第176話 成長とは自己申告でいい……のか?
軍医は出世が早い。
理由そのものはいろいろとあるが、一番わかりやすいのは必要だから、だろう。部隊に一人を配属するほどの数はなく、軍医にも腕の良し悪しはあれど、いなくては困る。そして、後方支援に限らず前線に出る軍医だとているのが世の中だ。
しかし、
仕事でも、疑問や文句はもちろんあるわけで。
配属された宿舎の裏口に停められたタクシーから領収書を貰い、やや大きめのバッグを肩に提げて通路を歩けば、表に出る。運動場は広く、しかし、陸上競技をするにしては、あまりにもでこぼこが目立つが、人影はなかった。
静かなところだと思う。軍部の宿舎なんてのは、どこもかしこも騒がしい場所ばかりだったので、休める部屋もないと医務室に引きこもっていたのを思い出せば、ここは環境がだいぶ違うらしい。
結局、ベルの予想は当たった。
あれから一年後に、ジニーの訃報がニュースで流れた。それから追加一年は、おそらく芽衣が訓練学校にいた時間だろう。今回、仕事として呼ばれたことには多少の感謝もしたいところだが――どうだろうか。
ガラス戸を押して玄関口に入れば、正面にあるカウンターに座った女性が、手元の端末から顔を上げた。
「――あら」
お互いに見た顔である――。
白衣の裾を揺らしながら、女性平均としては、年齢的に見てもやや小柄に部類される悦は、鞄の大きさに振り回されるよう近づき、声をかける前に、吐息が一つ。
「はあ……魔術師協会の窓口を辞めたと思ったら、今度はこんなところの窓口?」
「受付嬢って言ってよ、えっちゃん。ほら、お嬢さんって感じでしょ?」
「どこが?」
「真顔で言わないで……」
泣きたくなるからと、ネッタ・ラックエットは額に軽く手を当てた。
「まあいいわ。辞令を鞄から出すのが面倒だけれど、話は通っているの?」
「ああうん、えっちゃんが来るのは知ってたし、諒承も得てる」
年齢的に十と少しは違うのだろう。逆に言えば、魔術師としてそれだけの歳月を費やしているネッタに言わせれば、吹雪悦という魔術師は、まだまだ未熟だ。けれど、術式を含めた医師として見た時、評価のできない領域でもあるけれど、ネッタは認めている。
この若さで、親の威光というわけではなく――そもそも親は席を持っていない――医学会の椅子を持っているのだから、認める以前に、負けているようなものか。
「でも」
だからこそ、疑問があって。
「なんでこんなとこに、えっちゃんが呼ばれたの?」
「え、なあに、私には学会でクソ野郎の相手でもしてろってこと?」
「そうじゃなくって、軍部との繋がりなんてなかったでしょ? 呼ばれても、お偉いさんのところか、軍医研修の教官だと思うし」
「うん、そうね。実際それで呼び出されたこともあるし――大学の講義も経験はあるけれど」
あくまでも、年齢ではなく実力主義であればこその呼び出しだけれど、それもまた、仕事だ。
「――朝霧に呼び出されたのよ」
「……へ? 芽衣が手配したの?」
「そう、その通りあのクソ女、いいように使ってくれるよねまったく。嫌で嫌で仕方ないって顔に書いておいたのに」
「ツンデレ可愛い」
「あ?」
「なんでもありませーん。芽衣はなんかやってるし、医務室に案内するよ。――よいしょー」
「あんた、歳食ったわねえ」
「え、なに、なんでよ」
「掛け声をつけて立ち上がるのを、意識してないってどうなの。三十代だっけか?」
「うっさいわ! まだ二十代前半ぎりぎりよ!」
「私があんたの年齢になった時、仮にこんなことになってたら笑ってくれていいからね? 医者の不養生とは言うが、養生できないほど忙しくもなし、この仕事を楽しくやってる私の老化は遅いわよ?」
「精神年齢の話?」
「書類にそれが通れば、それでいい。見たら笑って、訂正してやるから私に回しなさい。ちゃんとした肉体年齢を書いてあげるわ」
「上乗せして?」
「尻ばっか丸くなってデカいなあ、ネッタ」
「下半身太いの気にしてるから言わないで」
「男受けはいいでしょ?」
「そんな男はこっちからお断り!」
まったくもうと、カウンターから出て来ても、頭一つは違わない背丈だ。小さい方だが、そんなにちっちゃくないだろうと、悦は一人で納得する。残念ながら発育部分、尻のデカさでは敵わないが。
「なあに?」
「元気そうだなと思っただけよ」
「ちょっと! お尻を叩かないで!」
「ただの挨拶、気にしないの。ほぉら、案内」
「こっち。二階は朝霧中尉殿の部屋と、客間、あとはアキラ大佐殿が使っている部屋も一応残ってて、一階が宿舎。正面入って左側に六部屋、一番奥には食堂ね。えっちゃんはこっち、右側の外側――運動場に面して部屋が、医務室。三部屋抜いてるから結構広いよ。で、反対側の部屋が、いわゆる寝所ね。一番奥は情報屋のおっさん――ああ、今は臨時教官扱いかな。必要なものがあれば私に言って。可能な限り手配するから」
「荷物持てよ……」
「……私の話、聞いてる?」
「え? ああうん、ちゃんと聞いてるわよもちろん。美容関係の情報はいらないって」
「言ってない、それ欲しいちょうだい」
「時間があるときに顔を見せなさい。私が暇で気分が乗ったら説明してあげるから」
中に入れば、ベッドが四つに加えて医療機器が揃っている。バッグを適当な位置に置いた悦はすぐに戸棚の中に目を通し、アルコール消毒の用意を始めた。
「こんだけ揃ってるのに、ここじゃ使える人もいないでしょ」
「うんいない。今のところは擦過傷くらいだし、問題なかったんだけど」
「ふうん」
「それでえっちゃん、芽衣とは?」
「ああ、昔の知り合いよ。アレが話してないなら、私から説明できることは――」
「
開けっ放しの扉、ネッタの背後からぬっと姿を現したのが、噂の当人であり、そして。
「急患だ! ――おお、いるではないか悦! これは私がやらねばならんのかと、少し楽しみだったんだがな!」
肩に担いでいるグレッグ・エレガットを、ひょいと診療台の上へ落とした。その痛みにグレッグは身をよじる。
「ははは、吸収が早い若い連中は面白いな。ついつい、どこまでやるのか試したくなる。なあに致命傷は避けているから安心しろ――出血多量で死ぬかもしれんが」
「え、ちょっ」
「慌てなくてもいいわよ、ネッタ。私の楽しみの時間だから、回れ右して受付に戻りなさい。それとも、痛みで悲鳴を上げる男を見てると性的に興奮する?」
「しないわよ!? しないからね!」
むきになって否定すると、肯定にも聞こえるが、全部無視して準備をすぐに行うと、悦は嬉しそうに笑みを浮かべながら服を脱がしにかかる。
「銃創なし」
「うむ、ナイフだけだとも」
術式で躰全体を
充血した瞳、荒い呼吸。
「――麻酔、は、いらない」
掠れたような途切れ途切れの声に、ふうんと頷いて手を剥し、太ももの刺し傷を指先で強引に拭った。
「――っ!」
痛みによって跳ねようとする躰を強引に制止させたグレッグは、今にも歯が欠けるのではないかというほど噛みしめ、決して悲鳴が出ないように堪えた。歯の隙間から風が通り抜けるような呼吸音が響き、詰まらなそうに悦は唇を尖らす。
「一丁前ねえ……気絶されても面倒なんだけど」
「なあに、意地でも気絶などせんとも」
「そんな鍛え方もするの?」
ばしゃりと、消毒液を傷口にかければ、痛みと共に内部へと侵食を始めるが、グレッグは目を閉じた苦悶の表情を作るものの、やはり、声を出そうとせず、ひたすらに耐えた。
「――ま、いいか。ほらあんた、これでも噛んでな」
タオルを口の中に押し込み、治療開始。筋肉の隙間を通すような傷であるし、酷い箇所でも縫合すれば済む。故に処置も早い。
早いといっても、二十分はかかった。時間感覚などグレッグには感じる暇もなかったが、長かったことは確かだ。ただし、悦が術式を使ったことまでは感知できなかっただろう。
「よおし、こんなもんか。いいかあんた、次からはもっと酷い怪我で頼むわよ。いい? 片腕を斬りおとされたら、ちゃんと落ちた腕を拾って来るんだ。その方が私はよっぽど楽しいの」
医者が言って良い台詞なのかどうかはさておき、口に詰めたタオルを抜いた代わりに錠剤を三つ放り込み、顎を下から支えるようにして口を閉じさせ、悦は頭をごつんと殴った。
「犬と同じか」
「あら、朝霧の部隊名は何だったかしら?」
「……ふむ」
強引に飲み込ませれば、すぐに躰の力を抜いて呼吸が落ち着きだす――眠ったのだ。
「薬の抗体ができてないの? 睡眠導入剤なんか、一般的に使用されるんだし、抵抗つけた方がいいと思うのは私の考えが的外れかしら」
「それも含め、貴様を呼んだのだ」
「仕事ばっかりね」
「珈琲でいいか?」
「ええそうね」
てきぱきと医療器具の片付けに入り、使い勝手の良いよう配置していく。その間に一度退室した芽衣が珈琲を手にして戻っていみれば、キャスターつきの椅子に座った悦は、テーブルで書類を記していた。
「持ってきたぞ。私をパシリとは貴様、良い身分だな?」
「私は医者よ、ありがとう。施術後は基本的にカルテを作っておかないと、経費の請求も面倒になるのよ」
「いっぱしの医者だな」
「あらそう見えない? 目の治療もできるから言ってちょうだい。――あら美味しいじゃない。食堂でここまでのものを出すんじゃ採算が合わないでしょうに」
「ちょうどシシリッテがいてな、あいつの珈琲は悪くない。呼び出しておいてなんだが、本当に来たのだな悦、半信半疑だったのが実情だ」
「呼び出しておいて、なんて言いぐさなのよあんたは。……最後の後押しは、かつてあんたと逢った一年で、随分と腕が上達したことよ。恩があったとか勘違いしないで」
「なんだ私に逢いたかったのならば、そう言えば良いだろう?」
「脳外の腕は未熟だから試してもいいわよ?」
「む……医者を相手には、なかなか上手くいかんな。特に〝専門〟を持たんと弱味もできん」
「弱味を衝くような真似をしないの」
書き上げてしまってから、吐息を落として立ち上がる。珈琲を手にしたまま、横になったグレッグの横を通る際、太ももの付近を撫でる。
――そこに、古傷があるのだ。
「麻酔を嫌ったのはこれのせいね」
「私は初めて見るが、どうだ。動きに支障はないようだが?」
「傷跡を残す程度には甘いけれど、それ以外の施術に関しては文句なし。五年くらいは経過してる……神経系もやられただろうから、感覚がなくなることの恐怖が刷り込まれているんでしょうよ。腕の良い医者がいなければ、片足を失っていたわけだから」
「うめき声一つ、出さないようにしていたグレッグへの評価は?」
「……、根性はあるわね」
「…………ふごっ、……」
小さく微笑んで、寝ているグレッグの鼻をしばらく抓んでおいた。
「そういう顔を普段から見せれば良いのになあ」
「――あ? 私の仏頂面に文句あんのか?」
「うむ、可愛くない」
「あんたに可愛がられるつもりはないっての」
傍に寄った悦は、腹部と尻をそれぞれ軽く叩く。それを芽衣は嫌がらない。
「……成長したわねえ」
「待て待て、私はネッタほど尻がでかく成長しておらんぞ。――ネッタほど尻はでかくないとも!」
足でひっかけるよう、出入り口を僅かに開けて、改めて声を上げつつ、すぐに閉める。完全に嫌味だ。
「あれから数年だ、お互いに成長してとうぜ……お互いに?」
「うっさい、成長してるでしょうが」
「いや率直に言うと傷つくだろうから遠回しに言うが貴様、背丈は伸びたが他は変わってないなさては……」
「うるせえぞ、ちょっとは成長してんだよこれでも」
「見てわからんものを成長と呼んでいいものか……?」
「いいんだよ自己申告で」
「ふむ」
「――い、や、だ」
「まだ何も言ってないぞ悦」
「どうせ、このちっこいの、とっつかまえて撫でまわして確認してやろう、とか思ったんだろーが」
「口が悪くなった上に貴様、心を読んだな!?」
「ばーか! 日本人は身持ちが固いんだよ!」
「こら尻を叩くな、これ以上小さくなっても困る」
じゃれ合いながらも、お互いに子供ではないと、そんな奇妙な感覚があった。年齢的にはそうでもないが、かつては本当にガキ同士で、芽衣は殺さない殺し合いを鷺花とやっており、悦はその怪我の治療を一年ほどやっていた。
そして今はもう、お互いに立場が違う。それはつまり、立場を得ている、ということだ。
「そっちは部隊を預かる中尉かあ……」
「なんだその心底意外そうな顔は」
「あんたはそういうの、向いてないかと勝手に思ってたから」
「私だとて、教えることに関しては試行錯誤の連続だとも。
「そして、マニュアル化した育成方法じゃあ、程度の差が出る――でしょう。何だって同じことよ。……なあに、その心底意外そうな顔は」
「貴様はそういうの、面倒だからと毛嫌いしていると思っていたのでな」
「その通り」
「詰まらん反応だな……」
「それはかつてと同じよ。昔の知り合いくらいの情報は開示してるけれど?」
「それでいい。私とお前は、以上も以下もないのだから」
「アレは?」
「いや、あれ以降は顔を合わせていない。――必要もないだろう」
「そう。なら口出しはしないわ。ともかく、私はここで治療をすればいいのでしょうし」
「そうだとも。おそらく、これから一ヶ月は患者も増えるだろうが、あまり口うるさくするなよ? こいつらにとって、それが成長になる。――ああ、それと
「まだ全員の顔を覚えてもいないわよ?」
「なあに、そんなものは時間が解決するとも。文句があるなら書類にして大佐に送るか、私が宿舎にいる時にでも捕まえろ」
「はいはい。あんたには、頭の治療をお勧めしておくわ」
「――ふむ。なるほど、だとすれば私には、貴様の治療など必要ないと、そういうことだ」
まったくその通り。
かつて嫌というほど治療を繰り返した朝霧芽衣も、今は立派な――そう、一人前だ。見ての通り、知っての通り。
何故って、ここにいる吹雪悦だとて、一人前なのだから。
「まあ、私の個人情報だけならば、それほど隠さずとも良い。お前が話したくないと思うことは、おそらく私も同様だろう。まだほとんど、何も教えてはいないが、私に逆らえないくらいには、恐怖心もあるだろう……」
「あんたはどうなのよ」
「ん? どういう意味だ?」
「そのままの意味だけど?」
「そうだな」
頷き、手にした珈琲を一口飲めば、消毒液の匂いが僅かに薄まる。
「どうやら私は、何かをしようと新しく始めることは苦手らしい。結局、状況に流されて、こうして部隊を任されて、好き勝手やりはするが――それは結果、部隊を任されたからだ」
「欲望がないってこと?」
「ああ、その見解は的確だ。もちろん、いくつかの目的は存在するが、それは今すぐ解決すべきことではない。むしろ経験を積んだ先にあるものだ」
「――再戦、でしょ」
「それも、一つだな。いずれにせよ、私は
「どうかしら」
悦もまた、珈琲を飲んで。
「本当に確かめたいのは、教えがどうかじゃなく、その先にあったはずの本人でしょ?」
「……、……ああ、言われてみれば、そうかもしれん」
噂話など、山のようにあって、実際の記録も伝説のように語り継がれて。
それを知ったのは後のことで、知らないまま〝本人〟から師事を受けていた芽衣は、今もまだ、ジニーの存在を己の中に追い求めている。
現場に出て何かをしている姿を、芽衣は一度も見ていない。だからあとは、情報での補足と、たぶんこうだろうという予測。
「だが――いつだって、私よりは上手くやるんだろうと、そう思ってしまう」
「神聖化してると言いたいところだけど、きっと事実なんでしょうね」
「焦っても仕方がないと思って、呑気にやっているつもりだがな」
だって、そうだろう。
「どうしたって、私は私で、師匠とは違う」
「そうね。それがわかっていれば充分――ここでの仕事も、ちゃんとやるわ」
「ははは、そうしてくれ。もっとも、私の負傷を診るようなことは、ないだろうがな」
「それは残念。私、まだ屍体を蘇らせたことはないから」
「言ってろ」
そんなことは、まずない。可能性があるのならば、芽衣はとっとと逃げるだろうし、そんな状況に陥らないことを優先する。
何故って――ここに、三人目である鷺城鷺花はいないからだ。
かつてとは、違って。
ああけれど、これは当たりだ。鷺城鷺花の懸念が当たっている。
死者の背中を追っても、抜けない。それがわかっていても足を前に進めるならば、それは――心底で死を望むのと、何も変わらないのだ。
「お前はどうしていたんだ?」
「日本にある四国ギガフロートに、街というか国ができたの、知ってる?」
「うむ」
「そっちに馴染みの医者がいたから、その手助けをする感じで、あんたたちといた一年の消化と技術向上を兼ねての、経験積みね。いい加減に逃げようと思ってたところで呼ばれれば、いつの間にか嫌な相手がいなくなってて、たぶんこの仕事が終わればまた戻るわ」
「……」
「なに?」
「ああいや、真面目だなと思ってな。上手くやっているようならば何より。とりあえず薬物の耐性だけは準備をしておいてくれ」
「はいはい。――あんたも、一度チェック入れるから、時間を作りなさい」
「そうしよう。何かあったら言え」
「遠慮をする間柄じゃないでしょう?」
それもそうだと、芽衣は笑う。
あれから二年か。
笑った顔も、少し変わったような気がした。
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