第166話 新しい生活と仕事の始まり
鷺城鷺花は、まだ十歳だ。もうすぐ十一歳が見えてくる頃合いだろうけれど、ぱっと見れば間違いなく子供である。
つまり――。
「やたら親切にされると申し訳ないんだけど……」
一人歩きをしていると、よく声をかけられる。アメリカンの中には柄の悪いのもいるし、口が悪いのもいるけれど、大半は親切だ。ありがたいが、対応に困る。
ただ。
数人だけ、目を合わせた途端に顔を強張らせたので、それが気がかりだ。まだまだ、実力を隠すことにおいては、修練が必要になる。
さて。
アメリカでもやや田舎に位置する場所に、それはあった。いわゆる訓練校の跡地になるのだろうが、運動場があるだけで屋内施設は宿舎の隣に小さないものがあるだけ。二百人も収容できない規模だろうけれど、ここが
米軍に間借りした組織であり、一応トップにはエルムがいる。
一番目の〝
二番目の〝
三番目の〝かっこう〟は敵地潜入の専門家の総称。
四番目の〝ハヤブサ〟は上空制圧の戦闘機部隊。
五番目の〝ホオジロ〟は海上海中の専門部隊。
これらを総じて〝
正直に言って。
まだ鷺花は、ここで何をするのかも、よくわかっていない。
本当なら一度屋敷に戻って、エミリオンから日本でかつて起こった出来事を聞きたかったが、顔合わせが先だと促されたため、後回しとなった。それほど急ぐ話ではないし、それなりにやることも多いので、仕方ないと保留である。
さて、大した手荷物もなく、アイウェアを外して影の中に落としながら宿舎に入れば、玄関口には男女が一人ずついた。
「――ん?」
男がこっちを見たが、鷺花は三歩目で足を止め、腰に手を当てて――はてと、首を傾げて。
目つきの悪い少女を見た。
「なんで
「――」
「は……?」
「ああ、そう、隠しきれてるわけか。ケイオス・フラックリン、キースレイはいる?」
「え、あ、ああ、来客中だが」
「そう」
受付には誰もいなかったので、隣にある階段で二階へ。後ろから止める声は聞こえなかった。
ノック、中にある気配は三つ。中央付近に二人と、扉を開いてすぐ右手に一人。傍にいるのは軽い気配だから女性かと思って中に入れば。
「おう」
「ん――んん?」
たぶん年齢的には少し上の少女がいて、東洋人であることを確認。こちらを見る男は見知った相手、ジェイ・アーク・キースレイだ。軍服のようなものを着ているので、少し違和感もあるが、同じ服の男はこちらに背を向けたまま、顔だけで鷺花を見て、すぐジェイへと顔を向けた。
「ここは迷子の預り所か、ジェイ」
「いや――」
続く言葉を鷺花は手で止めて、扉を閉め。
大きく、ため息を一つ。
「――何してんの、爺さん」
「あァ? ――あ?」
「爺さん」
「……――あ! お前鷺花か!?」
「気付くのが遅い!」
尻を叩いておいた。
「いてえな……」
「まったくもう。どうせ実家に顔を出してないんでしょ」
ソファの隣に腰を下ろせば、
「たまにはな」
「私も実家にはあんまり帰ってないから、今は強く言わないでおく。で、そっちのは? 私は鷺城鷺花」
「う……
「まどろみ?」
「シェスタ」
「ああ、
「娘だ」
「ああそう。今度、熟さんに逢うから、よろしく言っておいて」
疎遠とはいえ、祖父である彬の知人なので、転寝熟の名前くらいは知っている。ジニーと遊んでいたらしい事実は、最近知ったが。
「それは、いいんだけど、ちょっと……ごめん、あの、鷺城、サン?」
「なによ」
「ひいっ、ちょっ、彬さん!?」
「対処できないお前が悪い」
「ESPは超能力。つまり、能力を超えたもの――だけれど、人間の感覚の延長でしかないって推論は当たってたみたいね。ESP封じが簡単なことも証明された。スイがよほどの間抜けじゃなければ、だけど」
見えない大きな腕を振るうことができても、それが腕ならば、支点となる肩と肘を押さえ込んでしまえば良い――それを術式で実際にやっているのだが、ぱっと見ただけではわからないだろう。
もっとも。
彬もジェイも、鷺花が足を踏み入れた瞬間から把握しているが。
「で、なんの話?」
「ん、ああ、――そうだ鷺花、ちょうど良い。米軍の訓練校に特例を設けてな、年齢制限をちょいと低く設定した。今年と来年くらいだろうが」
「へえ、おじさんにそんな権力が?」
「まさか、俺はただの使い走りだ。この服だって正式に貰い受けたものじゃない。で、その若いのを訓練しといてこっち引き抜こうってな。まあ、元からそれなりに見込みがある連中なんだろうけど。んでな? 六番目の部隊を作ろうって話が上がってきた。名前何がいい?」
「あー」
つまり。
来年くらいにはもう、朝霧芽衣が軍部に足を踏み入れ、訓練校に行くことを前提とした年齢制限の撤廃であり、誤魔化しだ。その上で六番目を創ろうというのなら、そこがあのクソッタレの居場所になる。
ジェイは、たぶん知らない。だからやったのはエルム――か、あるいは。
「なんだ?」
「ううん、べつに」
隣にいる祖父が、そういう立場なのか。どちらにしたって、ベルはこれを予測していたはずだ。そうでなければ、三年後に悦の仕事が増えるだなんて言えない。
「そうね、名前ね。んー……犬かな」
「犬?」
「そう――たとえば、忠犬とか。あはははは」
最大級の皮肉だ。
あの女が忠犬になることなんて、ありえない。
「へえ、……まあいいか」
「じゃ、本題ね? 質問は三つ――まず一つ目。なんで爺さんがここにいるの」
「俺か? ……二つ目の質問も同時に答えるなら、午睡は運び屋を職業にしてるから、連れて来た。暇そうにしてたから、仕事を斡旋したわけだ。俺はこの組織の責任者で、面倒だが総括もしてる。インクルード9だった頃からな。普段は名古屋支部にいるが、こうしてあちこち顔を見せるのも、仕事だ」
「最後の質問に関しては?」
「そこまで推測できるほどの付き合いはねえだろ」
「誰が原因で?」
「…………ジェイ、おいジェイ、次からは鷺花がいると最初に言ってくれ。そうすりゃ逃げる」
「ははは、形無しだな
「これからの仕事の話」
「ああそれか。彬も聞いてねえだろ、そこは」
「そりゃそうだろ、鷺花がここにいること自体、俺は聞いてない」
「簡単に言えば、ここにいる連中を育てて底上げをしろってことだ」
「ストレートに、お前は世間を知るべきだって言ってもいいのよ?」
「エルムがそう言ってたのかよ」
「ううん、でもたぶんそういうことだろうって。でも基本的には戦闘面でしょ?」
「まあな」
「正直に言って、どうなるかわかんないけど、やるだけやる。私だってここ一年でやってきたことを、まだ消化しきれてないんだけどね。――ああ、もう一つ質問があった。爺さん、幽霊がいたんだけど?」
「なんのことかわからん」
「あ、そう」
じゃあと、鷺花は立ち上がった。
「四人集めて、外に。どんくらいか見ておかないと。ほら行くよスイ」
「私も!?」
「運び屋なんでしょうが、怪我人の運搬は必要でしょ。それとおじさん、病院の手配ね。念のため」
「近いからすぐヘリが飛んでくる」
「それはいいね。爺さんも見てく?」
「……、時間もあるし、まあいいか」
「ふうん?」
まだエルムの屋敷に行く前にしか逢っていないのに、どうにも深く見抜かれているような感覚があって、疑心を生む。それだけの実力はあるとわかってはいるが、それ以上の何かがそこに潜んでいるようで。
まあいいかと、午睡の襟首を掴んで部屋を出た。
「ちょっ、歩ける、歩けるから!」
「んー」
「まったくもう……なんなの、この子」
「スイは今、いくつ?」
「十八」
「へえ、まだ若いわね。これからまだ先があるんだから、もうちょい錬度上げておくのよ? 主に、私が安心して運びの仕事を任せられるように」
「偉そうに……あんたはいくつなの」
「十歳。もうちょい背丈とか伸ばさないとね」
一階へ行く前に、影から黒色のコートを取り出して羽織る。腰付近についているベルトを締めれば、身動きに問題もなく――これが、鷺花の
玄関口に戻れば、既に四人が揃っていた。
背の順でいこう。
一番小さいのが、眼つきが悪く、感情があまり顔に出ていない
次に小さく妙に丸っこいのが、オユニ・コグニ。鷺花と同じくらいの背丈なのに、小さく見えるのは、丸っこいからだ。太ってはいないが、何故か丸い。丸いのである。
女性にしても背丈が高い部類なのが、メイファル・イーク・リスコットン。通称はメイリス。
最後に、唯一の男性であるケイオス・フラックリンだ。
「丁度良い。今日から、あんたたちの育成を任された鷺城鷺花よ。面倒だから実力で示す、装備を整えて五分以内に表へ出なさい。文句を言うなら、今ここでやる」
言うだけ言って、鷺花はそのまま表へ。面倒な説明はジェイがすぐやるだろうとの判断だ。
年齢としては、ケイオスとメイリスが上だ。ケイオスは米軍において階級を持っている正式な軍人であるし、メイリスはフリーの傭兵の狙撃手として有名だ。
オユニは
総括すると、よくわからん四人である。まだ仕事の内容まで詳しく調べていないし、聞いてもいないが、それぞれの生活をしつつも、槍としての立場も持っていると、そういう感じだろうと思っている。
二百メートルのトラックが一つ描いてある庭は、広いとも狭いとも言えないだろう。空を見上げれば、雲が出てきていて少し肌寒い。見れば午睡が、置いてきたコートをESPで引き寄せて羽織っていた。
「ふうん? このくらいの距離なら問題なし?」
「そりゃね。目標物が固定されてば、二千くらいなら」
「同質の術式に関連しては?」
「……え?」
「たとえば
「で……できないから」
「ああ、だから間抜けなのか」
「んなっ――」
「あいつらが同じ間抜けなら、すぐ済みそうね」
「……いや、それさ、大丈夫なの?」
「さあ? 病院に行くのが私だったら、もう教えることはないってことでしょ? そうすれば仕事は終わり。いいことね」
最初に顔を見せたのは、
「鷺花」
「なに爺さん。手合わせしてくれる?」
「そりゃ
「父さんには武術全般を教わるつもりでいるから」
「俺はまだ、そういう立場にない。そうじゃなく、どこまでもやるつもりだ?」
「どこまでって、試すだけよ?」
何を言っているんだと、そういう顔をすると、彬は少し黙ったあとに、短く言う。
「……、まあいいか」
「え、いいの彬さん」
「見てりゃわかる」
五分後。
ぞろぞろと出てきた四人を前にして、鷺花は吐息を一つ。
「――さて」
両手を合わせるよう、一つ音を立てれば、動きがあった。
背後にいたジェイがいくつかの術式を周囲に展開し、彬が午睡を引っ張るようにして距離を取ったのだ。
「ああ、後ろのは気にしなくていいわよ。じゃ、とりあえず、どの程度の実力があるのかを、お互いに知りたいだろうから、かかってきなさい。一人でも、全員でも」
とはいえ。
こちらが十歳のガキであることは、ここに来るまでに嫌というほど痛感したのは鷺花だ。
「術式もちゃんと使いなさい。逃げるのも良いけれど、臆病者のクソ間抜けになりたくないなら、避けるべきね。じゃあ――ケイオス」
「……なんだ」
「ケイオス、よく聞きなさい。今から私が攻撃をする」
「――?」
「聞いたわね? 開始の合図みたいなものよ、その後は好きになさい。ともかく、今から攻撃をするわよ? 準備はいいわね?」
「ああ」
「じゃあ、やるわよ」
距離はおおよそ十五メートル。警戒はしているが身構えもしていないケイオスに対して、鷺花は軽く踏み込んだ。
――軽く、である。
利き腕ではない左の拳をまっすぐ突き出せば、反射的にケイオスは術式を使った。
〝
片腕の停止を二秒。扱いが難しい特性であるため、戦闘中に二秒という現状の結果は、それなりに評価ができる――が。
腕を止めてどうするのだ、と。
止めるのならば衝撃を止めろと、そう思ったのは確かで。
「ぐっ――」
みしりと、軋むような音と共にケイオスの肋骨が二本、折れるの感触を、鷺花は確かに感じていて。
くるりと回転した右脚が、左側を打つが、そこの防御も間に合った。
間に合って、左腕を骨折した。
――あろうことか。
ケイオスは、吹き飛びもしなかった。
「……なんで避けないの? 馬鹿なの?」
言ってから気付いて、鷺花は舌打ちした。
別れの際に、自分を魔術師という人種の基準にするなと、朝霧芽衣には言ったのに、まさか鷺花自身が、芽衣を基準にして相手を見ていただなんて。
笑い話だ。
「邪魔」
襟首を掴み、後ろに放り投げれば、それを上手く午睡がキャッチ。その隙を見て真正面から飛び込んできたオユニの拳を、鷺花は片手で受け止めた。
「生来より力が強い巨人族ってのは、技の意識が薄いって話は本当みたいね」
まっすぐ、右のストレートを放った姿勢のまま、オユニは顔を歪ませつつ、動けない。鷺花はその拳を左手で掴んでいるだけだ。
それどころか。
「――っ」
その拳が、握られることで痛む。
「舌を噛まないように」
「んあっ!?」
力が集中している拳を支点に、片足を払って重心操作。後頭部を掴んだ鷺花は、そのまま丸っこいオユニを地面に叩きつける。顔ではなく、額をぶつけるのが手加減のコツだ。
地鳴りと共に地面が軽く割れたとしても、許容範囲。
「9ミリ? なんで?」
飛来する弾丸に術式はない。牽制かと思えば、距離は十五メートル。二度目の発砲前に踏み込めば、一歩目が中間地点、二歩目で懐に入れる。
「三秒の先読みができるなら、指揮をすればいいのに」
その言葉をメイリスが聞く頃には、鷺花の肘が腹部にめり込んでおり、逆の手が下から顎を叩く――あろうことか。
顎を下から叩かれたのに、顔が上を向かないのだ。衝撃だけが脳天を貫く。
「――」
メイリスは言葉を作ることもできず足を払われ、倒れた背中を踏まれた。
「お」
そこへ踏み込んできた
「――へえ」
ナイフの狙いが腹部だったのを、一つの評価とする。
するが。
「攻撃意識が強すぎ……」
右の手首を掴み、握り、小柄な胴体を思い切り蹴り上げてから、後ろに背中から倒してやった。そこに追撃を加えるよりも前に、転がりながら距離を取ろうとしたので、立ち上がるまで視線で追い、その瞬間に踏み込んでもう一度蹴り飛ばした。
兎仔は飛んだ。
衝撃をきちんと逃がしている証左だ。
「あ、――馬鹿、それを使うな!」
成長を対価にして、負傷そのものを元に戻す内部術式を使おうとした兎仔の喉を掴んだ鷺花は、そのまま地面に押し倒した。
「今のあんたは幽霊じゃないでしょうが!
「――、……何故だ?」
「それが成長をするってことよ」
まったくと、呆れながら躰を起こした鷺花は、腰に手を当てて、周囲を見た。
「はい! まったく話にならない! 魔術師に術式の一つも使わせない馬鹿が四人揃ってるだけ! 原因はあんたたち? それとも訓練しなかったキースレイ?」
「俺かよ……」
「あーもう、早く病院にぶち込んで。訓練内容はその間に考えるから」
「お前な? おい鷺花、これな? 全治二ヶ月くらいかかるぞ?」
「ケイオスはそうでしょうね。ほかのはもうちょい早いでしょ、ちゃんと加減したもの」
背後を見せた鷺花に対し、起き上がった兎仔がすかさず踏み込んできたので、殴ってくる腕を絡めとるようこちらも腕を入れ、肘と肩を外してから足を引っかける。
「正直、ここまで錬度不足だとは思わなかった……」
「お前がやるようになったんだよ」
「どうかしら。この程度なら、爺さんだって遊び半分で対応できるし」
「彬と比較すんなよ……医師に連絡を入れてくる。これ以上は痛めつけるな」
「相手次第ね」
といっても、ほぼ意気消沈といった具合だ。唯一、兎仔だけが痛めつけられながらも、痛みを除外して、状況を消化しているように見える。
「あのう」
「なにスイ」
「ああいや、最初に彬さんが距離を取ったの、あれなに?」
「鷺花の邪魔をしないように」
実際には、手を打った音、その振動に乗せて鷺花が魔術領域を展開したから、最低限の対策ができる距離を作ったのである。
この時。
雨天彬の心中には、一つの安心があった。
孫娘には悪いが――少なくとも、鷺花がこのレベルであるのならば、あの朝霧芽衣も同様であると確認できたから。
「鷺花」
「なに?」
「こいつらが使い物にならない二ヶ月弱、仕事があったら回すから、お前やれよ?」
「あー……、面倒なものじゃなければね? でも、やることが多いから、内容次第では断るよ」
「おう。それとスイ、お前はもう仕事いいから、ケイオスについてろ。嬉しいだろ? 全治二ヶ月、一緒にいられる」
「嬉しくはない……ほかの仕事終わったらすぐ行く」
「来なくていい」
「うるさいばーか」
ふうと、吐息を落とした鷺花は
まったく。
「これが一番、面倒な仕事になりそうね」
ただ、経験のないことをするのは、勉強になる。育てるのと同時に、自分も育てるのだと思えば、未開の地の開拓は、楽しみでもあった。
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