第175話 卑怯、しかし畢竟、それが秘訣

 三回目以降、殺したくなるから気を付けろ――。

 そう忠告したのはにわたずみ兎仔とこ軍曹であるが、正直に言ってグレッグ・エレガットも北上きたかみ響生ひびきも、四回目に突入する際には、殺そうなどと考えるまでには至らず、ただただ困惑していた。

 困惑と、そして苛立ちだった。何をしても届かない、やろうとしたことが空回りする――ああ。


 ――


 そう感じていることは対峙している安堂あんどう暮葉くれはも感じ取ることができる。しかし訂正すべきだ、そもそも戦闘にはしたくないのが、暮葉なのだから。

 まともに殴り合えば、北上に負ける。手数ではグレッグに至らない。

「クソッタレ」

 吐き捨てる北上を見ながら、暮葉は刃を潰したナイフを手の内でもてあそぶ。刺したり切ったりするための装備ではない、あくまでも終了とする合図のための得物だ。今のところ、ただの一度ですら使われてはいないが、少なくとも二人は四回目という区切りをつけている。

 二対一は乗り気じゃない――そんな雰囲気は、一度目で消失した。二人は無手のまま、僅かに距離を取るように動く。

 昨日の今日だ、忘れぬ内に一度やっておこうという気持ちがあったのは確かで、じゃあどうして当日じゃなかったのかと云えば、グレッグの仕事が残っていたからである。書き直しに半日も使うとは何事だとは思うが、あの字の汚さを思い浮かべれば、渋面で頷いて納得することだろう。

 それはともかくとして――さあて、四回戦目が始まった。

 初手、三人を全員囲うようにして威圧が発生した。厳密には空圧――それはグレッグの魔術特性センスである〝プレス〟の初動だ。重圧をかけて地面に倒すことも、吹き飛ばすことも可能なその領域は、間違いなく圧をかけているはずなのに、自然体になった暮葉は身動きをしない。

「チッ――」

 舌打ちと共に踏み込み、それに対して暮葉が合わせれば、その暮葉の背後から挟撃するよう、北上が先手を打つよう殴りかかってきたので、それを察知して横に移動した。

 ――本来、この程度の動きで同士討ちなど狙えない。

 だが、北上が充分に速度に乗った攻撃であること。その上、いつの間にか土でできたツタのようなものがグレッグの両足の膝から下をがっしり掴んでいたことを除けば、だ。

「う、お――」

 拳の行く先を強引に変えて、肩からぶつかる! ――さて、その思考はどちらのものか。

 ぶつかる直前に足の拘束が消えるのと同時、真横から暮葉に蹴り飛ばされたグレッグが地面に転がされれば、体勢を完全に崩した北上の足が払われ、うつ伏せに倒れて受け身を取ろうとする間際、その背中を暮葉は踏みつけた。

「ぐっ、……!」

 気付いただろうか、踏んだ足から脚力とは違う〝圧〟が発生したのを。

 

 ――安堂暮葉は他人の術式を盗む。


 とはいっても、厳密には盗んでいるわけではない。魔術特性センスは〝蓄積ヘキサ〟と呼ばれるもので、元来は宝石などの魔術品に魔力を蓄積することを主体とする。これは魔術師ならば誰でもできることだろう。

 だが、上手くやれば他人の術式そのものを蓄積することもできる――。

 制約ばかりのがんじがらめ。使いどころを一つ間違えれば致命傷、手の内を明かせば欠陥だらけ。今使った圧だとて、グレッグのものと比較すれば、スズメの涙にも等しいほど。使われ方も限定的、威力も弱く、そもそも比較するのも烏滸がましいほど、本家からは劣化しまくりの、模造でしかない。

 ――故に、暮葉は使い方を選択する。

 上手く、使おうとする。

 真正面からぶつかっても、絶対とも呼べるべき条件で、敵わないと、誰よりも本人が自覚しているからだ。

 魔術師としての安堂暮葉は、弱小だろう。特性も平凡で、突出するものもなければ、全体的にまんべんなく扱えるわけもない。見よう見真似の文字式ルーンを足で描きながら、誰かが使った術式を、さもに見せて扱う。

 だがそれも、真に迫れば〝奪取ロバート〟の特性になるだろうと、そう言ったのは朝霧芽衣だ。今はまだ、そこまで届かない。

 暮葉は積み重ねる。蓄積させる。何故ならば、それを使うからだ。

 乗せていた足を上げれば、すぐに転がった北上が立ち上がる。そうだ、いつまでも伏せているわけにはいかない――軍での訓練がそれを教えてくれた。

 けれどああ、勘違いしてはいけない。暮葉だとて背中を汗で濡らすほど、消耗はしているのだ。何しろ彼らは躰を動かし、こっちは心理戦を含めて行動を起こしている。平然と遊びながら対応できるのは、軍曹殿くらいなものだ。

 事実――この時点で既に、暮葉は兎仔とこと軽い手合わせを行っていた。結果はさんざん、思い出したくもないほど負けを痛感し、何も通じない絶望感さえ味わった。

 だから。

 ここで足を止めていられない。

 軍属期間がもう三ヶ月を切っていたとしても――だ。

「ふう……」

 一つ、呼吸を落としたタイミングで、今度は真正面から、けれど速度重視で北上が接敵してきた。

 五回目の始まりである。

 宿舎の前にある運動場でやり合い、ここまでずっと、先ほどの四回目のよう、ほとんどを回避行動に専念し、大きく逃げるような行動を含みつつ、攻撃と呼ばれるような真似はしなかった暮葉は。

 やはり今回も、やや距離を取るように二歩ほど下がり。

「――ぬおっ!?」

 三歩目の接敵で、足元が爆発した北上が吹っ飛ばされ、その方向にいたグレッグがどうにか抱き留めるが、そんな二人の間の空気が破裂するような音を立て、二人は違う方向へと飛び――着地。

 北上は両足と右腕を使って、グレッグは両手を地面に一度つけて姿勢を戻そうとしたため、その〝アクション〟を感知して布陣しておいたporn文字式ルーンは、地面についた瞬間に発動して絡みつき、地面に縫いとめた。

「いってぇ!」

 両手が離れず、べたんと地面に落ちたグレッグが声を上げたが、無視。そりゃ当然だ。

「てめっ、おいトゥエルブ! 爆発物使ってんじゃねえよ!」

「グレッグ、そいつは勘違いだ。ちょっと光と威力があるヤツだな。実際、擦過傷くらいなもんだろ……」

 いや、そもそも。

「つーか、多少変えてるとはいえ、お前ら、何回同じパターンにはまれば気が済むんだ……?」

「うるせえ!」

 叫び声と共に、威圧を強くしたグレッグ――はしかし、感圧式の地雷を発動させ、両足を上空へ向けたかと思うと、今度は背中から地面に落ちた。威力調整はきちんとしてある。

「――ぐえっ!」

 逃げたり、場所を変えたり、移動をしていたのは罠を配置するためだ。二人はそれに気付いていなかったし、気付かせるつもりもなかった。

 ――そうでなくては、まともに戦えないのを、暮葉は知っていたから。

「北上、本当にには、何もないと思うか?」

 拘束を解き、ゆっくりと立ち上がりながらも周囲に罠の気配がないかどうか確認していた北上は、その言葉でぴたりと動きを止める。

「――耳を傾けるなよ、馬鹿」

 先ほど吹き飛ばした、空気の破裂音が頭上でして、北上は勢いよく顔を地面へと向け、両手を先に地面に当てたことで、まだ同じ茨の拘束を両手に受ける。同じ罠を同一ヶ所に、二重に張るのも、罠としては常道であろう。もう解除したと安心することが、既に罠になっているわけだ。

「クソッ」

 ちなみに、空気の破裂は以前に配置したものではなく、今しがた術式で発生させたものだが――その差に気付かなければ、もう囲って準備していたとしか思えないはず。

 この時点で、暮葉だけが、その性格や経験上、対人戦闘は心の削り合いであることを知っていたのである。疑心暗鬼に陥らせる戦い方へと、自然に順応した結果だけ、なのかもしれない。

「――なんだ、さっそく遊んでいるのか」

「中尉殿」

 背後からの声に振り向けば、思いのほか近くに朝霧芽衣がいた。こちらは戦闘中だというのに、気付かなかったのは失態だ。

「夜に仕事を片付けて今戻ったところだ」

「お疲れ様であります」

「うむ」

 横を通り過ぎた芽衣は、すたすたと主戦場を歩き、一直線に近づいて行く――。

「……」

 待てと、そう思った直後には左手で懐から煙草を取り出し、暮葉は火を点けていた。その一歩、一歩を睨むようにして見る。

 ――散歩だ。

 しかも、暮葉が配置した〝罠〟を素通りするどころか、触れたところを片っ端から。暮葉の罠を、芽衣の罠へと変換しているのだ。

 ――どうすれば?

 罠の欠点は、扱う暮葉だからこそ、よくよく理解している。それを逆手に取る方法もまたあるが、それは次善策に過ぎない。

 罠とは、そこに罠があると発見された時点で、著しく効果が下げられる。つまり最上のものとしては、罠があると見抜けず、落ちること――だが、それにだってやはり限界はあるものだ。だから、見つけられることを前提とした罠も、配置するのが現実である。

 ――可能か?

 発見されないこと、されにくいことを大前提として、適時変更可能な、いわば――本質的な部分が可変である罠を、作ることが?

 同じ場所、二重の罠ではなく、単一でありながらも姿を変える?

「……」

 今すぐには無理だと、試そうとしていた術式の構築を消す。だが発想は得た、物にする――と、決意を新たに顔を上げれば、芽衣が立ち止まり。

「ははは、なんとまあ無様なものだな! ここで優しい私が助言をやろう。まず貴様らの意識がいかん。貴様らは戦闘をしようと乗り込んできて、相手が戦場を作ったのに、まだこれが戦闘だと勘違いしている間抜けだ」

 潦兎仔は十回と言った。なるほど、確かにその通りだろう――そして、暮葉は、その十回目が〝辛勝〟になることを想定している。故に、十一回目からは、途端に勝率が落ちるはず。

 今のままならば、間違いなく、追い抜かれる。

 そしてああ、残念ながらこの朝霧芽衣という女が、回数はどんどんと減って行くのだ。

 ――だが。

「まずグレッグ、貴様の術式ならば広範囲探査が可能だろう? 故に、特に足場を注視して展開してみろ」

「はい、中尉殿。…………――ぬおっ!?」

 足元が爆発して吹き飛ばされた。感圧式のことを忘れていたのか、この馬鹿は。

「ははは! おい見たか安堂! こいつはお笑いだ!」

「ええ、まあ」

 だが、あれは暮葉が仕掛けていたものを、芽衣が〝移動〟させて配置したものだ。まったく――これは一体、どういうことだ。

「それ」

「ぬごっ、――なにぃ!?」

 自然な動きで蹴られたので、思わず北上が回避するか否か迷った硬直で当たり、軽く一歩を横に動いただけで、腰元まで地面に埋まった。

 穴に落ちたのではない、――埋まったのだ。これは暮葉が作っておいた罠である。

「安堂もまったく厭らしい手を使うのだな。初見では――……ふむ」

 頷きが一つ。立ち上がろうとしているグレッグを視界に入れつつも、芽衣は言う。

「ところで、初見殺しという言葉がある。まあ聞け、これには私も苦労した覚えがあってな……これからは、軍の管轄以外の仕事も請け負うことになるだろう。特に傭兵と事を構える際に、こればかりは注意しておかねばならん。安堂、傭兵の情報は頭に入れているか?」

「全ては、まだ。こと傭兵に関しては、その勢力が小さければ小さいほど、名の通りが甘ければ甘いほどに、危険度が増す存在です。どちらかといえば、聞こえの良い傭兵などは覚えていますが……」

「うむ、その認識は正しい。――グレッグ、北上、そのまま聞け。いいか? 死を覚悟した者は強い。……と、言えばおそらく勘違いするだろう。命を投げ打ってでも、どうにかしようとする者。あるいは誰かのためにと、そういう意味合いではない。最初から死ぬつもりでの特攻に近いが――否だ、その手合いは使い捨てで死ぬことが決定されている」

「――使い捨てですか?」

「薬漬けで身体強化し、使い切りとして末端組織に売られる〝商品〟とは、わけが違う。いや、違うのはその強化具合か。――活動限界時間、およそ十五分。一歩目でそいつは命を対価に、人生を十五分で終わらせる化け物に成り代わる。つまり規定された人間の尺度からは逸脱するわけだ。故に初見殺し、気付かなければ――知らなければ、一手目、つまりその一歩目でこちらが死ぬ。もっとも、あちらにとっては、こちらを殺してもあとは死ぬだけだがな」

 つまり、最初から器に無理がある強化をかけ続ける。故に十五分の使い切り、そのままぽいと捨てられる。結果がどうであれ、スタートを切った時点で

「まるで生きる屍体リビングデッドですね」

「うむ、であるからこそLDルディなどという通称がついた。気を付けろ、知られていないのはそもそも、対峙しての生存者がいないからだ――お互いに、死ぬからな。覚えておけ」

「諒解であります、中尉殿。できれば、もうちょっとで軍役が終わる自分には、そんな仕事を振らないでください」

「貴様は相変わらず臆病だな! ――よし! グレッグ、北上の両名は昼までに宿舎に戻れ! 迂回せずがんばってまっすぐだ! そして午後からグレッグ、屋内で私がちょっと見てやろう! ――どうした喜べ!」

「アリガトウゴザイマス!」

「ははは、――まあ無事に戻れればいいがな。コツは、立体把握だ。それこそ、地面下三十センチを含んでのことだぞ」

 一歩、こちらを振り向いて足を進めるに従って、見えない〝何か〟が配置されている。その位置を目で追わないようにしながらも、探りを入れつつも把握の手を伸ばす。

「貴様の参加、今回は辞退しろ。連中がまず覚えるべきだ」

「邪魔はしませんよ。ただ、こうにもあっさりと逆利用されると、その裏を搔くにはどうすべきか、悩むところです」

「お前も知っているだろう、罠への対処は経験だ。この程度が遊びに思えるくらいには、かつての私も、徹底してやられたのでな。――実に腹立たしい」

「そんなことを自分に言われても……」

「それもそうか。さて、私は少し寝よう。貴様は、ここで見ながら学べ。罠の使い方は上手いが、罠そのものの作りが未熟だ。努力しろ」

「イエス、マァム」

 ――まったく、その通り。芽衣の罠がどのようなものかを、さて、この目でしかと見てやろう。

 おっかなびっくり、そろりそろりと足を伸ばしては、罠に引っかかって無様を晒す二人を、笑ってはいられないのである。

 ……いや、かなり笑えるほど無様だが、そんな暇はない――ので。

 我慢だ。


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