忠犬
第170話 忠犬と呼ばれる一歩目
2054年、一月――。
軍帽を頭に乗せたアキラは、執務室にずらりと並んだ四人を見てから、手元の端末を操作する。机の構造上、枠があるため覗き込まれる心配はないが、両足を投げ出して眠ることができないのが玉に瑕である。
どいつもこいつも、若造だが、それもわかっていたことだ。
〝
一番目の〝
二番目の〝
三番目の〝かっこう〟は敵地潜入の専門家の総称。
四番目の〝ハヤブサ〟は上空制圧の戦闘機部隊。
五番目の〝ホオジロ〟は海上海中の専門部隊。
――そしてここに、六番目の部隊が設立される。
「〝
「は」
「603、エリザミーニ・バルディ少尉」
「はい」
「602、ロウ・ハークネス少尉」
「は」
「それぞれ三名ずつ、部下を配備する。連中は四桁番号だ、好きに育てて好きに使え。お前らの宿舎は隣、部下も待機させてある。そして601、朝霧芽衣中尉」
「なんでしょう」
「忠犬の頭として、働きに期待する。お前には六名の部下を配備した。それと、考課表を参照して、こいつと一緒にされたくはないと、そんな心情を
手元から顔を上げてみるが、それぞれの顔に変化はない。
「各自、組織内の階級を忘れるな。軍部内でも同じ扱いにはなるが、犬の部隊内では階級の上下はなく、給料の差も基本的にはない。出した結果が全てだ。三桁らしく、四桁に足をすくわれないようにしろ。詳細は下の受付でタブレットを受領して確認、五日間は俺もここにいる――業務連絡は以上だ」
言って、アキラは一息を落とした。
「改めて、――ご苦労だったな、ホウ、バルディ、ハークネス。これは悪い話ではなく、お前たちの役割はここで終わりだ」
そう伝えても反応はなく、だからアキラは苦笑する。
「規約として、お前たちの部隊配属を通達したが、ここからは自由だ。はっきり言おう――もう、朝霧芽衣と関わる必要はない」
もう充分だ。
「感付いていただろうが、お前たちの存在は朝霧芽衣にとっての隠れ蓑だ。しかしこれからは、その必要がなくなる。しばらくは仕事を回すが、無理に続けなくてもいいし、続けてもいい。お前たちの要求に対しては、最大限の配慮をする。それだけの仕事を今までしてきた。ゆっくりでいい、考えてみてくれ。それに――関わらなくても良いのは、お前たちにとって、少なからず喜ばしいことだろう?」
返答を待たず、退室を促した。
そして彼女だけが残り、ほかの三名が退室してからようやく、アキラは席を立って軍帽をテーブルに置くと、接客用のソファに腰を下ろして、両足をテーブルの上に投げ出した。
「楽にしろ。――よう、久しぶりだな朝霧」
「そうでありますな、アキラ大佐殿?」
「よせよせ、面倒だ」
ふんと、芽衣は鼻を鳴らすと、姿勢を崩すようにして腕を組む。
一体、どれほどぶりだろうか。そう考えれば、そもそも記憶にないくらい前で、かつてのアキラの姿も、ぼんやりとしか思い出せない。目の前の本人を見ても、違いがわからないような感覚だった。
「というかまだ、二度目か……?」
「そうなるな。いつまで軍部の尻を拭けばいいのかと思っちゃいたが、お前をこうして迎えた時点でいよいよ、俺が続ける理由もなくなっちまう」
「私に愚痴を言ってどうする」
「変えろよ、俺のために。つーか、それこそ、どうするんだ?」
「好きにやるとも。その前に、だ――てっきり馴染みの四人で部隊を組むかと思えば、それぞれを隊長にして、別個部隊か?」
「都合が良いだろう?」
「うむ、まったくその通りだから気に食わんのだ。上の意向か? それともアキラのか?」
「どっちも。そもそもうちの組織は、基本的に三桁の下に四桁をつける部隊が一般的なんだよ。人員不足の〝かっこう〟は例外だけどな。だいたい、最初から犬はお前の部隊だ。――それで?」
「どうすべきか……一応、来る前に調査はしたが、私の部下六名は?」
「ああ、ほとんどの人員はサウスカロライナの訓練校から引き抜いた、術式を扱える連中だ。上手く育てられるか、朝霧」
「はっきり言ってわからん。わからんからともかく、基本的なことを教えて、少なくとも結果を出すようにするつもりだ。成果ではない、結果だけでいい――余計なものは重くなる」
「なるほ……ん、おい、なんだその猫。上着の中に入れてたのか?」
「うむ、ギニア撤退戦で拾ってからは、行動を共にしている。名前はスズだ」
「へえ――猫族か。コロンビア大学に知り合いがいる、そっちに預けるのも手だぞ。覚えておけ」
「その大学、私も通えるか?」
「ん? 理由は」
「教育学を専攻したい。今すぐとは言わないが、せめて、私のやり方が良かったのかどうか――それとも、ほかの方法があったのか、きちんと覚えておきたい」
「だったらまずは、部隊に慣れて時間を作れ」
「なあに、私と同じことを部下がやればいい」
「……なるほど、そういう線で行く気か。まあいいだろう、その知り合いには連絡しておくが、その猫に関しては自分で言えよ」
「うむ。できればこっそり通いたいものだ」
「得意だろう?」
「そうでもないが、上手くやるのは得意だ。師匠によく教えられたからな」
「そりゃそうか。まあ何であれ、面倒をかけるなよ」
「ガキじゃあるまいし、自分の足で歩ける。ところで私の宿舎はここか?」
「おう、隣の部屋を使え。部下は階下だ」
「諒解した。……ひとつ聞いておくが、追加人員に関しては、話を通した方がいいか?」
「たとえば?」
「そうだな――医者や、特殊教員」
「必要ならまず、俺に言え」
「その時に個人名を出しても?」
「おう――っと、おい朝霧、そっちの机からタブレットくれ。陽気な音色が流れ始めて眠りそうだ」
「機密情報を盗むならここだな……」
「上手くやるなら好きにしろ――ああ、緊急案件」
「口頭を」
「米軍の末端、諜報員が捕まった」
「チリで医者として動いている女だろう。ベトナム系のテロリスト――米軍の動向は?」
「まだだ。うちの
「そんなことは疑っていない。いないが、私の方が早く情報を掴んでいたのは、嘆かわしいな」
そもそも情報を掴むと言うが、既に捕まっていて、それが誰なのかを調査する時間が必要になる。それを終えてようやく、情報として上がるのだが、現場を知っている人間、あるいは現場の人間にしてみれば、既に救出作戦の実行を待っている状態だ。
であるのならば、知らないと口にするのは間抜けだけでいい。情報なんてものは座って待つのではなく、自ら調べて得るものだ。
「てめえらはいらんと、言ってやれよ朝霧。結果を出して食ってみせろ」
「そうすればアキラは楽になる? 貴様ではジニーの代わりにならんからなあ……」
「うるせえ。で?」
「私がやろう、ヘリを回してくれ」
「二十五分後」
「充分だ。別室で待たせている部下も、仕事に同行させるが?」
「おう。最初が肝心だ」
「わかっている――ところで、部下に一名、
「ノーコメント」
「ふん」
では失礼すると執務室を出て、芽衣は軍帽をどうすべきか迷い、そのまま左手でくるくると回す。来る時にも顔を見せたが、改めて受付に行けば、白に近い、腰まである長い髪を持つ女性が座っていた。
ネッタ・ラックエット。
魔術師であり、かつては電子戦公式爵位、ライセンス窓口の受付をやっていた女だ。
「久しぶりだな、ネッタ。私のことを覚えているか?」
「あまり覚えていないであります、中尉殿」
「……まったく軍部に慣れていないな、貴様は」
「うん、やってみたけどぜんぜん、真に迫ってなかったよね、うんわかってる。久しぶり芽衣、覚えてるわよちゃんと。ライセンス返納時は直接顔を見せないと、再発行できないものね。あの時以来かあ……訓練校に電話はしたけど」
「というかそもそも、元は魔術師協会所属の魔術師が、あんなところで何をしてたんだ?」
「発想を広げるため、かなあ。私が扱う術式の中に、電子戦に活用できそうなものもあったし――って、いいのこんなとこで油売ってて」
「まだ時間はある。とりあえずタブレットを寄越せ」
「ああうん、どうぞ。この程度の情報、もう集めてあるんでしょ?」
「当然だ。しかし……ラックエットの魔術師が受付とは笑える話だ」
「それは父さんの称号、私のものじゃないし。だいたい推挙したの芽衣だって聞いたけど?」
「感謝しなくてもいいぞ――私の昔を知っている相手だ、処分するのにも傍にいた方が楽だからな」
「物騒なこと言わないで!」
「冗談だ、忘れろ。――よし、いいだろう」
「なにがよ」
「スズ、このクソ女をいいように使って構わん。餌の要求はこいつにしろ。ここら近辺ならば、縄張りを持っても構わんだろう」
「あ、猫! ――あれ、この子、ねこぞ…………ねえ?」
「なんだ」
カウンターに降りた黒猫は、そのままひょいと、ネッタの頭上に飛び乗り、その尻尾で頬の当たりをぺちぺちと叩いた。
「この猫族、なにこれ、え、なに?」
「挨拶だ。さて、面倒をかけるが頼んだぞ」
「あんたに言われると嫌になるわー……」
「間抜け、私やスズではなく部下のことだ」
「そっちはそっちで面倒そうなんだけど」
「それが仕事だ。まあ、昔話をするような間柄ではあるまい。私も仕事に取り掛かる」
「はいはい」
気の抜けた返事だと思いながら、人の気配が多くある部屋に足を踏み入れた芽衣は、ほぼ似たような年齢の相手を六名前にして、一瞬で探りを入れるとすぐに口を開いた。
「待たせたな。私が
挨拶も
6109、
6212、
6111、
6116、
6183、シシリッテ・ニィレ。
6155、グレッグ・エレガット。
以上六名。女三人、男三人――探りを入れたことに気付く者はいなかったが、錬度はそこそこ。これからどう育てるかは芽衣次第。
「私次第、か……」
育成なんてやったこともないが、ここでぐだぐだと考えていても仕方がない。そう思って外に出れば、既に全員が揃っていて、遠くからヘリの音が聞こえてくる。
――ジニーは、このヘリの音を嫌っていた。今ならその理由も、わかる気がする。
「乗れ!」
全員を乗せて、最後に芽衣が飛び乗って移動するよう指示。扉は自動で閉まり、すぐにプロペラ音が聞こえなくなるほどの静かさ。輸送用ということもあるが、振動もそう感じないのだから、最新式は侮れない。
「さて、状況を説明する、スクリーンを見ろ。チリ郊外にて米軍関係者、現地諜報員の女性医師が、テロ組織に拉致され拷問中とのこと。生きたまま救出するのが仕事だ――が、ようやく米軍が情報を掴み、何人かを投入する算段を立てている頃合いだろう。最寄りの基地は十五キロ離れた場所にある」
「……質問が」
「なんだ七草、言え」
「軍情報部よりも早くこの情報を?」
「そうだ。うちのフタマルは、そこそこの腕があると捉えて良い。もっとも、それだけのクソだ。私が出頭前に掴んでいた情報を、軍より早く手に入れたと喜ぶ間抜けだ。違うか、兎仔軍曹」
「違いありません、中尉殿」
「ふむ」
まだ芽衣は階級を明かしていなかったし、それは兎仔も同様だろう――が。
「各自、作戦を考えておけ」
やはりこの四桁の東洋人、見た目は芽衣よりも小柄でガキだが、なかなかやる。比較はしないが、少なくとも事前に調査をしていただろうし、この作戦が振られることは考えになかったかもしれないが、耳にしていたかもしれない。
行動において、情報の取得率は生死を分ける。であるのならばやはり、まずは情報の集め方や使い方などを教えておくべきだろうが、しかし、座学だけで済ますような呑気な立場ではない。
無言のまま、腕を組んで威圧に似た気配を出しながら、芽衣は足元に視線を落としたまま考察を続ける。
あくまでも仕事は仕事――部隊として完成してから、ようやく仕事に取り掛かるのであれば、そもそも、設立前にやっておけ、という話だ。できていないのならば、仕事をしながら教えていき、順応させるしかない。
――まったく、部隊のトップとは、面倒なものだ。彼らを簡単に死なせたくもない。
「……」
しばらくして、芽衣は運転席に一声をかけた。
「――では、米軍基地に降りたら、私の到着を待て。なあに、そう時間はかからんだろうが、問題があるようならば兎仔、貴様が仕切れ」
「はい」
そうして、後部ハッチを開いた芽衣は、移動中のヘリから迷わず身を躍らせた。空中、くるりと振り返れば、自動でハッチは閉じていく。
――兎仔だけが、表情を一切動かさず、むしろ、疑念を抱いたように首を傾げたのが見えた。
優秀だ。
どうやら芽衣の負担は減らせそうである。
地面に触れるか否か、ぎりぎりのタイミングで術式を使い、落下速度における〝威力〟を分解すれば、紙吹雪のようなものが周囲に舞い、そこに両足を乗せるようにして、先ほど分解したばかりの威力を組み立てた芽衣は、疾走を開始した。
全てを明かすつもりはないが、それでも兵隊という制限が外れ、芽衣はいつも通りの行動ができる。他人の目を気にせずに、街はずれからすぐ、事前に得ていた衛星映像と自分の感覚を頼りに敵地へと潜入、目で見て見極め、邪魔な連中をナイフ一つで片づけていく。
組み立てる。
分解する。
この二つが芽衣にとって、術式の全てだ。しばらく使ってはいなかったが、たかが一年のブランク――それが己のものならば、馴染むのには一度で充分。
「……っと」
しかし楽しくはないなと、拷問室の扉を蹴破った芽衣は、そこにいる男の片腕を斬り飛ばすと、血に塗れていたタオルを拾い上げ、相手の口の中に突っ込んだ。
「生きているか?」
拷問中だったのだろう、意識が朦朧としているようだが、生きてはいる。廃人にならぬ前にこうして救出できたのはいいが、ここからの治療に問題もあるだろう。
拘束具を外してやり、大きなタオルを組み立てて、かける。壁に並べられた器具を使って、転がった男の両手両足も拘束した。
「しばらくは寝るなよ、死ぬぞ。なあに、すぐ
二人を肩にかけるようにして外に出れば、案の定、ジープが停まっていた。女は助手席、男は後ろに放り込んで落ちないよう繋いでおき、車に乗り込んでハンドル下のカバーを開き、手早くエンジンに火を入れた。ちなみに、電気エンジンでも操作する場所こそ違えど、芽衣は似たようなことができる。昔教わったから。
十分ほど車を走らせれば、すぐにベース基地が見えた。入り口の検問で止められるが、芽衣は顔を出す。
「〝忠犬〟だ、上から命令は来ているだろう? とっとと医療班を呼べ! 命はあるが薬は抜けていない、早くしろ! 実働部隊はどこだ!? テロ屋を一人拘束してある、好きにしろ! こちらの仕事はここで終わりだ!」
車から飛び降り、走って来る連中にいくつかの指示を飛ばしながら、ヘリポートにいる彼らのところへ行き、芽衣はヘリの中に戻れと指示を出す。
「――この程度の仕事ならば、私一人で充分だ」
入り口を両手で押さえ、中を覗き込むようにして芽衣は言う。
「私は、自分ができることを、わざわざ、できるかどうかもわからんクソ野郎に頼むような間抜けではない。それは頼ることではない、単なる責任放棄だ。そして、最初に言っておく――私の部隊において、最大単位は基本的に一人だ。忠犬、私に回された仕事の中で、私ができてお前たちができないのならば、死ぬまでお前たちは仕事ができん。仕事がないなら、ただの役立たずのゴミだ、部隊にいる必要性もない。今回のように、無駄にヘリの燃料ばかりを浪費させるくらいなら、今すぐにでも除隊申請を出しておけ」
容赦なく、初日だというのに切り捨てるようなことを、平然と言い放つ――が。
「だが、貴様らが仕事ができると言えば、私は暇になる。それはとても良いことだ。もっとも、今の貴様らを見る限り、私は休暇なんぞ作れそうもないがな。これより、仕事がない限り、お前たちの日常は休息日と同じだ。街に繰り出して酒を飲もうが、遊ぼうが――鍛錬をしようが、勝手にしろ。私はそこまで面倒を見ない。術式の研究も構わんぞ、好きにやれ」
それでも、放置しておくわけにもいかないのが、トップの仕事だ。まあそれは後回し。
「常に私がいると思うな。問題があるなら自分で解決しろ。最後に、私から二つだけ、貴様らに命令を下す。私の部下である限り、決して忘れず身に刻め」
――そして、おそらく。
この言葉から、本当の意味での〝
「私たちは国に忠誠を誓った犬では、ない。ゆえに、犬に成果などいらん――ただ、結果を出せ。いいか、失敗しても挽回して、結果だけを出せばそれでいい。そして結果を出したのならば生還しろ。必ず生きて帰れ。犬にとって死は恥だと思え――己にとって、何より、隣にいる仲間にとって、そして私にとっての恥だ。いいか、この二つを決して忘れるな。――兎仔、私が戻るまでは任せる」
芽衣が両手を離せば、ヘリのローターが回り出す。扉はやはり自動的に閉まり、飛び立った。つまり芽衣は、公共交通機関での帰巣である。まだ雑事があるので、そのくらいの時間は作っても良いだろうとの判断だ。
人の上に立つのは、難しい。優しくしても、厳しくしても、必ずどこかに歪みが出る。だからこそ言葉を選び、選んだ言葉が通じるとも限らない。
理想を言えば、伝える言葉は少なく、けれど、理解を多くさせたいものだが、最初からそれを望んでも仕方ない。仕事のやり方を、随伴させて教えるのも悪くはないだろう。
そして芽衣もまた、彼らに命令を下した以上、守らなければならないことがある。
下した命令に相応しい上官でなくてはならないのだ。
だって、そうだろう?
言うだけで結果を出しもしない、クソみたいな上司に、ついてくる部下など、誰一人としていないのだから。
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