第181話 医者から見た彼女たち

 帰りの途中で芽衣を降ろし、すぐに仕事に取り掛かってしまったので、芽衣のセーフハウスに車を置いたグレッグは、公共交通機関を使って宿舎へと戻ってすぐ、食堂に顔を見せればシシリッテがいたため、珈琲を貰い、その足ですぐ医務室へと向かった。

「ただいま、えっちゃん」

「んー?」

 珈琲持ってきたと顔を見せれば、机に向かってペンを走らせていた。

「ありゃ、誰か来てた?」

兎仔とこがちょっと安堂あんどうと遊んでたから、少しね。施術そのものは大したことなかったから、寝床に戻したのよ」

「ふうん……はい、珈琲」

「ありがと」

 手元の書類から顔を上げた悦は眼鏡をかけており、やや丸い顔を斜めから見下ろす角度で、隙間から見えた裸眼も相まってなんだろう、どうして僕の目にはカメラ機能が内臓されていないんだ可愛いなちくしょうと、変な考えを浮かべながら、カップを置く。

「あれ、論文かなにか?」

「ああうん、いくつか走り書き。学会に寄稿するやつ。暇な時にやっておかないとって……で、あんたどうしたの」

「えっちゃんの顔を見に」

「終わったら出て行け邪魔だから」

「ごめん嘘、いや嘘じゃないけど用事ある。ごめん用事」

「ふん……そっちの椅子、引っ張ってきな」

「ありがと。一応、ちょっと内緒話。中尉殿も軍曹殿も仕事だし、宿舎に残ってんのはケイミィ。今まさにトゥエルブが動いてなかった原因はわかった」

「で、なに」

「どういうわけか、いや幸か不幸か、朝霧中尉殿が不機嫌になる相手と出逢って――うおっ、えっちゃん怖い顔!」

「どこまで」

「え、お茶しただけだよ? 聞いたのは鷺城って名前と、中尉殿の前じゃ絶対に口にしないし、ほかの連中に教えることもない。あと、えっちゃんにそう訊いてみろってことと、まだ逢わないとお互いに決めてるってところ?」

「あの女は……」

 額に手を当てたえつは、ため息と共に眼鏡を外してテーブルに置くと、足を組みながら振り向いた。

「――なに笑ってんの」

「え、僕笑ってる!? いやまあハッピーなのは確かだし、えっちゃん好きだから見てて飽きないんだけど、ごめん顔に出てるとは思わなかった」

「ああそう」

 どうでもいいと言わんばかりに、珈琲を一口。こういう素っ気ない態度がまた可愛いのだから、グレッグの頭はもうどうかしてる。

「朝霧はなんて?」

「えっちゃんから話を聞くのならば、全部聞いておいて構わない――って」

「後悔するわよ?」

「もうしてる……だってこれ、口外厳禁だよ? 秘密を抱えるって早死にのフラグだよ? えっちゃん僕が死んだら――あ、いや答えないで。泣きそう」

「賢明ね」

 そして、吐息が一つ。

鷺城さぎしろ鷺花さぎかか……ちょっと、ネッタ呼んできなさい」

「わかった」

 一度出て受付に顔を見せ、ぼけーっとした間抜け顔を発見した。

「おいネッタさん、ネッタさんこら、そこのクソとぼけた間抜け女、えっちゃんがお呼びだとっとと来い」

「あんたえっちゃんと対応違いすぎない!? 私も女なんだけど!」

「だからどうした? 尊敬されたいなら、態度と言葉で証明しろ。いいから来いよ、あんたの間抜けな顔を見てると僕だってイラつくんだ」

「くっそう……!」

「言い返しなよ、ネッタさん……まあいいけど」

 軍部なら、それなりに男もいるし、紹介してやろうかなと、少し同情した。

 戻れば、ネッタに鍵を閉めろと指示を出し、その間にグレッグは彼女の椅子を用意する。このくらいの配慮をと思うくらいには、グレッグは甘い。

「ネッタ、少し鷺城鷺花の話をするから付き合――グレッグ退路封鎖」

「本気になられると、さすがの僕でも面倒だから、逃げないでよネッタさん」

「ひぃ……なんであいつの話を!?」

「うるさい黙れ殺したあとに蘇らせるぞてめえ」

「確かに怖い人だったけど、そこまで嫌がる相手か?」

「あんた本気でそれ言ってんの!?」

「あーもういいからネッタはちょっと黙ってろ。グレッグ、換気扇入れるから煙草いいわよ」

「おおう、そりゃ嬉しい。ありがとうえっちゃん愛してる」

「はいはい」

 真新しいガラスの灰皿をテーブルに置いて、肘置きを使って悦は頬杖をつく。

「一応、言っておくけれど、ネッタも含めて口外しないように。あいつらの関係に巻き込まれると、文字通り命がいくつあっても足りないから」

「え、なに、なんなのあいつらって。どゆことよ」

「鷺城鷺花と朝霧芽衣の関係よ」

「うっそぉ……初耳過ぎて本気で泣きそう」

「じゃあ泣いてろデカ尻。グレッグ、まずは最初に聞いておく。質問は?」

「同じ土俵でやり取りしたことがないって聞いたんだけど、そこらへんかな」

「ああ――そうね、まあ、あの二人の関係ってのは、そこになるか。質問した私が馬鹿だった」

「そもそも、えっちゃんはどういう関係を持ってたの?」

「私はかつても今も、ただの医者よ。そうね……以前、私はグレッグと七草がいる時に、こんなことを言ったはずよ。魔術師としての朝霧芽衣はネッタ以下。けれど、朝霧芽衣ほど多くの術式をその身に受けたか、見た者はいないだろうって」

「覚えてるよ。その頃、中尉殿の治療をしてたのが、えっちゃんだよね?」

「まだ学会の末席、しかも事実上は存在しない席に座っていた私が、実際に施術をして腕を上げたのは間違いなく、あの一年があったからね。――ネッタ、鷺城鷺花について、魔術師であるあんたは、どう表現する?」

「朝霧芽衣が、術式を受けるか見てきた人間なら、鷺城鷺花は間違いなく、二人しか現存しない、あらゆる術式を行使可能な魔術師でしょうね」

「ちょっと、待った。そんなのありえるのか、ネッタさん」

「ありえるのよ。あの女の魔術特性センスは〝魔術ルール〟と呼ばれるもので、行使者ではなく研究者としても、私はあれ以上を知らない」

「マジかよ……」

 グレッグはあの時、探りを入れられなかった。度胸がなかった? ――いや、そうではない。そもそも、入れようとすること自体が〝無駄〟であるという直感に従っただけだ。

 それはきっと、正しかったのだろう。

魔術特性センスが個人の持つ特有の、それこそ〝個性〟なら、確かに現実として、魔術そのものが個性って人もいるんだろうけど、んな無茶な」

「――無茶なのは特性じゃないの、グレッグ」

「じゃあ魔術師のネッタさんに一席打ってもらおっか」

「あんた嫌そうな顔して話振ったのね!?」

「犬のやり方くらい、そろそろ覚えなさいよネッタ……」

「呆れないで、呆れないでえっちゃん!」

「はいはい、皺が気になったらいろいろ教えてあげるから、説明続ける」

「ああうん……簡単に言うけど〝魔術ルール〟って特性の最大の難点はね、その数が多岐に渡るってことなの」

「でも難点であって欠点じゃないんだろう? 千人の魔術師がいたとして、それぞれの特性が扱えるってのは、これ以上なく利点だろうけど」

「そうね、だから単純。――千人分の思考を持てる?」

「技術は持てるよ。でも言いたいことはわかる。僕ならそうだなあ、問題になるのは選択だって気がする。多くの術式、つまり手段を得てしまえば、どの状況に何を使うのが最適解なのか、その選択に時間を取られていては戦闘にならない」

「難点であり、問題であり、そして私に言わせれば最大の壁は〝時間〟そのものよ」

 へえと、煙草に火を点けてグレッグは続きを促す。

「グレッグは今、ほぼ研究と実践を同時に行っているでしょう?」

「――ああうん、そうだね。でもそんなの、誰にだってできるんじゃない?」

「グレッグ、魔術を甘く見ないの。あんたはあくまでも〝仕事〟ってフィルタを自分でつけて、魔術の汎用性そのものを制限してるわけ。ただ追い求めるってことが、どれほど深いのかを知らないの」

「今、僕が感じている以上ってことか……」

「そう。私は魔術師協会から離れてすぐ、鷺城鷺花に出逢った。年齢は芽衣と同じくらい? ――冗談じゃない。こう言うと程度が低く見られるけど、間違いなく鷺花は、その時点でもう、魔術師として限りなく〝完成〟していた」

「わかりやすいように言えばねグレッグ、数万の技術を研究して得たとして、それを実際に使って確かめなくては己のものにならないのに、同じ数だけの相手を殺すことができる?」

「あー……それは無理だ。そんな戦場だってありゃしない」

 そう、だから。

「だから、朝霧芽衣を数万回殺したのよ」

 言えば、二人は黙った。

「理解できないって顔。実際に見てた私も理解できなかったから、状況だけ言う。あの二人はね、ほぼ一年間ずっと、なんて真似をやってきた。毎日ってわけじゃない――最長は三十六時間くらい? もうちょいだったかしら……それなりに広い山を舞台にして、二人だけの戦闘をしてた。それが終われば反省会」

「えっちゃん、まず僕はこう訊くけど、殺し合いの程度は?」

「私闘は禁じられてたから、区切られた時間だけのものだったけれど……少なくとも、憎しみを抱くほどじゃあなかったわね。多少の怒りくらいはあったかもしれないけど、後に引きずることはなかった」

「えー、なんでそうなる……? 死にかけたこともあったんじゃない?」

「あったわよー。ただし、どちらもね。意識は残ってるけど、出血多量で死にそうになるどころか、内臓の配置まで変わってて、骨折してた時はさすがの私も、こりゃ死ぬだろって思ったもの」

「冗談じゃない……」

 ありえない。なんだそれ、というか死ぬだろう――。

「同じ土俵じゃなかった、そこを勘違いしないようにねグレッグ。一体どっちの方が優勢だった? ――その質問に私は答えられない。実際にどうだったのか、私は医者だったから現場に足を踏み入れなかった。二人の会話をそのまま言えばつまり、最初から鷺城鷺花は術式を使って経験にすることが目的であり――そこに挑み、戦闘経験を得るのが朝霧芽衣の目的だった」

「……ええ? 土俵っていうか、立場や乗ってる盤面が違ったってこと?」

「あるいは目的よ。鷺城は結局、魔術師としての生き方を目指した。朝霧は見ての通り――グレッグ、朝霧芽衣と二十時間の戦闘はできる?」

「無理だ、そんなのは笑い話。そもそも不眠不休だけでも辛いのに、それが戦闘なら休む暇すらないのと同じだ。戦場の方がマシだよ」

「そう、同時に二人は戦場経験も積んだのよ。二人きりだけれど、同じこと。実際に鷺城の馬鹿が、山一個台無しにしたもの」

「え、なにしたの」

「よく覚えてないけれど、確か山全体に連鎖式の罠を仕掛け……ううん、確かそんな気がするけれどね。罠が術式だったとしても、心理戦も含めて罠の仕掛けそのものは朝霧の方が得意だったから、山一つを対価に成果がなかったって、鷺城がぼやいてたっけ。次の戦闘訓練で、その土砂崩れみたいな山を綺麗にするくらい、派手なことやってたのは覚えてる」

「え、範囲は?」

「いや知らないわよ。確か、山頂までの移動距離がだいたい二キロくらい? それを崩して平らにしたんだけど――」

「グレッグ、あのね、少なくとも今の芽衣だって術式の支配領域ドメインは二キロくらいあるからね……?」

「マジかよ、さっすが魔術師、よくわかってる」

「当時を見てた私に言わせれば、まあどうであれ、楽しんでたわよ、あいつら」

 そこもよくわからない。殺し合いを楽しむ――結果、その先に殺害があるのならば、納得はしないが理解、というか想像はできるけれど、お互いに殺さないことが前提で――だったら遊びなのかと問えば否、それは殺し合いだと悦は言う。

「えっちゃんから見てその殺さない殺し合いって、どんなもんだった?」

「少なくとも私がいなければ死んでたか、後遺症で今の生活はできなかったでしょうね」

「うわあ……」

「なにグレッグ、その反応は」

「僕ならとっくに死んでそうって思った」

「馬鹿ね。あの頃の朝霧は――……ああうん、まあね」

「なんでそこ誤魔化すの!? いいよもう言ってよはっきり!」

「今のグレッグよりはよっぽど、腕があったと思っただけ。当時は私も未熟だったし、今も完成はしていないけれど、それを差し引いて見ても錬度不足。ただこればかりは、環境次第ってところもあるから」

「そのちょっとしたフォローがもうね、なんか落ち込むけどね……」

「なに言ってるの。あんた落ち込まない癖に」

「いやそんなにメンタル強い方でもないんだけどね?」

「はいはい」

「でもえっちゃん、ぎりぎりのところとは言え、死なないような配慮なんて、できるの? はっきり言って、殺すより難しいじゃない。私は戦闘しないからよくわからないけど」

「あー、そこらへんはあれよ、私が見てもどうかと思ったけど、相手への信頼度が高いっていうか」

「え、なにその信頼って。殺し合いにそんなの必要か?」

「あの馬鹿はね、この程度で相手が――そういう信頼をしてたのよ。信用はなかったし、期待はどうかしら、鷺城はしていたかもしれないけれど、少なくとも朝霧はしていなかったと思う。実際にあいつら、私が怪我の治療してる最中に、これ殺したかと思ったって笑いながら話してたし」

「なんでそうなっちゃうの……馬鹿じゃないあいつら」

「ネッタ、その言葉伝えておくから」

「えっちゃんやめて!」

「相手の手数、防御も含めて目安にしておいて、このくらいなら大丈夫と信頼した上で、それらを〝突破ブレイクスルー〟するからこそ、殺した――そう感覚的に思うことがある。実力伯仲どころか、それもうおかしいだろ……」

「でも、私は二人が殺さなかったのも、死ななかったのも、必然だと思ってるけれどね」

「じゃあ、どうして逢わないと決めたんだ? いがみ合ってるわけでもないだろうし」

「今逢っても、お互いに得るものがないんでしょ。これから同じことをする必要もなく、お互いに立場も違ってきた。昔話をするには若すぎるし――グレッグ、今の話をとして、見たいと思う?」

「――遠慮したいなあ、それは」

「今の朝霧は、自分のことだけじゃなく、あんたらのことも見なくちゃいけないのよ。だから、必要がない。あるいは、逢わないでいいと、決めた」

「それはどうしてなの? っていうか、逢うのに理由とかっている?」

「馬鹿ねネッタ――あの二人と同じ立場で会話ができるクソッタレが、どこにいるっていうの?」

 ああ、まったくその通り――巻き込まれたグレッグは、今も頭が痛い。

「ま、話は以上よ。ご苦労さま、ネッタ」

「ああうん、なんで呼ばれたのかさっぱりわかんないけど、あー……今日は仕事したくなぁい」

 なんだろう。

「あのさ、えっちゃん」

「なあにグレッグ、変な顔をして」

「そんな突飛な話をされてさ、――ああ、まあ中尉殿ならなあって、納得した僕って、ちょっとまずいかな?」

 その質問に対し、悦は空になったカップをグレッグに押し付け、机に向かった。

「さて、論文を片付けようかしら」

「返答がないのが地味に辛い……!」

 まるで白旗のように、白色のカップを両手で持ち上げ、グレッグは頭を膝にぶつけた。


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