第169話 一つの生き方を決めた日
教育をする、だなんて言われたけれど、やっているのは指示を出すだけの教官役だろう。実際に鷺花は、随分と自分の時間を作ることができた。
しかし、タスクを詰め込むと悪い方に転びやすいことを知っていたため、とりあえず優先順位をつけることを念頭に置き、まずはベルから頼まれた学校の仕組みから。こちらは入院中のケイオスが戻るくらいまでを目途に、とりあえずの構造を決める。
ただ、それにしたって大まかなことであるし、それ以降は電子戦の勉強と、朝霧芽衣と戦闘をして経験したことを、改めて自分のものにしなくてはならない――のだが。
思ったよりも並行して何かをすることに、鷺花は馴染んでいた。むしろ、違うことなのに関連性を見出しやすくなったと思う。
とりあえず、育成はともかくとして、これら三つを並行してやることにした。バランスは特に考えず、気の向くままに任せて。
ただ。
問題があったとしたのならば、特に戦闘技能において、消化したものの確認をする相手がいなかったことか。
軽いものは
いられないのだが、消化不良にしておくのも問題だ。
半年である。
ベルから頼まれた仕事が一段落し、あちらは学校を既に稼働しているらしく、これで適当に拾っても投げる先ができた、なんて本人は気軽に言っていた。何故拾うのか、その理由も知らないが、本人もたぶん、説明できない類のものだろう。
執事と侍女の育成と同時に、護衛を育てるカリキュラムとした。一部選別した学生を二年目から執事と侍女へ。そして護衛は希望者にする。もっとも、護衛だとて難しい職業だ。卒業できたとしても、就職できるとは限らない。
電子戦の方は、学ぶのが楽しくなり始めた頃合いだ。B級ライセンスなら取得できそうだと言われたが、まだ試す気にはならない。試験なんてものは、学ぶのが退屈になった時で充分だ。
不十分なのは教育してるのに、ちっとも上達しない連中のほうか。とはいえ、鷺花レベルでの話なので、一般的にはだいぶ成長しているのだけれど。
さらに半年、つまりは一年後。
ジニーの
その時、宿舎にはメイリス以外が揃っていたので、とりあえず呼び出し。
「ちょっと十日かそこらだけど、空けるから。連絡は取らないで」
「……何があった」
何かあったのか、と疑問を口にしないだけマシかと、そう思う。
「
「戻る気はあるのか、鷺城」
「今のところはね」
それだけ伝えて、アメリカ国内をいくつか経由して、イギリスの屋敷へ向かった。
まだ鷺城鷺花は、記録が残るような行動に制限がついている。
結局、一年ぶりになってしまった。
ただいまと声を出せば、真っ先に駆け寄ったアクアに抱き着かれる。
「おかえりなさいませ、鷺花様」
「うん。成長したかな?」
「そうですね、ええ、背も伸びたように思います。そちらの生活はいかがですか?」
「自分の時間が結構あって、いろいろできる。来客は?」
「はい、
「ああ、私が帰るタイミングだったなら、ちょうどいいや。試したい術式とかあるから――でも後回し」
「滞在は何日ほどになりますか?」
「十日くらいを予定してる。じーちゃんは?」
「はい、大丈夫ですよ」
「じゃあ先に済ませておく」
「では、昼食は私が作りますね」
「ああうん、ありがとう。またそうやってガーネの仕事を奪うんだから……」
いつものことだし、アクアの料理はおいしいので鷺花も文句は言えない。
さて、二階の自室に向かおうと思ったら、部屋から出てきたシンと顔を合わせる。どうせこれから風呂――だろうけれど。
でも。
たぶんここが、一番違っていたのだろう。
朝霧芽衣と違って、鷺花は昔から、この屋敷で、それなりに人と触れ合ってきた。昔はそれほど大勢だとは思わなかったけれど、でも、比較したら多くなってしまう。
良し悪しは、どちらにもある。
だから本当は、こんなことを比較すべきではない。
軽く挨拶だけして、そして。
「じーちゃん」
エミリオンは、相変わらず窓際の席に腰を下ろしており、外を見ていた顔をこちらへ向けた。
「鷺花か」
「うん、ただいま。本当はもっと早く、じーちゃんには逢いたかったんだけど」
「ん?」
「野雨の空気を感じてきた」
言えば、対面の椅子に座るよう促されたので、腰を落ち着ける。緊張はしないが、エミリオンとの会話はいつだって、背筋が伸びるような気持ちだ。
「それと、歯車を止めていた、一本のナイフも」
「そうか」
「あれって、前に話してた東京に使われたじーちゃんの、一本目でしょ。でもあの歯車は、私からしたら心象でしかない。だったらあれは……」
「あれは?」
口にしろと、言う。
エミリオンはこういうところが厳しい。
「あれは、じーちゃんそのものだ」
つまり。
それはと、続きを言おうとして、鷺花は口を閉じる。
言えない。
さすがに、そこまで確定させたくない。
エミリオンが死ねば、あのナイフも消えるなんて――わかりきった未来のことを、それでも、口にしたくはなかった。
「そうだな」
その雰囲気も含めて、エミリオンは肯定した。
「……俺にとってのハジマリは、あいつと出逢った時だろう」
「あいつ?」
「名前を持たない、おかしな存在だ」
そう言うエミリオンはどこか、楽しそうであり、嬉しそうであり――けれど諦めのような雰囲気がある。
「どうやって逢ったの?」
「今のお前にわかるかどうかは知らんが、俺との接触で意味が合った」
「……、――まさか、野雨にある蒼の草原のこと? あれも、その人が制御したの?」
「そうだ。意味が合ったからこそ、その理由を考察した結果、被害を抑えるのに間に合ったからこそ、蒼の草原の内部で済んだ。初見の時にあいつは俺にこう言った――俺は、
今の鷺花は、それを知っている。何故かと問われれば、エミリオンという刃物が歯車を止めている結果を見ているから。
けれどたぶん、その逆は無理だ。顔を合わせ、会話をして、たとえ意味が合ったことを察したところで――さらに踏み込み、ああこの相手は楔になると、そんな確証を得るなんて、どれほどの情報量が必要か、考えただけで恐ろしい。
「お前の知っている通り、俺はただ刃物を作るだけの装置だ。ハジマリの一人に数えられているのは知っているが、ただ、友人のあいつに頼まれたり、行動したりしていただけで、何もわかってはいない」
「……その人は」
「東京事変の後は、存在がほとんど消えていた。最初から
「じゃあ、蓮華おじさんね?」
「蓮華は、あいつの残した案内板を見て対処を思いついたらしい。エルムも手を貸していたが……まあ、エルムにとっての本番は、これからだろう」
これから。
だから――それは、歯車がまともに動き出す時であって。
「エルムによれば、だいたいは三種だ。遅延、停滞、加速。通常に進む時間なんてものは、多くは停滞に感じられる。その停滞を作り出すのはまず、遅延させるところからだ。そして、停滞が終われば、遅延していたぶん、加速する」
「意図的に
「そうだ」
ナイフを抜けば、今度は加速が待っている――。
「俺としては、鷺花が気にすることじゃないと思うが」
「囚われるつもりはないよ。でも、知っておきたい」
「俺は囚われている」
思えば。
そういう会話を、たぶん、エミリオンとしたことはなかった。
「歯車が回りださなければ、世界を支える魔法師は消えない。そして、人はいずれ死ぬ。ただ俺の場合は
「……もういない人を、追ってるの?」
「そうだ。あっち側であいつに逢って、どうだ、俺はお前との約束を果たした。この四番目を見ろ、遅くなったが完成したぞ――そう言ってやるために、生きている」
肯定していいのか、否定すべきなのか、今の鷺花にはわからない。
言葉が見つからないとはこのことだ。そして、実際にそういう人生を歩んできたエミリオンは、確かにここにいるのだと――。
「――っ」
待て。
待て、それは、つまり。
「どうした?」
「じーちゃん、私はその生き方に、何も言わない。でも教えて。じーちゃん、もういない相手の背中を追い抜ける?」
「不可能ではない。ないが、無理だろう。神聖化しなくとも、周囲の評価を聞いても、自分で確認しても、――相手はいない」
「でもそれが、たとえば師のような人なら、きっと、同じような生き方をせずとも、師と
「どこまでの関係かによるが、憎まれ口を叩こうとも、心底では、おそらくしないし、させない。それは誇りだ鷺花、そして本人の生きざまでもある」
「それは――死んだあと、いずれ逢った時に、胸を張っていられるように?」
「そうだ。わかっていると思うが」
「うん……」
それは。
早く逢いたいという願いであり、死を望むことでもある。
たとえ、実際にやらずとも、心底では
――右手が握られた。
朝霧芽衣は、そう簡単に死なない。あっさりくたばることを、ジニーが望まないから。
でも、いつかその時が来たのなら、殺してやるのは
「ありがと、じーちゃん」
「いいのか」
「うん。やるべきことを、一つ見つけたから」
「そうか」
そう言って、エミリオンは小さく笑った。
「いつでも来い」
「もちろん。――それと、ジニーが亡くなったよ」
「……そうか」
「納得?」
「世話にはなった。だが誰だって、あいつの生き方を知れば、長くないこともわかる」
「そうね」
「鷺花、これを受け取れ」
エミリオンはナイフを一つ、作ってテーブルに置いた。小さなナイフだ、20センチほどで、一枚板の黒色。実用性があるかどうかよりも、自然に鷺花はそれを読み取る。
「何か組み込んであるね?」
「かつて俺が受け取った、ナイフの戦闘技術をそれに落とし込んだ。
もう。
「俺には必要のないものだ」
「わかった。とりあえず、保管しておくね」
「すまんな」
「そのくらいはできるようになった、そう喜んでおくよ」
「そうだな」
ゆっくり手を伸ばされ、頭を撫でられた。久しぶりの感覚に鷺花も笑い、立ち上がって部屋を出る。
やらなくてはならない。
朝霧芽衣がどういう生き方をするのか、まだわからないが、その時はいずれやってくる。そして、相手に自分が選ばれない、なんてことは許せない。
焦る必要はない。急ぐ必要もない。
ただ、朝霧芽衣に劣ることだけは、自分自身に許さない――そういう決意を抱いた。
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