第165話 厄介な頼み事
蓮華に逢ったその日、家に戻って夕食まで時間があったので、料理を作るかどうか打診のついでに、母親に訊ねてみた。
「え? ああうん、そうよ? だってあたし、鷺ノ宮だもの」
「初耳なんだけど」
「そりゃ言ってないからね。産まれた時から
「何が起きたのか、聞いてもいい?」
「簡単に言うと、世界がこっち側に干渉するための
あっさりしたものだと思えば、昔の話だからと翔花は笑う。
「――待って」
「うん?」
「母さん、当時の年齢は?」
「十六かそこら」
だったら。
「産まれた時からもう対策してた……?」
「そうねえ」
だったら、鷺ノ宮事件は起きるべくして起きた。けれど、そんなにも前ならほかに対策できたような気もする。
――そんなことを考えて、翌日である。
ベルの住居は、野雨にあるマンションである。周囲に似たような建物はなく、妙に広い駐車場は車もなく、隅にガレージが一つあるだけ。二階建てにしては背の高い建造物であるし、見た感じでは家賃が高そうだが、生活感がない。
つまり、住人はたぶん、ほとんどいない。だとしたらこれは、ベルが所持している物件か。
入り口は指紋認証――かと思いきや、網膜パターンまで検知するらしい。
その上で。
『いらっしゃいませ、鷺花様ですね? 中からエレベータで二階へどうぞ』
なんて案内があった。ありがたい話だ。
エントランスも広く、手入れも行き届いているようだが、人の気配がない。ベルとしても、一般人を住人として入れるつもりがないのだろう。
上へ行けば、そのまま玄関に直通である。
「お邪魔します」
そう言って中に入り、人がいる方へ。
そこはリビングなのだろうけれど、かなり広い一室だ。窓際は足元から天井まで、野雨がかなり見渡せる。やや奥には、一対のソファとガラステーブルがあって、そこに。
「来たか、こっちだ」
「あんた、お邪魔しますなんて言えるだけの礼節があったのね」
「うるさいわよ悦」
何故か、これが終わったら連絡を取ろうとしていた相手が、ここにいた。
「何してんの、こんなところで」
「こっちに来て、仕事をどうしようって考えてたから、とりあえず病院に潜り込んだのよ」
「潜り込んでどうすんの……」
座ってろと手で示したベルは、一度席を立ったので、鷺花は越の隣に腰を下ろす。
「とりあえず二日くらい働いたら、院長に呼び出されてこう言われたの。――お前、この病院を潰す気か、ってね」
「そりゃそうでしょ、技術レベルが違いすぎるんだから。あんたの施術が当たり前になったら、ほかの誰がその代わりをするっての」
「だからって、診療所を開くのはまだ早いから。こっちは年齢的な問題ね……」
「――そういえば、悦のプライベイトってあまり聞いてないけど、双子だったわよね?」
「そうね。一卵性双生児として産まれて、どっかの馬鹿が、同じ育て方で同じ娘を作ろうと実験してみた」
程度としては軽いものね、なんてことを悦は言い、奥から珈琲を持ってベルが戻ってくる。
「別の部屋だけど、同じ部屋で、時間差はあれど、同じ育て方。四歳か五歳だったかしら、私たちが顔を合わせたのは。顔も髪型も服装も同じ――お互いに、気持ち悪いと、そんな感想を抱いた」
「へえ……?」
「なによ」
「短い付き合いだし、知ったようなことを言いたくないけど、なんか悦っぽくないわね」
「そういう物言いが、相性の悪いところね……」
「うるさい」
朝霧芽衣の反論が聞こえそうだった。
「あの子は、私を見て気持ち悪いと思った。これは当然ね、自分と同じモノがいたら、誰だって嫌悪する。けれど私は、この状況を作った母親を、気持ち悪いと思ったのよ。そこが決定的な差になった」
「うん、そっちの方が悦っぽい」
「あの子は母親にべったり。とりあえず医学書を読み始めて、私は独立を目指してる途中で、あんたのとこに呼ばれたってわけ」
「でもなんでベルのところに?」
「表向きは私が専属医師だし、いろいろベルは関わってるから」
「……そうなの?
「ジニーには世話になってたからな。駆け出しの時と、その前から、仕事を回してもらってる。まあ俺よりアブの方が多かったが、似たようなもんだ。朝霧を拾った段階から俺が動いてもみ消しもしてるし、悦の輸送に運び屋を手配したのも俺だ。あいつも驚いただろうぜ――っと、そういやお前は、ジニーの交友関係は知らんか。じゃあ黙っておく」
知りたいなら、知っているやつに訊けと笑い、ベルは煙草に火を点け、それを見て悦はため息を落とす。
「まったく、ジニーでさえ喫煙は控えてたわよ?」
「殊勝なところもあるじゃねえか、あいつ」
「なに、ベルってそんなに酷いの? 私の探りじゃ、よくわからないけど」
「ジニーとはやり方が違うからな」
「ジニーは憑依を前提にして躰を無理やり動かしてたけど、ベルの場合は電気信号を利用して頭をいじってるのよ。痛覚を軽減させて、神経を繋いで、当たり前に動いてる。中身は、どっちもどっちね」
「無茶は承知の上だ、
「……どうして」
「視野が広がるんだよ。単なる戦闘技能の向上に見えて、特に感性ってやつが上がる。戦場の空気をかぎ分けるようにな。で、ブルーのところにはもう行ったのか?」
「ああ、蓮華おじさんのところ、行ったわ」
「疑問だけ投げられた感じだな。翔花も話しただろうが、自分が知ってることだけ。断片は転がってて、エルムが話すわけがねえ――となると、まずはエミリオンか。妥当な流れを作られたな」
「……なんでわかるの? 蓮華おじさんもそうだったけど」
「ブルーと同じにするな、あいつとは立場が違う。そうだな、ブルーやエルムが将棋を指すプレイヤーだとしたら、俺らはただの駒だ。こいつは持論だが、プレイヤーの意図を読まなきゃ、駒なんてのは自由に動けねえよ」
そうでなくては、勝手に動かされるだけだ。
「コントロールブルーなんて、こっちの界隈じゃ呼ばれてるくらいには、あいつは策士だ。まあ、策っていうよりも、先読みで人を動かすんだけどな。ただ鷺ノ宮事件後の始末を筆頭に、三度くらい仕事をしちまえば、誰よりも警戒される。だから引退だ」
「――そうか」
「その通り。野雨の過去を探るよりも、人の過去を知った方が話が早い」
「そうだけど……」
「それと、電子戦の相談か?」
「……そうだけど! そこまで先回りされると腹が立つ!」
「このくらいの思考は、並みだぜ。一つの物事を見ても、情報量は人によって違うってのを痛感しとけ。――AI、鷺花の端末にお前とレインの連絡先を入れておけ」
『わかりました』
「AI?」
『初めまして、鷺花様』
その声は、入り口で案内してくれたものだ。
『室内管理AIをしています、シェルジュと申します』
「ああ、えっと、よろしく」
『はい』
「レインが教育してるが、爵位を持つ実力はある。それとレインは現在の公爵位だ、問題ねえだろ。朝霧に対抗心ってのは、笑える話だけどな」
「あいつの話はしないで」
「苦手意識か」
「口が悪いし性格も悪いのよ!」
「あ? どこが? あいつは素直だろ、どう考えても。ジニーだって俺と同じ感想だぜ」
「……連絡とってたの?」
「いや、お前らが過ごしている時に顔を合わせてる。あいつの家で」
「来てたわね、言わなかったけど」
「悦は知ってたの、言ってよ」
「言えないでしょ、そんなの。繋がりができたのもその時よ。私にしてみれば頭痛の種が一つ増えたのと同じ。似たような壊れた躰で、笑いあってるんだから……」
「望んでこうなったんだ、笑う以外にどうしろと」
「安静にしろって、言ってもどうせ聞かないから、こういう男は」
「野雨の管理狩人にもなったし、雑事は小夜に任せてある。そう大きく動くことは――ああそうだ、鷺花。ちょうど良い、お前の判断を聞かせろ」
「ん、なに?」
「ちょっとした学校を作ろうと、まあ、実際にはもう完成してるんだが……内容をまだ正式に決定してない」
「経緯は?」
「俺はあちこちからガキを拾ってるんだが、さすがに六人くらいで手一杯でな。そいつらは好きに生きてるからどうでもいい。追加で拾ったやつらを隠しつつ生かしつつ、勉強させようと思ってな。最初は軍学校にでもしようかと思ったが、既にあるものを作ったってしょうがねえ」
「それ、もちろん一般公募もするのよね?」
「本当に一般になるかどうかは、まだわからねえけどな」
「軍学校にしようとした理由は?」
「根性を叩きなおすなら、それが一番早い。ああ、さすがに狩人育成は考えてねえよ。それが失敗するのは、俺らが体験済みだ」
「へ? 体験?」
「俺やアブ、ほかのも数名含めて、狩人育成施設の出身だ」
「当時、うちの母さんが外部から招致された専属医だったのよ。繋がりはそこ。母さんの見解は、外部扱いで助かった――って」
「内部の連中は全員殺したからな、俺らが卒業の時に」
「そういう経緯があったんだ。軍式かあ……」
「あまり気にしなくていいぞ」
「や、たとえば一年は軍式を設定しとけば、いざとなれば二年目から米軍とか自衛隊とかに放り込んでもいいし、何なら士官学校に行くこともできるでしょ。そういうの、ベルも考えてるとは思うけど、無駄にしたくないね」
「なら、二年目からは?」
「うーん」
何があるだろうか。
徹底した指導、肉体強化を前提として命令には従順な兵士、その地盤を作るとして、その先にある職業。
「傭兵の引き抜きや、軍の視察なんかは前提にしたとして……全員が進級せず、ある程度の選別が必要で、んん」
「――あった。でも、指導が難しいと思う」
「なんだ?」
「執事と侍女」
「あら、日本ではあまり聞かないけれど」
「大企業なんかは、それなりに知ってるだろうけど、基本的にはヨーロッパの文化よね。でも本物の執事は、雇い主の意向をくみとって補助する最大の役割で、ともすれば雇い主より優秀でかつ、行動の事前準備を万全にやる」
「昔は執事七割ってな。仕事で儲けた金額の七割は執事に払えって意味だ。そして、執事が帰る準備を始めたら終わりだ、とも言われている」
それは単なるスケジュール管理ではない。会社の業績はもちろんのこと、これから雇い主がやろうとしていることを先読みし、人を動かすことも含めて準備をする。そこに損失が出るようでは話にならないし、気まぐれに違うことをやられたところで、対応できる手腕が必要になる。
「侍女もその本質は、屋敷の管理にある。あらゆる外敵を排除する実力は必須だし、屋敷の掃除や維持もやらなくちゃいけない。ベル、狩人がこの職業に就くとして、ランクは?」
「最低でもランクCでかつ、適正アリじゃなきゃ話にならん。しかも、経験を積んでようやくだ」
「つまり、部外者として言うけれど、単純に狩人より難しいじゃない」
「うん」
「だが俺の想定にもなかったから、採用だ。三ヶ月やる、大筋を決めろ鷺花」
「え、私がやるの!?」
「仕事としての依頼だ、報酬も用意してやる。特に二年目からのプランだ、最低でも七パターン。うちのAIへの報告は随時あげろ。最終的に決めるのは俺がやってやる。途中段階でもいいから報告な」
「んぐ……」
これは断れないタイプのやつだ。エルムにでも声をかけられたら、もっと面倒なことになりそうである。
「早めにな。それと悦、
「嫌よ!」
それは悲鳴に限りない声だったが、しかし。
「お前も鷺花と同じで、ここ一年やってきたことを、消化する必要があるだろうが。そこらの病院じゃ満足にできねえから、御影を頼れ。本人は半ば隠居してるから、まあ面倒なことには……、……まあ、お前の場合はなるか。前向きに生きろ、悪くないぞ」
「くっ……!」
「どうする? 自分で連絡を入れるか、それとも俺から入れておいてやろうか? ん?」
「――いいわよやるわよ!」
「大変結構。まあ俺の予想だと、二年か三年後には就職先が見つかるから、安心しとけ。それとこれは鷺花にも言っておくが――」
一息。
「ジニーの後始末は俺が請け負ってる。任せておけ」
「お願い」
「頼むわよ」
「へえ……そこは頷くんだな」
「友人の今後だもの」
「そうね。言いたくないけど、友人だから。あいつの今後がどうであれ、痕跡は確実に消しておきたい」
「下手な仕事はしないさ。ただし、俺が直接、朝霧芽衣と関わることはねえよ」
「その方がいい。あいつは……朝霧はきっと、狩人にだけは敵対しないし、勝負しないから」
だって。
――やるなら、命がけになる。そして、命を懸けても朝霧芽衣は敗北しない。
何故なら。
最高峰の狩人である、ジニーの弟子なのだから、敗北なんて許されない。
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