第148話 肉体時間の停滞
本の内容は一般教養と語学、それから魔術の基礎。
どちらかといえば鷺花は魔術に興味を持っていたため、一般教養と語学はとっとと終わらせるつもりで読み、実際に終わらせ、魔術に没頭する時間を作った。
しかし。
どれほど考えても。
「なるほどなあ。何をしたいのかがはっきりしてんのに、その手段を模索中ってところか。けど手段なんて知識があってこそだろ? エルムは何て言ってんだ?」
「なんも」
「まあ俺の弟子じゃねえし、いいか」
とりあえずなんか新しい本が欲しいと、屋敷に住んでいながらも、元は教皇庁魔術省に属していたジェイ・アーク・キースレイに言ったところ、一冊の本を持ってやってきて、そんなことを言った。
立場としては客分として、妻の
「おじ……お、おう、まあ、そうだな。俺も若くねえよな、もう……」
「気にしなくていいのに」
「いやいい、事実を噛みしめたところだ。当面の目標は?」
「じーちゃんのナイフ!」
「ん、ああ、エミリオンの……なるほどな。だったらなお更、俺としては遠回りと思えることを積み重ねろと、そう言うね」
「回り道すると遅くならない?」
「結果、それが最短ルートであることに気付くのは、積み重ねがあってこそだ。まだ一週間くらいだろ? どこらへんまでやった?」
「わかんない。これメモ」
「ん」
半分以上はまだ白紙の本を受け取り、ジェイは魔術書を手渡した。
「――ん? なにこれ」
「なにって、魔術書だ」
「じゃなくって」
「んん? ……あ、悪い、イタリア語は読めなかったっけ? それ、俺がバチカンの地下牢にいた頃に書いた本だから」
「え? これ、キースレイおじさんが書いたの?」
「そうだよ。あー、内容はいわゆる
そもそも、教皇庁魔術省は魔術を信仰対象として、政治的な手段にすら扱われてきた。その中でも命令違反をするくらいに信仰心がなかった、ジェイのような存在は異端であり、本来なら迫害対象にもなるのだが――あまりにも。
魔術の素養が高すぎて、地下牢に押し込んで危うい仕事に駆り出されるくらいには、必要な存在だったわけだ。
ある意味での、切り札。
けれど今は離反し、ここにいる。
どれほど敵視しようとも、ここに住んでいるジェイを襲撃するような馬鹿はいない。何故ならば、ここにはエミリオンがいて、エルムがいるからだ。
「文字式?」
「おう」
メモの内容を目で追いつつ、思考を分離して口を開く。
「術式そのものへ至るための順序は?」
「まりょくを使って、回路を通して、こうせいを作って、実行する」
「文字式そのものは、構成に該当する部分だと言われている。ただし、それを持っているのは世界だ」
「……ルールとして?」
「認識としては間違っていない。入門ってところだ、文字式は簡単に扱える。それこそ、魔力を込めて文字を描くだけだからな。――だからこそ、まずは学べ。使いたくなったら庭でやれ、シディが怒るかもしれんが、部屋を吹き飛ばすことはないぜ」
「わかった。でも読めない」
「そりゃ悪かったよ。
「基本の文法? あとはなんとなく」
「じゃあイタリア語の辞書を……まあ、早いうちに買ってきてやるよ。共通言語がわかってりゃ、ほかの言語もよほど特殊じゃない限り、すぐ覚えられる。そうだな、ヨーロッパ系の言語はそこそこ知っておいて損はねえよ。最初は軽くでいい、あとは話して覚えろ」
「ふーん」
ぺらぺらとノートをめくるたびに、眉間に皺が寄るのを自覚したジェイは、意識して強張らないようにする。
正直、エルムが何を考えてるなんてのは、知らない。知らないが、これはあまりにも――飛躍が過ぎる。
しかも、一定の基礎知識から飛躍した内容を、飛躍であればこそ、何からどう派生して飛躍したのかをメモしているのだ。言うなれば、本質と本質を繋げるような感覚に近い。
ジェイにわかるのは、鷺花に足りていない部分が、知識と経験であること。
知っていて、それを実際にやってみて――そこから新しいものを発見することはもう、今の段階で得ている。しかもそれが重要だとわかっていてこその、メモだろう。
果たしてエルムは、これに気付いて――。
「なあ鷺花――うおっ!?」
「んー?」
「お前もう展開式が使えるのか」
「うん、だって本読んだから。術式のかいせきとか、改良とか、わかりやすいよね。見えるし」
頭の中の構想ほど、掴み切れないものはない。よって魔術師は、術式をこうして目視可能なものとして――主に内容は魔術構成だが――展開することで、内容の精査や改良を行う。
故に、それを展開式と呼ぶのだ。
術を使うのではなく、その前の座学の段階で行われる、魔術の基本である。
――が。
「なんの展開式だ?」
「え? おじさんの本」
「俺の本!?」
言われて改めてテーブルを見れば、ジェイの魔術書そのものが消えていた。
「はあ? ……いや、確かに
いよいよ、理解が難しくなる。
確かに、魔術書の中に術式を組み込むことで、ある種の特性を発揮させることはある。それは、いわゆるセキュリティであったり、悪戯心だったりもするのだが、それにしたって、それは中に組み込んだ特定の術式でしかなく、それが魔術書の全てではない。
では本の全てとは? ――それは、記されている内容だ。
「なんでまた」
「だって読めないし。なんかへん?」
「変というか……やってみようって考えがよくわからん。実際に俺は、やったこともねえよ」
「じーちゃんのナイフといっしょだよ? 本があったから、それを作っているようそ? そういうのをてんかいしてみた。これでちょっと読める」
ああ、そうだ。
その発想こそが、飛躍だ。
時計の中身がわからないから分解しよう――では、ない。
ともすればそれは、時間を刻んでいる時計の中身ではなく、刻まれている時間そのものを見てやろう、そういう飛躍に限りなく近い。
そして、ジェイが魔術師であればこそ、この時点で気付いた。
エルムが鷺花を弟子にした理由の、あくまでもこれは一つだろうけれど、間違いなく明確なことがある。
ジェイの
〝
――そう、エルムレス・エリュシオンと同じ、特性である。
「ほれ、ノート返すぞ」
「うんありがと」
受け取った鷺花は、白紙のページを開くと、すぐにメモを開始した。その様子を腕を組み、少し離れた位置で見守る。
事情は屋敷にいる全員が聞かされていた。そもそも、ほとんどが魔術師なのだ、知っておいて損はない――が、おそらく。
他人の
ただ、疑念はつきまとう。
エルムがここからどう育てるつもりなのかは、疑念というか懸念もある。
ジェイや、妻の風華は違うけれど、この屋敷にいる者は基本的に、肉体的な成長が遅い。違いは一体何なのかと考えれば、本来の時間に対して、肉体が時間を得ていないだけ――なのだろう。
不死ではない、それは摂理に反する。
一日は二十四時間、それは世界の摂理。そして人は本来、二十四時間で生きて、一日を終える。この時に、二十四時間分の体力を消費するし、老化という言葉があるよう、寿命を削っているのだが、しかし。
彼らの肉体は、二十四時間を感じない。
鈍感なのだ。
ある一定の時期になると、二十四時間が過ぎたところで、肉体の老化が数秒でしかなくなる。
心臓が止まれば死ぬ。頭を砕かれれば死ぬ、それは当然なのに、老衰が遠のけば、死も遠くなる――そして。
おそらく、彼らは、そうであるが故に、自殺を禁じた。
その前提があって、だとして鷺花は?
懸念とは、そこだ。
普通の人間の魔術師として、ジェイは。
エルムが自分を殺させるために、鷺花を育てようというのならば、ジェイとしては口を挟まずには――。
「ん?」
「はーあーい!」
ノックがあったので壁から背を離せば、扉が開く。
「鷺花――うおっ、なにしてんの」
「あ、おばさん」
「おばっ……!? あ、う、や、……そっか、そうだよね、おばさんよね、うん。あ、ジェイもいるじゃん」
「
「うん、外に出るけど――鷺花!」
「聞こえてるー」
「何か欲しいものあるなら買ってくるけど?」
「えっとねー、コーヒー豆と、落とすやつ。なんだっけ? さい、さい……」
「サイフォン?」
「それ! コーヒーないって言ってたし、わたしサイフォン? やり方知ってるから」
「わかった、そこらはガーネと相談して聞いてみる」
「豆はねー、んっと……エクアドルとコロンビアで、シティロースト!」
「エクアドル……」
「それしか知らない」
「う、うん、私もよく知らないけどわかった。ほかは? 服とか」
「……服?」
「そう。――というか鷺花、服はどうしてんの」
「シディがくれた」
「わかった、もういい、適当に買ってきてあげるから……うちの娘よりも
「見せる相手がいないの!」
「偉そうに……アクアに頼むから覚悟しときなさい」
「んー」
「まったくもう。ジェイは?」
「荷物持ちか?」
「そっちはいらないけど、なんかあるなら買ってくるよ?」
「いや、……たまには一緒にでかけるか」
「ん、じゃあそうしよっか」
「ということで鷺花」
「うん、いってらっしゃい。帰ってくるまでに読んで――あ! イタリア語のじしょ!」
「おう、忘れてた。買ってくる」
「よろしく!」
二人、揃って部屋を出てから、吐息――。
「どしたの」
「んや、玄関で集合な。ガーネのとこだろ」
「ああうん、ちょい待ってて」
たぶん。
おそらくだが、エルムの意図が一つ読めた。
ジェイの役目は――それこそ、鷺花にとっての辞書だ。
参考書扱いである、吐息の一つは許してもらいたい。
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