第187話 仕事の依頼と壁の大穴

 事の発端を辿れば、それはコロンビア大学でのことになる。

 その日、鷺城鷺花がエッダシッド・クーンのところへ顔を出すと、先客がソファに座っていた。

「あら」

 言いながら、手にした十数枚の書類をエッダシッドの机へ置く。

「珍しいわね、青の竜族じゃないの」

「僕の古い知り合いさ」

「ふうん? ほかの異種族と比較しても、魔力容量だけは大きいわねえ。それで繊細な術式なんて使えるのかしら。どうせ魔力量があるからって、術式の効率化なんて着手もしないクソ間抜けばっかじゃないの?」

 いいながら複数の術陣を展開する。

「ほら見なさい、常時展開術式なんて魔力強化のゴリ押しで、精密さの欠片もありゃしない」

「おい、おい、エッダなんだこいつは――おい! 私の術式を片っ端から解除するな!」

「されないように対策なさい。それで?」

「ん、ああ、懸念があったらしくて、頼み事をね。僕としては、さて、相談相手を間違えてるんじゃないかと言ったんだけど、この竜族は、相談相手がいないなんて、情けないことを言い出してね」

「あらそう。だとしても私に回すのはお門違いね」

「……この女は何を言ってる?」

「竜族っていうのは察しも悪いのね。赤の竜族が囚われの身になってるって話でしょ? こっちの耳にも届いてるわよ。――だからどうしたって話だけれど」

「何故だ」

「メリットがないもの」

「だろうね。君にとってはまったく関係がない話だ。ところで、どうして君はそんな情報を知ってるんだ?」

「ああ、よく勘違いされるんだけど、情報を集めてるわけじゃないのよ。ただ、そういう情報が耳に入るようにしてるだけ。そして今日はレポートの提出に来たの」

「うん、ところで鷺花、二枚目と七枚目のあたりに、僕を試すような仕込みがあるんだけどね?」

「エディを試せるなら充分だけれど、読み手にはどこまで通用するのか試してちょうだい」

「君はレポートを何だと思っているんだ……」


 そんな会話があった、翌日のことである。


「来たぞ!」

 いつものように朝霧芽衣が入って来たかと思いきや、青の竜族を見て、はてと首を傾げる。

「そういえばエディの友人を見たことはなかったが貴様、随分と交友関係が狭いんだな? いかんぞ、そんなだから根が暗いなどと言われるのだ」

「そんなことを言われた覚えはないね」

「私が言っているがな。ふむ、しかし竜族か。見てわかる通り魔力は大したものだが――どれ、強度はどれくらいだ? ちょっと尻尾の先を切ってやろう、味が気になる」

「おい」

「トカゲと同じなんだ、どうせ生え変わる」

「おい、おい――本気か!?」

「ははは、どうした逃げないのか」

 組み立てた刃物が右手に出現したのを見て、迷わず彼女は逃走を選択し、ガラスを割って外へ出て――それを追撃するよう、壁を壊して芽衣が出て行った。

 破壊音に顔をしかめるが、術式を使って防音はしたらしい。修理屋を呼ぶ言い訳を瞬時に四つほど思い浮かべるあたり、エッダシッドもどうかしてる。

 しかし。

 この状況で猫たちが動じないのは、成長したと喜ぶべきだろうか。それとも、芽衣の行動に慣れてしまったと嘆くべきなのか。


 しばらくしたら、首根っこを捕まえて芽衣が戻ってきた。


「芽衣」

「なんだエディ、こいつの根性がどのくらいなのか、結果を知りたいのか?」

「そんなものは見ればわかるし、僕は知っていたことだ。部屋の修繕費の請求は君の部隊に直接かい?」

「いや」

「ぐっ……」

 床に竜族を放り投げ、ソファに座った芽衣は、近寄ってきたスズを膝に乗せてから、レポートの入った封筒をエディへ投げて渡した。

「請求はそこの間抜けにしろ。――どうせ頼み事があるとか、言い出すんだろう?」

「君のやり方は、本当に面倒だよ」

「そうでもない。さて、追い込みだけかけて尻尾は許してやったわけだが、事情は自分の口から話したらどうだ? 記憶違いでなければ、青の竜族は貴様一人しか生き残っていなかったはずだが」

「……そうだ」

 大きく吐息を落とした彼女は躰を起こし、対面のソファに腰を下ろして、眼鏡の位置を正した。

「赤の竜族の生き残りがいる」

「その情報は私も得ているし、アメリカの僻地へきちに居を構えている白の竜族たちの集落にいることも知っている。仕事の内容は救出か?」

「そうだ」

「理由を言え」

「私のか」

「ほかに何がある」

「……まだ幼い個体だ。情をかけるのに、理由はいらない」

「ふむ、それは納得できる。金で解決できる逃げ道は用意したが――では、貴様が引き取るのか?」

「いや、日本にあるヨルノクニへ送りたい」

「ああ、異種族の楽園とか何とか言われている場所か。調査はしていないが……どちらが先だ?」

「……うん?」

「送る手配を先にしておくか、それとも救出が先かという話だ」

「できれば救出を優先して欲しい。白は、――あまり教育によくない」

「ふむ」

 教育かと、そう言って芽衣は小さく笑った。

「では、貴様の判断を聞こう。白は?」

 その物言いに対し、彼女は少し黙った。

「……五割」

「駄目だ、こちらが動くなら最低でも七割。気分次第では全てだ。もちろん、あの場所にいない白の竜族は見逃すが」

「――」

「冗談ではないよ。だからよく考えた方がいい。芽衣は口こそ悪いが、冗談ならきちんとそう言うからね」

「そうとも、よく考えろ」

 言いながら、芽衣は携帯端末を取り出すと、いくつか操作をしてテーブルへ置いた。

 通話が繋がる。

「仕事だ、グレッグ」

待ってましたイエスマァム

「喜んでどうする」

『いやあ、上からの仕事ならともかく、最近は中尉殿から直接投げられることは少なくなりましたからね。で、何です?』

「カリフォルニアに向かって、白色に捕らわれた赤色を救出、保護しろ」

『ああー、あれ、情報は持ってましたけど、中尉殿の縁ですか』

「そうだ、軍の仕事にはならんだろう」

『今さらですよ。で、白はどうします? どうせプライドばかり高くて、人種を馬鹿にしたクソどもの集まりとかじゃないんですかね、あれは』

「おおむね、私の見解と同じだな。現場の判断に任せるが、九割ラインを意識しておけ。外出している連中がいるなら、全滅でいい」

『あれ? ってことは……』

「うむ、面倒な仕事だから北上きたかみと合同でやれ」

『そりゃ珍しい。でもまあ、確保だけならともかく、全滅を意識すると手が足りないので、時間がかかりますね』

「そうとも。いつだとて、時間それが問題になる」

『わかりました、現地で合流します』

「今から連絡をしておく。――以上だ」

 すぐに芽衣は通話を切る。

「おい」

「どうした、もう考え終えたのか? もう少し待て」

 すぐに続けて連絡を入れる。相手は北上きたかみ響生ひびきだ。

『はい』

「仕事だ」

喜んでイエスマァム。動く準備はできてますよ』

「人物の確保、敵の殲滅を同時に行う。カリフォルニアでグレッグと合流して二人で当たれ。詳しい説明はもうした」

『――そりゃまた珍しいですね、諒解です。確保後は宿舎ですか?』

「ふむ、そういえば伝えてなかった気もするが……いや、しばらく戦場でも引きまわして、経験を積ませてやれ。お前らの仕事を近くで見るだけでも勉強になるだろうし、その先の手配はまだ終えていない」

『なるほど、救出優先ですか。時間ってやつは、いつも問題になりますね』

「まったくだ。終了の連絡はいらんぞ、せいぜい暴れろ。周囲の目を気にする必要もない」

『わかりました。竜族が相手でしょう? 尻尾でも輪切りにしてバーベキューとしゃれこみます』

「感想は報告書に記しておけ。――以上だ」

 こんなものかと、通話を切った芽衣は、スズの頭を撫でた。

「それで、もう決まったのか?」

「いや、私が言うまでもなく決定しているように思うんだが」

「それは私の決断だ、貴様のことではない。現実として確定はしているし、撤回はしないが、それと貴様の決定は別物だ」

「……わかった。覚悟しておく」

「なに、責任を分けるつもりはないとも。日本へ送るのも私が手配しておこう」

「頼む」

「では珈琲を淹れろ、私は見ての通り動けんからな」

 どういう要求だ、とは思ったが、そのくらいはやろうと彼女は立ち上がった。

「本当に、嬉しそうに仕事を引き受けるんだね、君の部下は」

「あいつらはどうかしてるぞ? 確かに発足当時、私の仕事を減らすために成長しろとは言ったが、どうも私の手足として動くことに喜びを感じているふしがある」

「君になりたいのかい?」

「どうだろうな。部下を全員揃えたところで、私一人になれるわけでもない。できることは私以上だろうが、

「なるほど? だったら今回――竜族の問題にしたって、君が動けば済む話だったと?」

「もちろん、そうだ。やり方はこれで変わったが、私ならば、私なりにやる。だが私は、仕事を振られて喜ぶような人間ではない。面倒は一つでも減らしておくべきだ」

「本音は?」

「私自身が、それほど目立った行動をしたくない。部下が動けば、それは忠犬の評価だ」

 朝霧芽衣がやった、という結果はあまり喜ばしくない。

「それに加えて、部下ができるならば、私がやらなくても構わないだろう?」

「ふうん……?」

「まあそれでも、私ができん仕事を投げるような真似はしないが」

「芽衣、忠犬とはなんだ?」

「おかしなことを訊くんだな。犬とは連中のことで、私たちのことだ。そして、出た結果のことを指す」

「つまり――君がやっても、部下がやっても、同じ結果なら?」

「結果が同じなら、それで良い」

「……いいかい?」

「そんなことよりもレポートはどうだ」

「君は素直だから訂正の必要はないよ、このまま提出するつもりだ。隠れてこっそり僕の頭を悩ますどこかの誰かと違って、君は現実的な被害を出す。たとえば僕の部屋に大穴をあけて、面倒な言い訳を使って修理屋を呼ばないといけない、とかね」

「それが貴様の仕事だろう?」

「そればかりは完全に違うと言い切れるね」

 渡された珈琲をエッダシッドも受け取り、まずは一息。

「いいかい、芽衣。君は仕事が楽しいのかい?」

「また貴様はそうやって難しいことを問うんだな。かつても言ったと思うが、私は確かめなければならないことがある。それは経験による、私自身の確認だ。そういった理由を除外しての話だな?」

「君には事情がある、それはわかっているよ。その上で、言うなれば君の感想を聞きたい」

「仕事なんて金を集める手段のようなおのだ。私はなエディ、どんな仕事も楽しむようにしている。まあ、逆を言えば楽しまなくてはいけないのだから、つまらんものだ」

「望んで引き受けようとは思わない?」

「理由がある――にしても、好んでやるものではないな」

「そうか」

 なるほどねと、彼女は納得を落とした。

「続く言葉は、こうかな? ――だから、君は部下を育てちゃいない」

「うむ、その通りだ。こうして貴様のもとで学んでいるのも、今後のためだ。過去を振り返って、あれが駄目だったと後悔するようなやり方を、私は学んでいない」

「よくわかったよ。そういう話を聞くと、今後の方針が見えてきて、僕はとっても楽しいよ。楽しすぎて、目の前にある大穴の修理を忘れそうだ」

「なんだ、私に手配しろとでも言いたげだな?」

「結構だ、それに関しては本心から遠慮するよ。ただし金額には目を通してもらうけどね」

「支払いはそっちの青色トカゲだ」

「見積が出たら見せてくれ……」

 金の準備くらいしておけと、芽衣は言う。

 それ以降、仕事の話はなかった。つまり芽衣も、エッダシッドも、その時点でこの仕事に関しては達成したも同然としての扱いである。

 失敗があるはずもない。

 一人では足りないが、二人では多すぎる仕事内容だ。

 さぞ気楽にやっていることだろう。


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