第179話 全員揃って面倒な女だよ
朝霧芽衣は、それほど甘い人間ではない。
現場研修は一度だけ、そこそこの難易度の仕事を投げられて一ヶ月。情報の扱い方どころか、集め方に調べ方が、一通りはできるようになった――かもしれないと、自分では思うのだが、教官のティオに言わせれば話にならないらしい。
ティオはよく、実践を見せてくれた。
なんの
難易度は低いレベルだと笑うティオは、古株と言われるだけ、知り尽くしてもいる。
だが、習得を待つ時間など、許されるわけもなく、こうしてグレッグ・エレガットは仕事に駆り出されるわけだ。
今回は地味な仕事、人物輸送だ。
お前なんでそんなにスーツ似合うんだ? なんて、北上からは言われたが、東洋人が似合わないだけだろう、とも思う。
待ち合わせの場所に立ったグレッグは、ネクタイの位置を確認するような仕草と共に、できるだけ違和を周囲に感じさせないよう、威圧を周囲と同化させる。時計に目を向ければ十分前、つまりまだ時間はあった。
輸送を行えと、
人に紛れるなら公共交通機関、関わりを減らすならタクシー、場所によっては徒歩。
だとして――。
「あれ、中尉殿?」
「こっちだ、ついて来い」
どういうわけか、ラフな洋服を着た芽衣が顔を見せ、アイウェアを僅かにずらすような挨拶。すぐに後ろについて行けば、街中にある民家に足を向け、インターホンを押す。
「あの?」
「中に入れ」
どういうわけか、インターホンを押しただけでアンロック、室内に足を向ける。
「いいかグレッグ、人物輸送の場合は基本的に、自分の車を用意しておけ。だがそう言われても貴様、今から車の手配なんぞ、できんだろう?」
「はあ、そりゃまあそうですが中尉殿、車の
「そうとも」
リビングらしき場所に到着したかと思えば、テーブルの上にある鍵を撫でるようにして取った。
「だからこうして、事前に用意しておくのだ。面倒だから家と一緒にな――さて、向かうぞ。外のガレージだ」
「っと……」
投げられた鍵をキャッチ。なるほど運転はこっちの仕事らしい。
外に出てガレージに向かえば、荷物が乗らなさそうな小型車――スポーツタイプに近い車があり、とっとと乗り込んでから、一息。
「そういえば、ジープ以外の運転は久しぶりです」
「事故ったらこの先半年間、部隊の酒代はお前が賄え」
「うへえ、そりゃたまったもんじゃない」
エンジンに火を入れ、ギアを――はて。
「ちょい待って下さい」
「なんだ?」
「俺の仕事は人物輸送でしたね」
「うむ、その通りだ。いいぞ、仕事内容の再確認は現場に入る前、入った後、この二度をやるといい。それで?」
「犬の仕事は一人でやる」
「そうとも」
うん、なんとなく流れがわかってきて、朝霧芽衣という人物を知ったグレッグは、ハンドルに額をごつんとぶつけた。
「つまり僕が運ぶ予定……」
「私だ」
「なんでこんな真似を!?」
「コロンビア大学へ向かえ。さすがに登校初日くらいは、平穏に行きたいものだ」
「マジで僕が送迎すんの!? まさかこれからずっとってことはないですよね!」
「ははは、初日だけだ。それさえ済めば問題ない。――では?」
だったら、初日には問題がある?
「きちんと考えておけよ、グレッグ。あとこれは内緒だぞ」
「諒解であります……」
「お前には明かしておく、報酬だと思え。――貴様らの育て方に、私は疑問を覚えないようにしている。試行錯誤は常にしているが、それでも、私が口にしてやらせることは、私にとって最善であったと、そう認めなければ口にはせん」
「知ってますよ……試行錯誤はともかく、僕らはそもそも、中尉殿の命令を待つ犬です。それをこれ以上なく嬉しく思っているし、命令に間違いはない。けど、命じる側はどうなんだって、軍曹殿に一言、石を投げられたんですよ」
「ふむ。では私が大学に通って教育学を修めようとすることに対し、反対はないな?」
「僕を巻き込んだこと以外は……」
「細かいことを気にする野郎だな!」
いやこれ、細かいか……?
「安全運転でいいぞ、追っ手はない。あくまでも
「まあいいですけどね。とりあえず、僕はどうすれば?」
「そうだな……大学前に私を降ろしたら、最寄りの駐車場に車を停めて、喫茶店で私を待て。オープンテラスがあるはずだ、のんびり人間観察としゃれこみながら、私の送迎だと気付かれぬよう配慮しつつ、休んでいろ」
「あー……」
「なんだ?」
「思考時間に
「勤勉だな貴様……まあいい。足の確保に関してはティオに聞いてみろ、上手い答えがあるはずだ」
「ちなみに、この車は?」
「事故車を〝横領〟してやった」
そんな手段を使えること自体がおかしいとも思うが、まあ、朝霧芽衣なので仕方ないか。
「っていうかまさか、あの家も車のために?」
「いや、セーフハウスの一つだ。私のダミーサーバーも設置してある。いざという時はスイッチ一つで、――Bomb!」
「いつもの冗談では?」
「その道を左だぞ」
「……イエス、マァム」
この女は嘘を吐かない。冗談の場合は、必ずそれを肯定する。
コロンビア大学前で芽衣を降ろしたグレッグは、言われた通りに駐車場に車を置いて、喫茶店に足を向けた。
珈琲を頼む時、どうすればいいのか――そんなことを、世間話のように芽衣から聞いたことがある。
「豆なんてのは拳銃の種類ほどあるものだ。それをブレンドすれば数えるのも馬鹿馬鹿しい。だからまず、新しい店ならばブレンドを頼め。それが店の味でもある。それ以外ならば、ブラジル系がいいかもしれん。前線基地でクソ焙煎の泥水珈琲を思い出すには至らんが、苦みが主体だし貴様ら向きだ」
戦場を思い出せたらハッピーだな? なんて付け加えられれば、選択肢からは除外したくもなる。
それなりに珈琲の種類があったので、言われた通りブレンドを頼み、外のテーブル席に移動して待つ。ほどなくして珈琲を受け取って一口――ああと、そこで味には詳しくないんだなと改めて思うのと同時に、こんなことなら本の一冊でも買っておくんだったと気付いた。
手持無沙汰だ。
ぼんやりと通りを眺めながら、特徴の共通点を見出せば、なるほど学生とはこうなんだなと思う。金持ちで恵まれた連中が通う場所だ――なんて、かつては斜に構えていたけれど、今になってちゃんと見れば、必要な人が行くんだなと素直に思う。
でもまあ、美味しいんだろうと思って珈琲を傾ければ、物音。
まず、テーブルに珈琲が置かれた音であることに気付き、視線を向けた瞬間の空白で、対面に女性が腰を下ろして――。
「ここ」
視線が合う。まだ少女にも思える女性は、アイウェアを鼻の先へとずらすようにしてこちらを見て。
「いい?」
「――どうぞ」
ぞくりと、背筋に走った悪寒を誤魔化すようにして、グレッグは珈琲を傾けた。
やや長い黒髪を見るまでもなく、東洋人の風貌である。ロングスカートでもあり、露出を控えた服装だった。背丈はたぶん、芽衣と同じくらいだろうか。
同じ? ――ああ、そうだ。
「へえ、勘かしら。それとも?」
同一ではなくとも類似はある。今しがた見ていた〝学生〟のように。
「まあ、お互いに名乗る必要はないでしょ。あんたは何をしに?」
「――ん、ああ、知り合いがここに通うから、ボディガードってわけ」
「なるほどね。ちなみに私もここに通うのよ」
「それはおめでとう。でも残念ながら、僕には学生に見えないね」
「そっちはきちんと、軍人に見えるわよ」
「隠しきれてない?」
「本職は隠せているじゃない」
それ喜んでいいのかなあと、グレッグは煙草に火を点ける。手が震えていないだけ、まだぎりぎり、大丈夫そうだ。
いや、大丈夫に決まってる。
今はもう、朝霧芽衣中尉殿が目の前にいたって、緊張なんてしないのだから。
「ふうん?」
「――、なに?」
「どうして気付いたの?」
「……最近はさ、相手をよく見ることにしてる。そうすると小さなことが結構目についてね――バッグをかけ直す仕草、歩き方、つい目線を外側へ向けようとする動作。あるいは、見抜かれたみたいだけど、何かを隠す気配」
「隠すことは難しい。何故って、隠そうとする気配が出てしまうから。まあ、ぎこちなさとかは、あからさまだけれどね」
「そうそれ。――で、隠してるのに、隠そうとしてないって、よくわからん手合いを僕は二人知ってる。いや、あなたを加えれば三人かな」
あの敵地潜入のスペシャリストを探すには、まず同じことをしてみてから、逆転の発想を得るべきだ――少なくともグレッグと
「じゃ、前例があったってことね。まあ私に言わせれば、
「気にしないでってレベルじゃないんだけどな……?」
「
「ええ……? っていうか、なに、あの人、そんなに不機嫌になるの?」
「学校から出てきて、すぐにでもわかるわよ。止めはしないけど、私のことを訊ねると、不機嫌どころかイライラして、ついでとばかりに八つ当たりもするかも」
「あー、うん、まあ」
それは比較的慣れているというか、何というか……。
「悦やあの子はともかく、ほかの子に内緒なら、名前くらい教えてあげるわよ? ――鷺城っていうのよ、私」
「僕まだ返事してない……!」
このやり口、芽衣と同じだ。こう、逃げ場を提示しておきながらも、それをすぐ潰す感じがとても似ている。ただ絶望するほどではないのは、たぶん、彼女がまだ優しいからだ。
「っていうかそもそも、嫌ってるのか?」
「どうでしょうね……感情はともかく、私はね、まだあいつとは逢わないと、決めてるの」
決めている。
逢いたくないでも、逢えないでもなく、ただ、逢わないと。
「だから行動が重なったのは誤算。なのに、私から足を引くなんてクソッタレな真似はしないってわけ。なにあの女、馬鹿なの? さては賢くなるために大学通うのね?」
「僕に言わないでくれよ……いやまあ、なんとなく関係もわかったというか」
「なによ」
「つまり似た者どう――こわっ! ちょっ、マジで怖いからその気配やめて!」
「あんたが迂闊なことを言うからよ」
ところでと、殺意にも似た気配が足元から消えるのに安堵しながらも、グレッグは続く言葉を待った。
「――どうして今日は、あんたを連れてきたのでしょうね?」
「少なくともこれが一つの理由だってことは、なんとなくね」
「状況慣れしてるわねえ。まずは目の前のことと関連付けるって?」
「察しが悪いのは僕のせい。それが褒め言葉なら上官のお陰」
「教育が行き届いてるわね」
「鷺城さんは、どうしてここへ?」
「あら、まさか私が通うのが意外ってことはないでしょう?」
「え、意外だと思っていない方が問題だろう……?」
「だいたい二年くらい、あんたんとこのヒトマル、つまり〝
「うんもう諦めたからいいよどうでも……つーことは軍曹殿、兎仔さんは槍からの出向かあ」
「私が見てた中でも、兎仔はそこそこ良かったわよ? 飛び抜けてとは言わないけど、槍の中でもよくやってた」
「でも――ああいや」
「その通りよ」
そう、でも。
兎仔は朝霧芽衣に至らず、であれば、この鷺城鷺花にも届いていなかったはず。
そしてグレッグも届かない。
「二年――連中を育てていたのは事実。だから、私がやったことが間違っていただなんて、かつても今も、私が判断することは、ない。どれほどの試行錯誤を重ねても、それが〝正解〟じゃないとわかっていても、断じて、そんな素振りは見せられな――なにその顔は」
「え、ああうん、言ってもいい?」
「あんのクソ女……! やっぱり似たような思考か、クソッタレ!」
「違うのは、鷺城さんは進行形じゃないってとこ?」
「〝結果〟は違うわよ、そもそもの思考が違うから。でも、行動が似る。ああもう本当に嫌んなる」
「嫌になるのは僕の方だよ……なんだってまた、こんな化け物じみた人と、お茶しなくちゃならないんだ。怖くてたまらないね」
「あらそ? でもまあ、私はあの子に勝ったことはないし、あの子はどうかしら。まあ同じ土俵でやり取りしたことは、なかったからね……」
「そういう思わせぶりなところが怖いんだって! いいよもう、帰ってえっちゃんに訊くから」
「なあにあんた、あんな面倒な子がタイプなの?」
「あんたらよりマシだけどね!?」
「どうかしら……人体を切り刻む時の嬉しそうな顔見たことある? ひっどい顔してるわよ?」
「ああうん、普段は見せないのにね、そういう感情とか。でもそれ以外の時に見せる顔とかのが可愛いよ?」
「惚れたら負けと同じ」
「よくわかってるよ。どうにかして振り向かせたいんだけどね、今はまだ、仕事が優先――なんてったって、未熟だから」
「維持の訓練はした?」
「暇があれば。今は〝
「向かう先を間違えてはいないようね」
〝
「あんた、名前は?」
「どしたの、気変わりでも?」
「間抜けな質問をしないし、返答も下手じゃない」
「上から目線どーも。グレッグ・エレガット」
「そう。――じゃ、また逢いましょうグレッグ。今度はもうちょっと、落ち着いた場所でね」
「その落ち着きを荒らすのが鷺城さんの流儀?」
「皮肉も一丁前」
じゃあねと、小さく笑って鷺花は席を立ち、そのまま学生に紛れるよう姿を消した。
吐息を一つ。緊張していた躰をほぐすようにして肩を回し、二杯目を頼みに一度中に入る。――まったく、面倒な相手と知り合いになったものだ。
人との出会いは大切にしろと言われているが、相手によりけりだなと強く思った。
二杯目を飲み終えた頃、大通りを渡ってきた朝霧芽衣は、鷺城鷺花が座っていた席に腰を下ろして一言。
「ブレンド」
「へーい」
さすがに三杯目は便所が近くなりそうだと思って、芽衣のぶんだけを受け取って戻れば、テーブルに頬杖をついて、人の流れを見ていた。
「どうぞ」
「うむ」
何を見ているのだろうか。
人を探しているのでもなく、観察でもなく、やはり、流れを見ているようだ。そこに理由があるのか、それともないのかもわからない。
「どうでした、学校は」
「教授には挨拶をしてきたが、まあ、良いところだな。本人はクソ野郎だが」
「あー、なんか妙に機嫌が悪いところ、恐縮なんですが」
「なんだグレッグ。貴様のナンパが成功して、これからデートか?」
「えっちゃんに成功する方法があったら教えて下さい。きっとあなたの機嫌は僕の知らないところに行っているんでしょうけど、どういうわけか、その不機嫌の居所が、今しがたあなたの座っている椅子にいて、僕と話をしていたんですよ」
「グレッグ」
片手を出されたので煙草を置けば、火を点けた芽衣は静かに煙を吐き出す。
「帰巣後、お前に振られる仕事はきっと、巣から這い出たアリがどの経路で移動したのかを巣に戻るまでの記録を取り、最低でも二十匹は観察するまで終わらないだろう」
「理不尽過ぎる……!」
「冗談だ。だがなグレッグ、あの女の話は私の耳に届かないところで、こっそりと悦でもしていろ。いいか、私はあのクソ女に逢わないと決めている――なんだ、その顔は」
「え、ああ、言ってもいいですか?」
「まったく気に入らんな、あのクソ女は……!」
なんだろうこれ。
さては、これが噂の、同族嫌悪ってやつじゃないのか……?
「一ついいですか」
「なんだ言ってみろ」
「女って……面倒ですね?」
朝霧芽衣はその言葉に、ふむと頷いて、返事をしなかった。
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