第147話 受け取った名前、鷺城鷺花

 鷺花はベッドでごろごろしていた。

 幸せだった。

 そもそも実家は平屋の和室ばかり。洋間に憧れを持つことはなかったけれど、今更ながらその新鮮味を感じれば、楽しくなってくる。敷いた布団を片付けなくていいんだ! ――なんて思考は後で出てくるが、今はとにかく、スプリングの利いたベッドが心地よくて仕方がない。

 だが、しばらくして鷺花はひょいと飛び降りる。楽しみは寝る時にもあるので、まあいいやと思ったのだ。

 実家は弟との共同部屋だったが、狭く感じたこともなかったので、余計にこの二十畳間は広く感じる。やや狭いがトイレも設置されているが、キッチンはなかったし、風呂もない。改めて部屋を見渡すが時計もない――。

「んー……」

 どうしたものかと首を捻り、鷺花は部屋の外へ出た。

 右を見て、左を見て、右側へ歩いてエントランスへ。二階から見渡すと、天井も高いし、やはり広い――が、見たことのある造りだった。これは最初から感じていたが、はてと考えてみれば。

「……あ、きよねえさんとこと、いっしょかな?」

 年に二度ほどは遊びに行く鈴ノ宮すずのみや邸と酷似していた。どっちが先なのか、なんて思考はまだ浮かばない。

 ――と。

 背後からいきなり、脇の下に手を入れられた。

「うわっ」

 そして、そのまま手すりの上に下ろされ、慌ててバランスを取れば――そこに。

「お前が鷺花か」

「え? あ、うん」

 どこか老いたような男が、そこにいた。

 自分の父親よりは年上に見える。だいたい祖父くらいだろうかと思ったので。

「じーちゃん、だれ?」

「エルムの父、エミリオンだ。手を見せろ」

「あ、うん」

 なんだろうと思って両手を見せると、やや皺のある固い手で掴まれ、視線を落とされる。さすがに目線が合うほどエミリオンの背は低くないが、首は疲れなさそうだ。

「えっと」

「さすがに小さいな……」

 そうして、空いていたエミリオンの右手に、手のひらサイズの術陣じゅつじんと呼ばれるものが、複数展開した。一枚一枚が違うのに、重ねられたそれは円柱のように――。

「……ん」

 その円柱の中身がいくつか変更したかと思えば、消えた瞬間には投擲専用スローイングとも思えるナイフが完成していた。

「ほれ」

「えっと……」

「ああ、鞘もいるか。皮でいいだろう?」

「いいけど、なんで?」

「何故? 雨天うてんならば、得物の一つも欲しいだろう?」

 鞘に入れられた小さなナイフを受け取り――しかし、どこにしまうべきか悩んで、そのまま両手で持って。

「わたし、雨天じゃない」

「違うのか? お前の父親は雨天あかつきだろう、武術家の。母は翔花しょうか

「そうだけど、ぶじゅつは弟。わたしはやってない」

「ならば、小波さざなみか?」

「――ううん、わたしは鷺花。どっちもまだ、えらんでないから」

 武術を継ぐならば雨天を、そうでないなら母親の小波を名乗ろうか――そういう話もあったけれど、結局、鷺花はまだどちらも選んでいない。

「そうか」

 頷きが一つ、そして吐息も落ちて。

「ならば、かつて樹ノ宮きのみやが名乗り、そして奪われ、俺の友人が譲渡した〝鷺城〟を、お前にやろう。お前は今日から、鷺城鷺花だ」

「えっと……いいの?」

「構わない。俺は持っていた」

「わかった」

「よし。ナイフはやる、好きに使え」

 両脇を再び抱えられて、下ろされ――。

「旦那様」

「さて、俺は部屋へ戻る。まあ楽しめ鷺花、それができるうちは大丈夫だ」

「うん、いいけど……」

「――旦那様」

「よし」

 頭を軽く撫で、声をかける長身の侍女には一切視線を向けず、部屋へ戻っていくエミリオンに対し、侍女は肩を落とすように吐息した。

「まったく……鷺花様」

「あ、うん、なあに?」

「いいですか、旦那様のように、自室や外以外で、術式を使ってはいけません。具体的には私がものすごく怒ります」

「うん……たいへんだね?」

「まったくです。――失礼、私はこの屋敷を管理している侍女で、アクアと申します」

「よろしく」

「はい、よろしくお願いします」

「青色?」

「ええ」

 アクアは白を基調とした侍女服の胸元にある青色の宝石を軽く撫でた。

「アクアマリンです。私ども侍女は、――自動人形オートマタですから」

「ふうん? 人間とちがう? どこが?」

「言うなれば、成り立ちが、でしょうか」

「変わんないよ、人間と。そう見える」

「ありがとうございます。さて、鷺花様、屋敷を案内しましょう」

「あーうん、よろしく!」

「まずここ、玄関の一階、正面には大浴場があります。ほかの人がいる時は、一声かけてください」

「わかった。けっこう人がいる?」

「ええ、それなりに。二階の正面は食堂になっていますが、普段はあまり使われません。個別で食べることが多いですからね。私ども侍女は三人、二階の右側に部屋があります。あとは、皆さんばらばらですね」

「うんうん」

 続けて、住人の名前をざっと言われ、地下書庫なども存在することなどを教わった。

「うん、ありがとアクア」

「いえ」

「へやに戻ってるねー。そういえば、のみものとかは?」

「私どもに言っていただければ、すぐに運びますよ。いりますか?」

「んー、今はいい、かな」

「わかりました」

 手を振って部屋に戻った鷺花は、テーブルにナイフを置いて、頷きを一つ。

 まだ、この時点ではを言語化することはできない。けれど感覚として、間違いなく鷺花は、察することができていた。

 のちに理解するが、この時の鷺花は既に、完成品が存在しているのならば、その逆手順を踏むことで構造を解析し、更にそこから手順を踏んだのならば、自分も同一のナイフを創れるのだと――そんな確信を得ていたのである。

「んと……こう?」

 感覚を頼りにナイフへと触れれば、いくつかの術陣が展開――した直後、それらが消えるのと同時に、ごとんと、テーブルが綺麗に割れて崩れた。

「おー」

 ぱちぱちと拍手。

 何が起きたのかはわかっている。ナイフに含まれる〝切断カット〟――切れ味を上げるような部分が、ほぼ自動的に実行されてしまったのだ。

 それが機能の一部であることも理解して、じゃあ実行せずにおくなら、どうすればいいのかと首を傾げる。

 術式なんてのは、完成が実行のようなものだ。魔力の流れをせき止めてしまえば、そもそも、術陣の展開なんてできない――が、やはり、その先には実行がある。

「むう」

 などという理屈に至れるほど、鷺花は今までの積み重ねがない。ただ、このままでは同じことであり、そしてテーブルを切断してしまった現状は、ただ危険であると、そういう認識が強かった。

 言語化はできずとも。

 感覚的には掴んでいるのだが。

「やあ鷺花」

「ししょう」

「勝手に扉を開かれたくなかったら、鍵をきちんとかけておくことだ。それを〝解除クリア〟するのがノック代わりさ。――ところで」

 中に入ってきたエルムは、そんなことを言いながら切断されたテーブルを持ち上げ、あたかもそれが当然のようにことで復元させた。

 厳密には、テーブルと呼ばれる存在定義そのものを、そう在るべきだと上書きしたような形で術式を使い、壊れてしまったテーブルが、テーブルでない現実を、逆手順でもとに戻したわけだ。その上に、小脇に抱えていた六冊ほどの本を置く。

「え? え?」

「調度品を壊すとアクアが呆れたような吐息を落とすからね、気をつけた方がいいよ。文句を言われないだけ、あれは堪える。それと、本を読むことに慣れておくんだね。なあに、退屈ならとっとと済ませればいいし、面倒なら片手間でやればいいのさ。それはともかく」

「お、おおう……なに?」

「車は知っているだろう?」

「うん。乗ったこともある」

「あれはね、アクセルを踏むと走るものだ。車はどうやって走っている?」

「……? タイヤが回ってる?」

「その通り、タイヤが地面の上を転がることで、車は動く。では鷺花、下から車を持ち上げたら、タイヤは回らなくなるかい?」

「えっと……ならない」

「そう、それでもタイヤは回る。車ってのはそういうものだからね。ではその状態で?」

「――あ、そっか!」

「うんそうだね。つまりはそういう土台をまず作っておくんだよ。実行するかどうかじゃない。動かしても進まないような土台の上で展開すべきだ」

「こうして、だからこうなって……ええと、こう!」

 魔力波動シグナルの発生と共に、あたかもそれが当然のよう、術式の構成を組み替え、すぐにナイフの構成である術陣を展開した。

 だから、気付くのも早い。

「あれ? ししょうこれ、ナイフ作れないよ?」

 ああそういう意識かと、エルムは頷きもせず納得して、テーブルの上の本を一冊手に取った。

「君はきっと本を読むことができるんだろう。まあこれは白紙だから、ノートとして活用すればいい。そして、これを本だと認識することも可能だ――が、では一体、どのようにすればこの本を作ることができるのかを、知っているかい?」

「……しらない」

「だろうね。同じことだよ鷺花。そして、魔術とは、。何をしても構わないけれど、まあそうだね、この屋敷にはいろんな人がいるから、質問をぶつける相手には困らないだろうさ」

「ししょうは?」

「僕から言えることは、これらの本を読み終えてからにしろってことだ。そしてどういうわけか、ここにいる住人たちが僕へ質問したのは、最初の二度くらいなもので、それ以降は一切ない」

「そうなんだ」

「ところで鷺花、ナイフを創りたいのかい?」

「うん? ……どうだろ。うん、でも、作ってみたい」

「だったら焦らず、まずは向き合うことだ」

「まじゅつと?」

「自分とだよ鷺花。鏡に映った自分の姿よりも、よっぽど深い場所にそれは在る。ただ、となると君は雨天じゃなさそうだ。まだ選んでないのかい」

「ううん、鷺城。鷺城鷺花」

「……、そうか」

「だめだった?」

「いや、それは鷺花が気にすることじゃない。父さんがまた一つ、荷物を下ろして身軽になった、それだけのことだよ。まあなんであれ、焦らずにやることだね」

「うん」

 本に手を伸ばす鷺花を見て、エルムは部屋を後にした。

 上手く育ててやろう、とは思わない。どうせ、なるようになる。

 ただ、師とは、上手く背中を押してやるだけでいいのだ。


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