第182話 毎度の仕事に最高喉越し

 2054年、十二月二十日――。

 軍部に入ってだいたい一年、忠犬部隊に配属されておよそ半年。これでようやく軍役も終わりかと安堂あんどう暮葉くれはは――安堵の吐息を落とした。

 はっきり言って、こんなクソ仕事は御免だと思う。二度とやりたくはないと断言してもいいくらいだ。命を対価にする仕事なんてのは、一生に一度だって、なくていい。

 ――と、思うのは別で、まあ実際に仕事を投げられれば、仕方ないと片付けるのだから、元より暮葉はそういう〝素養〟があったのだろう。

 冗談はよしてくれと、暮葉は否定するかもしれない。素養だなんて言葉で済ますな。単に俺は順応しただけだ――と、まあそういう男なのだ。

 だが晴れて! これで軍属ではなくなるのだ、まったく喜ばしいじゃないか――この仕事が終われば。

 上官から投げられたこの仕事は、そもそも暮葉に限らず、忠犬部隊にとっては、仕事に分類されないような内容である。つまり、軽く片付けてとっとと酒でも飲みに行こうと、そういう感じのはずで。

「――もうすぐ到着……なんだ」

 駆逐艦の前甲板にクーラーボックスを置き、その上に座って煙草を吸っていた暮葉は、ようやく顔を出した〝艦長〟を、実に退屈そうな顔で睨んだ。

「なんだ、とは何だ」

「随分と退屈そうだな?」

「こんなクソ雑用を、面倒だからやっとけと投げられて、ハッピーになるとでも? 眼科の手配が必要なら言ってくれ、ジェイル・キーア少佐殿。朝霧中尉殿から、よろしく言っておいてくれと伝言を預かってる」

「――なんだ貴様、メイの部下か」

「乗員の名簿に目を通したら、背後関係くらい洗っておけよ。いくら軍部からの依頼だとはいえ、こっちは〝見えざる干渉インヴィジブルハンド〟として動いてるんだろうが。ま、米軍の連中も乗せてはいるみたいだが……」

「ふん、なるほど、噂通りの犬か――見えてきたな」

「無人島か。まったく、ゲリラ戦を想定した演習なんて恵まれてやがる。さすがは、士官学校卒業のエリート様の集まりだ。――現場なら、どこにでも転がってるだろうに」

「まったくだ。いつから軍はこんなに甘くなったのかと、苦言を呈したいくらいだな」

「年齢に比例した重みがあるなあ?」

「言ってろ」

 接舷する間際になって、軍服を着た男が二人、顔を見せた。こちらは間違いなく米軍である。

「おい、準備を開始しろ」

「なんだって?」

「貴様が相手をするのは五十二人。そのため、貴様には二十分の猶予が与えられる。地形を把握するもよし、先行して接敵するもよし。ただし、直接的な攻撃は開始の合図を待て。いいな?」

「……、医者の準備はしてあるのか?」

「なんだ、今から負傷の心配か?」

「ああそうだ、その通り。怪我をしたら痛いし、泣きたくなる。医者がいなけりゃ、満足に治療もできない。違うか?」

「ふん、情けないことだな。安心しろ、逆側に接舷した船に、二名の医者が待機している。腕を吹っ飛ばされても問題ない――が、模擬弾の使用だ。可能性があるとするのなら、ナイフでの切断だな」

「ああそう」

 ご丁寧にどうもと、立ち上がった暮葉は煙草を捨て、足で火を消した。

「――その態度はなんだ貴様。階級は?」

「軍部に間借りしてる組織とはいえ、こっちは個人で軍人じゃない。あんたらに払う敬意なんてねえよ。それでもってんなら、美味い珈琲でも用意して持って来い」

「貴様――」

「二十分だ、計測しとけ。役に立って嬉しいよな?」

 腰に拳銃が一つ、ナイフはブーツと袖口に一つずつ――その装備のまま、ひょいと艦から陸地へと飛び降りた暮葉は、そこで一度空を見上げた。

 本日は晴天なり、だ。

 一歩、手入れがほとんどされていない孤島、その森林に足を進めた瞬間に、術式を使って全範囲を〝把握〟する。情報量は多いが、まずはざっと知ることができればいい。この際に足元、地面の三十センチほど下まで〝感知キャッチ〟を伸ばすのが暮葉の常識だ。これは罠の察知も含まれる、当然の対応である。

 そして二歩目からは、走るように移動を開始した。

 暮葉の利点であり欠点でもあるのは、術式の多様性だ。制限があるとはいえ、他人の術式を使うことができるのは、大きな利点だろう。しかし、対峙したのが朝霧芽衣だった場合、それ自体が既に欠点として認められるのだから、どうしたものか。


 ――十五分後に、暮葉は戻ってきた。


 陸地で待っていた二人の軍人を無視して、そのまま前甲板に飛び乗る。

「おい!」

「こっちまでたどり着くヤツがいたら、それが時間内に限り、相手をしてやるよ。いちいち俺のやることに口を挟むなよ、軍人殿? 俺のケツを狙ってんじゃないだろうな?」

「くっ……!」

「いいから黙って見てろよ。つーか、もう開始していいぜ」

「……ふん」

 犬は犬らしく振る舞う。いつも通り、――ああ、まったく、なんてことだ。

 戦場だろうが仕事だろうが、それこそプライベイトだろうが、そうそう態度が変わらなくなってしまった。育てられ方というよりも、単純に上官の影響だろう。

 面倒な話だと、クーラーボックスを開けると、中からジェイルが顔を出した。

「お疲れ。飲むか、キーアさん」

 ひょいとボックスの中身を投げ渡し、蓋を閉じた上にまた腰を下ろす。

「ビール……持ち込んでいたのか」

「必要だろう?」

 横を通り過ぎたジェイルは、軽く目を細めるようにして島を見る。十五秒ほどそうしてから、苦笑を一つ落としてプルタブを起こした。

「――おい、お前たち」

「は、なんでしょうか少佐殿!」

「救援に向かうのは、止めておけ。二次被害が増えるだけだ」

「は……?」

「いいから、そう覚えておけ」

 まったくと、ビールを飲んで。

「――さすがは犬だ」

「最高の褒め言葉をどーも」

 ひょいと、ビールの缶を軽く上げて挨拶とすれば、演習開始のサイレンが鳴り響いた。

Letさあ’s Partyはじまりだ! Welcomeようこそ to f**k'inクソッタレな wonderlandらくえんへ! Cheersかんぱい!」

 そう言った暮葉は、一本目のビールを一気に飲み干した。

「――ま、連中にとっちゃ地獄かもしれないけどな、俺の知ったことじゃねえ。仕事の内容は演習相手だ、充分だろ。なんか中尉殿の同期がいるとかいないとか、そんなことをぼやいてたけど――死ぬことはないさ」

「どうであれ、忠犬らしいやり方だ。こんなのは戦場でも、そうそう見かけない」

「そうか? うちの部隊じゃ、どいつもこいつも、今じゃ鼻歌交じりで歩く。この程度のやり方じゃもう通用しねえ……クソッタレだな。まったく、俺のやり方でおたおたしてたのが懐かしいくらいだ」

 煙草に火を点ければ、爆発音が響いた。落ち着いた様子のまま、二人は視線を孤島へ移す。

「――間抜けが。あんなに引っかかるなよ。それともあれか? 一歩先に罠がありませんって看板でも出てたか? 逆を出しておいた覚えはあるが」

「見える位置にあるのなら、な」

「気付かないのが間抜けなんだろう、知ったことか。それよりあんた、朝霧中尉殿とはどういう知り合いなんだ?」

「……気になるか?」

「中尉殿の経歴を探ったが、一部分が〝白紙〟で辿れなかった」

「悪いが、俺が知っているのは訓練校時代に、外洋へと出た時の話だ。軍にゃアレに首輪をつけられるヤツはいねえよ」



 紫煙を吐き出して、空を見上げた暮葉は陽光に対して眩しそうに目を細め、小さく喉の奥で笑った。

「白紙の部分がどこなのかを明言してないのに、謝罪から入るとはな、少佐殿?」

「ふん、俺だってそこらの間抜けとは違う」

「あんたの部分の経歴に関してか、元海賊」

「……よく調べているもんだ」

「中尉殿はあれで、見知った相手を調べるようなことはしない。それは実力の裏返し――調べる必要がないと、そう思ってる。ほかの犬はともかく、俺は臆病者でね。関わった人間の情報は得るようにしてる――それが無駄になることを願いながらな」

「これが臆病者のやることか?」

 対岸まで届く、怒号と悲鳴の応酬に加えて、爆発音。

「……光と音と威力があるやつだ、受け身さえ取れれば大した怪我にはならねえよ」

「その三つがありゃ立派な爆弾だ」

「ほかの犬なら、五十人程度を相手に立ち回り、そんなことは簡単にやる。だが俺には無理だ、それだけの技術も力もない。だからこうやって、臆病に逃げ回るわけだ」

「物は言いよう、だな。俺に言わせれば、これも技術で力だ」

「続く言葉はこうだ――だが、あんたなら突破はできる。違うか?」

「そこまで傲慢にはなれんが、どうにかはするだろう。ここが戦場で、敵地で、俺が一人で、前にしか進めないのならば、進むしかない。そうなってしまった落ち度を悔やむのは、生きて突破してからだ」

「あんた、ホオジロなんかにいるのが勿体ないな」

 見えざる干渉インヴィジブルハンド、五番目の組織であるホオジロは、海の専門であり、このキーア少佐はこれで三桁の番号を持っている。同じ組織だからこそ、最初のとっかかりが簡単で、暮葉にも調べられたのだが。

「残りは数ヶ月だ」

「――へえ?」

「知ってるって顔だな」

「調べたと言わなかったか? 野雨のざめ鈴ノ宮すずのみやは、元軍人もそれなりにいる。海へ出る仕事もあるだろうよ」

「詳しいのか」

「俺の故郷だし、もうすぐ戻る。――予定だ」

 そもそも、彼らにはもう、宿舎など必要ないし、かといって戦場を走り回ってばかりでもないのだ。

 どうして? 何故そうなってしまった?

 ――当然だろう。ここ半年で片づけた仕事の〝結果〟を耳にすれば、もはや運用そのものが困難な部隊であることは、誰だとて認めるしかない。

 結果を出し過ぎたのだ、彼らは。

 ゆえにこれからは、予備役よびえきのような扱いで、仕事に呼び出されるまでは普通の暮らしに身を委ねる。暮葉はそういう〝契約〟で軍に入ったし、犬になった。

「どうであれ、俺らが〝犬〟じゃなくなることは、ねえけどな……」

「怖い話だ」

「笑いながら言うな」

「――半年で急成長だな?」

「冗談だろう……俺たちは身の丈にあった一歩しか踏み出せない。だが一時たりとも、その一歩を止めることがなかっただけだ。それが間違いであってもな」

「そう言えるってことが、既にアレだけどな……?」

「どうだかな」

 ――ただ、上官たちはどうだろう。あるいはほかの同期たちは。

 たぶん、犬であることは辞められない。だがそれでも、違う一歩を踏み出すことだって可能だ。暮葉が一般の日常に戻るように、あるいは狩人ハンターや何かしらの専門になる可能性だってある。

「お前は故郷に戻ってどうする」

「実家の花屋を継ぐのさ。もっとも、こっちは生産者だ。一年前まで、普通にやってたことを、戻って続けるだけの話で、面白みもない」

「いいことじゃないか」

「何をしていようとも、俺が〝犬〟として在ることもか?」

「……さあて、難しい問題だな。生活でも職業でもなく、在り様と言われれば答える言葉を持たん」

「ふん」

 煙草を一本終えて、さて次のビールをと思って腰を上げれば、おいと声がかかった。

「なんだ」

「聞いてみろ」

 笑いながら顎で示され、数歩近づきながら、新しい煙草に火を点ければ、慌ただしい声が聞こえてきた。


「――は? いや待ってくれ、こっちにはもう本人が戻ってきている。……そうだ、現場にはいない。中止させろ? どうやって? ――だからこっちにもういるんだよ! 開始前の十五分、中に入っていたのはそれだけだ! 今はもう…………なんだって? 罠? 救援通信を受けたんだろう? ――はあ!? 救助隊の四名から〝救助要請〟だと!? おいおい、おいおいそいつはどういう冗談だ?」


 それを聞いて、鼻で笑う。

「今更か、気付くのが遅い。おいクソ軍人、言っておくが救助は俺の〝仕事〟じゃない。終わりのサイレンが鳴れば、回れ右で一直線に帰宅する。せいぜい足りない頭で解決策を考えろ――っと、予想よりもちょっと早いな」

 ビールはお預けだと、再び陸地に降りた暮葉は、一人目の来訪者に目を向けた。

「へえ」

 黒く濁った瞳、ただそれだけで修羅場の経験を窺える。そして表情が暗い、まるで己を呪っているかのような嫌悪。

「おいクソ軍人、ちょっと離れてろ」

 軽く振り向いた瞬間、発砲が三度。額、胴体を狙ったそれを、振り向く動作の延長として、くるりと回るようにして回避する。

 正面を改めて見れば、男がいない――左足を突き出せば、死角にいた相手はぎりぎりのところで真横に大きく跳んで回避、なかなかやる。良いタイミングでカウンターを差し込んだのにも関わらず、瞬発で力の方向を変えたのだ。

 着地、――引き抜いた拳銃を突き付けた暮葉は、小さく笑った。

「で? どうすんだ?」

 相手は、銃口を睨みつけたまま、ぴくりとも動かない――否、動けないのだ。

 あえて〝感触〟を残したトラップ、かちりと小さな音がするのを聞き逃さなければ、そこに罠があると気付いて、逆に動けなくなる。

 わざわざ相手に教えてやるのも、手札の一つだ。

「七十五分――」

 無言の間を嫌うよう、左手で煙草を持ちながら、拳銃を下げずに暮葉は口を開く。

「およそ一ミリで発砲可能な状況で、それを維持しながらの戦闘訓練、その基準が七十五分だ。俺らにとっちゃ、銃を構えるとは、九割はトリガーを絞っておけと、そういう意味でな……」

 動く、その初動を見抜いた上に、先読みをして二発のうち一発で太ももを撃ち抜いた。一発は陽動、いや誘導で、もう一発が本命の流れだ。

「どうして? トリガーの余裕を失くす方法じゃ、銃が違うので使えませんって言い訳を使う間抜け野郎だ。戦場で拾った拳銃でも、上手く使わなきゃ話にならん」

「……」

「にしても〝道標ガイドライン〟――初めて見たがなるほど、使い方が単調だな。見えてても避けられなけりゃ、意味がない。ああもう動かなくていい、時間切れだ」

 そこで、演習終了のサイレンが鳴り響いた。小さく肩を竦めた暮葉は、拳銃を戻す。

「止血しとけよ、ルイ・シリャーネイ。そしてようこそ、忠犬へ」

「……」

「死にたがりのお前に一つだけ、俺から伝えておこう」

 煙草を消して、せめてこれだけはと、暮葉は言うのだ。

「今までと違って、俺らは。つまりお前は、同僚が死ぬのをこれから見ることはねえよ。その時は、――お前が先にくたばってる。その事実に喜んでおけ」

 いくつもの戦場で、ただ一人生き残ってしまった彼は。

 特に反応をせず、太ももの付け根を思い切り強く、紐で縛って止血をしていた。

「ふう……おい、キーアさん。俺は戻……なんだ?」

 ひょいと甲板に戻れば、どういうわけか携帯端末を突きつけられ、眉根を寄せながらそれを受け取った。

「――はいよ」

『ハッピーか、安堂』

「中尉殿、どうしました。あんまりハッピーじゃないですが」

『私は久しぶりに少佐殿と会話ができたハッピーだ。新入りは見たか?』

「今まさに。というか仕事終わったんで、一度宿舎に戻りますが、中尉殿います? 俺もう実家帰りますから」

『うむ、その手続きをしようかと思った私からの朗報なんだが貴様、まだ実家のトラブルが終わっていないぞ?』

「……は?」

『つい数日前に、ようやく養子としての登録がされたばかりだが』

「…………あんの間抜けども、一年でまだ落ち着いてねえだと……?」

『貴様が戻るならば止めはせん、それは貴様の選択だ。では宿舎にいるので、帰るまでに返答を決めておけよ? そうそう、薬物耐性のテストがあるから、悦のところに顔を出しておけ。質問は?』

「ありません……えー、でも薬物耐性のテストって、ほとんど俺の返答が決まってるような扱いじゃないですか?」

『私からの〝期待〟だ、嬉しいだろう?』

「ええ、ハッピーになってきましたよ」

 まったくと、通話を終わらせて携帯端末を返した暮葉は、空を見上げた。

「本当に、ハッピーじゃなきゃやってらんねえ……」

 実家での面倒が嫌での軍役。その面倒が続いているのならば、まだ帰りたくもない――。

「悩むことか?」

「安穏とした実家に戻るよりも、俺にはまだ戦場ですべきことをやれ――そういうことなんだろう」

「――はは、そんな選択ができる時点で、お前はもう立派な犬だよ」

「そりゃどうも」

 もういいと、新しいビールを取り出した暮葉は、とっとと艦を出してくれと言いながら、一気に飲み干した。


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