば同じ宿舎にいたのだから、多少距離が近くなったところで問題はなかったのかもしれない。
四日ほど準備期間を作り、まだ地固めも終わっていないが、VV-iP学園に顔を出しておこうと、
教師棟の教員室に顔を出して、一通りの説明を受けた。だいたい知っていることだったので、半分は聞き流していたのだが。
「おや」
タイミングよく、途中で理事長が顔を出し、廊下に誘われた。
「教員室の近くにも、談話室を設置すべきでしたね」
「ん? 理事長室なら、そのまま接待できるんだから、必要ねえだろ」
「こういう場合は、そうもいきません」
「一学生が入るには、確かに気後れするかもな」
「それもありますね。大した話ではないのですが、安堂さんがいらしてから、もう一年くらい経ちますか。あれから私の方でも少し調べましたが、てっきりもっと早くこちらへ来るものだとばかり」
「ああ、犬の話か。こっちにもいろいろ、事情があるんだよ。一年なんてあっという間だ」
「そうでしたか。これは安堂くんには聞き忘れたのですが、二年ほど前からマカロ・ホウさんを教員として雇い、軍式訓練の――こう言っては何ですが、真似事をしていただいているのですが、彼は忠犬ではないのですね?」
「そこらへんはちょっと複雑だな。忠犬のトップ、俺の上官と同期で、それなりに関係もある。忠犬の発足当初、部隊長は中尉殿だったが、ホウを含めて三人が一緒の着任になった。だが、あくまでも着任だけで、作戦行動は一緒にしてないし、連中は犬を名乗らない」
「なるほど、何かしらの事情があって、着任までは一緒にしておきたかった――と、そう捉えても?」
「まあな」
「では、あくまでも彼は軍人なのですね。忠犬ではない、そう確信は持っていましたが、どうやら複雑な事情がありそうなので、立ち入らない方が賢明のようです」
「へえ……? そこが知りたかったのか」
「ええ。もちろん最初から、領分が違うので詳しく知ろうとは思っていませんでしたが、どこに境界線を引くのか、これは
「さすがは理事長ってところか。ま、どのみち余計なことはしねえよ。好きに生きろと言われたって、暇を持て余すことはあっても、俺が犬じゃなくなる未来はないからな。騒ぎを起こしてトラブルを招くのは、上官だけでいい」
「ええ、学園内ではそうならないよう、期待しています。といっても、それなりに事情を抱えた学生も多くいますが、北上くんなら既に在学生のリストくらい手に入れているでしょうから」
「機密だろ」
「手に入れられないデジタルデータの方が、今は少ないですよ」
「それもそうか。話は以上か?」
「はい」
「じゃ、よろしく頼んだ」
雑談くらいならいくらでもできるが、相手側にも用事があるだろうと思って、そこで切り上げた。
教員棟を出て、一息。今日は少し曇りぎみの天気だ。
理事長が言っていたよう、事情のある手合いは学園に多い。すれ違う時にそれは感じるが、だからどうしたと思うくらいなものだ。本当に厄介な手合いなら、そもそも通おうとは考えていないはずだ。
進学試験と卒業試験さえ、パスできれば良いのだから、通う必要なんてない。
さてと、教師棟の裏側に回り、そこにある温室に足を向ける。遠目でも中に人がいるのはわかったので、近づいてから外側を軽くノック――男の方が気付き、何かを女性に言ってから、外に出てきた。
「よう、安堂」
「来たか、北上。中に入れ、喫煙所がある」
「おう」
思ったよりも、入り口では湿度を感じなかった。
「花関係の仕事をしてるってのは聞いちゃいたが、マジだったんだな」
「嘘を言ってどうする。……思ったより、早かったな」
さすがに同僚だ、似たような感想を持つらしい。
「一年かそこらだろ? 仕事がまだ残ってたから、こんなもんだ」
「竜族の棲家を荒らしたらしいな」
「ハコから連絡いってねえのか? ありゃ中尉殿の個人的な仕事だ。俺とグレッグが向かったのも、例外っつーか、バカンスみたいなもんだ」
「さすがに、珍しいだろ。裏があるのかと疑いたくもなる」
「拾った竜族を半年くらい連れまわしたが、面白いヤツだったぜ。裏はなかったな」
「そうか、ならいい。……
「そうなのか?」
「青の竜族だ」
「そりゃ珍しい個体だな。俺が保護したのが赤色で、殺してやったのが白色。残ってるのは、各地に散ってる緑だけか」
「竜族の事情はそれなりに拾ってる。七草のサーバにまとめて送っておいたから、必要なら目を通せ」
「おう。感謝はハコにしておく」
「そうしろ。共用サーバの管理までやってるんだ、あいつはよくやってる」
「で、お前は何やってんだ?」
「実家は現在、工事中だ。俺が引き継いで花の育成をするにせよ、規模を縮小は必要だし、手間もかかる。ここの温室管理は、理事長からの依頼だ。教員の真似事じゃないにせよ、簡単な管理と、後継者の育成だな」
「部活動みたいなもんか」
「まあな。さっき一緒にいた女が一年間、俺が教えた。今じゃうちの手伝いまでする」
「じゃあ、さらに次の育成段階が今ってところか」
「マニュアル化も進んだから、それほど手間をかけちゃいない。暇つぶしには丁度良い仕事だ」
「一応聞いておくが、犬の仕事は?」
「月1くらいのペースだ、気楽なもんだ。だいたいは
現状、犬が敵視しているのは、スプリングロールと呼ばれる米国の傭兵団だ。これはかなり大規模であり、戦場に顔を出す頻度が低いくせに、政界にまで影響力を持っている。これがとにかく、邪魔なのだ。
――おそらく。
老舗でもある、棺桶屋という傭兵団が何かしらの被害を受けることが、契機になる。事情はやや複雑だが、犬は動くだろう。今のところ朝霧芽衣も、これを否定していない。
だから仕事も、その関連だ。遠回しな嫌がらせをしたり、様子見をして、いざ行動しようという時に、どうすべきかの情報を手に入れている。
「時間を持て余しそうだ」
「ここ数年に馴染みすぎたな。訓練校時代を思い出せ北上、休息日が待ち遠しかっただろ」
「やることを探してる時点で負けか?」
「どうしても退屈なら、学園にいるエイジェイに声をかけて、戦闘訓練でもしてみろ」
「現役トップか、そりゃ面白そうだな……特に対一戦闘はな、俺にとって課題だ」
「よく言う」
「あ? おい安堂、なにか勘違いしてるだろ。どう考えても、対一ならお前かシシリッテだろ? だいたい戦闘の場面では、俺やグレッグは決定力に欠けてる」
「まあ……お前はそれでいいのかもな」
「ああ?」
朝霧芽衣の教育方針により、自分の実力を過小評価しがちなのは、安堂も最近になって気付いたのだから、北上はまだわからないだろう。
ともかく他者との比較、あるいは第三者視点を使った俯瞰などをした時に、冷静な評価ができないようになっている。ただし、北上の感想も事実であり、正面から顔を合わせ、じゃあ始めようとした場合においては、犬は全体的に錬度が足りない。
「中尉殿は」
「いや」
「そうか。軍曹殿はちょいちょい、こっちに顔を見せてるが」
「さすがに、ルイの世話も必要なくなったからなあ」
「あいつは、どうだ」
「――やべえな」
口の端を上げた北上に対し、安堂も苦笑を落とした。
「半年遅れってことを、あいつはまだ気にしてるのか」
「おう、俺は犬にはなれねえ――ってな」
半年だ。
これはとても長い時間であり、急成長が見込めるだけの時間でもある。
ただし、忠犬発足から半年を、果たして彼らは成長できるだけの時間だと、そう思えただろうか。
――否だ。
何もかもが手探りで、ようやく自分の足で歩けるようになったのが、そのくらいの頃だろう。
しかし、ルイ・シリャーネイは条件が違う。既に部隊が動いていたのならば、そこに至るまでの道はわかっていて、効率化できる。さらに言えば、当初よりも朝霧芽衣の負担は少なからず減っており、その時間を育成に回せるのなら、むしろ半年はアドバンテージだ。
実際にそれは、見ていて顕著だった。
おそらく犬の中では、もっとも朝霧芽衣に近いだろう。いや、近いといっても部下の中の話であり、
「俺とグレッグの仕事も、今のあいつなら単独でやるぜ。ただ中尉殿が指示しなかった以上、余計なことを言うつもりもねえけどな」
「まあ、いちいち教えてやる義理もない」
ところでと、安堂は話題を変える。
「――はは」
「ん?」
「いや、中尉殿から、ところで、なんて言われると身構えるもんだが、同僚から言われるとそうでもねえなと」
「ああ、そう言われれば中尉殿の常套句だな。こういう状況になるとまずい、なんてことを説明され、時には行動で示されてそれを実感した後、ところでと続いて仕事を投げられる」
「で、説明された内容そのままだったりな……」
「俺はそこまで器用じゃない。お前らが竜族と事を構えたことから、現場にいなかった俺が探った結果だが――」
「おう、何かあったのか」
「今すぐって話じゃないが、
「チェシャだったか、いたなそんなの。ギョクの引き渡しの時に見た。あれだろ、リゴベルトの育成した暗殺者」
「その当人の動向だ。どうも尻を追いかけられてるらしい」
「ふうん? 相手は?」
「
「チッ」
また連中かと、北上はそこで煙草に火を点けた。
「どうする」
「注意はしておくが、コロンビア国内なら手出しはしねえ。ただ、外へ出るなら――ま、そうだな、行先にもよるが、こっそり手を貸すくらいはいいだろ」
「……そうだな。中尉殿からの命令がない以上、傭兵団と事を構えるのはまだ先だ」
「それだよなあ。わかった、グレッグがまだ向こうにいるから、連絡はしておく。安堂はどうする」
「状況が動けば、俺もさすがに足を向けるさ」
「おう」
しかしと、安堂も煙草を口にする。
「お前も東洋人だろう、懐かしいか?」
「あー、俺はガキの頃にアメリカへ行ったから、あんまり思い入れはないんだよな。親の教育で、どっちも話せるようにされちゃいたが、それこそ十年とかだぜ? 環境そのものは、確かに懐かしいっつーか、改めて日本人の気質に触れた感じはするが、いろんなものが変化してるからな」
それに、北上の出身は
「実家も今じゃシカゴだからな。祖父母はこっちだが、挨拶するほどじゃねえよ」
「よくわかった。そのうち、七草からせっつかれて行くはめになる」
「嫌な予言するなよ……」
その様子は想像に容易い。
「シシリッテは暴れてるか?」
「武術家のところに顔を見せて、よく遊んでる」
「オーケイ、あいつには近づかないようにしておくぜ。悪い、邪魔したな」
「面倒を持ってこないなら、いつでも。それと――」
「ん?」
「そのうち、鷺城って女が接触するだろうから、楽しみにしとけ」
「なんだそりゃ、厄介なのか?」
「俺から言えることは、世界中を見渡しても比較できる相手がいないくらいの、魔術師ってことだけだ」
「人を不安にさせたいのか、期待させたいのか、どっちだよ安堂」
「さあな。どうやら、グレッグとの相性は良いらしい」
「なんの参考にもなりゃしねえよ」
じゃあなと、北上はその場を去り、残っていた雑務を頭の中で整理する。
どちらにせよ、退屈はしなさそうだ。
――ちなみに。
あとになって、
だって彼女は。
朝霧芽衣と、似た気配を持っていたから。
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