第192話 竜の引き渡し

 おおよそ半年と少し。

 珠都たまつは、たまに戻ってくる宿舎がまるで極楽のように感じていた。

 面倒を見てくれたのはグレッグと北上きたかみだが、どっちも優しくはなかった。というかそもそも、戦場で一週間も生活するなんてことを当たり前にするものだから、最初はとにかく死にそうだった。今でも寝ている時に蹴り起されることがある。

 それが戦場ではなく、宿舎の中でも同じだから、本当に飛び起きる。拳銃を枕の下に入れておかないと落ち着かなくなってしまった。

 今回も、ようやく休める――なんて思っていたのだが。

「ふむ、戻ったか北上」

「ああ中尉殿、お疲れ様であります」

「珠都もご苦労」

「あ、や、はい、うん」

 とりあえず直立して、返事をした。

「何をかしこまっている? 以前も言ったと思うが、貴様は犬ではない。私に対して気遣う必要はないぞ」

「前にそれ聞いたあと、竜族の再生能力はどのくらいかって、医者と一緒に笑いながら言って、朝霧さんに思いきり殴られまくったけどな!?」

「そうだったか? すまん忘れた」

「忘れた!?」

「データを取ったのはえつだからな。それに私との戦闘訓練は全員が経験済みだぞ? 北上はともかく、グレッグはだいぶ切り傷が多くてなあ……」

「いや中尉殿、俺の時も三ヶ所骨折くらいで、しばらく仕事がありませんでした」

「わかったか珠都、よくあることなので、私はいちいち覚えていない。それよりも喜べ、貴様の輸送先が決まった」

「お、どこだ?」

「日本だ。異種族もそれなりに生活できる場所だが、尻尾は隠せ」

「おー、そのくらいはやるけど、というかいつも隠してるけど、ここにいる連中にはまったく隠せてないな……」

「あれで隠せていると思っているのは貴様だけだ。北上、酒場へ行け」

「諒解です。悦さんは?」

「あれはもう一人で行った」

「わかりました」

 よし行くぞと、珠都を連れ出して外へ。

「誰が来てるのか、わかってるのか?」

「いや知らねえよ。けど、中尉殿が何も言わなかったんなら、逢えばわかるってことだ」

 こういうところが、よくわからない。たぶん信頼関係なのだろうけれど、与えられた情報に対して、疑問を抱く回数が極端に少ないように思う。

「あ?」

「不思議な関係だなって」

「そうか? 状況に応じて、内容によってはちゃんと確認するぜ? んなことより、お前の感情的にはどうだ?」

「戦場から離れられるなら、それでいいぞ」

「そのうち退屈しだすぜ」

「……それはそれで、問題だな!」

「間違っても仕事にするなよ、ギョク。お前はあっさり死ぬからな」

「わかってる。けど、お前らと生活するのも楽しかったからなー」

「そりゃ良かった」

 宿舎の近くにある酒場は、珠都にも馴染みがある。竜族は急性アルコール中毒に強いことを知っていた彼らが、とりあえず限界を知っておけと、いろいろ飲まされた記憶も新しい。

 周辺の掃除は定期的にしているし、安全も確保されている上、店主に金を落とすのが犬なので、店側もそれなりに嬉しいだろう――が。

 それも、もう少しで終わりだ。

 店に入ると、まだ若い男女が待っていた。

 いや。

 年齢としては男の方が上のようにも見えたし、ガキというのなら珠都だとて同じだ。

「よう、楠木くすのきじゃねえか。久しぶりだな」

「――北上きたかみ

 知っている顔だ。訓練校の同期である。

 刀使いの楠木。日本では、抜刀術の使い手である武術家の血筋で、訓練校時代でも近接戦闘では誰も敵わなかった。

「お前が犬か」

「おいおい、リストくらい確認しとけよ。で、こいつが竜族の――何してんだギョク」

「おー、猫族って初めて見た。この目つきが悪いの、暗殺で生計でも立ててた感じか? あんま敵対したくないなー」

「しなくていいんだろうさ。そっちはそっちで話してろ、奢ってやる。一応聞いておくけど、お前の名前は?」

「……チェシャ・ラッコルト」

「――ああ」

 なるほどねと言いながら、楠木のテーブルに腰を下ろした北上は、注文をして。

「コロンビア革命軍の関係者だろ。リストは持ってねえが、リゴベルトって野郎が育成した時、てめえの名前の一部を渡す相手が数人いたって話を耳にしたぜ。ま、だからどうしたって話だ」

「……私も聞いてる。犬の名を聞いたら逃げろ、本人に逢ったら諦めろ」

「大げさだな」

「おーい、こっち来いよチェシャ、飲もう飲もう。奢りだから遠慮いらんぞー」

「私、お酒はあんまり飲んだことないんだけど……」

「だったら余計に飲んだ方がいいぞ!」

 どうやら、そちらは任せておいても大丈夫そうだ。

「――で、お前とヨルノクニの関係は?」

「そこか……本当に犬なんだな、お前は」

「ん? そりゃ中尉殿の下で働いてりゃこうなる。適性があったとは思わないな、こうならざるを得なかったのは確かだ。見えざる干渉インヴィジブルハンドの部隊人員なんて、ちょっとやれば手に入るだろ、確認しとけ」

「入らないんだよ、普通はな……」

 簡単な部類だろうと思いながら、北上は煙草に火を点けた。

「それで?」

「楠木は、ヨルノクニに居を構えている。これは先代の決定だが、俺は俺でエイジェイに拾われてな」

「〝炎神レッドファイア〟エイジェイか。確か、安堂あんどうがこっち来たのも関わってたな」

「……それは初耳だな」

「お互い、あえて話すようなことじゃねえだろ」

「それもそうか。で、ヨルノクニは今のところ、エイジェイの所持品だ」

「異種族の楽園って呼ばれてるのは知ってるが、内部はどうなんだ?」

「楽園ってほとじゃないさ、受け入れ態勢ができてるってだけ。さすがにもうちょい羽根が伸ばせるよう、手を入れるつもりだけどな……」

「軍役も経歴作りか」

「俺にとっては、どれも重要な経験だ。――お前ほどじゃないけどな」

「あ?」

「かつてと今じゃ、見違えた。俺がお前と、いや、お前ら犬と敵対する未来はない」

「そんなもんか?」

「ああ」

「ま、お前はともかく、武術家と俺らじゃ土俵が違うからな。正面から一礼して戦闘をするなら、武術家の勝ちだ」

「だが戦闘なら、ほぼほぼお前らが

「戦場なら、だ。ほとんどが事前準備だからな、俺らの生き方は」

 強さを追い求めていたわけではない。

 ただ、追えない背中を見続けていただけだ。

「ところで、あの竜はお前らが確保したのか?」

「おう、仕事でな」

「おー楠木? だっけ?」

明松かがりでいい」

「じゃあ、あたしのこともギョクでいいぞー。あたしの確保と同時に、白い竜族をほぼ全滅してるから、簡単に納得しないほうがいいぞー」

「…………」

「なんだその目は。結構、大げさにやったけど、魔術師協会が後始末してるから、そのあたりから辿ればわかるぜ」

「俺は情報屋じゃないし、調査屋でもない。最近はコロンビアだったから、外の情報はあまりな」

「お前ね、それは逆だ。同じ場所にいる必要がある時こそ、外の情報を優先的に仕入れねえと、痛い目に遭うんだよ。それと、ギョクを拾ったのは半年前だ」

「――半年?」

「おう。その間はいろいろと連れまわした。つっても、ほぼ観戦だけどな」

「違うぞ! 殴られたし蹴られたし、お前頑丈だからとか言って銃撃戦の前に放り出されたし!」

「うるせえよ」

 酒を飲みながらこっちの話も聞いているらしい。

「お前が引き取らなくても、一人で生きれるようにはしとこうと思ってな。そこらの一兵卒よりは動けるから、遠慮はいらんぞ」

「……ま、適当に世話をするつもりだ。チェシャも含めてな」

「ならいい。酒は?」

「いらん」

 じゃあ俺もやめておくかと、そう言ったところで来客があった。

 朝霧芽衣だ。

「ふむ、お前が楠木か」

「あんたは?」

「こいつの上官だ。さて北上、辞令だ」

「どーも」

 渡された紙に目を通し、ふうんと納得が一つ。

「準備します」

「必要ない、もう七草ななくさがやってる」

「その前にやりたかったんですが!?」

「面倒そうな顔をして二日前からやってるぞ。身分の偽装まではしていなかったが、面倒がないよう身の回りの掃除と、それから住居の手配、暇つぶしの用意」

「その住居は」

「うむ、きっと二人で一つだろうな?」

「最悪だ……」

「おい北上、お前まだハコが苦手なままか?」

「嫌ってるわけじゃねえけどな、まあいい。引き渡しは終了だ。構いませんね、中尉殿」

「ご苦労」

「じゃあなギョク、元気でやれよ?」

「おーう! お前も死ぬな!」

「お前に言われたくはねえよ」

 ひらひらと手を振って、北上は宿舎へ戻っていった。

「こっちの問題だ、あまり気にするな」

「気にできるほどの錬度じゃない。あんたがトップか?」

「部隊長という意味合いなら、そうだ。既に部下は私の手から離れてはいるがな。……お前は、武術家か?」

「いや」

 それは違うと、明松は断言できる。

「俺は武術を、手段にした。参考にしないでくれ」

「そうか。確かに年齢も若いからな。武術家とは年齢を重ねるごとに手ごわくなっていくものだろう?」

「その認識は合ってる」

「一度は経験しておく必要があると思っているが、どうやら貴様では相手にならんようだな」

「ありがたくて泣きそうだ」

 これは本心である。

 店に入ってきた時からよく観察しているが、まったく底が見えない。北上と違って、厄介だからやめとこう、怖いから避けよう、そういう判断すらできない手合いだ。底知れないと一言で片付けられないほど、恐ろしい女だと思っている。

「ところで、貴様はヨルノクニの地下を知っているか?」

「…………」

 これだ。

 北上にも共通して言えるが、持っている情報の質も量も違いすぎる。

「気配までは掴んでないが、エイジェイから話だけは聞いてる」

「そうか。私もいずれ、そちらに顔を見せよう。それが仕事になるか、単なる確認になるかは、状況次第だ。しばらく先にはなりそうだが」

「わかった、覚えておく」

「それと、必要ないだろうが、コロンビア大学にいる女が、猫族の旗印だ」

「――エッダシッドさんを知ってるの!?」

「おい、慌てて立つなチェシャ、倒れるぞ酔ってんだから」

「私の前でその名を出すのは良い度胸だが、まあいい。うちのスズもエディに預けたのでな」

「スズ姉さんが……? うっぷ、気持ち悪くなってきた……」

「飲み過ぎだチェシャ、水にしとけ。ギョクもそれ以上、飲ますなよ。俺が後始末するのかと考えると、頭が痛くなる」

「じゃあ飲ますか!」

「飲ますな。笑顔になってんじゃねえよ」

「しょうがないなー」

「ふむ、珠都も楽しめそうで何よりだ。帰宅経路は確保してあるんだな?」

「それはもうやってる。最低限はエイジェイに現場で教わったからな」

「ならば手伝いは不要だな。気を付けて帰れ、荷物も増えている」

「どーも」

「よし。ではな珠都、元気でやれ。死ぬなよ」

「おーう、あたしより先に中尉殿が死にそうだから、気を付けろよー」

「なあに、その時は盛大に笑って構わんぞ。そうしたら生き返って貴様の頭を殴りにいくからな!」

「本当にそうなりそうで怖いから笑わない!」

「はっはっは」

 こうして、竜族は犬の手から離れ、市井しせいに紛れる。

 彼女の今後に関しては、また、別の物語だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る