第196話 安堂暮葉の帰郷
いい加減にしてくれと、ウンザリするような気分だった。
二年近く実家を離れていて、進展したのは新しい養子として迎え入れた、ということ以外に何もない。戻ってきたなら仲良くしろ、なんて言われても、何も解決していない現状を見て、暢気にはいそうですかと、頷くわけにはいかなかった。
じゃあ、どうすれば解決になるのか。
久しぶりに実家のリビングに顔を見せれば、若い風貌の男が一人と、両親が座っている。挨拶をしようとする行動を、右手を軽く上げて止めた。
「お前のことは知ってる。軍人に親を殺されたと勘違いして、軍人を憎むことで生き永らえるクソみてえなガキだな」
「――っ」
「暮葉」
「黙ってろ親父、どう考えても事実だろ。クソ面倒なことはしてないで、とっとと訓練校にでも放り込め。いいかクソガキ、世間知らずのてめえに良いことを教えてやる」
煙草に火を点け、そのまま流れる動作で近づいた安堂は、彼の髪を掴んで顔を近づけた。
「――軍人をナメてるのは、てめえだ」
言って、手を離す。恫喝が目的ではない。
「軍事行動が何なのか、そもそも軍人とは何なのかを、まったく理解しちゃいねえ。親が殺された? 誰にどうやって? お前は他人から聞いたそいつを、そのまま鵜呑みにする間抜けか? てめえがやることはまず、軍内部に入って、事実を知ることだろうが」
「あんたは」
「黙ってろ、てめえの意見なんぞ聞いちゃいない。訓練校に入ったって、卒業まで一年くらいなもんだろ、俺が手配ておく。甘ったれには丁度良い場所だ、根性をまず叩きなおせ。嫌ながらがんばって逃げ出せ。そっちの方が根性はいるけどな」
さて。
「親父もおふくろも、こんな単純なことに時間をかけるなよ、面倒だな」
「お前なあ、もうちょっと他人に配慮とか、そういうのはしないのか」
「忘れちまったな。まともな相手ならともかく、ガキを相手に配慮してどうする。経験してナンボだろ。あー、親父の口座を管理してるの、おふくろだっけ?」
「ん? そうね」
「今すぐ確認しとけ、50万ドルくらい振り込んでおいた。ちゃんと
「そんな大金、どうしたの」
「仕事の報酬以外に、何があるんだ。正当な対価を貰ってんだよ……ここ二年くらいの稼ぎの半分くらいだ。つーわけで、親父」
「うん?」
「それやるから、引退しろ。一年後くらいに俺が引き継いで、規模も縮小する」
「……まあ、金まで用意したんだ、断る理由はないが暮葉、一つ確認しておく。お前は何の仕事をしていたんだ?」
「
「認定試験でも受けるつもりか?」
「必要があるならやるが、そんな面倒なことはしない。ともかくそういうことだ、説明は以上。俺は俺で、こっちにセーフハウスを手配しといたから、しばらくはそっちで過ごす。洋ラン園も手入れして、宿泊施設くらいは増設するけどな。俺は今からVV-iP学園に行って学籍がどうなってるかの確認と、――そのガキを軍部に放り込む手配をしておく」
煙草を消し、背中を向けようとして。
「ああ、そうだ。おいガキ」
「……なんだ」
「死にたくなったら俺に言え。さんざん痛めつけて、それから殺してやるよ」
伝えることは、それだけで充分だ。
昼食の時間帯だったが、店に入るのはやめておく。混んでいるし、それほど空腹を感じない。今までならそれでも、食える時に食っておかないと大変な目に遭っていたが、今は大丈夫だろう。
日本、
ただし。
準備だけは、怠ってはならない。
犬として動く場合、上官の命令に対して、それができるか否かは、準備をしているかどうかが大きく左右する。事前準備が命令より前に終わっているのかどうか、そこに尽きる。さすがにそこを放棄することを、安堂は己に許していない。
まずは、親にはああ言ったものの、セーフハウスの手配はまだしてないので、その確保はやっておきたい。業者に頼むのが一番楽だが、その業者の知り合いも何人かいるが、こっちにまで手を伸ばしているのかどうかは、定かではない。
ただ、使い捨ての家があるのは充分に有用だ。野雨でなくとも、近隣市内には置いておき、これからの活動の踏み台とするサーバーを設置しておくべきだ。そうすることで、拠点放棄と同時に、ここで過ごした経路も一応は切断できる。証拠の隠滅を簡単にしておくための準備にもなるだろう。
何をどうすべきか。
優先順位を考えながら、効率化して同時進行できそうな事案も付け加えていく。こうした思考はいつもやっていることで、面倒が嫌いな安堂は、特に効率を優先しがちだ。
――もっとも。
そうやって考えた予定が崩れることを、嫌悪するほどでもないが。
VV-iP学園へ到着したら、まずは教員棟へ。狭いが背の高い建物で、屋上には鐘楼が存在する。これは夜間外出禁止時間である、二十三時に鳴り響く。かつてはそれを耳にすることもなかったが、夜も出歩くことになるはずだ。慣れておこう。
「――おや」
教員フロアに到着してすぐ、廊下にスーツ姿の男性がこちらを見た。
「確か……ああそうです、ラン園をやっている安堂さんでしたか」
「よく覚えてるな理事長」
この学園を経営する理事長であり、この学園も彼の思想の影響を大きく受けている。今もまだ、どんどん改良されているのだろう。
画期的だと思ったのは、授業料のシステムだ。
そもそも出席日数は個人の裁量に任され、極端な話をすれば、進級試験と卒業試験さえ突破したら、登校義務は一切ない。そのため授業料は、授業に出席したかどうかで増減し、個人によって異なる。
それで経営できているのだから、さすがとしか言いようがない。
「ええ、洋ラン関係でお願いしたこともありますから。それに、二年ほど進級試験を受けられていませんね」
「そっちの情報で覚えてたわけか。俺の扱いはどうなってる?」
「そのまま留年となっています。中途退校の手続きもできますよ」
「いや、次の試験は受ける」
「わかりました、そのように手配しておきましょう。ただ二つ、よろしいですか」
「内容を聞いてから判断する。なんだ」
「ここしばらくは、何を?」
さすがに理事長の顔はパンフレットにも載っていたし、入学の挨拶で見かけたこともある。いつも糸目の笑顔で、何を考えているかわからないと思ったが――侮れる相手ではない。
五木が武術家の名であることもそうだが、何より、理事長としてここまで学園を育てた実績から、安堂からは想像もできないほどの経験をしてきているからだ。加えて、狩人の教員も受け入れる度量がある。いや、度量もそうだが、支払う依頼料もそうか。
少し考えたが、安堂は。
「俺は犬だ」
端的に伝えた。
反応は?
「なるほど、そうでしたか」
納得が落ちたのなら、舌打ちの一つくらい許されてもいい。一般人なら知っているはずもないのに、ただそれだけで伝わったのだ。それなりに理解できているのは、納得だけで、それ以上がないことでわかる。
踏み込まない。
己の立場と、安堂の立場を分けて考えており、干渉すべきではないとの判断。
――これだから大人というやつは、厄介だ。
「もう一つは、そうですね、仕事の依頼に近いかもしれませんが――うちに温室があるのはご存じですか」
「いや」
「もしかしたら、入れ違いの時期だったかもしれませんね。観葉と洋ランを中心に飼育している温室です」
「へえ……外部購入の費用を削減するのと、育成希望者がいれば、そのくらいのことはするか」
「ええ。ただ今はほとんど趣味に近い領域でして、いくら学生に任せるとはいえ、限度はありますからね。そこで安堂くんには温室の管理――また、後進の育成に関してをお願いしたいのです」
「どの程度だ?」
「それは任せます。安堂くんの出した成果に応じた報酬は用意しますよ。それこそ、教員を一人雇うくらいには」
「そこまでは求めない。時間がないなら、マニュアル化して誰でもできるようにしとけば良い話だ」
「ええ、そのあたりの範囲はお任せします。個人的には、学内に飾っている花や観葉など、状況に応じて温室から手配できれば良いですね。あるいは研究室からの要望もあるかもしれません」
「返答は後日にしてくれ」
「先に始めてもらっても構いませんよ。金銭が発生すると拒否もできなさそうなので、後日支払いにしておきます」
「俺の仕事を見て決めてくれ」
学生として過ごすつもりはなかったが、ほどよい暇つぶしにはなりそうだ。
「俺からも一つ」
「はい、なんでしょう」
「エイジェイが来てるなら、呼び出してくれ。探し出すのが面倒だ」
「ははは、わかりました。一階の談話室で待っていてください、呼び出しますよ。連絡先は――」
「そっちはまだだ、中継するサーバーの用意が遅れてる」
「わかりました」
頼んだと言って、エレベータで一階へ戻る。研究室の多い特殊学科棟や、教員棟だけはエレベータが設置されていて移動は楽だが、普通学科棟などはそもそも三階建てで、広く設計されているので、移動が困難だと思うほどではない。
むしろ。
学園の敷地内を歩く方が面倒だ。とにかく広いのである。
つまり、呼び出したからといって、すぐに来るとは思えない。煙草を吸いながら、いつものよう携帯端末からサーバにアクセスして、情報を選別しつつ状況確認をしていたら、しばらくしてその男はやってきた。
ランクA
かつて軍部入りを手配してくれた相手だ。
「よう安堂、久しぶりだな」
「悪かったな呼び出して」
「いいさ、俺のやってる授業なんて適当にやってるし、こっちの方が話はできる」
「授業を抜ける言い訳に使えるか」
「そこまで真面目にやっちゃいねえよ」
笑いながら自販機で珈琲を二つ。片方を安堂に渡してから、エイジェイも煙草に火を点けた。
「話はそれなりに聞いてるぜ? よくもまあ、そこまで育ったもんだ」
「……育ったか?」
「自覚ねえのかよ。訓練校に送った
「ああ、あいつもお前の手引きだとは言ってたな。――俺は話さなかったが」
「あいつは今ごろ、コロンビアで仕事中だ」
「内戦にか? 革命軍に配属されたなら、将来性もあるが」
「そういう事情でさえ、あいつは知らねえよ。現場でのフォローをするほど弱くはないが、革命軍に混ざっての軍事活動がせいぜいだな」
「ふうん」
「そうじゃないだろ。同期ってことは、卒業も同じ時期だ。一体、朝霧はお前に何を教え込んだ」
「教わったことはそれなりにあるが、教育を受けたわけじゃない。中尉殿が命じたのは二つだけだ――生きて帰れ。そして、できることをやれ」
「それだけ?」
「それだけだ。だから俺らは、全員やり方が違う。同じなのは出る結果だけだ。その中でも俺なんかは、かなり錬度の低い方だけどな」
「実際にはもっとあるだろ」
「あったとしても、中尉殿や軍曹殿から直接の指導を受けた回数なんて、月に一度あるかないかだ。やり方を覚えるための随伴だって、二回目はなかった。さすがに中尉殿も、仕事の難易度はきちんと考察して、それぞれに投げてたけどな」
「実戦経験で伸びるって理屈はわかるんだけどなあ。楠木だって武術の家名だ、下地ならお前ら以上だと思うけど、そいつが邪魔をしてる可能性はあるか」
「できることがあるのと、増やすのじゃ違うだろ」
「にしても、今のお前ならランクC狩人なんて邪魔だろ」
「できることはそっちの方が多いし、直接対決したら負けが目に見えてるから、別の方法で排除してるだけだ」
それを。
そんな状況を、人は、手玉に取ると言うのだ。
「じゃあ軍部に送った俺の判断が正解だったってことか」
「馬鹿言うな、冗談じゃない。――こんな生活になっちまったのを、喜べってか」
「ははは、生活にできる時点でどうかしてるけどな。実家はまだぬるいことやってんだろ、どうするんだ」
「それこそ軍部に放り込めばいい。ああいう甘ったれには丁度良いだろう」
「手配は?」
「もうした、あとは連絡待ち。そっちはじゃあ、楠木の面倒を見てんのか」
「俺がヨルノクニを持ってることは知ってるだろ」
「――楠木は四国か。いろいろ遊ばせる前の訓練段階でコロンビアね」
「理解が早くて助かる」
「なに言ってんだ、このくらいの情報は仕入れてる。こっちに来たって、俺が犬ってことに変わりはねえからな……中尉殿から、仕事だと言われれば、俺は嫌そうな顔をしながらも支度を始めるさ」
「それが犬か」
「まあな」
「で、話ってのはなんだ? つっても、お前がこっちに戻ると耳にして、俺もこっちに来たんだが」
「なんだ、そういう気遣いはするんだな」
「犬に興味があったのも確かだぜ?」
「忠犬とは、中尉殿のことだ。俺たちはおまけでしかない」
今も昔も、その見解だけは変わらない。
「中尉殿に関して、どこまで知ってる?」
「俺が?」
「それもそうだが、エイジェイというよりも、ランクA狩人だな」
「ああ、それなら辿れないから安心しとけ。というか、お前はどうなんだ?」
「俺らが顔を突き合わせて、情報を打ち明ければ、おそらく全部揃う」
「あ? 個別にそれぞれ、違う情報が渡ってるってことか?」
「そうだ。俺が知ってるのは、中尉殿が扱う術式と、その理由だ」
「三番目の刃物だろ、解体と
安堂が罠をよく扱うからこそ、それを解体して改めて組み立て、利用されたことが気付きになっていた。そして、あとになって彼女の口からも説明を受けている。
「そういう意味では、俺は、一通り知ってる。朝霧家の事故に関しても、そのあとも、ちょっとした繋がりがあってな。もちろん直接関わったわけじゃねえよ」
ただ。
ジニーとは仕事仲間のようなものだ。朝霧芽衣の教育に関する手配などは、それなりに頼まれたので手を貸した。
「ただ事情を知ってるだけで、実情を知ってるわけじゃない。流れはわかってるが、お前らがどうしていたのかは、詳しく知らねえよ」
「ならいい。まあ、中尉殿のことだ、面白がってやってる可能性が高いな。グレッグが最近、ゴーストバレットの痕跡を追い出したけど、黙って見守ってるし」
「
「今回こっちに来たシシリッテや俺は、
「ああ、それなりに実力があった潦に任せたのか」
「そういう感じだ。俺はついて行くのに精一杯だったから、何がどうとも思わなかったが、……どっちも大変だな」
「へえ? 具体的には?」
「軍曹殿は面倒なことが嫌いだから、後始末とか嫌な仕事は全部俺らに放り投げる。途中でやめたから、あと頼んだとか、平気で言うからな」
「ははは、それに対応できるお前もやるじゃねえか」
「どうだかな。ちなみに中尉殿の場合は、黙ってることが多い。自分で気づく範囲ではあるが、当たり前の情報の中に、知らされていないことが三つくらい隠されてて、それで失敗しそうになる。性格の悪さが原因だ」
「楽しくやってんなあ」
「冗談だろ……」
「いずれこっちに戻ってきそうだ」
「たぶんな。同僚もこっちに来るはずだ。特に野雨は過ごしやすい」
「お前らにとっちゃ退屈かもしれないぜ?」
「好んで仕事をしたがるほど、熱心じゃないさ。ただ、仕事だと上官に言われた時、できませんと口にする間抜けにはならん」
「大したもんだ」
さて。
「何かあるか?」
「こっちに来たばかりなんだ、セーフハウスの手配もしていない。頼みごとのリストも作れちゃいないね」
「サーバの手配屋なら、駆け出しの若いやつがやってる。手伝いだと思って、使ってやれ」
「駆け出しか」
老舗の方が、安心感はある。ただ、老舗であるが故の罠というか、連中はこちらの実力を計るため、何か小細工を仕込むことが多い。かといって駆け出しは、準備が甘かったり、要求の通し方が下手だったりするし、アフターケアが万全ではない可能性が高くなる。
これが仕事ならば、前者を選択するが――。
「使ってやらなきゃ成長もないな。わかった、連絡先をくれ。手配屋なら、サーバと部屋もセットだろ」
「おう、生活感のあるなしも一応はな。連中は用意された部屋を売るのが仕事だ、準備はほかの業者がやる」
「知ってるさ。ただし、準備業者の用意だって手配屋の仕事だ。老舗はそこらに安心感がある」
「まあな。まだお前よりちょい若いくらいだから、気遣ってやってくれ。――ああ、電子戦爵位持ち、通称をアリス・ザ・リッパーの友人だ」
それなら今ごろ、兎仔が逢いに行っている相手だなと、安堂は珈琲を飲んだ。
「そこから辿るか……」
「そういうところが
「あ? 転職した覚えはねえし、俺らだったら誰でもやる。自分でできることを他人に回すのは、時間が問題になる時だけでいい」
「俺から仕事を回したいくらいだぜ。金に困ったら言えよ」
「馬鹿を言うな。それなら真面目に自営業して生活を回すさ。命を対価にする仕事なんてウンザリだ」
これは安堂の本心である。
いや、誰だってそれは同じで、たぶんシシリッテも、グレッグも、北上も――部下は全員、そう思っているだろう。
けれど、それ以上に。
「俺らは、中尉殿の犬だ。それ以外の仕事は面倒だし、やりたくないなら、やらない」
「朝霧の命令には従うのか」
「そりゃそうだろ、上官だ。何より」
「ん?」
「断れる度胸もねえし、――断った後の方が面倒だ」
「いい育て方されてんなあ」
エイジェイは笑うが、安堂にとっては笑いごとではない。
たかが数年で、自分がこうなるなんて、想像もしていなかったことだ。それに、たぶん。
――そんな命令を、待ち望んでいる自分も、現実なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます