第167話 猫と理由の連鎖

 誰もいない訓練宿舎はこれ以上なく静かで、術式の研究には最適かと思いきや、不特定多数が入り込めるような場所で研究などすれば、その痕跡を拾われかねないため、そもそも制限がかかる。更に言えば、自分一人のために食堂を動かすのは申し訳なかったので、しばらく宿舎を離れることにした。

 しかし、アメリカに拠点などないし、家を借りるにも金がかかる。そこにやってきたのが、早速ではあるが、上からの仕事だ。

 上から――だが、間違いなく、祖父である雨天うてんあきらからの、本来ならば病院で休憩中の彼らがやる仕事である。

 仕事の内容は、こうだ。

 南米のある場所に行軍経路を作成しようと、軍部が事前に調査隊を送っているのだが、そこにある障害が存在するため、完成しないとのこと。それを排除するのが鷺花の仕事だ。

 森の中に足を踏み入れれば、日差しが遮られるため、温度は下がる。熱帯雨林ならば話は別なのだが、それなりに寒い。戦闘も考えているため戦闘衣ドレスは着ているが、知り合いの情報屋から得た内容からは、その必要はないと考えている。

 調査隊、あるいは先遣隊。

 武装はしているが、強制排除はできなかったそうだ。知らぬうちに銃器を奪われ、危害を加えたくないから撤退しろと、相手はただそれだけを突きつけたらしい。

 こういう仕事が回されるのがランスなのかと、首を傾げるが、たぶん兎仔とこやオユニが任される仕事なのだろう。

 しかし――。

 森に入って一時間、その位置でぴたりと足を止めた鷺花は、腕を組む。周囲には建造物のようなものはなく、遠くに川の流れが聞こえる程度であり、行軍経路としては山の中腹を迂回するようなものになり、森もあって姿を隠すのは容易いだろうが――ともかく。

 仕事は、障害の排除だ。

「最初の選択肢は二つ――戦闘をするか、会話をするか。返答がなければ、私はとりあえず進むけれど、その場合は前者になりそうだからお勧めはしない。120秒待つ」

「必要ない」

「でしょうね」

 すぐに姿を見せたのは、一七〇はありそうな背丈に、躰のラインが非常によくわかる黒色のボディスーツを身に着けた女性であった。髪は耳が隠れる程度と短いが、今の鷺花では見上げないといけないのが辛い。

 ――そして。

 迷彩術式を使って、頭の上の耳を隠している。

「へえ……猫族か。考察はしてたけど、初めて見た。私、猫は好きよ」

「用件を言え」

「考える時間をちょうだい。まさか猫族だとは思ってなかった。じゃあ――うん、とりあえず、猫族の旗印が今どうしているかは、知ってる?」

「知っている」

「じゃあ、それが理由でここにいるわけじゃないのね」

「用件を言ってくれ……」

「ああごめん、落ち着かない? ここに来た兵隊と同じ――じゃないか。似たようなものだけど。私の仕事は障害の排除。つまり、あなたをここから排除することなんだけど……ううん」

「……? 何を迷う?」

「暴力だけが解決じゃないから」

 鷺花は小さく苦笑する。たぶん、芽衣も同じ選択をするはずだ。

。当たり前のように聞こえるけど、それって思考放棄と同じなの。いい? できるなら、違う手段を考える。特に暴力が選択の一つなら、余計にね。もちろん、必要ならやる――これは、間違いじゃない」

「ならば、お前は何をするつもりだった?」

「ここよりも住みやすくて安全な住居の手配。一人なのはわかってたし、ここである理由もいくつか考察してたけど、その解決手段もたぶんあると考えてた――でもそれは、人間の話ね。猫族となると、そうもいかない」

「そうか?」

「うん、だから私、猫が好きって言ったでしょう? 構い過ぎて嫌われるタイプじゃないけれど、信頼関係を結んでおきたい相手ではある。対等っていう猫との距離感が好き」

 それに。

「あなた、魔術師でしょう? しかも、錬度が高い。猫族全般がそうなのか、あなたがそうなのか、それは知らないけれど――保持してる魔力が少なくて、容量そのものに問題を抱えていながら、効率化を目指してる。主に、自然界の魔力を扱う方向にシフトしてるでしょ? それがわかりにくくしてるのも、評価できるわね」

「――何故、わかる」

「私が魔術師だから。会話を始めた瞬間から、探りは入れてる」

「探りを? 今もか?」

「ええ。どうして気付かないのか? それはね、外側への警戒は保ってるのに、内側への警戒が甘いから。中に入り込んでしまうと、気付きにくい――それは、あなたに限った話じゃなく、いわゆる探りのセオリーね」

「なるほど……」

「猫族って、体術も結構やるでしょ? こういう場所だと、多角的な移動というか、しなやかな躰を使った動き。そっちをメインにするかと思ってたんだけど」

「見ての通り、ボクは躰が大きくて、それほど素早くないからな」

「私から見れば羨ましいけれどね? おっぱい大きいし」

「そんなものか。君はまだ、成長するとは思うが」

 呼び方が変わった。ある程度の評価なのだろう。

「ここに来た誰よりも、君は違う」

「山は慣れてるもの。加えて私は兵隊じゃないし、仕事を請けたのは確かだけど、まあ立場は微妙なところ。だから――そうね、とりあえず私の望みを言ってもいい?」

「聞こう」

「一緒に来て、しばらく生活しましょう」

「……うん?」

「猫族の旗印のところまで案内してもいいんだけど、猫族そのものにも興味があるし、魔術の話をしてもいい。ともかく私は猫をもふもふしたい。やったことないもの」

「もふもふ? いや、なんとなくわかるが、たぶんボクは嫌がるだろう……」

「それは、これからの交渉次第ね。質問が一つ」

「なんだ」

「どうしてここで生活を?」

 問えば、彼女は視線を僅かに反らして、時間を置く。

 そして。

「……、……生活の仕方がわからないんだ」

「……え? 今なんて?」

「だから、ボクはそもそも、人間としても猫としても、人里で暮らしたことがないんだ」

「あー」

「む、なんだその微妙な反応は」

「気を遣い過ぎ。けどまあ、人型で生活するのを嫌うこともあるか……んー、こりゃ予定変更して宿舎に住むか」

「待ってくれ。ボクはまだついて行くとは言っていない」

「そこはどうにかるすから大丈夫。心配しないで」

「心配はするだろう……」

「じゃあ気にしないで?」

「ボク自身の問題だ」

「ん。で、訓練教官をやれって配属されたはいいんだけど、広い宿舎に私を除いて四人しかいなくて、今は停止させてるけど、食堂もあるから食事には困らない。まあ最低一ヶ月は、私一人なのよね。骨折させて病院送りにしたから。錬度が低くてどうしようかってところ」

「ああ、うん……ボクの話を聞いているか?」

「聞いてる聞いてる。べつに私と一緒に行動しろとか制限もつけないし、ほかの連中に文句は言わせないから、大丈夫。食費が気になるなら、多少の仕事も回せるし、基本的には私が飼うことになるだろうけど。だから」

 一息。

「あとの問題は、あんたがどうするかだけ。私の仕事は、障害の排除だってことを忘れないで。それと――軍も、次は本格的に兵隊を動員してくるはずよ」

「……」

「予想してたって顔ね。それと、面倒だから私が拉致する可能性の考慮も」

「乱暴だな……」

「――え? ちょ、ちょっと待って。え? 乱暴かしら?」

「一連の流れを加味した上で、配慮も感じるが、どうやって逃げ道を塞いでやるかと企んでいるようにしか聞こえない」

「それはそうなんだけど」

「なんだが?」

「乱暴だとは思ってなかった……」

 そもそも、こういう交渉事においては、直感的な判断に優れた芽衣の方が得意だろう。しかし、芽衣ならどうする、なんて考えるのは鷺花のプライドが許さない。

「でも交渉って、有利に働くよう逃げ道を塞ぐのがセオリーでしょう?」

「ボクの事情は二の次でか?」

「え? 大した事情じゃないでしょ?」

「……」

 何故か、大きくため息を落とされた。

「まあ、そうだが」

「そうよね」

「君は、状況を動かすことはできても、個人を動かすことには向いていないと思う」

「そうなの!?」

「ボクは七割くらい、君の誘いに乗ろうとは思っているが、たとえば――わかった。ではこの場を離れて、君の手を借りず、好きにしようと返答した場合、君ならどうする?」

 殴って気絶させて連れ帰る――と、即答しそうになった。

「ぬ……」

「乱暴だろう?」

 目的が障害の排除ならば、それでも構わないはずなのに。

「ボクはこういう交渉事は初めてだけれど、経験した上でわかったのは、そもそも最初から、逃げ道を塞がない方が良いな。一つずつ潰されていくのは、会話で感じていたが、だからこそ

「あーそうか、確かにそうだ」

「しかもそれを残しておいたのか、残ってしまったのか――」

「わかった、わかったから。私が未熟だった」

「……しかし、この場合はどうすべきだ?」

「交渉における誘導ってこと?」

「誘導もそうだが、望む結果を得るために、どう判断すべきかだが……ああ、棲家から所持品を持ってくる」

「同行するわよ」

「ああ、そう遠くはない。対人交渉の場合、相手の望むものを目の前に出すのが得策だろう?」

「得策というか、相手による。だから一番最初は、相手を知らなきゃ駄目」

「そうか?」

「望むものを目の前にして、それを受け取る人もいれば、疑う人もいるもの。特に、欲しければ欲しいほどに、疑いは比例するよう深まる。だから私は、ほどほどの妥協点として、私の住居を紹介したわけ」

「ほどほどかは知らんが、君の場合は我欲が顔を見せていた」

「だって猫よ!? あの我儘で好き勝手やって他人の干渉を嫌いながらも、望んだ時だけちょっと構えよって顔するあの猫! 最高じゃない!」

「酷い言い草で全て当たっているが、ボクにそれを言わないでくれ」

「え、なんで。そこがいいのに」

「そうか……――っ」

 ざわりと、周囲の木木きぎを揺らすような強い警戒を放った彼女の横、鷺花は腕を引っ張るようにして場所を入れ替えた。

「――LDルディ? ここ、あんたの寝床付近?」

「あ、ああ」

「ふうん……」

 そこにいたのは、やせ細った少年であった。

 ぼんやりと空を見上げ、インカムを耳につけたまま、口を半開きにしている間抜けな姿からは想像もできないが。

 腰に二振りの剣を提げ、投擲専用スローイングナイフを六本、脇の下に吊るしている。

 鷺花は。

 既に術陣を複数展開している――が、もちろん隠蔽しているので、目視も感じることも難しいだろう。

 ただ、その少年は。

 インカムから届いた指示があったのか、ぼうっとした様子のままこちらを一瞥もせず、すたすたと歩いて行って姿を消した。

 マーカーか何かを打ち込んでおくべきだろうが、アレはそもそも対魔性質を組み込まれている。具現する物理的な現象そのものならともかく、術式によるマーカーなどはすぐ剥がれ落ちるだろう。物理的なマーカーなら、汚れのように落としてしまえばいい。

 尾行するか?

 その自問を否定するよう、鷺花はため息を足元に落とした。術式は展開したままだ。

「おい……」

「鷺花よ。鷺城鷺花」

「鷺花」

「あんたは?」

「……グラビだ」

「ん。この付近に建造物は?」

「山の向こう側までは知らないが、この付近には、目立ったものはない。ただし、ここから1キロの範囲くらいだ」

「そう」

 この山全域となると、大規模な術式となるので、完全に隠すのは難しいが、広範囲探査術式グランドサーチを展開する。三秒でいい、全体図は脳内に立体として描かれる。明らかな自然物を除外すれば、情報量も少ない。

「行軍経路外に施設一つ、か。妙ね……」

「鷺花、どういうことだ?」

「ん? ああ、さっきの商品のこと? 活動限界、おおよそ十五分。極限まで身体強化した使い捨て。スイッチが入らなかったから、どうも私たちが敵じゃないみたいだけどね。命拾いしたわね、グラビ」

「相当なのか?」

「十五分で中隊規模なら全滅する。すべての武器に毒もあるし」

「どうしてアレがいたのか、それを考えているのか」

「そうよ」

 五十メートルほど歩いた先に、小さな古びたタオルがあった。バスタオルくらいのサイズのそれを、グラビは丁寧に折りたたみ、手で持つ。

「……なにそれ」

「ボクの寝床だ」

「猫って……そういうとこあるわよね」

「どういうとこだ?」

「いいの」

 だいぶ汚れたからと、新しい寝床を用意しても気に入らず、いつまでも古く自分の匂いがついた、気に入ったものを使うのだ。

「実物は初めて見たけど、間違いない。ただ、末端の組織が買うにしても、かなり高価なのよね、あれ。普通の子供兵器と違って継続性がないし、一度だけの使い切りにしたって、被害規模が大きくなりすぎる」

「大きくなればなるほど、後を辿られやすい――か?」

「そういうこと。投入されているのがこの場所っていうのも引っかかる。たぶん、私がここへ仕事で来ることも込みで、状況が作られていると考えていい」

「つまりボクは巻き込まれたと、そう言ってもいいな?」

「それは保身?」

「請求だ」

「この猫め……」

 吐息を落とし、展開していた術式を消した。

「手荷物はそれだけ?」

「ああ、大事な荷物だ」

「ん――……ああ、そうか、仕事が競合してる可能性だ。行軍経路を作らなくてはならない理由に、そもそもグラビは関係がない。作ろうとした際の障害になった――なら、LDがいたことに、私たちは直接の関係がない。つまりそこに、同一線上の理由がない。軍部の理由、私の理由、この二つが繋がるなら、LDの理由は、ほかの何かの理由と繋がる……か」

「その何かが、理由はともかくも、関係があった場合は?」

「――、たとえば?」

「たとえば、鷺花がここへ来ることを知っていた上で、同時に進行している。確かに行軍経路を作らなくてはならない、その理由は軍のものだろう。ただ現実として、障害がボクだけとは限らないだろう?」

「調査不足かなあ。反対側に施設があるのも知らなかったし――ごめん、跳ぶ」

「なに?」

 片手を握り、鷺花は迷わず空間転移ステップで一気に距離を稼いだ。もちろん向かう先は、下山方向である。

「なんだ、空間転移か?」

「いいから、とりあえず下山。こっちから仕事終わりの連絡は入れておくから、離れましょう」

「なにかあったのか」

「言いたくはないけど――直感。確かに、関係はあったのかもしれない。あのままいれば、たぶん巻き込まれただろうから」

「……よく、わからないが」

「いいの、とりあえず下山。っていうか、よく空間転移だってわかったわね?」

「これでも勉強はしている。ずっと寝ていられるほどの安全がないからな……」

「ああそういう。そもそも、普段は猫?」

「人型で長くいると、いろいろ面倒になって嫌になる」

 むすっとした顔で放たれた言葉に、鷺花は苦笑しつつ、携帯端末を取り出す。

 これでしばらく、退屈せずに済みそうだ。


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