第150話 初めて作った、こつんと壊れたナイフ

 その一年を、早いと評価すべきか、遅いと考えるべきか、その判断はそれぞれ違うだろう。

 少なくとも鷺城鷺花は、その一年を早いと感じていたし、けれどでも、その結果を考えたのならば、遅いと思う。

 実は半年ばかりを費やし、真っ先に鷺花が片づけたのは、ジュニアレベルの学業であった。

 面倒ごとは先に終わらせろとエルムに言われたよう、どうにも鬱陶しく思えてしまったのだ――が、実際にやってみれば、単純に知識量が増えていくので面白く、それが魔術の知識にも繋がる部分が発見できた時は、まさに宝探しトレジャーハントのよう、嬉しさを感じたものだ。

 一日でスケジュールを組むことは、ほとんどなかったが、気分次第だった。一日中、魔術書を読むこともあれば、術式の研究をやってみたり、かと思えば躰を一日動かしていたこともある。

 あっという間の一年で、寒さが少し和らいできたかと思える頃、それは完成する。

「鷺花様――」

 その日、昼食の準備ができたので、どうするのか聞きに部屋を訪れたガーネは、いつもの光景に入り口で足を止めた。

 分析なのか、構築なのかはわからない――が、テーブルで本を開いた鷺花の周囲に、部屋を埋め尽くすような無数の術陣が展開している。しかも、常にあちこちの術陣が変化し、回転し、姿を変え、そうやって動き続けているのだ。

 ――本来。

 魔術における展開式とは、人によって形が違うけれど、こうした術陣のようには。アクアなどは無数の線を重ね合わせた図形となり、隙間そのもので表現しているようなものだし、ガーネの場合はそれに似ていながらも、電子回路の図面に近い形となる。

 術陣ならば、それはもう、一つの術式として展開しているのだ。

 ただ鷺花自身は、それこそ展開式と同じような扱いで動かしており、調整を入れている――が、さておき。

「鷺花様」

「んー」

「昼食の準備が整いましたが、どうなされますか?」

「んー、もうちょっとー」

 もうちょっと。

 これが長いのをガーネはよく知っている。一番長かったので三時間、それが鷺花のもうちょっと。実際には、作業が完了するまで気付かないのである。

 実力行使はアクアが一番良い。以前、シディに任せたら、二人して没頭を始めたのであの妹は駄目だ。やはり姉は偉大である。作業を全部真っ白にするくらいの実力行使で、鷺花の四時間分の作業を全部駄目にして涙目だったが、さすがは姉だ。怯みもしない。

 ただ、さすがにそれはかわいそうだと思ってしまうのが、ガーネの弱さだ。

 どうすべきか。

「鷺花様」

「ん、ん、よっし、これだ!」

 どれなのだろうかと首を傾げれば、一気に術陣が集まりながら、いくつかは弾けるようにして消え、それはテーブルの傍で円柱になると、一本のナイフになって落ちた。

「できた! やっほーい! あ、ガーネ! 見てみてこれ! じーちゃんのナイフ!」

「……、おめでとうございます、鷺花様」

 一年だ。

 さすがにすぐ言葉が出てこなかった。

 だってガーネの時は、そこまで至るのに二年以上は費やした。しかも、鉱石などの金属をベースに作るのではなく、全てを術式で作っているのがわかれば、驚く。

 ――冷静に考えれば。

 ようやく、鷺花の飛躍する思考に、技術が追い付いた証明でもあった。

「ちょっとじーちゃんとこ行ってくるね!」

「いえお待ちください鷺花様、昼食が先です」

「……え?」

「昼食です」

「後にできない?」

「鷺花様」

「あー……うん、そだね、片づけるのガーネだもんね、うん。でも急いで食べると躰によくないでしょ?」

「では鷺花様、旦那様のところに行った後は、落ち着いて食べられますか?」

 問われ、考え、頷き。

「はい、今から食べます」

「そうしてください。お持ちしましょうか?」

「その間に逃げそうだから、行く。一緒に食べよう」

 自分のことがわかっているのも、なかなかの美徳だろう。

 調理場の隅にある小さなテーブルで、ガーネと一緒に昼食とした。全員が集まって食べる広間もあるが、さすがに二人では狭いし、今日はシディもアクアもいない。四人掛けのテーブルなので、鷺花はよくこちらで食べている。

 だが。

「……なんか落ち着いてきたんだけどさ、ガーネ」

「どうしました?」

「本当にちゃんとできてるかどうか、心配になってきた。いや失敗が怖いんじゃなくて、なんか見落としをしてる気が……」

「大丈夫ですよ、鷺花様。見落としを何度も繰り返して、完成に近づくのですから」

「そりゃそうだけど。まあとりあえず、ナイフの形になったってところは、安心していいのかな。鉱石ベースで、形を変えるって構成は最初から除外してたし……ううん」

「心配もわかりますが、まだ終わりではないかと」

「あ、うん、それは確かにそうね。とりあえずじーちゃんとこだな」

「同じものを量産できますか?」

「構成は覚えてるから大丈夫」

「なら構わないかと。だいたいは、まず壊されますから……」

「あー、ガーネはじーちゃんの弟子だからね、うん」

「弟子というほど、教わってはいませんが」

 ガーネは刃物の作り手だ。戦闘などではよく相手をしてもらっている。だからその刃物の精巧さも随分と知ることができた。

 また届かないが、目標の一つでもある。ちなみに戦闘は、ようやく槍を持つことができるくらいの筋力がついた。といっても、構えることができないくらいには辛いが。

「ご馳走様! じーちゃんとこ行ってくる!」

「はい、いってらっしゃい」

 一度部屋に戻ってナイフを片手に、すぐエミリオンの部屋へ。

 緊張はなかった。

「じーちゃん!」

「ん……」

 いつものよう。

 椅子に座ったエグゼ・エミリオンはテーブルに片手を置いて、窓から外を見ていた。本を読んでいる姿を見たこともあるが、基本的にはこうして静かにしている。

「鷺花か、どうした」

「うんこれ! 作った!」

「ん、ああ……お前にやったナイフか」

 ふうん、なんて言いながら、テーブルに置いた黒色のナイフに手を伸ばし、中指を折って軽く、関節で二度ほど叩いた。

「――うぇ!?」

 それで割れた。

「うそぉ!」

「まだお前には早かったな」

 頬杖をついて、にやにやと笑うのは、決して嫌味ではなく、楽しんでいるからだ。それを鷺花もわかっている。

「なんでー? えー? あれー? 魔力波動シグナルなかったけど、なんかした?」

「そんなに強い衝撃を与えたわけじゃない。多少の術式は使ったが、打撃それ自体への細工はほとんどしていない。単純にそのナイフが脆かっただけだ」

「んぐっ……」

「たとえるなら――」

 壊れたナイフに視線を落とし、やはり小さく笑って。

「コップに水を入れて、ぶどうを絞って色をつけて、どうしたものかと完成した黒色の液体を、珈琲だと胸を張って相手に出したのが、このナイフだ」

「うわーマジか……!」

「端的に言うと、鉱石を基礎として作ったナイフの方が性能は良い。鷺花、ガーネを見ていればわかるだろうが、そもそも、ナイフは何のために使う?」

「あー……そっか、作って終わりじゃなくて、使うことも考えないとかー」

 ナイフは模型と違って、飾っておくものではない。

「まあ、基礎はこのくらいだろうな」

「ううん、そっかな」

「ガーネの剣、あるだろ。何本見た?」

「厳密にはわからないけど、三十本くらいは」

「あいつの剣、その全部が違う製法で作られてる。全部一からの構成だ――そうしろと、俺が限定させた」

「え? 流用とかは?」

「基本的にはないし、その段階じゃない」

「え、なんで?」

「刀と剣、製造方法は違う。同じことで形だけ変えても、それは同じものだ。そんなことは作る必要すらない――ただし、大量生産品を手にして学ぶことは、必要だろう」

「……そういえば、小太刀を持ってたことあったけど、作り方知らないや」

「そっち系の知識は?」

「あんまりないかも。一応、ジュニアが終わって、この前に師匠がジュニアハイの教科書テキストを置いてった。あんにゃろ……まあ、ゆっくりやるつもりだけどね」

「焦る必要はないが……俺の経験から言えば、刀は敬遠してた」

「そなの? 作ったことない?」

「いや、作れないことはないし、過去作ったこともあるが、作りたいとは思わない。特に折り返しが面倒だ」

「……? 何を折り返してんの?」

「金属を。熱した金属をハンマーで叩いて、何度も何度も伸ばして、折って、伸ばして、折っての繰り返しだ。粘りを出すためには必要な工程だな。ガーネも挑戦はしているようだが、まだ完成品は見ていない」

「小太刀もそろそろ扱いたいんだけどなあ……」

「ナイフとはまた違うんだろうがな」

「どうしてじーちゃんはナイフなの?」

「ん……」

 そうだなと、エミリオンは少し間を置いて。

「俺にとってナイフが刃物として身近にあった、それだけだ。ただ独学だったからな……」

「え、そうなの? 結構大変そうだけど」

「だから最初は、ナイフのための金属の精製に時間をかけた。金属への理解だな」

「私もそれやった方がいい?」

「将来的には、その選択も良いだろうが、まずは魔術への理解を深めろ。技術的な部分がまだまだ甘い」

「はーい」

「好きにやってもいいんだが……」

 指先で壊れたナイフを叩けば、すぐ元通りになった。

「うっわ、師匠と同じことするし」

「条件次第だが、定義の上書きをすれば問題ない。ただし構造の把握は必要にもなる」

「難しい?」

「そんくらいのことを、できるようにならないとな」

「そっか。でも楽しそう!」

「辛いこともあるけどな」

「それがあるから楽しいよ?」

 楽しい内にどうするかが問題で。

 問題があっても楽しいままでいられる方が、よっぽど良い――。

「鷺花」

「うん?」

「珈琲が飲みたい、淹れてくれ」

「わかった!」

 ただ、どこまで干渉すべきかは、問題だろう。

 特に、もうエミリオンは、惰性で生きているだけで、まだこれからの鷺花に触れ過ぎれば、悪い影響も出る。

 影響など与えたくはない。

 そのための距離を、保たなくては。


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