第152話 念願の地下書庫、四本の刃物

 日課ではないにせよ、台所で珈琲を落とした鷺花が一休みを終えると、廊下でエルムに呼び止められた。

「鷺花」

「ん? どこ師匠」

「下だよ鷺花、ちょっとおいで」

「はあい。なに、またすげー面倒なこと?」

「やれやれ、心外だな。僕はそれほど面倒なことを押し付けた覚えはないよ。やるのもやらないのも君の自由だし、そもそも面倒ごとなら自分で解決するさ」

「ぬう……」

 信用してはならない。

 この白白しらじらしい男は、平然とそう言って面倒を押し付けるのだ。

「地下書庫へ行くよ鷺花」

「行く!」

 迷わなかった。すぐ階段を下りて、右側の通路へ。その奥、突き当たりにあるのが地下書庫への扉だ。

 今までは、立ち入りを禁じられていた。

「といっても、僕が同行しない限り、まだ立ち入りは禁止のままだけれどね」

「それはいいから早く!」

「いいかい鷺花、本に手を触れないこと。――いいね?」

「わかった!」

 本当にわかっているかどうか知らないが、まあいいと細い通路に足を踏み入れる。

「足元に気をつけて。明かりが少ないからね」

「わかったけど、細いし暗いね」

「書庫そのものに条件が必要になるからね」

 やや螺旋を描くよう、階段を下りる。足元に注意して歩いていた鷺花は、ふいに立ち止まり、壁に手を当てて振り返った。

 何もない――が。

「師匠、ここ、空間がちょっと歪んでる?」

「まあね。どうして気付いた?」

「シンがさー、槍をひょいって出すじゃん。あれガーネと違って作ってないなあと思って解析したら、なんか取り出してるみたいだったから、空間に格納でもしてるのかなーって」

「ああ、格納倉庫ガレージか。最終的には自分の影を使うと便利だよ、あれは。じゃあ今日は、そこらの理論構築の参考になりそうな本を選ぼうか」

「よろしく!」

 到着した先は、地下だからか暗い場所ではあったけれど、広さだけはよくわかった。鷺花では一番上まで手が届かないほどの本棚が並び――。

「いや、師匠でも届かないでしょこれ」

「手を伸ばす必要がないからね。ともかく、無暗に触らないように」

 移動するたびに、明かりが小さく点く。これも術式でやっているようだ。

「明かりを嫌う魔術書もあるからね」

「あー、持ち主を選ぶって言うもんね。魔術書の意志は作るの? できるの?」

「結果、できるとしか言いようがないね。物品にだって魂が宿るんだ、本にだってあるよ。付喪神つくもがみは日本の思想だ」

「そだね。昔、父さんがそんなこと言ってたかも」

「武術家の領分でもあるからね。――鷺花、魔法に関しては?」

「……うん、気付いた」

 それが魔術とはまるで違うものなのだと、今は認識できている。

 魔術は、技術だ。研究によって幅広く身に着けることができる――が、魔法は違う。

「魔法は法則そのものを、背負ってる感じがする。それは技術じゃなく、利用するものでもなく、使うものでもなくて……ただ、そうあるべきもの。背負うしかなくて、背負ったなら、――かな」

世界法則ルールオブワールドの一部を補強するために、魔法師は一部の法則を担う。未来を背負ったり、過去や現在、あるいは意味。いずれにしても魔術では到達できない部類のものだけれどね」

「到達なんてしない方がいいよ、そんなの」

「その通り。真に迫ることはできるかもしれないけどね」

「私のこれもそうだよね? 気付いてから、上手く制御してるけど」

「そうだよ。法式は制御が難しいけれど、術式の延長にあるのならば、感覚的には掴みやすい。そして、その法式を〝自立真相の深層アウトサイド・シンク〟と呼ぶ。君にとって、読み取ったそれは他者の思考なんだろうけれど、厳密に言うのならば、それは、世界の意志プログラムコードの断片だろうね」

「……なにそれ」

「世界に関連する本を渡そうと思ったのが、ここへ呼んだ理由さ。わかっているだろうけれど、魔術とは世界の探求そのものだ。そして世界とは、多くの法則によって作られている。だが世界は器そのものだ――と、そういう方向性だよ。鷺花は法則を担ってしまっているが、本来の意味合いでの魔法師ではない。その認識の齟齬が、将来的に問題になりうる」

「ふうん……私自身のことだし、やっとく。なんかいろいろ、やること多くて――楽しいね!」

「それは良いことだ――っと、あれ、父さん」

 たどり着いた先には、この地下書庫にある唯一のテーブルがあり、エミリオンはそこで図面を広げていた。

「じーちゃん」

「ん、なんだ、エルムと鷺花か」

「丁度良い、ちょっと鷺花の相手を頼むよ。僕は本を選んでくるから」

「ああ」

 鷺花はすぐ図面を覗きこむ――が。

「あれ、大剣? 設計図っていうより、デザインみたいな?」

「依頼で作った五番目、最後の一振りだ。正式名称は、属性起因型術式含有大剣」

「ふうん? 言葉通り受け取れば、周辺属性、地水火風天冥雷を基点にして大剣が吸い取って蓄積した術式を展開する?」

「そうだ」

 火系術式を吸い込んだ大剣は、それを解放することができる。ただし、乾いた土地など火属性が強い場所ならば扱えるが、それ以外では効力をあまり発揮できない――という仕組みだ。

 であるのならば。

「使用者が魔術師じゃない前提なの?」

「ああ、そういうオーダーだ。魔術回路を保持しない人物が扱っている。故に、細かい制御もできないし、汎用性も低い。だが、所持者の判断で真に迫ることはできる」

「でも、所持者側が大変じゃない? 多く吸収アブソートしても、全部覚えてるかどうかわからないし、たぶん一度使うとストックがなくなる感じでしょ?」

「だから、AIを大剣に組み込んだ。といっても、躰を持たないが自動人形オートマタと同じ思考くらいはできる」

「アクアたちみたいに?」

「人としての躰がないから、同一とは言わんが、それもまた真に迫ることはできている」

「あー、そっか、別の媒体を使えばいいのか……それ私もやりたいなあ。最近、術式の整理もしたくて。師匠聞いてる!? 術式の整理!」

「はいはい、聞こえてるよ――っと、シディ、ちょうど良かった」

「あれ? 若様……ん? なんで鷺花がいるの」

「なんでシディこっち入れるの?」

 一番小柄な三女、オブシディアンを持つ次女は、ひょいひょいと近づいて来て、顔を見せる。

「だって私が掃除とかしてるし」

「なんだとー」

「んで若様、なに?」

「探してる本があるんだ、あれはどこだったかな? 逃げたのか、隠れてるのか、それともウェルが持ち出したのか」

「んっとねー」

「くそう、なんかずるい……」

 まだシディとの実力差があるとはいえ、なんか癪だ。

「まあいいや。それよりじーちゃん、四本あるんでしょ? 教えて!」

「まだお前には早いが――そうだな」

 正直に言えば、エミリオンにとって青臭い頃の話だ。いろいろと割愛したくもなる。

「一番目は、今はない。金属としての最終形として、強度を主眼とした。耐用年数は――まあ、ほぼないだろう」

「壊れないの?」

「それは想定していない」

 壊れることを想定していない。

 壊れない。

 少なくともぱっと理論が浮かぶような話ではなかった。

「二本目は術式を混ぜ合わせた。投擲専用スローイングナイフだが、これには複製コピーの特性を含めている。厳密には残影シェイド影複具現シャドリニティの応用だが……」

「ちょっと待って。あれ? じーちゃんの魔術特性センスって、魔術ルールなの? 基本的に一つじゃん。ほかの術式が使えないってわけじゃないのは、わかってるけど」

「エルムは制限の外し方も教えてないのか。代償と対価の話にもなるんだが」

「欲しいものを得るための対価と、失ったからこそ得るものがある代償でしょ?」

「これは危うい思考だから、実践するならまずエルムに確認を取っておけよ鷺花。たとえば、――これは?」

「作れない、じゃなくて?」

「それも間違いじゃない。ただし、――となる。これを対価にして、代償として負えば、得られるものもあるわけだ。たとえば、作るのが刃物ならば、あらゆる特性を内包する――とか」

「――あ、そっか! 特性を持つんじゃなく、変な言い方だけど、特性のある刃物を作るんだから、自分の特性はあんまり関係ない?」

「似たようなものだ。理論だけは精査しておけ、よくある手法だ。それの確認も含めて、複製可能なナイフを作った。オリジナルを所持していれば、いくらでも投げれる――ん? お前をここへ運んだのは小夜さよだったか?」

「うん」

「二番目はあいつが持ってる。顔を見せた時にでも頼んでみろ。次に三番目だが、これには二つの特性が入ってる。一つは、魔力の吸引だ」

「それ、もしかして術式の無力化?」

「切った対象を体内に飲み込むような形だ。問題もあるにはあるが、三番目は一対いっつい――つまり、二振り。あれは対魔術師だけでなく、対妖魔にも効果はあるから、なかなかに厄介だぞ」

「厄介だって、じーちゃんが作ってんじゃん」

「はは、俺が使うわけじゃないからな。もう一つ、特性が含まれている。というか、含んだというよりも、三番目の本来の目的は、魔術特性を作れるかどうか、だったんだがな」

「特性を、作る? 組み込むんじゃなく?」

「禁忌に限りなく近いが、まあ誤魔化しだな。三番目は、その携帯性が特殊だ」

「え、なに、なんなの」

「〝組み立てアセンブリ〟になっている。解体と組み立て、この二つはセットだ。つまり三番目は、ナイフとしての現物ではなく、組み立ての特性そのものが刃物になっている。お陰で所有者の特定が困難だし、取り外しも難しい。ともすれば、所持者本人が刃物になっていても、俺は驚かん」

「うわあ……なにそれ、すげーよじーちゃん。なるほどなあ……――ん? もしかして、一番目から段階を踏んでる? 基礎となる金属作って、そこに術式を入れて、今度は特性そのものを作ってみて? え、じゃあ四番目は?」

「機能だけ言えば、簡単だ。一言ワンワードで済む」

 その時の顔が、鷺花には印象的だった。

 笑っていたけれど、どこか遠くを見ていて、それでいて誇ってもおらず――それを、自虐に近いと思ったのは、もう少し先のことで。

 エミリオンが、言う。

法則ルールを切断する」

 そして。

「俺の最高傑作であり、俺の終わりの一振りだ」

 その瞬間から、エミリオンの人生は惰性になった。

 進んだ先の頂点が、四番目の刃物であったからだ――が、まだ幼い鷺花にそれを伝えるのは、酷だろう。

 あるいはエミリオン自身も、それを、誰かに知って欲しいとは、思っていなかったかもしれない。


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