第197話 シシリッテと針の武術家

 日本に来てまず思ったのは、日本人しかいない、ということだ。

 島国の特性なのか、外国人観光客が増えているこの日本であっても、ふいに周囲を見渡せば、同国民ばかりであり、そう、多種性とも呼ぶべき雑多さがそこにはない――いや、あるにはあるのだろうが、今までシシリッテ・ニィレが過ごしてきた環境とは明らかに違うため、目につかないのだ。

 まあしかし、だからといって対応を変えるのも面倒で。

 一ヶ月、足場を固めることに費やした。

 とはいえ、朝霧才華さいかという上官の弟は、実にまっとうな野郎であり、彼の祖父の家にシシリッテも同居することになったが、馴染むことに苦労はせずとも、動きは制限される。

「けど、逆に言えば足場を固めちまうと、どうしたって暇になる」

「俺は暇じゃない」

「文句なら軍曹殿に言えよ、あたしに振るな」

 それはそうだがと、隣を歩く安堂あんどう暮葉くれはは嫌そうな顔をした。

「同時にこっちに来たとはいえ、足場があるかどうかを考えりゃ、お前が一番乗り、んであたしが二番目。次の予定は知らねえけど、こっちはお前の故郷だろトゥエルブ」

「安堂と呼べ、赤毛ちゃんジンジャーと呼ばれたくないのならな」

「それな」

 そこが違うんだと、シシリッテは頬の横にある赤色の髪を軽くつまんだ。

「赤毛なんてのはこっちでも珍しいのに、未だにジンジャーなんて呼ばれたこともねえ。目立つだろこれ」

「目立つからこそ、日本人は羨ましがるし、好感も持つ。そもそも俗称で呼びたがる面倒嫌いなアメリカンとは違うんだよ」

「シャイなのはわかったさ。才華なんか、あたしが下着で歩いてるだけで顔が真っ赤になってたぜ?」

「それはお前が上をつけないからだ」

「下を履いてりゃいいだろ。言いたくはねえけど、貧相な躰つきだし」

「そのうち慣れる、なんてのもこっちの流儀だ。からかう程度にしとけ」

「まだからかってねえよ……」

 全員が、とは言わないが、そもそもきちんと服を着て寝る人が大多数を占める日本人と違い、下着や全裸で寝る人というのは世界全体で見れば、それなりに多くいるものだ。急に廊下から呼び出され、下着のまま出ることも、宿舎ではよくあった。

「なんかでも、女として意識されるとこう――いいな!」

「意識はされてただろう? 扱われてはいなかったが」

「ハコは女扱いだったじゃねえか」

「馬鹿、ありゃ七草が女として振る舞ってたからだ」

「ああ言えばこう言う……」

「それはお前だ。ついたぞ、ここが都鳥の道場だ」

「ふうん」

 どういう造りなのかは知らないが、そもそも庭がほとんどなく、入り口の正面に道場が配置されており、奥に母屋があるようだった。

「なんで俺が案内人みたいなことを……」

「……そういや、なんでトゥエ、安堂がやってんだ?」

「軍曹殿に、やっとけってな。武術家には軽く馴染みもあるが――犬になる前の話だ」

「ふうん」

 道場の入り口に足を向ければ、中から袴装束の男が笑顔で迎えた。ぱっと見てまだ若い風貌で、背丈も安堂よりは低く。

「あ? なんでお前がいるんだ」

「請われてね。初めましてシシリッテ、話は聞いている。私はひづめ花楓かえでだ。暮葉とは、まあ、知り合いでね」

「蹄? 都鳥じゃねーのか?」

「一応は、分家でね。小太刀二刀とは言うけれど、剛糸こうし飛針とばりを同時に扱う。そして蹄は、その中でも飛針だけを扱う武術家だ。どうぞ中へ、靴を脱がないならそこの雑巾を使うといい」

「んや、脱ぐさ」

「…………」

「どうした暮葉」

「いや……こう言っちゃ何だが、お前ってだっけな?」

「そうだよ、私は前からこの程度だ。自分の成長を実感するだろう?」

「ねえよ。下を見て喜ぶようなクソッタレは俺の傍にいなかったし、戦場ならともかく道場でやり合いたくはない」

「私はどっちもご免だけれど、どうしてもと請われてね」

「断れねえのか、あんた」

「いやいや、貸し借りのある間柄じゃあないけれど、適材適所の仕事かな。都鳥の御大は、犬が相手だと殺し合いになりかねない。かといって現役の小娘だと、君たちとは訓練にもならない。私は多少、からね」

「おい安堂」

「やってみりゃわかる。ただ、大多数の武術家はまだ、花楓のようにはなっちゃいない。技術はあっても、伴った経験がないからだと俺は推測している」

「オーケイ、どっちにしたって得るものはあるはずだ。あたしはそれでいい。じゃあ軽く訓練といこう――頼んだぞ安堂、殺されるか殺しそうになったらちゃんと止めろよ?」

「俺が、お前を? ……なんの冗談だそりゃ」

「女扱いしろ!」

「うるせえよ馬鹿。俺が罠を張ったら気になって集中できないし、勝手に解除するのがお前だ。まったく、北上きたかみやグレッグの方がまだ笑い話になった」

「ははは、じゃあシシリッテ、まずは躰を温めようか」

「必要ねえ」

「私には必要なんだ」

 相変わらずだと、安堂は思う。そういうことを億面なく言う男なのである。

飛針とばりを見たことは?」

「いや」

「番数が長さ、号数が細さ。私が扱うのは二十センチでやや細め、こが三番二号だ」

 軽く放り投げられたのを受け取れば、針にしては長いとも思うが、医療用のようなしなりがない。鋼としては柔らかいのだろうが、曲げればおそらく折れるだろう。

「二番一号あたりが治療用として使われるよ」

「ああそう……」

 その時のシシリッテの顔は、ネタバレを先にされたマジックショーを見るような表情だ。

「花楓、いつからそんなに慎重になった?」

「手酷い失敗をしてからだよ。それ以来、鍛錬や訓練であることを、これ以上なく念押しするようにしていてね」

「……まあ、腕の良い医者の手配はしてないから、我慢しろシシリッテ」

「んなこたわかってるっつーの」

「じゃ、まずは軽くやろう。拳銃を使ってもいいけれど、模擬弾にして欲しいね。それでも当たったら痛いけれど」

「おう」

 始めよう――道場の中、普通に歩けば八歩ほどの距離を空けて対峙した瞬間、シシリッテは目の前にに、納得を一つ落とした。一秒で当たるところを、上半身を反らしながら後退することで二秒にしたのならば、一秒分の追加時間で状況を把握できる。

 予備動作がほとんどなく六本あるそれが、行動の封じ込めに来ていることを理解し、手で触れずに隙間を縫うよう回避した。

「――悪い、少し待て」

「ん? 構わないよ、どうかしたかな?」

「今朝の便所でデカイのを出したかどうか、急に不安になってきた」

「ふうん?」

 冗談はさておき、シシリッテは背後に刺さった針を引き抜きながら、考える。

 銃弾と似たようなもの、という認識は間違いではなかったが、いくつか改めなくてはならない点もあった。

 針の投擲と言われて想像するのは、点――つまり、先端を向けての飛来だろうが、実際には無回転で投擲されるものの多くは、距離という問題を孕む。

 ナイフ投げも同様だ。

 無回転のまま先端を標的に刺そうと思えば、一定の距離以上は不可能になる。何故か? それは、弾丸が回転しながら飛ぶのと同じ理由だろう。

 故に、小さな点として飛来する針は、横回転を加えられた状態で、飛んで来る。飛距離は無回転よりも伸びるが、それほど長くはなく、威力も低いが安定はする。そして縦回転で飛来する針――こちらは線のように見えるが、重量に応じた飛距離が出る上、威力が高い。

 実際の投擲専用スローイングナイフも、距離に応じて回転数と投げる力を加減して、狙いをつける。そうでないと致命傷を与えられないからだ。棒手裏剣と同様である。

 銃弾との違いは、おそらく。

 この針は曲線を描くことも可能だろう。そうでなくとも、銃と違って足元から顎を狙うこともあるはずだ。


 ――だが、それ以上に。


 針を見て、それらを集め、ゆっくりと歩いて近寄ってそれを手渡す。

「どうも」

「いや……」

 それ以上に。

 この針では

「シシリッテ、家の鍵をかけ忘れたかどうか悩んでるみたいだな?」

「ああまったく、その通り。布団を干したが天気は大丈夫かと心配もしてる――」

 ならば。

 怪我ではなく、それが致命傷にはずだ。

「……おいトゥエル、じゃない、安堂」

「なんだ」

「あたしこれ、考えすぎか?」

「暴れるだけ暴れるお前でも、ちゃんと事前に考察は一応するんだなと、ちょっと感心してるよ」

「あたしを暴れん坊みたいに言うな」

「事実だろう?」

「うっせ」

「――はは、君たちは怖いね。本当、暮葉は怖くなったよ。これで終わりにしよう、そう言いたくなるくらいには」

「嬉しそうに笑ってんじゃねえか、蹄の」

「訓練だからね。これが実戦なら、笑えないよ」

「そりゃこっちの台詞だ。よくもまあ、針なんてもんを突き詰めやがる。確かに、こうして正面向いてやり合うってのは、厳しいな。軍曹殿が、流儀が違うと言ってたがこりゃ……」

「流儀は違うだろうな。だが、似たようなことが、できないとも限らない。特に武術家の中でも、上の連中はな」

「暮葉、それは私も含めてのこと?」

「そう言ってる」

「やれやれ……過大評価されても困るんだけどね。じゃあ私からも一つ」

「なんだ?」

「蹄の針術しんじゅつには、きちんと名のある技が一つもないんだ。糸はあるのにね――じゃあ、そろそろ続けようか?」

「おう、エンジンにオイルが回り始めた」

「それは良かった」

 手元で針を遊ぶように、三本の針が

「……」

 お風呂の中でボールを浮かべて、遊んだことはあるだろうか。

 軽く手に持って、水の中で投げると、ボールは回転しながら前へ動くものの、回転に合わせるよう手元に戻って来る。その力加減を上手く利用してやると、しばらく同じ位置で回転している様子を見ることもできよう。

 それを、針でやって見せた。

 対空した針をどうするかは、花楓次第――であればこそ。

 シシリッテは笑う。

 踏み込もうとした左足、靴下の上から指と指の間に、一本の針がいつの間にか床に刺さっていることすら、楽しいと思う。〝残影シェイド〟の術式を使うことで一瞬だけ、もう一人のシシリッテの足へ被害を押し付け、そのまま踏み込めば、その現象がどうであれ、花楓は無力化された現実を受け入れる。


 ――そこから二十分、二人の訓練は続いた。


 道場という限定された領域においては、花楓が優勢だったというのが見ていた安堂の所感だ。

 武術家の厄介さは、一個人で戦力が完結していることにある。故に、戦場であっても対一戦闘になるよう配置したのならば、最大効力を発揮できるのだが、逆に言えば対一の状況を避ければ、それほどでもない。

 正面から挑むことが必要な場の方が、現実には少ないのだ。対多数、更に言えば地雷だろうが狙撃だろうが、暗殺だろうが、死ねば皆同じである。

 だが、それでも。

「すげえな、おい、武術家ってのは……」

 相手を侮りなど、しない。

 お茶を淹れてくると母屋に行った途端、シシリッテは腰を下ろしてあぐらを組んだ。呼吸は荒くなっていないが、汗が見て取れるくらいには、良い運動だったらしい。

「って、お前なに煙草吸ってんだ」

「酒を飲んで観戦しないだけマシだと思えよ。針を食らった感想は?」

「冗談じゃねえ、肩から先が。なんだこれ、ツボか?」

「似たようなもんだ。針を抜いてもしびれが残る」

「ハリネズミかヤマアラシか知らねえが、滞空した針の動きに目を取られて、意識の外からくる針が相当に厄介だな。消耗品だから必ず拾うとは思っていたが、いつの間にか補充してやがる。だからって避けるなってのは無理難題だろ?」

「同じ武術家なら、壊すを選択するだろうな……」

「へえ――いや、こいつは野郎が戻ってからでいいや。安堂も学生だっけ?」

「おう、高校二年だ」

「聞いてくれよ安堂。確かに護衛としちゃ、同じ学年に通うのが順当だろ? けどあたし、お前と同い年――くらいなんだよ、一応は。たぶん曖昧だけど」

「まあ多いよな、そういう連中」

「そしたら中尉殿がな?」

「お前の見た目ならば中学でも通じるし、頭の内容はたぶんそのくらいなものだ。貴様は少し常識を覚えた方がいいぞ? 主に、鏡の前に立って自分の姿をじっくり見て、見た目年齢というやつを――おい、睨むな。想像だったんだが当たりか」

「ひでぇよな!?」

「学業は」

「あんなもん、夜の内に全部読んだ。わからんところは教員に質問もした。同じ学校も視野に入れてはいたが、やっぱVV-iP学園だ。おかげで編入は一発クリア」

「バストアップ体操と牛乳は飲んでるか?」

「うるせえ! やってるよ!」

「やってるのかよ……文句があるなら中尉殿に言え」

「できるわけねえだろ……!」

「じゃあ、地道に効果があるかどうかもわからん体操をしてる健気さで、野郎でも落とせ」

「……安堂てめえ、遊んでるな?」

「いや正直どうでもいい」

「てめえなあ……」

「――仲が良いね、お待たせ」

 良くはないだろうと、安堂は紫煙を吐きだした。

「ところでシシリッテ、なんだか随分と行動に制限をかけてたみたいだけれど?」

「さすがのあたしだって、道場を壊さないようにする、配慮? 遠慮? そういうのあるんだよ」

「マジか!?」

「おい安堂てめえな?」

「冗談だ」

「ははは、確かに道場を壊されては困る。私のものでもないからね」

「一応、業者の手配と見積もりには目を通してきたけどなー」

「ちなみにこれは冗談じゃないからな花楓」

「そう言われても笑うしかないよ」

「――んで、どういう知り合いなんだ?」

「そっちか」

「関係性は、友人の友人、といったところかな」

三〇四サンマルヨンが間に挟まってる」

「ああ、そこらへんを取っ掛かりにして、安堂のこと調べたわ。周辺の情報までは面倒だったから後回しにしてたし、やっとく」

「後回しにするほど忙しいのかお前は」

「うるせえよ」

 まったくと、花楓は目を細めてほほ笑んだ。

 調べるなと言うのでもなく、調べているのが当たり前で、やっていない方がおかしい――そういう流れだ。

「怖いね、忠犬は」

「怖くはないだろ……」

「よくそれ言ってるやついるけど、怖がらせたことはねえよな?」

「まったくだ。俺らは当たり前の仕事をしてるだけだってのに――ん? あ、女から電話だ」

「切れ! 切れ切れ!」

「なんでお前に言われなきゃならん……?」

「うっせえ! あたしに男がいねえからだろ!?」

 そんなのは知ったことじゃないと、電話を片手にその場を離れた。半ば本気で攻撃を仕掛けようとするシシリッテに対し、防御用の罠を張りながら。

「やあ、シシリッテ。ここは道場で、君たちの宿舎じゃないからね?」

「だからまだ攻撃してない!」

「やれやれ……」

 本当に怖いのは――。

 情報通りなら、こんな日常の姿のまま、彼らが仕事に出かけて、結果を出すことだろう。

 得るものがあったとしたならば。

 花楓は間違いなく、彼らの名前を聞いたら仕事を放り投げてでも、逃走を選択することを、決意したことだろう。


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