第185話 日本にいる電子戦爵位持ち
同じタイミングでの移動、というのは随分と珍しいことだ。
そもそも犬は、犬同士で行動しないため、公共交通機関を使うにしても、同じものを使うことがなく、ないがゆえに、どこか居心地の悪さを感じてしまう。
だからたいして会話はなかった――が。
「軍曹殿、すぐわかるとは思いますが、野雨では23時から4時まで、それ以外の時間帯での危険行動は、やめておいてください」
「それがルールか?」
「はい、そうです。ともすれば、犬ごと喰われます」
「おー、わかった」
ただそれだけ。
同乗していたシシリッテ・ニィレは半信半疑だったが、日本の地、野雨に足を踏み入れた瞬間に、何かを理解したようだった。
シシリッテは、県内でも
不動産関係の調査も終えてはいるが、真偽までは調べていない。まあ、仕事にはならんだろうと、そういう判断である。
入り口で目的の部屋にインターホンを鳴らす。対応したのは室内AIの無機質な音声だったが、それに対して。
「兎仔だ。犬」
そう短く伝えれば、すぐロックは解除された。
不用心だろうか。
相手が何を考えているのかを探ろうとしても、それはあくまでも可能性でしかない。たとえば、接触機会はほかでも良いのに、わざわざ部屋を訊ねたことや、武力そのものでは敵わないことなど、理由はいくらでもある。
総合的な判断で許可を出したのなら、それを悪意的にでも、好意的にでも受け取れるし、それら全てを判断材料にするのは、まず不可能だ。何しろこっちは、本人ではないからだ。
推察は、そこそこで良い。
考えすぎても、二の足を踏むだけ――これも、朝霧芽衣から教わったことだ。
中に入って、まずはエレベータで。東西にそれぞれ二基あり、左側に乗って上へ。そこから廊下を通って目的の部屋へ行き、軽くノック。男性の声と共にロック解除、それから中へ。
家主は。
「いらっしゃい」
玄関で出迎えた彼は、まだ若い学生であることを兎仔は知っている。
「兎仔だ。なんて呼んで欲しい? アリス・ザ・リッパーか、それとも」
「まいでいいよ、沢村でも」
沢村まい。
もう五年以上前から、電子戦公式ライセンスを所持し、爵位を持っている少年だ。
「どこに案内しようか。俺の仕事部屋か、それともリビングに?」
「仕事の話にはなるんだが、本腰を入れようって内容じゃねーよ」
「じゃあリビングにしようか。遠隔になるけど、操作もできるから。飲み物は珈琲でも?」
「おー、どっちでも」
案内されたリビングはキッチンも併設されており、柔らかいソファに腰を下ろした兎仔は、その安定のなさに苦笑する。こういう感覚は久しぶりだ。
「野雨の行動が夜に限定されてんのは、どういうルールなんだ?」
「もともとは、夜間外出禁止令っていうのがあって、法律上、野雨は23時から翌日の4時まで、一般人の外出を禁じたんだよ。たぶん兎仔さんが気にするべきは、それが施行されたタイミングだろうけど、そっちは割愛するね。結局は犯罪者のあぶり出しというか、動きやすい時間帯を作ったようなものだ。けれど、
「調べた限りじゃ、かなり前だろ。それこそ、ジニーが現役だった頃だ」
「そうだね。今はベルが管理狩人になったし、その方針も強いよ。せっかくの夜があるんだから、日中のもめごとは止めておこう――と、まあ、そうなったのにも理由がある」
「……見せしめか」
「かなり残酷な、表ざたには決してならないものだったそうだよ。特に拉致に関しては駄目だ」
「あたしが知ってる限りだと、
「うん、あれも乱暴な解決をしたからね」
「現状を作った理由の方が重要だろ」
「そうだなあ……」
珈琲を落とし終え、カップを持ってきたまいは、対面に腰を下ろした。
「あくまでも俺の見解だけど」
「わかってる」
「結論――いや、まあ、皮肉じゃなく兎仔さんたちの流儀で言うなら、結果として、日中の犯罪はほぼゼロ。狩人が企業から情報を盗む程度のことはあれど、荒事は一切ない。ベルの
「殺しが先かー」
「理由や背景は後回し。ただ俺が拾えないってだけで、たとえばベルに許可を得たりしてれば、こっそり発生してる可能性はある。俺は情報屋じゃないからね」
「知ってる」
「だからこそ、なんていうか無関係な俺からすると、個別の事情はどうでも良くてさ。ちょっと俯瞰して見た時に、こんな結果が見えた。――ああ、日中が平穏になったぶん、しわ寄せが夜に向かってる」
「つまり、犯罪がどうのって話じゃなく、いわば面倒ごとを一ヶ所に集めてる?」
「その状態を、安定させてるんだ。無法地帯じゃなく、夜に出歩くのだって狩人を護衛に雇えば、そう難しくはないんだよ。あちこちで戦闘が起きるわけでもない――だから、知っている人はこう言う。戦場よりも、よっぽど野雨の夜の方が怖いって」
それは兎仔もよく聞いた。でもそんなのは、あくまでも噂みたいなものだ。
現地入りして、まだ夜を経験していないが、肌でそれを感じた兎仔は、噂よりもよっぽど恐ろしい場所だと感じたが。
「対比か」
「そうしたかった理由は、よくわからないけどね。それに、夜だって――俺は知らないけど、出歩く連中に言わせれば、悪くないそうだよ」
「よくわかった」
「うん。それで兎仔さん、本題は?」
「ああ、大したことじゃねーよ。まず、お前のところの衛星映像、だいぶ借りてる」
「そうだね。ただ感謝されるようなことじゃないよ、対価は俺だって得てるから」
「一応あれは、垂れ流しだろ?
「知ってるよ。
「へえ……あんなのは日常茶飯事で、目を通すとは思ってなかったな」
「俺にとってはたまたまで、犬の動きを追う理由になったから、感謝してるんだ。あのプログラムは普遍的だけど、使える人物も、使う人物も限られる上に、発見が難しいからね。リアルタイムで対応していたとしても、逆に見つからない」
「必ず後手に回るウイルスか」
「それに加えて、実害が出にくいから」
「……そうか?」
「これが普遍的で、大勢が知っているのはね、当たり前に使われているからだ。もちろん俺も使える。じゃあいつ使うのかって言われると、俺は今まで一度も使ったことがない」
「ああ、そうか。そもそも何かを隠すなんて事態が、そうそう起こらない」
「実際に朝霧さんも、あの時以降はほとんど使ってないはずだよ。俺が知ってる限りじゃ、一度もない」
「対策はしてねーのか?」
「結論から言うと、してないよ」
「そうなのか」
「俺は情報屋じゃないし、隠された意図を探るような真似もしないからね。たとえば兎仔さんから、ウイルスが使われている形跡があるから、調査をしてくれと頼まれても、踏み込みの度合いが違うよ。情報屋よりも、俺の方が踏み込まない」
「じゃ、調査はしてねーのか」
「そこがバランスかなあ。うん、調査はしたよ。あくまでも爵位持ちとして、干渉された形跡があれば、興味もあるからね。ただ勘違いして欲しくはないんだけど、俺はこれまでも、たぶんこれからも、過去を調査しない。これはいわゆる、
「領分の話だな。んで? 調査の内容は話せるのか?」
「構わないよ。面白いし、俺が忠犬を追ってたのも、そこが理由だから。知ってることもあるだろうけど、今じゃサーバを踏み台にしてアクセスなんてのは当たり前で、ダミーサーバを踏んで、すぐそれを破壊しても、まあ、辿ろうと思えば辿れるんだ」
「あくまでも現実的なアプローチがあればって話だろ、それ」
「あはは、先に言われたね。その通り、だから俺はできないし、やらないようにしてる。まあ借用の流れとか、そういうデータを追うことはできるけど」
あくまでもまいは、電子戦を主戦場として生計を立てている。だから、ネット上に落ちていない情報までは拾えない。また、完全独立された端末へのアクセスも、ほぼ不可能だ。
「でもね、そういう物理的な理由以外に、手を引かなくてはならない状況もある」
「追跡が困難な状況か」
「うん、これも結果を先に言うとね、どういう踏み台を使っていたのか調査した先に、バージニアの訓練校があったわけだ。さすがにこれは手出しできない」
「……」
兎仔は額に手を当てて、天井を見上げた。
「あの人なにやってんだ……?」
「たかが衛星映像を誤魔化す、当たり前のプログラムを使うのに、訓練校内部からのアクセスを使うなんて真似は、ほかの誰もしないだろうね」
それこそ、切り札のようなものだ。何故って、それ以上踏み込めば米軍を敵に回すことになるぞと、そういう意味合いだから。
それをあっさり、もういらないとばかりに使うだなんて、笑うしかない。実際にまいも笑った。
「そこで別のアプローチを試みた」
「ん?」
「
「……ん? 衛星からのアクセス経路ってのは、少なくとも一つじゃないのか?」
「普通はね。うん、兎仔さん、普通は俺の持ってるラインのみへのアクセスだ。ところで朝霧さんは、普通かな?」
「いやそれはない」
「現実的にはね、衛星の情報を得ることは、公式的に、申請さえ通れば可能なんだ。もちろん、申請そのものは面倒だけど」
「そうなのか」
「うん、気象衛星は許可が下りれば、誰だって使えるよ。俺も一応、許可だけは得てるからね。じゃ、それを前提に、ここからはたとえ話だ。あくまでも簡単に概要だけ説明するから、そのつもりで。――衛星から気象庁へ、一つのラインがある。そこで、気象庁から映像を借りようとするラインがあったとしよう」
「今の流れで言えば、許可が下りて使う場合か」
「うん。そして、気象庁から俺のところへ来るラインの間にハッキングして、こっそり曲がりしている連中が数人いたとする。この枝分かれから、俺たちは枝がつく、なんて表現もするんだけど」
「最大効果」
すぐ気付いた兎仔はそう言い、珈琲を一口。
「つまり黒い円柱を使うのなら、枝分かれする以前のラインに干渉するべきだ」
「そのぶん、リスクが付きまとうけどね。で、朝霧さんの打った手に関しては、リスクリワードが見合わないと判断して、俺は調査をやめたよ」
それは。
限りなく根本に近い位置へのアクセスだったと、そう思っておいて良い。
「そこからだね、俺が犬の情報をそれとなく追ったのは」
「なるほどな、とりあえず理解した、ありがとな。つーか……あたしらの動きを見てたのか? それとも中尉殿の?」
「最初は、全体かな。それほど深く入り込むような真似はしてないよ? 感覚としては、アイドルの追っかけに近いかもしれない。ちょっとした時間があると、なんとなく調べてしまったり、仕事の結果を見てすごいなあと思ったりね」
「物好きな……」
「あはは、そうかもね。最近は兎仔さんの動きをよく見てるよ」
「あたしの? 面白くはねーだろ」
「そうでもないけどね。実際にこうして逢えて、嬉しいと思うくらいには」
「なんであたしなんだよ。知らねーかもだけど、あたしはこれでも
言えば。
「ふうん」
なんて、小さく微笑みながらの返答があった。
「あ?」
「ああうん、知れたことは嬉しいけど、言っただろう? 俺は過去にあまり執着しないから」
「……いや待て。あたしに惚れてるとか、そういうのか?」
「――」
問えば、しばし硬直したまいは、顎に手を当てて、やがて顔を少し赤らめた。
「そう、かも……?」
「なんで曖昧なんだよ」
「いや好きじゃなきゃ追っかけてないんだけど、いや、確かに兎仔さんばっか見てた気がするし、改めて言われると、思い当たることがあるっていうか……」
「お前なあ……」
「いやごめん、ごめん、俺にとってもその見解は予想外すぎて、戸惑ってる。好きならちゃんと伝えるよ。いや好きなんだけど、うん、それは間違いないんだけどね?」
「あーいい、いい。あたしが本格的にこっちを拠点にした時にでも、また話をすりゃいいさ。慌てる必要はねーだろ」
「そうしてくれると助かるよ。でも好意は持ってる」
「あたしは半信半疑だけどなー。とりあえずこっちには、安堂が戻ってシシリッテが風狭だ。あんまり関わるなよ?」
「
「おー、べつにいいだろ」
「それでも、あまり関わらないようにはする。俺は情報屋でも、狩人でも、ましてや軍人でもないからね」
「それが処世術か」
「生き方かな。専門外のことに手を出せるほど、俺は器用じゃないんだよ」
「そうか。じゃ、あたしもお前には仕事を頼まないようにする。つーわけで、ちょっとここで寝てていいか?」
「……え?」
「だから休憩、休み、寝る」
「いや、それは構わないけど」
「お前は仕事してていいぞ。注文は一つだ」
「うん?」
「危害は加えないから、べつに近くにいてもいいけど――起きたら、洗面所を貸してくれ。あたしは寝起きの、口の中がベタついてるの、好きじゃねーんだよ」
「うん、それは構わないけど」
「おー、じゃあ頼んだ」
言って、兎仔は本当にごろんとソファに横になった。小柄というのもあって、すっぽり収まり、クッションを適当に集めて目を閉じた。
うん。
なんだろう、途中まで真面目な話をしていたが、この結末はまったく予想してなかった。
どこでも寝れるタイプ――では、ないと思う。だとしたら、兎仔はここで寝れるかどうかを確かめたいのだろうか。
いずれにせよ。
寝てる兎仔の写真を撮りたい気持ちを抑えながら、まいは仕事部屋に向かった。
たぶん集中できないだろう予感を抱きながら。
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