第159話 今はまだ、正反対の二人
一週間ほどで庭に穴を掘り、伐採した木を板にして材料まで集めた芽衣は、その段階で少し手を止めていた。
「ん? そっち休憩?」
「材料の確認だ。どうせ貴様は知らんだろうが、教えてやろう。農作業において、失敗はつきものだ。どれほど準備して、確認しても、必ずどこかで失敗する」
「つまり、準備や確認は、その失敗が致命的にならないようにするため?」
「そうだ。そして失敗したら、落胆せずに次をどうすべきか考えるのがコツだ。その方法を多く持っておけば、更に良い。今までの経験から得た教訓は、初心者は失敗する。中級者は成功するが、完成後に改善点が見つかる。そして上級者は、途中でどうせ改良したくなる――だ」
「教訓というか、格言ね」
「私が上級者だと、そんな自負はしていないがな。そんなことよりも、湧き水を調査してきたのなら、とっとと見せろ」
「調査はしたけど」
いくつかの付箋を貼った地図を渡せば、僅かに芽衣は目を細めた。
「かなり
「なるほどな」
「どうやってここまで持ってくるの?」
「畑の方はきちんと水路が作ってあるんだが、それ以前に、どの程度の量を集めるのかが重要だろう? 雨の日に溢れて困るようでは話にならんし、日常的に少ないようでは使えん」
「……」
「どうした」
「湧き水って、いわゆる山に溜め込まれた地下水なんでしょ? 作ることはできないの?」
「そう思っているのに、どういうわけかこの地図には、地下水の分布が書かれていないのだが、はて、調査をしたのはどこの間抜けだったか鷺城、貴様は覚えているか?」
「聞いてないし」
「私も訊ねられた覚えがないんだが?」
「こいつ……!」
「なんでもかんでも
「こいつ! ちょっと悦こいつ!」
「んー」
薬剤の調合をしている悦の反応は薄い。
「……なにあの子、眼鏡なんかして」
「目が悪いわけではなく、倍率が丁度良いとかなんとか、よくわからんことを言っていたので頭の心配をしたのだが、医者につける薬はあるのか?」
「悦につける薬はどうだろ……」
「なので問題は棚上げだ。躰の調子はどうだ?」
「走り込みはまだ」
「だろうな。車を出すから来い、運転しろ」
「――は?」
「来た時に言っただろう? 貴様は車の運転くらい覚えろ。自動運転なんぞ、車じゃない」
「いやでも」
「できないは避けろと、私に何度言わせるつもりだ?」
「せめて心の準備くらいさせてよ」
「ほう!」
「うそごめんわかった、すぐやる」
「最初からそう言わんのが貴様の悪いところだが、やはり私にののしられたいのか? それなら悦に言ってくれ、私はそんな労力を支払いたくない」
「くそう……」
庭を出て、左手側に進む。いつも戦闘をしている山へ向かう途中に、シャッターが三つ並んだガレージがあるのだ。鷺花は中に入ったことがない。
「三台あるんだっけ?」
「内部スペースには五台はゆうに入るがな。貴様も乗ったジープ、それからセダン、もう一つが今から乗るカートだ」
車のキーを押せば、自動的にシャッターが開いた。少し埃っぽいような香りと共に、中央からカートが姿を見せる。
「あー、遊園地とかで見たことあるやつ?」
「見た目はほぼ同じだ。バンパーがついているので、そこらにぶつかっても安全だな。シートは二つ、両方で運転ができる。アメリカでは左、日本では右が主流だが?」
「じゃあ、まずは右で」
「乗れ」
オープンカーのようなもので屋根はなく、乗り込んでみると充分なスペースがあって狭さは感じなかった。
「シートの下、レバーで調整して貴様の短い足の長さと相談しろ」
「余計な一言」
「厳密でなくても構わんぞ。シートベルトは左右、両方からクロスさせて固定しろ。しばらく乗っていなかったら、軽く流すぞ」
「はいはい」
ナビゲーションシステムが表示されているパネルを右手で叩いた芽衣は、運転を左側に固定させてエンジンに火を入れた。それからアイウェアを取り出して顔につける。
スターターに不具合はなく、一度揺れるようにして音を立てた。
「うわっ、――こんなにうるさいの?」
「ガレージの中というのもあるが、こんなものだ。まったく電子制御に頼りきりの電気エンジンばかりに馴染んでいるから、そういう情けないことを言い出す」
「いや私が乗ってたの、だいぶ前だからね……? あ、この前も乗ったか」
「ついに記憶障害か! どうやら私が強く殴り過ぎたようだな!」
「うっさいわ!」
ゆっくりとガレージから出てシャッターを下ろすと、軽くアクセルを踏む動きで音を立て、ミラーの確認。タイヤの減り具合を見て。
「ふむ、メンテはしておいたが、それほど問題はなさそうだな。乗り方は知っているか?」
「教えて」
「一番左、クラッチを押し込んで中央のブレーキを踏む。ああ、そっちで踏んでも構わんぞ、連動は切ってある。軽く両手でハンドルを持って、そこからスタートだ。いわゆる半クラと呼ばれるよう、クラッチを半分ほど開けつつ、アクセルを踏む」
車が走り出した。
「メーターではなく音を聞け。アクセルの踏み込みと共にクラッチを開き、次はアクセルを離してクラッチを押し込む、レバー操作で二速へ入れたら、クラッチを開いてアクセル。基本的にはこの繰り返しだ」
「減速方法は?」
「ブレーキを踏めばいい。ただし、加速の際には速度に応じたギアに入れる。ほれ、そこのコーナーだ」
あえて減速してハンドルを切った芽衣は、クラッチを踏んでギアを二速へ落とし、スムーズな立ち上がりで加速し、三速へ。
「貴様はどうも理屈で物事を捉えたがるが、感覚を伸ばせ。車の運転はその一歩だな。おそらく師匠もそのつもりで言ったんだろう。コースは今走っている大通りだ――と、走り込みをしていたから、わかるか」
「ああうん、山へ入らなければ周回になってるのは知ってるわよ」
「見ての通り、速度はマイルじゃない。おっと、忘れていたがアイウェアをつけろ。ほれ」
「ありがと」
「軽く流せば、だいたい三分くらいか。ガレージではなく――ここ、庭の前を基準にする」
「ん、いろいろ考えるのはここに到着してからってことね?」
「うむ。さて、少し負荷をかけて調子を確かめるから、きちんとハンドルを握っておけよ? 下手をすると傷が痛む」
「はいはいどうも」
鷺花はその時点で気付くべきだった。
あの芽衣が、わざわざ忠告をした事実に。
「ふむ」
キュッと一瞬だけタイヤの擦れる音だけで路面を噛むと、今までとは比較にならない加速でカートは発進し、ここで既に鷺花はシートに埋まった躰が痛んでいた。
「あっ――」
一瞬でコーナーまで到着したと思ったら、躰が横に振れる。演出ではなく、最速のためのドリフトでコーナーを抜けた。そしてS字をほぼストレートで抜けると、サイドブレーキの操作でスピンして、進行方向をバックへ変える。
「んっ、ふおっ、――ちょっと朝霧!?」
「なんだうるさいぞ、鷺城」
「うおっ、うおっ!」
バックのままコーナーに入り、立ち上がりの地点で進行方向を戻し、加速。そこから何度か車体を振りながら、最後のストレートで減速し、ゆっくりと庭の前に停まった。
アイドリング状態のまま、芽衣はハンドルを軽く叩く。
「さすがだな、こいつは。久しぶりに乗ったが衰えがなく、かゆい所にも手が届く。今度、キリタニを褒めてやらねばな」
「……あー、あー、……あー!」
「なんだ、私が感動しているというのに。最速が80キロほどなので、さすがにサーキットでは後れを取るが、この敷地内ならば充分なパフォーマンスを発揮するぞ」
「だからって! 運転が乱暴なのよ!」
「何を言う、まったく事故の雰囲気はなかっただろうに。ちなみに最速ラップは師匠が87秒、私が95秒だ。ほれ、タイヤも暖まったぞ鷺城、貴様の出番だ」
「わかったわよう……」
「ブレーキとクラッチを踏め」
サイドブレーキの傍にあるスイッチで運転を切り替える。
「ブレーキを離せ」
「ん……あれ、動かないんだ」
「ほとんど傾斜がないからな。次、クラッチをゆっくりと離せ。車が動くところで止めろ、そこが半クラの位置だ」
「おー……」
「そのままクラッチを離せ」
離せば、がくんと車が揺れてエンジンが止まった。
「感覚は掴めたな?」
「ええと、半クラでアクセルを踏まないと、こうなる?」
「そういうことだ。一通り教えたぞ。エンジンをかける時は、ブレーキとクラッチを踏んで、隣にあるボタンを押せ。一周だけは同乗してやる、なんでも聞け」
一周したら三十分かかった。
「私の時よりも酷いものだな! 続ける根性があるなら見せてみろ!」
「うっさいやるわよやってやるわよ!」
「期待はするだけ損だな」
走り出した車を見送った芽衣は、時計を一瞥して――。
「どうして」
「うん?」
「鷺城はこうも、あんたに突っかかるのかしらね」
「真面目な返答と、ふざけた反応と両方思い浮かんだが悦、その作成した薬剤に関して詳しく聞きたいのだがどうだろう?」
「実験は必要ね?」
「そうだな」
あえて危険に踏み込む必要もないと、芽衣はアイウェアを外して、腕を組んだ。
「はっきり言えば、あいつは理屈の構築が上手い。魔術の原点でもあるのだろう、空想の物事であったところで理屈で解明しようとする。行動においてもそうだ――理屈を前提として、行動によってそれを実感することが多い」
「頭でっかち――じゃ、ないけれど」
「だが悪く言えば、アドリブが弱い。状況において、直感的な行動をしない。できないとまでは言わんがな」
「高学歴のエリートをたとえに出しても?」
「一概にそうとは限らんだろうが、印象そのものは似ているだろうな。こっちは現場からの叩き上げ――理屈は後付けでいい、目の前の現実に即応することが求められ、それ以外はただの基礎だ。つまり」
「今のところ、あなたたちは正反対で、お互いにお互いのないところを吸収してるってことね?」
「付け加えるのなら、鷺城は口の悪さに慣れていない」
「しかも感情的」
「……私もそうだが?」
「朝霧は素直なだけ」
「貴様は――……うむ、まあ、なんだ、……年齢相応だぞ?」
「うるさいわよ。だいたい鷺城も、まともに取り合わなければ良いのに」
「取り合わないくらいには、悦の根性もないわけか?」
「大人なの」
都合の良い台詞ナンバーワンだなと思いながら、芽衣は地面に腰を下ろすと、適当な木の板を手元に引っ張り、みのと槌を手に持った。
「では大人の悦、今日の昼食を頼む」
「しょうがないわね、たまにはいいか」
実際に、料理が顕著だろう。
芽衣は大雑把に、食える料理を手早く作る。
鷺花は調味料や調理器具がないと文句を言う。
そして悦は、あり合わせで可能な限り美味い料理を作る。
「材料貰うわよー」
「そろそろ肉を終わらせてくれ、今夜あたりに狩りだ」
「はいはい」
悔しいが。
同じ材料でも、悦の料理が一番美味いのだ。たまにしか作らないのが残念なくらいに。
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