各地に散った忠犬
第195話 シシリッテの新生活
十五年になる人生を振り返ったのならば、記憶にある限り、朝霧
ただ一つ、両親がいない、ということを除けば。
昔、つまり幼い頃はそれを負い目にも感じていた。両親がいない才華にとって、両親の代わりは祖父母だ。十五歳になる今でも、祖父母の厄介になっている。それを心苦しいと感じることも、嫌だと思うこともなくなった。つまり、それすらも今の才華にとっては日常になってしまっている。
両親が死んだ光景を、才華は覚えていない。
軍人だった両親が、どこに所属していたのかも知らないし、何をしていたのかも知らない。少なくとも自衛隊に入っていたわけではなく、であればアメリカの軍隊なのだろう、くらいの予想はするけれど、その事実を知ることもなかった。そんな二人が死んだのは、随分と幼い頃で――思い出せば、赤色しか浮かばない。
何がどうなったとか、殺したのか殺されたのかすら、定かではない。
おぼろげな光景の中、ただ赤色があった。ただの赤だ、それが怖いとも嫌だとも思わないほど、たとえばそれは、絵の具の赤色を見ているような感覚に近い。
ただ、目の前で死んだのは、確かだ。
――両親と一緒に、姉も。
天涯孤独の身というわけではない。何しろ、今の才華には祖父母がいる。育ててもらった恩もあるし、そもそも記憶がおぼろげでしかないのなら、恨みをぶつけるのは筋違いというものだ。
だから――というわけではないにせよ、軍人の同居人が増えると言われた時には、少なからず驚いた。
厳密には元軍人――軍部を退役して、引き取り先を探していたらしい。どうも直属の上司が東洋人だったらしく、その関係で探していたところ、朝霧家の事情を知り、軍とはもう関係ない、という点を信頼しての、頼みだったと祖父は言っていた。
祖父母は軍人に対して、偏見もなければ嫌悪も持たない人間だ。たとえ自分の息子が軍人となり、その結果として命を落としても、自ら選んだ道の中でのものならば、感情は別として、認めるべきだ、という立ち位置でいる。厳しいというか、逆に甘いのかもしれないが、だからこそ軍人の大変さを知っているらしく、才華自身が頷くのならば引き受けたい――なんて。
そんなことを相談されたのが、十日前くらいか。一日ほど考える時間を貰ったものの、相手がどんな人かは知らないが、断る理由は少なくともないと思い、頷いた。今では、軍とはどういうところか聞いてやろうだとか、そのくらいの前向きな気持ちにはなっている。
女性だというのは聞いていた。
赤い髪色に、ブラウンが混じった赤色の瞳。けれど、どう見ても。
彼女は、小柄な少女だった。
どこまで話すべきで、どこまで隠すのか、判断は任せると言っていた朝霧芽衣の言葉を思い出す。信頼として受け取ったものの、おそらく、どこまでも話したところで伝わらないだろうし、どこまでも隠したところでいつか伝わる――というのが、現実だ。
交渉事と同じで、どこからどこまで、はそれほど重要ではない。何より重視すべきことは、範囲ではなく時間であり、いつ知って、あるいはいつ教えるのか。
まあ、なんとかなるだろう。
シシリッテ・ニィレは、目的地である朝霧家に到着すると、インターホンを鳴らす。出迎えたのは、初老の女性であった。
「いらっしゃい。どうぞ中へ」
「おう」
日本語もそこそこ覚えてるんだけどなと思いつつ、
そして、男性の老人が中で待っていて、畳の座敷のリビングで、腰を下ろしての対面となる。テーブルはやや散らかっているが、ざっと見た感じ、重要な書類は見当たらない。
「ようこそ、シシリッテさん。ホームステイってことで構わないかな」
「おう、それほど気を遣わなくてもいいぜ。どんな場所でも適当に過ごせるくらいの順応性は持ち合わせてる。確か、アキラ大佐殿と知り合いだったよな? 息子――じゃない、孫か、そっちは何も知らないらしいが」
「事情は一通り知っているみたいだね」
「ある程度は。だからそっちが、どのくらい知ってるのかは興味がある」
「話が早いね。さすがは忠犬、と言うべきかな?」
「大佐殿から何を聞いたか知らないが、あたしらの仕事は話半分でいいぞ。立場としては予備役に近いし、あたしはもう仕事じゃなく生活だと思ってるから」
「そうか。いや、詳しくは聞いてないんだよ。私としても、こちらで生活することは応援したい。ただ、一つ確認しなくてはならないことがある。孫が戻る前にね」
「それは?」
「君の上官の、朝霧芽衣に関してだ」
「当然だな」
予想できていたことだ。つまり、シシリッテも言葉を用意してある。
「どっちがいいんだ?」
「どちら、とは?」
「可能性を期待させて欲しいのか、それとも否定して欲しいのか。たとえば、あたしが肯定したところで、孫の――姉だっけ? さすがに身を寄せるんだから調査はしたが、かなり前の話じゃねえか。となればもう他人と同じ。じゃあここで否定したとしよう。それを信じて、はいそうですかと頷くだけで済むのか? 結果は見えてる。だから、どう反応したいのか教えてくれ」
「……君は、随分と厳しいことを言うんだね。とても見た目通りの年齢だとは思えない」
「現場なんてこんなもんさ。まあ実際、うちの上官は戸籍上、天野さちって名前で登録されてるし、なんで違う名前を使ってんのかも、あたしは詳しく調べちゃいない。そんなことよりも、目の前にいる上官が全てだ。あたしはあの人を尊敬しているし、逆らおうと思ったこともなく、感謝してる」
「つまり、君がここへ来たことに、大した理由はない、と?」
「大佐殿の知り合い――ってだけじゃ、ないだろうさ。あたしにとってはそうでも、実際には大した理由があるのかもしれない。直接、上官に聞いてくれと言いたい気分だ」
「なるほど」
「ま、関係性がどうであれ、あたしの仕事にお前たちや、孫を巻き込むことはねえよ。絶対と明言してもいい――それは、犬として許されちゃいない」
「――それは、シシリッテ君にとって、重要なことなんだね」
「そうだ。そう遠くない未来に、部隊も組織も解散するだろうけど、あたしはずっと死ぬまで、犬のままだ。ルールに縛られてるわけじゃないけど、上官に顔向けできない真似はしない」
「うん、なるほどね。アキラが、犬は手がかからないと言っていた理由が少しわかったよ」
「あー、大佐殿はそうだろうな。初期の頃は頭を痛めてたけど」
それは、シシリッテたちがまだ未熟だったからだろう。実際には芽衣の仕事ぶりのおかげで、軍部からだいぶ文句が来ていたらしいが。
「ただ、こっちは常識っつーか、日本でのやり方を知らないからな。その点ではいろいろ聞くかもしれない」
「そうだね――おっと、孫が帰ってきたようだ。今日は中学校の卒業式でね」
「おう、そこらも事前情報として調査しといた」
手はかからないが、どこか知り過ぎている感じもあった。
そして、二人は顔を合わせる。
なんだガキか、というのがシシリッテの率直な感想だ。黒髪、黒い瞳は同僚で見慣れていたが、あまりにも幼く感じてしまうのは、東洋人だからか。
「よう、シシリッテ・ニィレだ、よろしくな」
「あ、はい。朝霧
「丁寧な言葉はいらねえよ、適当でいいぜ。日本語は学習中だ」
「僕の共通言語も、それほど上手くはないかもしれないから、お互い様だね」
ちょっと待っててくれと、手荷物を奥の部屋に置き、才華はすぐ戻ってきた。
「よろしく、シシリッテさん」
「シシリでいい、才華」
「わかった。元軍人だって聞いてたけど、随分と若いんだね」
「なんだ、グラマラスな年上の姉さんが趣味か? 躰はともかく、年齢としちゃ少し上だ。それも気にしなくていい、正確な年齢なんて覚えてもないからな。そういう意味では、軍人ってのも少し違うんだけどな」
「違う?」
「説明が難しいんだけど、あー、CIAくらいは知ってるんだろ?」
「どういう仕事かは知らないけど、なんとなく、言葉だけはね」
「そういう特殊部隊みたいなもんだ。いわゆる正規の兵隊とは違うからな」
「ふうん? 僕も詳しくはないし、軍ってのがどういう仕組みかも、よく知らないんだ」
「あたしが日本の仕組みを知らないのと同じだな。お前の両親は情報部だったか」
「――そうなの?」
「あ? 聞いてないのか。べつに隠すようなことじゃねえと思うけど」
他人の教育方針に口出しするほど野暮ではないが。
「死因とかの詳細も知ってるのか?」
「んー……ちょっと調べればわかる情報だけど、才華、調べたことあんのか?」
「それとなく」
「それでもわからんなら、あたしの口から話すべきじゃないな。けど、情報屋でも当てにすりゃ、そこそこの金でいけるだろ」
「シシリ、情報屋なんて小説か漫画の中でしか知らないよ」
「……そういやそうか」
いつの間にか、そういう繋がりもできたが、犬になりたての頃は、まったく知らなかった。そう思えば成長しているのかもしれないが、例によってシシリッテも、こんなのは成長じゃなくただの知識だと、そう捉えている。
「じゃあ、僕の口座に、定期的に振り込まれてる金なんかは、もちろんわからないよね?」
「詳細は知らないから、なんとも言えないけど、それこそ専門家に頼めよ」
「頼んだよ。駄目だったけど」
「へえ……」
たぶん朝霧芽衣が関わっているのだから、専門家が調査しても無駄だろう。それは事実が判明したところで、警告が埋まっているからだ。その専門家が確かな腕なら、それに気付いて、結果としてわからなかったと、伝えた可能性が高い。
「まあ、あたしだって最低限の
「……ん? してるの?」
「そりゃ軍部から流れた金なんて、一度洗わないと身元が簡単に特定されるだろ、常識だ――や、それもこっちの話か。まあいい、よろしくな」
「ああうん」
「シシリッテ君は、学校に通うのかな?」
「VV-iP学園には登録しておいたけど、実際に通うかどうかはわからないな。編入試験をパスした感じ、大した難易度じゃなかった。日本特有の寡黙も、
「そうか、じゃあ心配いらないね。見ての通り平屋で、部屋の仕切りはふすまになっているけれど、隣を使うといい。その奥が才華の部屋だ」
「おう、ありがとな」
「じゃあ、少しあとで昼食にしようか」
もうそんな時間かと、シシリッテは腕時計に視線を落とす。とりあえず手荷物もあったので、会話は区切りとして、ふすまで区切られた隣へ――十畳ほどの、なにもない畳の部屋だ。移動できるのは窓側の廊下で、ふすま一枚ですぐ先ほどのリビングである。また、窓とは逆側のふすまの先は、才華の部屋である。
開放的だなと思いつつ、手荷物からノート型端末を取り出して稼働する。
「おーい才華、無線のパスワードだけど」
「ああうん」
あえてだろう、仕切りのふすまを開いたままの才華は、学習机の椅子に座ったまま、こちらを見た。
「ええとね」
「おう、突破するけど問題ないよな?」
「……うん?」
「あ? だから、セキュリティ突破してアクセス権を一つ増やすけど、いいよな?」
「それは犯罪だよ!?」
「お前が許可すりゃ犯罪じゃない。黙っとけよ、こんくらい」
「そうじゃなくて、パスワードを教えればそれで済む話だろう!」
「悪い、もうアクセス権貰ったからいいや。市販のセキュリティだと甘いから、もうちょい改良しような?」
「シシリ、君は軍人じゃないのか……?」
「似たようなもんだって説明したろ、なに言ってんだ。あたしは部隊の中でも、電子戦はそこそこだぞ」
はっきり言って、最低限のことしかできない自覚はある。
「それに、重要な情報はちゃんと足で調べる。夕方には、この近辺の掃除を始めるからな」
「掃除って?」
「挨拶回りみたいなもんだ」
ついでに、関わるならそれなりの覚悟をしろと、教え込むことでもある。さすがに宿舎回りのよう、みかじめを払えと言うわけにはいかない。
「よくわからないけど……なんか、一人でいろいろできるんだね」
「そういう生き方をしてきたからな。お前はまだまだ、これからだろ? なんかあったら言えよ、笑ってやるから」
「笑うんだ……」
「それが一番の慰めだ。まあなんだ、最初はいろいろやることも多いが、落ち着いたら遊ぼうぜ才華」
「うん、そうだね。ちなみに遊びってどんなことが?」
「それはあたしにもよくわからん。うちじゃ、誰かの誕生日にはストリッパーを呼んでたけど」
「お願いだからやめてくれ……」
「厄介になってる身で、面倒は起こさないさ。そっちは学校、しばらく休みだって?」
「短いけどね」
いずれにせよ、日本で暮らす上での注意点は、いくつかある。
シシリッテは〝かっこう〟ではない――馴染むには、時間が必要だ。
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