第157話 これが原因で胸の成長が……と、のちに語る
2049年、十二月――。
雪こそ見えないものの、風を切って動くだけで寒さを感じる山の中、口から出る吐息が白色なのに、暑さばかりを意識から除外するような戦闘が行われている。
楽しい――という時間はそれほど長くはなく。
鷺城鷺花にとっては、腕を組んで首を傾げ、何がどうなるのか実験しているような時間がほとんどであり、それはそれで退屈ではないのだが。
戦闘において。
現状、朝霧芽衣よりも鷺花の方が、手数を持っている。
手数だけではない。おそらく手段一つの錬度、多様性、精度も含めて上だろう――が、今まで行われた十数回の戦闘訓練において、鷺花は自分の勝ちだったと実感したことはない。
――経験だけで圧倒された。
結論から言ってしまえば、戦闘においての手数なんてものは、どれほど多くても、局面に対して使えるのは現実的に、二つか三つでしかない。瞬間的に選択はできるものの、そこにはミスがつきものだ。
だが、朝霧芽衣は的確に正解を、いや、行動に正解などないはずだから、限りなく正解に近い行動をとると、そう言った方が良いのだろう。
理屈があって、理論があって、行動に至っているのにも関わらず、そこには積み重ねた経験があってこその結果だ。
即応してくる。
本当に、厄介なほどに。
これほどまでに違うのかと、痛感する。更に厄介なのは、経験によって新しく生み出すこともあれば、この戦闘で経験したことが生かされる――つまり、成長を止めていないのが、鷺花に緊張感を与えていた。
油断の一つ。
意識の一つが欠落したのならば、その一秒が命取りになる。
一ヶ月もすれば慣れてきて、どこまでやれば本当に殺してしまうのか、そのぎりぎりの境界線を感じることもできるようになった。逆に考えれば、その境界線を感じた時は、いかんこれは殺してしまう、と思うのとイコールなので、とても危険なのだが、ともかく。
距離にしておおよそ三十メートル。
これを遠いと感じるか、近いと感じるかは持っている得物によって違うだろうが、五十メートル走を想定した場合、短距離に該当する。戦闘においては中距離くらいか。
拳銃での攻撃が行われるくらいを、鷺花はずっと保ちながら、この距離で使用可能な術式を試す。距離を詰められたら離れ、効果的な術式を探りながら、研究を重ね、それを経験とする。
おおよそ六時間ほど、それを続けた。
いけなかったのは、休憩を考えたのだ。
――ふいに。
そろそろ距離を空けて、隠れようと。
戦場を前提としているため、じゃあ休憩しましょうと言い合って、腰を下ろして休むわけではない。簡単に言えば、相手から逃げて、隠れて、見つからないようにして休むしかなく、熟睡していればナイフが腕に刺さって飛び起きる――ようなことになりうる。
実際にそれを鷺花は経験した。拳銃じゃなかっただけマシだ。
けれど、だ。
それを考えるタイミングではなかった。
一瞬――。
その考えが浮かんだ一瞬で、芽衣を見失った鷺花は。
――まずい。
素早く息を吸うだけの動き、三十メートルの斜面をその一瞬だけで詰めた芽衣が、その呼吸の時間で出現していた。
脳内で警笛が鳴る。
まずい、どころの騒ぎじゃない――体内に複数の術式で心臓を守る。
奇妙な姿勢だった。
左足を軸にして、膝を前へ突き出すような姿勢でありながらも、更に、その膝に右手を置き、肘を突き出し――それが、鷺花の胸部へ当たっている。
当たっているのに、それは。
挨拶で軽く肩を叩く程度の威力でしかなく、僅かに鷺花の躰を後ろへと押す。それに対して、抵抗できないタイミングを作り出されたのを証明するよう、鷺花の足は動かない。
間に合わないことがわかっているからだ。
飛び跳ねても、踏み込んでも、躰の動きでは間に合わない。だから鷺花が持つ最速の手段として、術式の防御を選んだのだ。
それでも、間に合わないことは理解した。
結果が出る前にわかるだけ、戦闘には慣れた。
だから抵抗する――のに、距離と踏み込みを合わせた威力が、こんなに弱いはずがないと、それが現実になった瞬間に頭が真っ白になった。
どれほど強い打撃であっても、それを反らすのに強い力は必要ない。
肘で発生した力がどこへ向かう? それは、芽衣の右手の方向であり、それは膝だ。
間に合え、間に合え、間に合え――。
右手が膝を叩けば、曲がっていた膝が真下、地面に向かって叩きつけられる。
「――っ」
衝撃で、左右の木が外側に倒れるような威力。その力は逆流するよう、足から膝、腰、肩、肘へと向かって拳から放たれる。
それだけの威力伝達があったのなら、拳を放つ動きなど、必要ない。
つまり――最短。
肘を当てていた右腕を軽く伸ばして、威力そのものを伝達するだけでいい。
芽衣が肘を当ててから、ほぼ一秒の出来事であった。
だから、やはり、間に合わない。
放たれた右の拳に対して、左腕を差し込むのがせいぜいであり、空気を固めた防御術式の二枚をあっさりと
そこで、吹き飛んだら楽だった。
差し込んだ左腕がねじれるような感覚と共に、骨が二本とも同時に折れた。そして、乾いた音で肘が外れる。
拳はそれ以上動かないのに――衝撃だけが、躰の中に入ってくる。
血液を媒体にした術式を使えば良かったと、後悔した。
肺が潰れる前に肋骨が打楽器のように折れる。押し出された空気を口から吐き出せば血が混じり、視界が点滅するような痛みに耐えるために奥歯を噛みしめた。
ゆっくりと、芽衣が姿勢を戻し、軽い吐息で肩から力を抜けば。
鷺花は膝から崩れ落ちるよう座り込んだ。
「――は、はっ、はっ」
「ふむ、アドリブで適当にやったが、なかなか効くな」
会話ができない。まだ指定されていた戦闘時間は終わっていないが、続行すれば鷺花が死ぬ。大前提が殺す気でやって殺すな、なのでこれ以上の続行は不可能だ。
よって。
鷺花は意識を繋ぎ留めながら、どうにか
家の庭が、彼女たちのスペースだ。
「おい悦、急患だぞ起きろ」
「起きてる。今日はなに? 首が落ちそう?」
「それはもう死んでいる。おそらく上半身、特に胸部。それから左腕だな、診てやってくれ。この情けない女はすぐに泣きだすからな」
「はいはい――っと、ああこれはまずい。ふふふ、駄目よ鷺花これは、ほら横になりなさいこっちよ」
「悦が笑うということは、なかなかまずいわけか。ふうむ……」
このあたりから、鷺花の意識は朦朧としていた。
「手術する。
「すぐやる」
屋外ということもあって、そのあたりは慎重に行う。悦も魔術師であるため、専用の結界も張って行い、その間は芽衣も手出しはしないし、できない。
庭にある物置に似た小屋から水のボトルを取り出して飲んでいれば、家から小柄な男性が欠伸をしつつ顔を出した。
通称をジニーと呼ぶ、ランクSS
「おう……なんだ、鷺城の方か。何をした?」
「三十から四十ヤードほどの距離を保ちながら、いろんな術式をぽんぽん飛ばしていた鷺城に対してイラっとした私が、もう面倒だから避けられても構わないと、直線最短で距離を詰めて最大打撃を行った」
「へえ?」
「こう、肘で押すようにして力を移動させ、最初の踏み込みから二度目の踏み込みとして、膝を叩き、その力を拳に乗せたわけだ」
「また乱暴な手を使うな、お前は。避けられた場合の想定と、当たった時の慢心がなけりゃそれでいい。あと鷺城が生きてりゃ充分だ。しばらく戦闘はするなよ」
「わかっている」
「直線か?」
「そうだ。射線の意識と瞬発だな。鷺城の意識が他所へ向いたのが功を奏したが、実用的かどうかは半信半疑だ」
「相手によるのは何だって同じだ」
ジニーはいつも通り、玄関のところに腰を下ろして煙草に火を点けた。
「丁度良いから、鷺城に拳銃と狙撃銃を教えとけ。あと車。戦闘はできなくても、そのくらいはいいだろ。そろそろ一ヶ月だからな」
「ふむ。では、そろそろ庭の改造もしたいのだが、構わないか?」
「芽衣、ここを掘っても温泉は出ないし、ボーリングの機械がないぜ」
「誰がそんなことをやると言った……?」
「必要な材料はキリタニに言え」
「わかった。ところで師匠」
「あ?」
「師匠ならどう対応する?」
「手段が多すぎて説明にもならん。完治まで無理はさせるな、後遺症になる」
「飲み過ぎるなよ」
「母親にも言われたことはねえよ」
煙草一本分の時間、すぐにジニーは家の中へ。相変わらず、いつも通り。
「まったく性格が悪すぎるな、あいつは!」
「あんたが言うなー」
「なんだ、返答があるとは余裕があるな」
悦の手術は基本的に、魔術を複合しているため、切開を行わずに内部の治療を行う。そして大半の治療方法は糸による縫合だ。
骨、内臓、患部の場所によって違う糸を使う縫合は、治療をするというよりはむしろ、縫合によって元に戻す行為に限りなく近い。それがきちんとくっつくのは、自己再生が必要であり、すぐ元通りではない。
ただ。
限りなく正確な縫合をするため、復帰は早い。
夜明けの時間になったので、朝食の準備として保存しておいた肉を焼く準備を始めれば、衝立の中から悦が顔を出した。
「終わったわ」
「ご苦労。一昨日の肉がまだ残っているが、野菜がなくてな。時間があるなら取ってくるが?」
「片づけるからそうして。肉だけじゃ眠れないわ……」
「なんだ寝るのか」
「あんたたちに付き合って、不規則な生活になってるけれど、私は寝る時はちゃんと寝るの。馬鹿じゃないから」
「いくら寝ても貴様は育たんぞ?」
「まだわからないでしょ!?」
「では六年後くらいに見て笑おう。期待はせんがな」
食事の準備と片づけをそれぞれ終わらせ、朝食の時間にしていると、ようやく鷺花が躰を起こした。
「お腹空いた。私のはー?」
「甘ったれるなクソ女」
「駄目よ鷺花、十二時間は水も控えなさい」
「甘えていいぞクソ女! 歯ごたえ抜群の肉をやろう!」
「ああうん、まあ、うん、ありがと悦」
「きちんと自己把握して運動なさい。補強して戻したけど、抜糸はだいぶ先だから。……ふわっ、んぐ、私寝る」
「はいはい、可愛いあくび。寝ても育たないわよ」
「それ二度ネタだから」
「確率も上がるわね?」
「うるさい」
衝立を片付けるついでに躰の調子を確認した鷺花は、料理の片づけを始めた芽衣を見つつ、吐息を落として椅子に腰を下ろした。
治療用の天幕があり、その傍にあるテントが悦のスペースである。この前まで存在していた鷺花のテントは、五日前に撤去されているので、寝所も考察しないといけない――が。
「――やられた」
「ほう? 反省することがあると?」
「あの局面で、意識を外に向けたのは、さすがに馬鹿でしょ」
「なんだ貴様、ようやくそこに気付いたのか? 以前から馬鹿だ馬鹿だと言っているだろう?」
「うるさい。あー落ち込む、自業自得。対応も間に合わなかったし」
「――あ! 忘れてた馬鹿ども」
「なによ」
「そろそろ、体内への干渉を前提とした、防衛措置を自動展開しときなさい。手術の時は面倒だけど、そういうところが間抜けよ」
それで言葉は終わった。
「あー……」
「そういえば師匠が言っていたな」
「なに?」
「貴様は初対面で握手をした際に、師匠に探りを入れただろう? なるほど、確かに探る精度そのものは高いが――」
「――え、対処された?」
「いや、対処するまでもないと言っていた。探ったことを相手に悟られるようでは、話にならんとな」
「一ヶ月後にダメ出し!? うわいた、痛い、胸が……あー効く」
「それでも威力がだいぶ減衰したな」
「そっちの感覚ではどう?」
「物理接触の前に術式二枚、腕を折った感触に雑味はなかったが、配慮して心臓から芯をズラしたのに、妙な感覚があったから、内部展開はしたな?」
「……あんたに配慮なんてあったの?」
「次からは心臓を狙っても、大丈夫そうだな」
「さすがにその最低ラインは、真っ先に対処したわよ。お陰で腕一本を差し込むのが精一杯。悦の言ったように、
「そもそも喰らわなければ良いだろう?」
「うるさいわ! ――あー痛い、痛い」
「思いのほか、上手くいったものだ」
「ほぼ捨て身でしょ? よく、やろうなんて思ったわね」
「つかず離れずでイラっとしたからな!」
「こいつ……! 一時的な感情!?」
「そうだが? 理屈ではなく感情でやられた気持ちはどうだ? ん?」
「次はないわよ!」
「当然だ。同じ失敗をする愚者になるようならば、私の相手にはならん。同時に、私もそうならんよう努力している。――少し待て」
朝食の片づけを終えた芽衣は、小屋の中に入り、一枚の紙を手にして出てきた。中は土間であり、寝室などは一切なく、本棚を中心にした棚が複数あるだけだ。文字通り、ただの物置小屋である。
鷺花はまだ、この庭で休むことが多いけれど、芽衣はどこでも休む。それこそ、畑の隅でごろんと横になって寝ていることもよく見かけた。
「ほれ、これを見ろ」
「ん――地図?」
「貴様が完治するまで、戦闘訓練はしない。銃器訓練を中心にして遊んでやろう」
「ああそれは助かる。そっちは使えないままだったから」
「それはそれとしてだ」
「うんなによ」
「今から私は水浴びをするわけだが、この時期はまだ冷たいし――水場まで移動するのが面倒だな?」
「本題をまず言いなさいよ、あんたは。回りくどい。嫌味の一つも含めないと会話もできない?」
「嫌味の一つも含まれない会話で、貴様は何を楽しむ?」
「なんで楽しむの」
「遊び心もない女に、男は寄ってこないぞ。それは貴様の将来なので私はまったく気にしないが、裏山から水を取る」
「大きなお世話よ。裏山って、そこの? 立ち入ったことないけど、これが地図?」
「そうだ。赤色のマーカーが湧き水の位置だ。現在の水量はわからないので、確認しておけ。それに応じて、水路の長さと位置を決める。お前の足がどれほどの長さなのか知らんが、浴槽そのものの広さもきちんと考慮しろ」
「はいはい。材料は?」
「適当にな」
さてと、タオルを片手に持って庭を出ようとした芽衣は、陽光の眩しさに目を細めながらも、ふいに立ち止まって、振り返る。
「お前は、結果的に通ったと、そう言うだろうが――射線が通ったからこそ踏み込み、距離を詰めたが、どういうわけか私には、射線を通した感覚がある。妙な気分だ、昔に虫を焼いて食った時のような味がする」
それだけ言って、すぐ足を進めた背中を見て、ため息を一つ。
「いたた……」
ああやって、芽衣は感覚で捉える。
だがそれは理屈として言葉にできないわけではなく――鷺花の頭を悩ませる。
結果的に通った、これは正しい。であればこそ鷺花は負傷した。
鷺花がこの結果を想定できていなかったのは、未熟の証明だとしても、通ったから踏み込んだのに、通した感覚があったのならば、それは先読みになる。
けれど、先を読んだわけではないだろう。
その差異がまだ、鷺花にはわからない。決定的な差であることは、負傷が証明してくれた。
まったく。
「隣の芝は青いだけなら、まだいいんだけどね」
独り呟いて、陽光を感じた鷺花は苦笑して劣等感を振り払い、地図に視線を落とした。
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