鷺城鷺花
第146話 楽園と呼ばれる屋敷へ
2045年、3月11日――。
予兆を掴んだのは、偶然ではない。
構造的欠陥などと、人間に対して使うべきではない言葉だが、娘が〝そう〟なることおなど理解していた。それなりに対処はしていたが、あくまでも、それなりでしかなく――ああだが、それでも、親として傍に置きたかったと、そういう感情だ。
五歳かと、そう思えば短いとも、早いとも感じる。
「
気絶してしまった娘を抱き、母屋にいる妻の名を呼べば、どういうわけか双子の息子が顔を見せた。
「母さんは?」
「うん。……ねえちゃん、どした」
「ちょっとなー。これから、いろいろ面倒だ」
「……わかった」
「わかるなよ、わかんなくていいんだよお前は。まあいいけど――翔花! 連絡!」
「はーあーい! もうやってる!」
どうであれ。
自分たちの娘である事実は、何も変わらない。
だから、妻の対応にも頷ける――。
「いいからとっとと衛星掌握!
「無茶苦茶言ってやがる……頷いたらまずいところか?」
それができる相手への注文なので良いのかもしれないが、対応としては大げさ過ぎだ。我が子を想えば、であろう。
そして、聞いていたら既に、車が出入り口に面した道路に停まった。黒色、どう見てもスポーツタイプのガソリンエンジン。顔を見せたのは、中学生と思わしき背丈の、――どう考えてもそうは見えない風貌を持つ、少女であった。
「
「おー、迎えに来たぜ、雨の」
おうと、彼は応じる。今は〝雨の〟なんて呼ばれ方を否定する理由はない。
「てめーはもうちょい、翔花の制御をしとけ」
「俺には止められねェよ」
肩に乗せていた娘を渡せば、彼女は両腕で抱いた。
「――ん、気を失ってるな。オレの術式で一応制御しとくが、いいんだな?」
「おう、頼んだ。翔花が来るとまたうるせェから、行け」
「言われるまでもねーよ」
ちらりと見上げた野郎の顔には、不安のかけらも存在しない。彼女ならば仕事を果たすと確信しており、かつ、これが悪いことだとは捉えていないのだ。
まったく――面倒な荷物を引き受けたものだと、助手席に放り込み、そのまま彼女は車を走らせた。向かう先はここ、
欠伸が一つ、最新式とは言えないものの、ヘリの内部は静かなものだ。空のクルーズは慣れたもので、逆に言えば楽しみの一つもない。ガキがいれば煙草も吸えないともなれば、手持無沙汰だ――と、思っていたのだが。
「んう……」
荷物が、目を覚ました。
「あれ……あー、あれ?」
「起きたか。名前は?」
「鷺花」
「ん、意識は問題なさそうだな」
「え? お姉さんだれ?」
「
見た目こそ小柄だが、おそらく小夜の生きてきた歳月を知ることは、まず不可能だろう。本人も曖昧であるし、そもそも外見的な成長は絶対にしないことを、当人が認めている。
「え? ここどこ?」
「ヘリの中、輸送中」
「あー」
「へえ」
ぼんやりとした間抜け顔だが、そこに〝納得〟が落ちたのを小夜は見た。
「聞いてたのか?」
「うん、父さんから。……んん?」
何を聞いていたのかは言わないのかと、苦笑する。子供なんてそんなものだが――ふいに、空中を掻くようにして両手を泳がせた。
「あれ? ……ねえ小夜、ここ、なんかある」
「見えるのか。オレが展開したてめーのための術式だ、壊すなよ」
「こわせないけど。そういえば頭いたくない」
「原因はわかってんのか?」
「ふつうじゃないってこと、せいぎょできないこと」
「まあそんなもんか……ま、オレはただの配送屋だ。てめーが過ごすのはこっから向かう先だが、不安は?」
「んー、ちょっと。でも、しても仕方ない。でしょ?」
「ガキらしくねーなあ……」
「それは知らない。……んお!? 空! 空とんでる!」
まるで初めて電車に乗った子供のよう、窓に張り付いて流れる光景に目を向けていれば、苦笑の一つもしたくなる。
事態そのものは悪い方に転がったが――この少女は、恵まれている。何しろ解決方法がこうして存在しているし、労せずとは言わないにせよ、解決の道に乗ることができた。
「ねー小夜」
「なんだ?」
「小夜って人間じゃないよね?」
「わかるのか」
「うん、なんだろ、ちがう。父さんの言葉だけど、みちを外れてる」
「――外れてる、ねえ」
「だって〝なかみ〟がちがうもん」
「ま、当たりだよ、そいつはな」
なるほどなと、小夜もまた納得が一つ。
これならば――彼女ならば、これから行く先でも馴染めるだろう。
「で、のってるのなに? ひこうき?」
「ヘリ、チョッパー。輸送用で武装はしちゃいないが、できるタイプ」
「へー」
「お前わかってねーだろ」
「うん。だからまた後でしらべる」
しばらくはそんな暇もないだろうなと、小夜は両手を頭の後ろに回した。
ヘリでの移動は問題なく行われ、屋敷の庭に飛び降りた――文字通り、上空から落ちた――二人だが、小夜は一息を落として煙草に火を点けた。八割ほど香草だが、一応の配慮だ。
「ほら行け」
「でっけえ……」
「聞けよ」
「え? なんか言った? すげーでっけえ家なんだけど!」
「屋敷っつーんだよ。いいから行けよ、オレの仕事は基本的にここまでだ」
「ふうん? そっか、ありがと小夜」
「ん」
屋敷の扉が開かれ、出てきたのは白色の服をした男だ。白色のスラックスなんてどこにあるんだとも思うが、すぐに、あの扉はこのガキじゃ開けないなと紫煙を吐きだす。一瞥があったので、口の端を歪めておいた。
「やあ、いらっしゃい
「よろしく」
「素直だね。まあいいや、僕から言っておくことはそう多くない。君はただ、君の好奇心に従って君のしたようにすればいい。ただ、魔術は学んでもらうよ」
「うん、なんで?」
「そうすることで、君の〝頭痛〟がどうにかなるからさ。部屋へ案内するよ」
「うん」
中に入れば、やはりエントランスも広い。
「屋敷の案内は後にしよう、面倒だし、そのうち覚える。自分で探検でもすればいいさ、それほど複雑な構造にはなってないからね。君の部屋は二階の左側だ」
「うん、それはわかったけど、えと、ししょう?」
「なんだい?」
「なんで、――とまってるの?」
「そういう場所で、そういう存在だからさ。――君もね、鷺花」
「わたしも?」
「いずれわかるし、理解させるのが僕の仕事だ」
「あーししょうだから」
「そういうことさ。ほら、手前から二つ目、左側の通路の左側だ」
「……おー」
「屋敷にはそれなりの人がいるけれど、それもいずれわかるさ。しかし、唐突な話だったからいかんせん、僕の準備がまだでね。悪いけれど、のんびりしていてくれ。そこらを出歩いても構わないよ」
「はーい」
部屋に入り、ぐるりと見渡した鷺花が迷わずベッドにダイブしたのを見て、小さく苦笑する。
「ベッドはじめて! いやっほー!」
「ああうん、まあ、好きにしていればいいよ。じゃあまた後で」
扉は閉めずにその場を離れ、エントランスで小夜と合流し、そのまま逆の通路をまっすぐ歩き、突き当たりから先はぐるりと回って、屋敷の観覧室へ。
「てめーは変わらねーなエルム、相変わらず
「すまなかったね小夜、こんな時期に運び屋の真似事をさせてしまった」
「あっちはジニーがきっちり手配してる、オレが絡む余地はねーよ。んで、同僚が死んだのは、あいつの落ち度だぜ。笑ってやるのがオレらの仕事だ」
お前が気にすることじゃない――そう暗に伝えられれば、笑って受け流すべきだ。それは、配慮というよりむしろ、立ち入るなという警告に近いものだから。
ただ現場には、立ち入るつもりだ。
「で、あのガキを実際に見てどうだ」
「想定していたものが、必ずしも当たるとは限らないさ」
「つまり、当たりを引いたってわけか」
「そうでもない。まさか僕が停まっているのを見抜かれるなんて想定はなかったさ。あるいは――君が、吸血種の血混じりであることを知られたように、ね」
「素質、ないし資質か?」
「それは
「法式か……ま、だろうなとは思ったが、そいつは魔術と同居できるもんか?」
「しているのが鷺花さ。あるいはそれを内包していると言うのかもしれない。いずれにせよ魔術特性そのものは僕と同じだ。あの子の両親にも言われてるし、どこへ出しても死なないように育てるのが僕の役目で、仕事だよ」
「仕事ねえ」
「不満かい?」
「その判断をするのはオレの仕事か?」
「はは、確かにそうだね。けれど、まあ、僕は彼女の親じゃない」
「
「僕が望んで得た称号じゃないさ」
「否応なく作られた称号だからこその本質じゃねーか」
こと、魔術の世界において。
エルムレス・エリュシオンの右に出る者は、いない。
「ま、オレもたまには様子見にくる。経路は開けておけよ」
「玄関はいつも開けているよ」
「言ってろ。――じゃ、せいぜい、新鮮味でも口にするんだな」
「君がいつも感じてるやつかい?」
「まあな。けど、口にした瞬間から鮮度が落ちて、次はないってんだから、世の中は美味くできてる、そうだろ」
やれやれ、意地悪な問いかけもあっさりと返される。
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