第154話 三人の侍女と今後の予定

 鷺城鷺花が屋敷にやってきて、三年目。2048年になって、鷺花は一つの問題にぶつかった。

「――だめ」

 三女のシディが腕を組んで横を向いていた。

「えー?」

「だめ」

 つまるところ。

「そろそろ庭がちょっと荒れるような術式を試したいんだけど」

「だめ」

 これである。

 庭の手入れはシディが全て行っており、植木の手入れや雑草の駆除、整地まですべて担当しているわけで、それはもう愛情が込められているので拒絶されるわけだ。

 どうしようもないのである。

 仕方なく、とぼとぼと自室に戻って、まずはベッドにダイブ。ちらりとテーブルに目を向ければ、五日前に貰ったいくつかの大学入試問題と、大粒のダイヤが三つばかり転がっていた。

 宝石は魔術品に適性があるものが多い。もちろん、一年間に採掘され、販売に回る宝石の中で二割程度が魔力適正を持ち、その中でも大粒となると数えるくらいしかなく、大抵の魔術師は自ら採掘に向かうものだが――。

 この宝石を使って。

 術式のストックを考えていたのだ。

 とはいえ、魔術品や魔術武装と呼ばれるものではなく、単純に思考補助を考えている。周辺状況の察知を片方にさせ、もう片方に記録しておいた適切な術式を呼び出すようにさせる――あくまでも術式の構成は鷺花で、実行も鷺花だが。

「ん……? 構成そのものも入れておけば、実行だけで済むかな?」

 などとも思うが、実験できないのでは、話にならない。お蔵入りにはしたくないので、先送りをするかたちだ。

 残念である。

「んふー」

 ごろごろしても好転はしないだろうなと、立ち上がってまた部屋を出れば、途中でアクアと出逢った。

「あら鷺花様」

「暇な時間?」

「ええ、鷺花様のお相手ができる時間です」

「んじゃお話しよう」

 二階の通路を奥まで歩くと、そこから先は屋敷の表側へと伸びている。やや傾斜のある通路は、三階の位置に存在するテラスへと到着し、そのまま歩けば逆側からまた元に戻るよう、一周ぐるりとあるわけだが――。

 歓談のスペース。

 ここからは庭が一望できるのだ。

「紅茶でよろしかったですか?」

「うんお願い。アクアのぶんもね」

「かしこまりました」

「んーっ」

 両手を伸ばすよう伸びをして、椅子に腰を下ろす。庭には誰もいないようだ。

「そういえばさー、アクアたちを作ったの、師匠だよね?」

「厳密には、躰を作っていただけたのがネイキーディラン様、現存する人形師パペットブリードで唯一、最高峰マエストロの称号を得ている方です。そしてこの宝石は、旦那様がお創りになられ、自動人形オートマタとしてのコアを若様が完成させ、私どもが生まれたのです」

「あー、なんか、納得。肉体が魂で形作られるのか、魂が肉体に寄るのか、そこらは難しいから解釈が大変だろうし。じゃあアクアが第一号?」

「そうですねえ……」

 忘れてはいない。

 初めて目覚めた時のことを、アクアは今でも鮮明に覚えている。

「同じ躰に、違う核を預けられ、私どもは三人とも、しばらくは動かなかったようです。最初に目覚めたのが、私でした――が、目が覚めただけで、動けるようになったのは、もっと先でしたが、まだガーネが動く前に」

 その頃はまだ、右も左もわからず、ただこの屋敷を管理するために、動いた。

「旦那様は元より、若様もあのような性格ですから、口出しはほとんどされず、本当に最初は困っていたんですよ」

「その頃はシンいたの?」

「いいえ、ウェル様がいらっしゃっただけで、まだシン様も、キースレイ夫妻もいらっしゃいませんでした。順番で言うと、シン様の次にキースレイ様、そして風華ふうか様です。今この場にいる方だけならば、ですが」

「二人くらいどっか出てるんだっけね。じゃあ最初はアクア一人でやってたんだ」

「今思えば、できていたとは言えない程度に、ですよ。お恥ずかしい限りです。ただ屋敷と、それを含めた人たちへの理解はできました。その頃から、私の役割は屋敷の管理です」

「じゃあ結構、一人で長くやってたんだ?」

「二ヶ月ほどでしょうか」

 紅茶を渡したアクアは、小さく微笑んで庭を見る。あの頃は、庭の手入れなんて、落ち葉の掃除くらいしか思いつかなかったし、できなかった。シディはよくやってくれている。

「そのくらいでガーネ?」

「ええ、目が覚めたのは、そのくらいです」

「心情的にはどうだったの」

「それはもう、とても嬉しかったです。少しだけ距離を空けながら、あれこれ教えて、それを飲み込んで覚えて、がんばってる姿が余計に可愛らしくて」

「あー……なんとなくわかる。いやガーネじゃなくて、嬉しそうなアクアが」

「本当に可愛かったんですよ。今でも可愛い妹ですけれど」

 今でも本当に嬉しそうに言う。満面の笑みだ。

「ガーネはすぐじーちゃんに教わったの?」

「ええ、ガーネは早かったですよ。二週間ほどでしょうか、ちょうど料理を作っている時に包丁で手を切ってしまったんです。あの時のガーネは本当に、どうしたらいいのかわからなくて、泣きそうな顔になって私のところに――あら」

「――姉さん」

「あ、ガーネきた」

「姉さん……」

「あらあら、ふふ、では鷺花様、失礼しますね」

「はいはい」

 不満そうなガーネの視線を一切気にせず、アクアは笑いながら去っていった。さすがの姉である。

「まったく姉さんは……」

「あはは、ガーネもさすがに頭が上がらないか」

「そうですね。……話の続きですが、その時に旦那様より、自らの手で作った刃物は、自らを傷つけることはない――そう、教わりました。そうでなくては作れないと。その折より、私はいつもの仕事と並行して、魔術を学んだのですが……」

「まだ厳密には料理当番じゃなかったんだ」

「はい。ただ、意欲的に作ろうとは思っていました。姉さんも勧めてくれたので。……ある日、夜中に魔術の研究をしていた際、物音に気付いて部屋から出た時がありました。私の後始末も含めて、仕事をしている姉さんを見た時、私はたぶん、本当の意味で、姉だと強く実感しました。それ以降はもう、本当に、頭が上がらないんです」

「あー、アクアってそういうとこあるよね。いつもなんか暇そうに見えるけど、見えないところで効率的に動いてて、忙しい素振りを見せないっていうか。いやそれはガーネも一緒か。騒がしいのはシディだもんね」

「あの子は甘やかしすぎました」

「あ、自覚あるんだ」

「ええ、なんというか、その、……甘くなってしまうんです」

 その気持ちはよくわからないが、たぶんアクアが鷺花に甘いのと同じようなものだと思えば、なんとなく。

「シディが目覚めたのはいつ頃なの?」

「私が侍女として……そうですね、おそらく私から三ヶ月ほどだったかと」

「じゃあ、だいたいアクアから半年くらい? その頃って、まだウェルだけ?」

「はい、そうです。すぐにシン様がいらっしゃいました」

「あー……シンと一緒に遊んでるシディがすごくわかる」

「それを許してしまうのも、駄目でしたね……いえ、いいんですが」

「――おや?」

「若様」

「いいよガーネ、鷺花の相手は僕がやっておくから」

「なんか私が悪いみたいじゃんかよー」

「似たようなものだろう? ほら、アクアがクッキーを持ってきた」

「ああ……今日の昼食後のおやつに作っておいた種を、また姉さんは勝手に……鷺花様、失礼します。違うものを考えなくては」

「あはは、ありがとねガーネ」

 視線を庭に戻したら、シディが作業をしていた。こういう間が悪いのも、生まれつきなんだろうか。よくあることで、あとで文句を言うパターンだ。

「相変わらず白い服。それしかないの?」

「これしかないよ」

「またそうやって反射的に嘘を言うからこの師匠は……おー、ありがとねアクア」

「いえいえ。ガーネにがんばってもらいましょう」

「私もちょいちょい、料理は覚えてるけどね。あ、それより師匠」

「なに?」

「そもそもさ、どうしてアクアたちを作ろうと思ったの?」

「この広い屋敷に男が三人いると、どうしたって手が回らなくなる。父さんはもう平穏な生活をただ送ればいいだけだし、ウェルは見ての通り、何日も部屋から出てこない。僕は僕で魔術の研究を始めると、ほかのことがどうでもよくなってね。食事を作るにも材料がいる――そりゃ最初は買い出しくらいしていたさ。けれど、面倒になるといけない。ついには魔術の研究が、どうやったら人は食料なしで生きて行けるのか、なんて方向に傾いている事実が、研究したあとに気付いた時の驚愕きょうがくを、鷺花にどう説明したらいいのか困るくらいには、危うい状況だ」

「うわあ……」

「最初はいいんだよ、最初はね。たぶん、服を洗うのが面倒だから、服を着たまま風呂に入って、一緒に洗ってしまえばいいんだ――なんて、当時は画期的な発明をしたかの如く、閃きを喜んだけれど、それがいけなかったんだろう」

「駄目だそれ! え? ひなたさんいなかったの?」

 ちなみに、ひなたとはエルムの妻であり、いつもそこらで丸くなって眠っている。

「まだいなかったよ。だって当時は、僕も学生だったからね。この屋敷が広いと痛感したのは、アクアたちがきて、ちょうど良い広さになってからかもしれない。お陰で助かっているよ」

「ありがとうございます、若様」

「察しが良いからね、アクアは」

 嘘ではない。実際にそれは現実だったし、理由の一つになっている――が。

 まさか人形師であるネイキーディランが、最後の作品として彼女たちを作っただなんて。一ヶ月ほど寝込み、二度と人形は作れないと本人が言ったほどの人形が、アクアたちの母体なのである。

 作ったものは使うべきだ。それが譲渡されたものならば、なおさら――というのが魔術師の考えであるし、特にエルムやエミリオンは、その傾向が強い。

 そして。

 二人とウェルは、その三つの人形を同一素体であると確認した。

 完全に同一の素体が三つ、そこに在ったとして。

 違うものが生まれるかどうか、そういう試みをしようと思うのが、魔術師の好奇心だ。

 まず、エルムが自動人形オートマタに必要な核の魔術構成を作り、それをエミリオンが物理的な核として、魔術品にした。

 変えたのは――見分けがつくよう、違う宝石をベースにしただけで、内部容量も同一。ちなみに、宝石の物理構成そのものも限りなく同一である。そこはエミリオンも断言していた。

 そもそも――。

 理屈上では、この時点で同一の自動人形が生まれる。

 しかも、起床時期がズレることすらない。

 だがそこはそれ、魂と呼ばれるものの不安定さを証明できたのだろう。現実には性格の違う三人がここにいる。

 もっとも、性格は環境に左右されるので、そういう影響もあるだろうけれど――と、これらの理由は屋敷にいるほぼ全員が知っているし、隠すことではない。

 だが、エルムが誤魔化したのであれば、あえて説明せずとも良いことだ。もちろん、それ以上のことも。

「ああそうだ、鷺花。そうだなあ……来年あたりに、良い実験場が作れるから、術式の行使は我慢して、ストックしておくといい」

「え、ほんと? 嘘じゃない?」

「嘘じゃあないよ」

「約束よ?」

「ああ約束しよう」

「よし!」

 それがとんでもない訓練に発展することを、今の鷺花はまだ知らない。

「しばらくは状況を想定して、なんとかやってみるか」

「ああそうだ、その頃に一度実家に戻るんだよ鷺花」

「へ? いいけど、何日くらい?」

「たぶん五日くらいの余裕は取れると思うけれど、もっと長い方がいいなら調整しておくよ」

「んー……や、来年までに決めておくから、その時に言う」

「わかったよ」

「あれ? あ! なんかじーちゃんが外出てる! ちょっと行ってくるね!」

「はいはい」

 空のカップを鷺花から受け取ったエルムは、そのままアクアから紅茶入りを受け取って渡す。

「見違えるとは、このことだね。三年は長いかい、アクア」

「どうでしょう。少なくとも私どもにとっては、とても充実した三年間だったかと」

「しばらく逢えなくなれば、寂しくもなるね」

「それでも、いつか帰ってこられる場所を、私はいつまでも整えておきます。それが私の役目なれば」

「できた侍女だよ。けれどまあ、来年一杯くらいまでは、おとなしくさせておくけれど」

「若様は、師としての役目を、果たしていらっしゃいますか?」

「さあ? 少なくとも僕は、鷺花の上に立っていれば、それだけで充分だと思ってはいるけれどね。だから鷺花の成長なんて、僕の成果にはならないよ。結果、そうなっただけだ。それでいい」

「そんなものですか」

「どんな役目があるんだい?」

「嫌味を言って、テーブルに乗せる教材をだんだん増やす役目でしょうか」

「さすがだよアクア」

「ありがとうございます」

 あるいは、弟子に嫌そうな顔をさせる役目だろうとも思ったが、笑顔でカップの片付けに入る。

 一望できる庭では、鷺花が姿を見せてなにやら騒がしくしていて――それを。

 鷺花は決して見たことのない、穏やかな表情で、エルムが眺めている。

 それはもう、とても、嬉しそうに。


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