第162話 訓練終わりの束の間
どう、なのだろうか。そんな自問自答を投げかける。
2051年二月――その日、一年間行われた朝霧芽衣との訓練が終わった。
どうなのだろうか。
間違いなく言えることは、今の自分は何一つとして惜しんでいない。せいせいするとは言わない、何故なら鷺花は子供ではないからだ。二度と逢いたくないとも言わない――そう、せめて三年は間を開けようとは決意している。
鷺花が振り返ってみて、ほぼ九割がたの術式を実践できたのだから、とても良かったと言えよう。そうだ、そう思おう。とても良かったのだ。
「あんにゃろ……」
次に逢う時があったら覚えていろと、改めて決意した。
深呼吸を一つ。
ほぼ無意識に、展開されている迷彩術式と同化して足を踏み入れ、解除することもなければ鍵を使って開くこともせず、イギリスにある屋敷の入り口にたどり着くと、そのまま足を進めた。
少し疲れているが、許容範囲。今から戦闘を始めた場合は七時間以内に休憩を一度挟む必要があると、冷静な分析もできている。
一歩、敷地に足を踏み入れた。
すたすたと歩きながらも、こちらもまた無意識に、アクアが行っている屋敷の管理のための術式と同化し、警戒にも引っかからず、ただ。
――ただ。
三階に位置するテラス。そのガラス面に張られた術式の奥に見えたエルムに向けて、軽く手を上げて挨拶とした。
成長の実感なんてない。だって、昨日から続いた今日を、ただ過ごしていただけだから。
だから。
鷺花は、無意識に対応しているのである。
一年、随分と久しぶりに扉を開いた。
「ただいまー!」
声を出して、扉を閉める。一秒後には足音が聞こえて、三秒後には二階から飛び降りる駄目な侍女がいて、五秒後には抱き着かれていた。
「おかりなさいませ、鷺花様」
「アクア……ああうん、ただいま。ただいまなんだけど、今廊下走ったし飛び降りた」
「気のせいです」
それでいいのか、長女。まあ嬉しそうだから良いのか。
「さて、どうなさいますか、鷺花様」
「お風呂と、ガーネのご飯」
「わかりました。では今すぐシン様を追い出しますので」
「よろしく! 一度、部屋に戻ってるね」
「はい」
二階へ行って部屋に戻れば、かつてと変わらない。いくつか本がなくなっているが、許容範囲だろう。
――さて。
「なに師匠」
「おかえり」
「ただいま」
扉が開く前に気付けたことでようやく、多少の成長を感じたが、しかし。
「なんでわざと、わかるように開けたの」
なんて疑うくらいには、ひねくれてしまって。
「それがわかるかどうかを確かめるためだけど、そこまで見抜けないようじゃ話にはならないな」
それ以上にひねくれている師匠を、改めて実感できた。
「鷺花」
「あ、嫌な予感」
「ジェイがちょっと出ているんだけど、その仕事を引き継いでくれ」
「……仕事? 詳細を」
「やる気だね」
「仕事とは言えない殺しをやったけど、そういうのは嫌だから。相手が同じ土俵でも、継続はしたくない」
「うん、結構だ。米軍に間借りして組織を立ち上げてね。インクルード
「そうね」
知っている。当然だ。話題には上げなかったが、そもそも朝霧芽衣がジニーに引き取られることになったのが、インクルード9の仕事だったから。
「長期的には見ていない組織だけれどね。その一番目、通称を
「――は?」
「実力の底上げをしろって意味さ。今はジェイがやってるけれど、そもそも鷺花に任せようと思っていたからね。そうだな……任期は最低、三年くらい。行動の自由もそれなりに与えるよ。今の君はもう、僕の指示に従うような真似をしなくてもいい。言うなれば僕は職業斡旋所の職員みたいなものさ」
「みたいな、っていう言葉を拡大解釈してる気がする」
「気のせいだよ」
いや、間違いなくそれは気のせいではない。アクアよりも可愛げがないし。
「望むなら、一度君の実家に戻っても構わないけれど?」
「あー……うん、そうね。じゃあ五日ちょうだい」
「いいだろう。それと」
「まだなんかあるの?」
「地下書庫へ、自由に出入りしても構わないよ。もっとも、今の君にはそれほど必要だとは思えないけれどね」
「それはありがとう。不要とも思えないけど」
「それが自由ってものさ」
神経を逆なでしないだけ、エルムの対応が優しく感じるのだが、その原因については考えないようにした。
簡単な水浴びばかりだったので、それはそれで慣れたのだが、一年ぶりにきちんとした風呂に入れば――どういうわけか、広すぎて妙に落ち着かないどころか、二月ということもあって寒いのに、湯が熱すぎると感じてしまうあたりが、環境の差を痛感させてくれる。
恵まれてるなと思えば、苦笑が落ちた。
風呂から出れば、エントランスでシンが待っていた。
「あれ? バスローブじゃん」
「よう。今回は特例だから、とっとと出ろって言われたんだよ」
「ありがと。――あ、そうだ、シンってうちの父さん知ってんの?」
「雨天のガキだろ? ああ、もうガキじゃないか。遊びで何度かな。むしろ、真面目にやったのはアキラの方だ」
「爺さん?」
「まあな。次があるとは思えないが、俺はずっと負け越してる。もちろん槍でな」
「へえ……爺さんはあんまり実家来ないからなあ」
「はは。じゃ、風呂入るぞ」
「はいはい、ごゆっくり」
大きく伸びをしてから、二階へ行って――鷺花は。
ノックをして。
「じーちゃん、いるー?」
「いいぞ」
入ろうかと思えば、内側から開いた。中にいたアクアが開けたのだ。すぐに紅茶の香りがして、先回りされたことに気付く。
「アクアって」
「はい?」
「最高の侍女よね」
「ありがとうございます。どうぞ、ごゆっくり」
窓際のテーブルに、淹れたての紅茶が二つ。一年ぶりに見るエミリオンは――。
「どうした鷺花、座れ」
「ん」
――老いて、見えた。
ジニーが、若いころの無茶で躰を壊し、術式によって無理やり生きているのだとしたら――エミリオンは。
まるで根元を深く切断された木のようだ。
あとは枯れて倒れるだけの運命なのに、まだ残っている栄養だけで、それを留めているような。
「いくつか、聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「なんだ」
けれど、それを指摘はできない。
どうであれ、それはエミリオンの人生だからだ。
「まず、三番目の所持者に逢った」
「ああ」
「きっとじーちゃんは考えてるだろうけど、所持者が刃物になった時に、外部からの解除手段、ある?」
「あるだろうが、俺は知らん。融和性は本人しかわからんし、そもそも所持者が刃物になるためには、境界を三つ以上は越える必要がある」
「……うん」
三つとは、大げさだが。
極限状況ならば、朝霧芽衣は、三つくらい軽く飛ぶ。
「その上でなら、鷺花、一度お前は三番目を創れ」
「わかった、そうする」
「完成品があるんだ、そう難しくはない」
「そうかもね。でさ、深くは聞かないけど――東京の中心に」
「ああ、刻印こそないが、一番目はまだ、そこにある。三番目もそうだが、そもそも俺のナイフに耐久年数はない。所持者と同化すれば、分離するまで死ぬこともままならんだろう」
「うん、それを懸念してたから」
「東京事変に関しては?」
「推論の域をまったく出ない。ただ、仕組みはなんとなく」
「言ってみろ」
「事件発生の前に、じーちゃんのナイフを東京の中央に立てた。その上で、十一の家名を使って東京の拡大図を作って、東京の結界とした。外周に柱を立てず、地図上に柱を立てて縮小した形」
「ん。わからないのは、どこだ?」
「どうしてそれがわかったのか――そして、どうしてそれが起きたのか」
「なるほどな」
紅茶に視線を落としたエミリオンは、少し考えてから、苦笑した。
「それはいずれ、自分で掴め。俺はただ当事者として知っているだけで、それ以上は踏み込んでいない」
「鷺ノ宮事件の時も?」
「そうだ。当事者だった
「あ、風華おばさんもそうなんだ……なるほどね。じゃあ別の話」
「なんだ、まだあるのか」
「
「ああ……」
懐かしい名前だなと、今度は明るく笑った。
「最初、耐久試験は
「爺さんかあ…………」
「文句があるか?」
「うん、いまいち顔を覚えていないくらいには、何してんだって」
「はは、そのうち文句を直接言え。実は彬は刀を二本作ってる。一本は暁が持っている
「あー、父さんが愛用してるの、あれ爺さんが作ったんだ」
「もう一振りは、副産物だが……それもあって、知識交換の対価として紹介されたのが、御影だ。武術における衝撃用法に関して、突き詰めてる。彬は、自分と同レベルだと言っていたが、それが強がりだったのかどうかは、確かめてない。一番目が完成したのは、御影に壊せないと認めさせた瞬間だな。当時は後継者のガキがいたが」
「あー、たぶん、今は医者をしてる人だと思う」
「そうか。縁があって、ガーネにもそれをさせたが、さすがに壊されて落ち込んでいたな」
「それは私も見てた。手合わせも、ちょっとまだ早いかなー」
「……どうだろうな。少なくとも、アクアが来訪に気付かなかったのなら、成長はしている」
「まだこれからもしないと困る……」
「ははは、困るか。良いことだ」
「そっかなあ」
「ジニーは、どうだ」
「ん……そうね。予言みたいで嫌だったけど、あいつにも言ったし、私の見立てだと、あと一年くらい」
「一年?」
「うん」
「また、あいつはそういう無理をしているのか……」
「またかどうかはわからないけど、弟子に弱味を見せないようにはしてた。術式で無理に躰を動かしてたから」
「あいつらしいな」
「知ってるんだね?」
「ジニーと、彬と、それから
「……」
「なんだ?」
「いや、じーちゃんが混ざってることが想像できなくって」
「はは、それだって昔の話だ。俺がまだ十六になったかどうかって頃だからな。当然、まだエルムだっていない」
「かなり前じゃん……」
「お前からだと、そうだろうな」
そっかと、頷いた鷺花は、ポケットに入れていたナイフを、テーブルの上へ。
「これ。ジニーから、返しておいてくれって」
「ん、ああ……」
手を出そうとして、しかし。
「……いや、鷺花。お前が持っていろ」
「いいの? これ、じーちゃんが作ったんでしょ?」
「そうだが……」
最初、ジニーと逢った時は随分と馴れ馴れしい男だと思った。というのも、踏み込んでくる距離感が近かったからだ。
けれど、三度目くらいに逢った時に、気付いた。
その頼みをされたのだ。
「なあエミリオン、なあ」
「なんだジニー」
「仕事するたびに、このナイフは壊れちまう。ほれこれ、海兵隊に配布されるナイフなんだよこいつは。使い込んで、手入れして、そうすりゃやがてナイフに魂が宿る。こいつが折れる時は、自分が死ぬ時か、自分の代わりに死んでくれる時だってな」
「だったらお前は、仕事のたびに死んでるのか?」
「俺の魂が大きすぎるんだよ、だからナイフが持たない。俺の魂は、このナイフじゃ支えきれねえ――だから、作ってくれよ」
「……あ?」
「形状は同じで、簡単に壊れねえナイフを作れよ、エミリオン。俺の魂が宿るナイフを、お前なら作れるだろ。ほれ報酬、とりあえず百万。頼んだぞ」
「おい! 俺はやるとは言ってねえ!」
「なんだって? できないって今、お前そう言ったのか?」
「んなわけあるか!」
「じゃあなんて言ったんだ、ええ? ちゃんと言えよ鍛治師。何がなんだって?」
「てめっ――」
「アキラに壊されるようじゃ話になんねえけど? どうなんだ? ん?」
「――うっせえ! しばらく待ってろ!」
――なんて、やり取りがあって。
今の今まで、このナイフは壊れず、握りの部分だけ変わって、まだここにある。
これは、確かにエミリオンが作ったナイフだ。
けれど、宿った魂は、エミリオンのものではない。
「いずれ、ジニーの弟子にでも渡してやれ」
「わかった。でもあいつに渡すのはなあ……」
「はは……いずれにせよ、あまり焦るなよ鷺花」
「ああうん、そうしたいんだけど」
それは、きっと本音だ。
この場所だからこそ、素直に言える。
「ジニーの弟子、あいつを見てるとどうしても、負けてらんなくってさあ」
「はははは、良いことだ」
笑いごとではないのだが。
まあ笑われるくらいでもいいのかなと、安心するような包容力を、この男は持っているのだから、不思議なものだ。
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