第172話 犬のやり方に俺のやり方
仕事にかかる、装備を持って表へ出ろ――そんな端的な命令が下された
軍では何よりも迅速を
拳銃は一丁、予備弾装も二つに留め、けれどナイフは数種類持つ。腰に一つ、ブーツに一つ、投擲専用が六本。手入れも常に欠かしていないので、装備するだけだ。表に出れば、外を走っていたグレッグが軽く肩を叩くようにして宿舎へ戻って行く。
既にヘリが待っていた。中に乗り込めば、すぐに扉が閉まって離陸する。
「――ん、もう来たか。サーバの構築手配をしたようだが、順調か北上」
「いえ中尉殿、全て手探りであります」
「だろうな。ちなみにお前が手配した〝
「……は、忠告痛み入ります」
そう答えるものの、北上には何をどうすればいいのか、いまいちわかっていない。そもそもプログラムやウイルスといったものも、知ってはいるが、触れるのは初めてである。
「
「はい、軍曹殿に助言をいただきました。最低限だと」
「悪いことではないが、そればかりに囚われることはない。もっとも、私も兎仔も、そのくらいはやって当然だと思っているがな」
「反省ばかりです」
肩を並べられるとは思っていない。だが、こうまで言われて、できませんで終われるほど、北上は根性なしではないのだ。
「ふむ、まあいい。とりあえず仕事だ」
「はっ」
スクリーンに地図が投影された。
「そう硬くなる必要はない、簡単な仕事だとも。ここ、ブラジルに配備されている米軍のフォローだ。前線が膠着状態に陥り、お互いに損害ばかりが目立っているのを解決せねばならん」
「はい」
「そこでだ、まずは現地司令官と顔を合わせ、状況を聞いてから、各部隊のいずれかに配備され、前線を押し上げて相手方の動きを抑制する――わかるな?」
「はい、順当な手筈かと」
「うむ、その通り。――そんな面倒なことを
「……は?」
「事情など知ったことかと、そう言っている。そんな手順を辿っていては、こんなクソ仕事に数日もかかるではないか。いいか北上、相手の事情は気にするな。私たちに与えられる仕事は、膠着状態を解決し損害を減らせ、ただそれだけのことだ。いちいち、そんな手を打つ必要はない」
「では――」
「結果として、膠着状態の解決。以前、私は言ったな――成果はいらん、結果を出せと」
「覚えております、マァム」
「故に方法は――いくらでもある。たとえば、相手がいなくなれば、膠着などしない」
極論だ、と思った。だが、口を開くよりも前に、さも当然といった視線を受けて、北上は口を噤んだまま、頷く。
「私はできるぞ、北上。そしてやる。やるとは、結果を出すということだ。貴様はどうだ? お前ならばどうする? それこそが、方法だ。方法とは、己に問え。私と同じことをしろとは言わん。だが、同じことをせずとも、同じ結果を出せ」
「つまり……膠着状態を解決する、仕事を果たせと」
「私は最初からそれを言っている。貴様らは、できることをやって結果を出せばいい。私になる必要など、どこにもない。だが私は、貴様らよりも、よほど上手くできる、ただそれだけのことだ。そして、できんのならば努力して、できるようになれ。――当たり前のことだろう?」
「――はい、中尉殿」
「だが私にも優しさはある。今回の仕事は貴様の手を借りん、やることを見ていろ。そして学べ。なあに、慣れればどうということはない」
「わかりました、よろしくお願いします」
「ふむ。しかし残念ながら、お前では私に挑む資格がないな。――ああいや、資格とは言い過ぎか。せめて五分は保ってくれなくては、相手をする意味がない。三秒で終わったところで、お前にとっても得るものはないだろう?」
「は――それは、そうですが」
「実際にはどうなのかと、疑問視するだろう?」
「恐れながら、そうであります」
「うむ、若い内はそうなる」
いや、たぶん年齢的にはこの上官の方が若い。
「だがどうだろうな? 少なくとも
「いえ……」
「半歩踏み込んだのは、やる気が表面に出たわけではなく、単にその行動における私の反応を見たかったからだ。だが私は、反応を見たい行動であることをわかって、動じなかった。戦闘の駆け引きと同じだな。まあ実際に兎仔は厄介だが――それだけだ」
「……すみません中尉殿、俺にはよくわかりません」
「一兵隊としては良くとも、一個人では許されんこともある。そうだな、簡単に言ってしまえば、私が求めているのは
「狩人のように、でありますか……」
「何も、飛び抜けろと言っているわけではない。そこそこでいい。
その程度――か。
「なるほど。俺が、中尉殿とは手合わせができない未熟者であることがわかりました。しかし僭越ながら、中尉殿は――どうして、そこまで?」
「なに、私の人生を探るなら止めはせんぞ。だがしかし、あの兎仔ですら未だに情報を掴んでいない現実がある以上、まっとうな手段を使っては、貴様では不可能だろう」
「まっとうでない手段もあるのですか?」
「あるとも。何しろ、全てを知っている私がここにいる」
実力行使? いや、それも今は不可能だろうに。
「なあに、それほど難しいことではない。貴様だとて、今まで培ってきたものを、状況に合わせて使い、成長するだけでどうとでもなる」
「失礼ながら、それは、当たり前のことでは?」
「だから私は最初から、その当たり前のことをしろと、そう言っているではないか」
「申し訳ありません、察しが悪いもので」
「それは知っている」
にべもなく、そう言われてしまえば苦笑するしかない。
しばらくは他愛ない会話を楽しんだ。やはり軍部よりも上下の関係が甘い――だが、それは実力に裏打ちされた〝差〟が明確であるからこそのものだ。
この時点で北上響生は、心底から白旗を振っていたのである。
――ああだが、それでもと。
この人に見捨てられるのは、プライドが許さない。
それは単なる憧れだ。そう、こんな人になれたらと、若い熱に心を弾ませるのと同じ。
かくして、後悔の時間はすぐに訪れた。
「そろそろか」
「は、もう到着でありますか?」
「そうとも。状況を見てみるか」
移動中だというのに扉を開けば、プロペラの音が耳をつんざく。その上、
その中でも、芽衣の声はよく通った。
「ここらだ、見てみろ」
「は――」
扉横に手を当て、近づいた瞬間を狙って背中を蹴られた。
「――は?」
空中に飛ぶのを自覚したのは、上空のヘリが視界に飛び込んできたからだ。
「はあああ!?」
「なんだフライトは初めてか北上!」
「フライトじゃねえよフォールダウンだよこりゃ!」
「ははは混乱しているな! いいぞ大笑いだ! あとで衛星から写真を拾って部隊連中に見せてやらなくては!」
空中で襟首を捕まえられ、なんという言い草。つーか死ぬ、地面よりも先にあの木に刺さって死ぬ――と思っていれば、急激に落下速度が落ちて、ふわりと、法則を無視するかのよう地に降りた。
「というか、この程度の〝
「――は、はは、は」
曲芸だと? この、高高度からの飛来が? ああそういえば、以前にもやっていたように思うが、あの時もパラシュートすらなかったというのか。
もう乾いた笑いしか出なかった。
「さて、では行くか」
「は……あの、ここは敵地では?」
「そうとも。星条旗のない軍服は全員殺して構わん。なに、貴様はただ私を見失わないようついて来るだけでいい。それが仕事だ。最低限の身は守れ。いいな?」
「はっ、諒解であります」
――そこからの行軍を、果たして行軍と呼べるのかどうか、北上は懐疑的であった。
ほぼ散歩のように移動しながらも、芽衣の背中を一瞬にして見失うことが何度かあったが、二度目以降は理由がわかる。死角を縫うような接敵、であるのならば見失った先にあるのは屍体と、無事な芽衣の背中だ。
小銃を携えた五人部隊など、そもそも敵にすらならない。前衛の二人を殺した次の一歩で後衛の二人を片付けており、残った狙撃兵を逆に狙撃している始末。まるで、どこに誰がいて、どのような攻撃を仕掛けるのか、それすらも見通しているようだった。
だからこそ、歩みを進めるたびに、結果を見せられれば、考えてしまう。
――俺ならどうする?
同じことができる、とは言わない。だが芽衣の言った通り、同じ結果を出すことは可能なはずだ。
いつしか思考に没頭しながらも、現実を見ることを止めない――と。
「ここで待て」
小声でそう言ったので視線を先へと向ければ、前線基地であろうログハウスのようなものが見えた。芽衣は狙撃銃を構え、外にいる三名をヘッドショットで片づける。そこから先は銃器を放り投げ――前へ。
異常を察して中から出てきた男が、自分の足元から出現した大きな刃物に腹を貫かれたのが、北上にとっては印象的だった。
距離は五メートル以上離れており、慌てて芽衣が接敵する様子はなかったのだから、それは芽衣の術式が作りだした現実だろう。そして一人、芽衣が中に入って。
物音は耳に届かない。
この時の北上は、であればこそ気付かないのだ。
小屋の中という状況、衛星で監視されず、間抜けな自分では探ることもできない現実。だからこそ――朝霧芽衣の本領が、中で発揮されているのだと。
たった二分間の出来事だった。
「終わったぞ北上、出てこい」
「……え、あ、はい」
それでも油断がなかったのは、北上が軍人として戦場を知っていたからだ。無意識に腰のナイフを引き抜きながら、周囲に視線を走らせつつ芽衣と合流する。
芽衣は、携帯端末を取り出して耳に当てた。
「……私だ。敵の前線基地を制圧した、前進させろ。屍体と一緒にログハウスの中身も残ったままだ」
言い切るか否か、といったタイミングであった。
ある程度は警戒していたのにも関わらず、眼前に銃弾が出現した――否、違う、遠くで聞こえた銃声から狙撃されたのだと気付く。
右目の三センチ手前で停止したそれが、7.56ミリだと理解した瞬間、回転していたそれは、紙吹雪になって消え――。
「――はっ、は」
呼吸が再開し、遠く、森が揺れるような音がした。
「九百ヤード前後の狙撃に気付かんとは、どうも錬度が低いな……対応もできんのか貴様は」
「は、は……も、申し訳ありません、マァム」
「そう思うのならば、これからどうにかしろ」
「諒解であります。……、連絡はどちらに?」
「
「――、いえ。俺ではこの場所を壊しています」
「それも一つの結果だ、想定しているのならば構わん。だが、余裕を持ち、土産の一つも作ってやるのが配慮というものだと覚えておけ。では帰るぞ」
「はい。……あ、いえ、ちょっと待って下さい、中尉殿。どちらの方向へ足を進めるのですか」
「ほう、勘が良いな貴様、悪くない。成果なんぞいらんと言ったこの私が、――まさか後退してわざわざ、間抜けな味方を見ながら帰路につくとは思わんかったらしい」
「……マジですか」
「なあに、これ以上の仕事をするつもりはない。このまま敵の敷地を抜けた方が、空港は近いからな。余計なことはせず、戦闘は継続させておく。何故だかわかるか?」
「この場での戦闘が我が国……失礼、米軍にとって利益になるからでありますか」
「そうだ。そして、その利を的確に把握しろ。そんなものは事前情報だ、現場に入る前から理解できる。まったく、いつの世も経済戦争で現場の人間は死んでいくものだ。詰まらん世の中だとも」
「それは痛感しております、マァム」
敵を殺すだけならば、大量破壊兵器を投入すれば良い。だが、それでは駄目なのだ。突き詰めればただ一人しか生き残らない世界ができあがってしまう。ゆえに、利権を守るため、あるいは得るために、戦場ができるわけだ。機械技術が発達しても、戦場に無人兵器が使われないのは、つまり、人間という〝商品〟が生み出す利益と損失の問題でもある。
現場の人間は命をかけている。だが、主義主張などまるで意味がない。そんなことよりも今日の飯、そして、生き残ることが重要だ。
「私は――」
本当に敵側へ足を進めながら、芽衣は言う。
「第一に、死者を出さないことを考える。これは敵や味方といった思考をしない。だがあくまでも理想論だ、これも仕事だからな」
仮にも米軍に間借りしているのだから、そもそも、敵と味方が否応なくできてしまう。
「であれば、味方の損害は少ない方が良い。これが二つ目だが、もちろん、そこには自分を含めての話だ。そして三つ目に、時間をかけないこと。大きく考えれば、まあ二つになるのか。これが前提だ」
「何故、時間をかけないのですか?」
「仕事なんてクソ面倒なもの、とっとと終わらせて酒を飲みたいからだ」
なんつー言い草だ、と思ったが、ちらりと肩越しに振り向いた芽衣は、心底から本気の顔であった。
「む……こんなクソ仕事に、楽しみなんか見出すなよ北上。ほどほどに、上手くやって結果を出して、生還するだけで充分だ」
「それだけが、一番難しいですよ」
「ははは、その通り。であればこそ
わかりやすくていいだろうと、芽衣は笑う。
――なにが、わかりやすいものか。
目的がわかりやすく、シンプルで? だがその足元はどうだ。ここから進む道が、どれほど困難で、茨ばかりなのかわかる。わかってしまうから。
「馬鹿にゃちょうど良い
「良い返事だな、クソッタレ」
どういうわけか。
朝霧芽衣は、嬉しそうに笑った。
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