第158話 ともかく口では勝てない相手
その方が楽だからと、芽衣は術式に頼ることをしない。
そもそも代替手段として捉える術式は、日常生活で使ったところで何の問題もなく、むしろ鷺花にとっては楽なのだが、芽衣に言わせれば必然性を感じないらしい。
小屋の隣に、シャベルで穴を掘る姿はさまになっていて、首にかけたタオルでこまめに汗を拭くのは、気温が低いからこそだ。
「確かに、楽に済むだろう。労力も少なくて済む。だがな鷺城、それを手抜きと呼ぶのだ」
「そう?」
「――ふむ」
小さな頷きと共に、シャベルを立てて芽衣は椅子に座った鷺城へと振り向く。
「シャベルで掘れば済むのにも関わらず、大型特殊を持ち出して穴を掘れば早いと言い出し、ごっそり地面を丸く削って掘った結果で、我が物顔で充分だ、などと言いだすヤツがいたとしたら、山の中に入って取った果物を、自分で作ったと豪語するような間抜けか、とても良い温泉だと、泥水の中に浸かって気分を良くする馬鹿と同じだ」
「お願い……せめてツッコミか訂正する時間をちょうだい……」
途中で泣きそうになるほど、辛辣な物言いだった。
「サイズは?」
「3000と1500だ」
「2900じゃないんだ」
「誰も麻雀の点数の話はしていない」
「ん。単位はミリね?」
「設計の基本はミリだ。深さは800を想定している。それほど手間もかからんし、足が伸ばせん湯船なんか作るなと、師匠も言っている」
「作っても寒いものは寒いでしょ?」
「何故だ? 火を絶やさないようにしているのを、もう忘れたのなら
「うっさいわー。そんな馬鹿じゃないわよ」
「できないは避けろ、そう言われたことは?」
「わかってるわよ!」
「どうだかな……」
彼女たちにとって、翌日という判断は難しい。時間的には昼過ぎだが、いつのと問われれば、今朝に鷺花が負傷して訓練を終えたばかりであって、感覚的には夜明けを見たので翌日の気分だが、当日のようなものである。
つまり何が言いたいのか――負傷療養の名の下に、鷺花は満足に身動きできないのだ。
言われっぱなしである。泣ければ泣いている。
ともかくこの女は口が悪いのだ。
「身動きできんなら、頭を動かせ鷺城。穴を掘ったあと、どうする?」
「お風呂でしょ? 普通に考えるなら、厚めの木を使って床と囲いを作る」
「いいぞ鷺城、その調子だ。いつものような間抜けな返答が聞けて、私の作業もはかどるというものだ」
「こいつ……!」
「そもそも、木の伐採をしたところで、面積に応じた一枚板が確保できるわけがないだろう。ちなみに、伐採には術式を使う。何故かわかるか?」
「チェーンソーがないからでしょ?」
「あるにはあるが、私の組み立てたナイフの方が良く切れる」
術式に頼るのではなく、術式で作ったものに頼るんだと、言外に伝えられれば腹も立つ。だが、感情的になると負けるのがわかっているので、我慢だ。
「うむ、我慢している貴様はブス顔でいいぞ!」
「うるさい! ――ああ痛い、いたい、悦が起きたら怒られそう」
負けるけれど、感情的にならないと追い打ちが余計に増えるため、ならざるを得ない。どっちにせよ負けだ。
「底板は組み込みだ。
「水ができるだけ漏れないようにするため。その小屋の屋根も、似たようなことしてるでしょ」
「屋根は凹凸ではなく、半分落としてあるだけだがな。そして同じように囲いの板も立てるわけだが――それを作って埋めても、失敗する」
「……強度の問題?」
「それが一番の問題だが、湯を張っていざ入ろうとした段階で、土が中に入って嫌な思いをする」
「あー……」
「斜面に階段を作るのと同じだ。材料もほぼ同じでいいが」
「……ん? んん? 板を置いて、……ん? 斜面でしょ? 固定はどうやんの?」
「これでは夏場の農作業も任せられんな。簡単な話だ、斜面に対して縦に板を置いて、それを補強するため小さな杭を二本立てろ。そうすれば自然と階段になる」
「あー、ああ、そうかそうか。地面そのものが足場になるものね、うん」
「つまりだ」
呆れたような吐息を落とされ、それがまた癪に障るのだが、この場合は鷺花の方が悪い――いや、悪くはないだろうが、そのため息を許容しなくてはならない。その立場が一番気に入らない。
「常に水を張っていれば、内部からの力である程度は形が保たれるが、水を流していなければ汚れが目立つ。囲いを作ったら、更にその外周に杭を打って補強だ。そこに砂利を敷き詰め、もう一枚板を入れれば、風呂に入る際の足場ができる。最低限、そのくらいは必要だ」
「なるほどね……さすがとしか言いようがないけど、その発想ってどこからくるの?」
「身近にあるもので何かを作ろうとする意識、それらの経験による部分が大きい。ただ発想の原点としては、比較だな。つまるところ、一般的な温泉施設」
「脱衣所、洗い場、浴場……」
「その際に、妥協点を見出す。現場を見ろ」
「衝立があればそれでいい?」
「靴を履いて湯に入る馬鹿はいない」
「――あ、そうか、悦を前提に話してるのね?」
「あいつの我儘ほど面倒なものはないぞ」
どういう土地なのかは知らないが、大きな石はないものの、砂地ではなく、角ばった小石が土の中からは出てきている。芽衣の動きを見れば簡単そうだが、おそらく鷺花がやればすぐ疲れて手が止まることだろう。
コツを知っているか否か。あとは芽衣の慣れだ。
「現実として、そこまで知ってしまえば術式でやった方が、早いだろうな」
「そうね。でも、これも現実として、――愛着がない。壊れてもいいやと思うようになる」
「だろうな。早いから便利だと、そう思ったものは避けろと私は師匠から言われている。一度目は良いが、二度目で命を落とすと」
「……覚えておくわ」
ところでと、立ち上がろうとした鷺花は、躰の軋みを察してまた腰を下ろす。座っている時間がやや長かったのか、躰が固まっているような感じだ。筋肉痛の時も、動き回っていれば良いが、少し休憩すると、途端に痛みを感じるようになるアレと同じである。
「この近辺に魔術素材があるところは?」
「おそらくないだろう。そこらの手配は師匠に頼んでいた」
「ジニー! ちょっとジニー! あいた、いたたた……」
「さては貴様、学習能力がないな……?」
しばらくすると、玄関が開いて再びジニーが顔を見せた。
「なんだ、さっきの今で」
「それは私の台詞だ師匠、何を持っている?」
「ビールだ」
「一本だな?」
「見ての通り隠してねえよ。お前は俺の母親か? 隠れてこっそり飲んでねえよ。ビールでさえ飲む時はお前がいる時だ」
「結構だ」
「で、なんだ鷺城」
「魔術素材が欲しいんだけど、手配できる?」
「……」
ビンビールを口につけ、けれど視線だけは鷺花を見て――しかし。
「芽衣」
「なんだ?」
「車庫にある三種の石、使っていいぞ。上手くやれば風呂のクオリティも上がるぜ」
「わかった」
「一ヶ月だったか鷺城」
「え、ああうん」
「……ま、いいか。芽衣、切りがついたらお前の使ってた寝室にある箱を持って来い。使っていいぞ鷺城」
「――へ? 用意してあんの?」
「何故、お前は用意してないと思っているんだ?」
「朝霧! ちょっとこいつ変なんだけど!」
「変なのは否定しないが馬鹿なのは貴様だ鷺城。そもそも、先読みをしたのか、念のためなのか、誘導されたのか、この三つを考察したのなら、待っているのは結果論だ」
「おい芽衣、結果だろうが何だろうが、用意しておいた俺を褒めるのが先だろ?」
「当たり前のことまで褒めだしたら、会話も成り立たない」
「……それもそうか」
「え、そこで納得すんの? おかしくない?」
「この程度で何を言っている? 師匠は昔からこんなものだ。ビールならともかく、一人で酒を飲むようなこともしない。私たちのやりそうなことなど、先回りして用意するくらいには、経験を積んでいるのは明らかだ。裏を掻きたいのなら、十年後だな」
「そこで諦めてどうすんのよ」
「誰が諦めていると言った? 私は常に、師匠を埋めて首だけ出したいと思っているが?」
「そりゃ十年後でも無理だな。じゃあ――」
「うあっ」
ずるりと、尻が滑って両足が前に。
「ごめっ、ちょっ――駄目これ……」
そのままずるずると、痛みに堪えながら落ちた鷺花は、地面に仰向けになったまま、力尽きたように動かなくなった。
一瞬である。
目の前が真っ暗になったかと思えば――。
「ふん、ようやくか」
「気付いたのか?」
「悦が丁寧に、そろそろ身体内部に術式を常時展開して、対策を取れと忠告をしたからな。十二時間の食事制限も加味して、睡眠薬を含ませただろう――とな」
「ああ、それでか」
手を止めた芽衣は、面倒な表情も作らずに鷺花を抱えるよう持ち上げると、悦の使っている診療用のテントの傍に寝かしておいた。
「今使っているドラム缶だが」
「ん? ああ、屋根の水か? いいぞ」
庭の広さには、限りがある。小屋の隣付近にしか水場は作れないが、実はそこに雨の際に屋根を伝った水が集まるよう設計されている。湧き水を引いても、屋根を作り変えるわけにはいかないので、ドラム缶に一度溜めて、水を軽く蒸留させれば、そのまま水場に流せる――その細工を、ジニーも気付いたわけだ。
「魔術素材は?」
「本当にあるから持ってけ。それと、弾丸を手配しといたから車を出せ」
「わかった。……それ以上、飲むなよ師匠」
「久しぶり過ぎて酔いが回りそうだから、すぐ寝るさ」
「そうしろ。それと」
「まだあんのか? 俺はもう飲み終えたぞ」
「鷺城が使うノート型端末を」
「それもお前の寝室にある」
「そうか。――すまんな、助かる」
「……はは、馬鹿言え。ガキのやることを面倒だとは思わねえよ。我儘を言うくらいが可愛いもんだ――が、お前はほどほどにしとけ」
「何故だ?」
「口が悪いからだ。……芽衣、何を作ると思う?」
「
「ん。で? 鷺城には勝てそうか?」
「……、先が見えん」
「結構だ。一ヶ月、吹雪も休ませろ」
「わかっている。貴様も酒を飲むなよ?」
「わかっている……」
既に空いているビンを軽く振り、ジニーは苦笑した。
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