第143話 せめてもの手向け、攻め手では負け

 昼過ぎに到着したため、前線基地での休養は丸一日と少し。補給を済ませた彼らは、前線への進軍を開始する。

 そもそもゲリラが多い地帯であるため、部隊は扇状に散開するようにして、前線へ向かう。ゲリラに遭遇しても、いずれかの部隊が前線へ到着することを目的としながらも、しかし、前線そのものが分散しており、ライン構築が上手く行っていないのも理由だ。


 ――ギニア撤退戦、〇〇六二マルマルロクフタ号の開始である。


「しっかし、狙撃手スナイパーが先頭ってどうなんだ? おいメイ」

「私の背後を守るのがグアラであることに、一抹の不安があることに対しての疑問か?」

「ちげーよ。いや本来、狙撃手って最後尾の配置じゃね?」

「よし、では間抜けなグアラ・エッカートに私がいいことを教えてやろう。この部隊の中で、一番敵兵を発見するのが早いのは誰だ?」

「そりゃメイだろ」

「では、一番狙撃が上手いのは誰だ?」

「……お前だ」

「そして前線基地までの経路を提案したのは誰だ?」

「ああはいはい、わかりましたよお前だよ!」

「その通り。つまり一番早く発見してかつ、狙撃で敵兵を殺し、目的地にまで到着できるのならば、私が前に立っていて当然だろう?」

「むしろお前一人で充分な気がしてきた……」

「どうだろうな? 私一人ならば、別の手段で終わらせていたところだ。面倒なことに、全軍の撤退準備が整う五日間は、前線での戦線維持だ」

「へ? 三日だろ、なあ軍曹」

「説明ではそうだ」

「ではグアラ、貴様は四日目になって、なんでまだ終わらないんだと嘆きながら気を抜いて、死にたいのか?」

「う、ぐ……」

「説明を鵜呑みにするな。最低で三日、しかも他部隊が下手を打てば、どんどん泥沼になる。私たちは捨て駒と同じ。五日で済めば良いがな……」

「マジかよ、やってらんねえ」

 だけどと、最後尾のエリザは気楽な声を出す。

「街より、砂漠より、森林の方がよっぽどやりやすいわね」

「そうなのか、バルディ」

「塹壕を掘らなくていいし、隠れ場所が多い。逆に、相手が隠れている場所の推測も立てやすいし、火器に制限もある。何より空気が良いから――硝煙の匂いが鼻につくのよ」

「そんなものか?」

「――ああ、エリザはこういうフィールドの方が慣れているだけだ。山岳地帯だと尚良い――私がさんざん追い詰めたからな」

「吐きそうになるから思い出させないで……」

「おいお前ら、五日間のうちに往復する可能性もあるから、道順はきちんと覚えておけよ。この状況じゃ方位そのもの曖昧だ」

「うむ、私やエリザに頼ってばかりでは成長せんぞ――と、警戒。この先に少し広間がある。左右散開、私を中央――伏せろ!」

 言った直後、ライフルをエリザがいる方向へ投げた芽衣は、すぐに跳びあがって木を掴み、そのまま登った――すぐに、アサルトライフルの三点バーストが三度。

「五百ヤードか……」

「迎撃は!?」

「よせ! ……敵は一人だ」

「一人だと? 朝霧、それは敵なのか!?」

「そうだ。――全員、何もせずにここから動くな。いいか? 死にたくないならばそのまま、動くな」

「メイ」

LDルディだエリザ、説明はあと。……まったく、コレがほかにも投入されているようならば、撤退戦とは名ばかりだな。金をかけるところを間違えている」

「おい朝霧?」

 ひょいと木から飛び降りた芽衣は、拳銃を引き抜いてザックへと投げ渡した。

「持っていろ、軽くしておきたい。代わりに貴様のナイフを寄越せ。予備はあるだろう?」

「あ、ああ……」

 また、7.62ミリ弾が飛来――これが終わる前に接敵しなくては。

「よし。あとは貴様ら、できれば他言するな」

 木の影から飛び出した芽衣は、一歩目に瞬発を入れて一気に加速する。三点バーストの弾丸を左に回避しながら、五百ヤードの距離を五十秒で詰めた。そしてあろうことか、その開けた場、アサルトライフルを右手に持った少年の前で、ぴたりと足を止める。

 ハーフパンツに緑色のパーカー。邪魔そうにフードを取ったその表情を見れば、一目瞭然。

 生気のない青白い顔、くぼんだ眼窩、穴の開いた歯並び、そしてこれ以上なく絞られた体躯――LD、つまりそれは、LivingリビングDeadデッド。生きる屍体、そう呼ばれている兵器だ。

 少年は、耳にかけた通信機に対して小さく、何かを呟いてから外した。

「――ひっ」

 喉が引きつるような笑い、口の端からよだれが落ちることすら気にせずに、腰の剣を二本引き抜くのと同時に、芽衣もまた左手で自分のナイフも引き抜いた。

「ひはっ!」

 瞬きの時間すら空白はなく、振るわれた剣はまず薙ぎ、続くのが突き、それを回避した瞬間に横薙ぎの、まるでしなる鞭のような蹴りが、衝撃派ソニックつきで飛んで来る。そこまで読んで回避したところで、既に少年は背後から同じ攻撃を繰り出しているのだから、行動速度が尋常ではない。

 視界に頼った戦闘ではもう死んでいる――芽衣は、自分の口元に笑みが浮かんでいるのを自覚していた。

 回避ばかりではなく、受けて流す方法を適度に混ぜながら、脅威判定そのものを相手に教えなくてはならない。下手に仲間のところへ向かわれれば、その時点で連中は全滅だ。

 剣が頬を掠めようとする、踏み込みの一つが間違いならば命を落とす――術式を使わないレベルでは、ぎりぎりのやり取り。己の命を対価にするのならば、楽しまねば。

「ひひっ!」

「――はは!」

 この状況では監視衛星がある、術式は使えないし――今はまだ、使いたくない。

 奥の手として隠したい意図よりもむしろ、軍人としての立場を重視した結果だ。こっそり使うのならばともかくも、である。エリザにもそう教えてあるので、自分が破るわけにもいかない。

 六十秒の攻防が終われば、踏み込みと同時に筋肉の繊維が切れる音が聞こえだす。剣の振るわれる速度は変わらないのに、毛細血管が破裂して、少年の腕に血がにじみ出す。

「ひはは!」

 すべての行動が、攻撃に直結する――守りなど、防御など、一欠けらすら思考にない。だから芽衣も、攻めることを放棄して、守ることと、攻撃をさせることに重点を置く。元より防衛戦の方が、芽衣は得意なのである。

 五分が経過しても、猛攻は停止する気配を見せない。前後左右、加えて上下、一瞬の隙ですら誘いにならないような攻撃の嵐に対し、芽衣は常に攻撃方向への面積を減らすようにして捌きに入りながらも、しかし、攻め気を見せるかのような踏み込みだけは止めない。

 そして、八分が過ぎた頃。


――ぱきんと、乾いた音が響いた。


 少年の上半身が揺らぐ、膝の負担が限界にきたのだろう、だが芽衣の踏み込みに迎撃を行うよう少年が剣を振るった。

 そう――少年が、

 おそらくそんな思考を持っていなかっただろうが、ここで少年が選択すべきは迎撃ではなく、攻撃にすべきだった。

 そうだろう? だって最初から、少年は攻勢に出ていて、攻撃をし続けていたのだから、相手への迎撃を選択するだなんて、己の不利に自ら足を踏み入れるのと同義。

 ゆえに、芽衣はその攻め気の偽装を止めて、迎撃を回避し、正面からナイフを眼に突き立てるのと同時に、背後からうなじにもう一本のナイフを刺して。


 ――その両方を、違う方向に切り裂くようにして抜いた。


 長い長い戦闘も、たった一度の失敗で終わる。一撃があれば人は死ぬ、それが現実だ。

 すぐに振り返った芽衣は、倒れた少年を見下ろし、一歩だけ近づいて。

「……楽しかったか?」

 致死を与えた少年に、答える術はなく。だがしかし。

「ああ、そうだな。私も、楽しかったとも」

 自分のナイフを腰に戻した芽衣は、手を招くようにして仲間を呼んだ――が。

「メイ、ちょっと」

「なんだエリザ」

「――。怖くて近寄れない」

「ん、ああすまん。警戒の度合いが強すぎたか……余裕があるままで対応できる手合いではなかったからな。屍体には触れるな、得物にもだ。私にも解毒できん猛毒がある。さあ、もう少し進もう」

 ナイフをザックに返し、拳銃と狙撃銃を受け取ってすぐ、開けた場所を抜けて再び森へ入ってから、時計を見た芽衣は足を止めた。

「少し休め。――アレについて、教えてやろう」

「あれもそうだが、俺はお前について教えて欲しいくらいだ。何をしてたんだ? あれは、そもそも戦闘なのか? 遠目で見ていて、目で追えないって、なんだよ……?」

「ダンスをしていたつもりはないがな。生きる屍体リビングデッドと言われる、まあなんだ、商品だな。いわゆる子供兵器の延長上にある――薬漬けで身体強化をして、使い切りの商品として末端組織に売られるものの、度合いを越えたものだ。その通称通り、あれを人間として見ると痛い目に遭う」

「人間じゃないって? いや、そりゃあんな動きしてりゃ、そうかもしれねえけど」

「活動限界、およそ十五分と言われている。スイッチ一つ、つまり命令のコードを耳にした瞬間から、一歩目から命を対価に、人生を十五分で終わらせる化け物に成り代わる。その時点でもう、人間じゃない」

「……はなっから、器に無理な強化をかけてんのか? スタート時点で、成否に関わらず、死ぬってのか?」

「その通りだ、グアラ」

「よく知ってんなあ、お前。ザック軍曹は知ってたか?」

「いや……聞いたこともない」

「当然だろう、対峙した上で、生存者がいるとでも思っているのか?」

「お前がいるじゃねえか」

「常識で考えろ――初見で見抜かなければ、一歩目でもう頭が胴体から離れている。違うか?」

 そう問われてしまえば、その通りだと思うしかなく、嫌な汗が背中を滑り落ちる。

「ただ高価な商品だ、そこらで手に入らないし、そうそう使えるものではない。遭遇しないことを祈れ、遭遇前に逃げろ」

「アサギリ。今回は、逃げられないから、やったのか?」

「ファーゴ、あの状況ではもう、逃げ切れん。それに、十五分の命ならば相手をしてやらねばと、私はそう思ってしまう。十五分、ただ殺しただけで終わるよりも、せめて相応の相手として、対峙してやらねば、――報われない。悪い癖だと言われたが、手向たむけだ」

 状況次第だと、芽衣は小さく笑った。

 だが、ザックは笑えないし、ほかの者も笑わない。

 相手は少年だった。屍体を見てもそれはわかる――が、戦闘を俯瞰できていたザックに言わせれば、芽衣だとて少女だ。しかも、あの少年に匹敵していたと言えよう。現実にこうして、勝利している。

 薬で増幅した身体能力に、十五分限りの超人。戦闘技能そのものも、見たことがないレベルで、超越ブーストしていた――そんな相手に、そう変わらない年齢の芽衣が、この結果を出したんだぞ? どう笑えと?

 皮肉交じりにもならない、頬を引きつらせた乾いた笑いしか出ないなら、笑うべきではないのだ。

「――さて、雨が降り出す前にもう少し進軍しよう。計算ではもう三十分も進めば接敵する。状況が許せば、休む場所も確保しておきたいからな」

「雨? まだ晴れてるぜ?」

「グアラ、もっと鼻を利かせろ。雨には独特の匂いがあり、風に乗ってくるものだ」

「わかるかよ……なあエリザ、なあ」

「なに?」

「メイの怖さってのは、あれのことか?」

「さあ、どうかしら。確かに私は、あそこまでの戦闘をするメイを見るのは初めてだったけれど、あんなもんじゃない――って思うくらいには、メイの怖さは知ってるわ」

「アサギリ、お前、何者だ……?」

「ファーゴ、いいか、今の私は知っての通り、ただの軍人だ。それ以外を知りたければ、自分で調べろ。そして、調べた結果はザックが知っている」

「軍曹殿?」

「調べた結果、何もわからんってのが現実だ……」

「気にしないの。今は同僚で、敵じゃない。守ってくれたんだから感謝する――あんたらは、それでいいんじゃない?」

「バルディは、そうじゃないのか?」

「いや? エリザだとて基本的には同じだ。ただ、無様になってでも生き残れと、私はそう教えてある」

「へえ……ん? すげーエリザがブスな顔になってんぞ?」

「うっさいグアラ」

「文句があるのに言えないヤツは、こんな顔になるんだな……痛いな、蹴るなバルディ」

「ほどほどに緊張感がなくなったようで、何よりだ。警戒だけは忘れるなよ、ここは戦場だ」

「わかってる。でもさっきのお前、マジで怖かったからな……?」

「遊びではないからなあ」

 そう、区切りがあるとすれば、そこだけだ。十人以上に囲まれた、あの街の状況とはわけが違う。

 遊べる相手ではなかったし、遊んでは相手に失礼だった。

「戦場では、ああして対一戦闘になることは、まずないだろう。だが知識として覚えておくといい――本来、ああいう戦闘の場合、三分以上はもう長時間戦闘に該当する。何故かとは聞くな、今の貴様らに説明しても理解できんだろう」

「けど、五分はやってただろ?」

「最初からそのつもりでやっていたからな。そもそも、三分以上は体力勝負になる。技術など関係なく――あるいは、精神論だ。そして、最初から死んでいるLDならともかくも、人なんてものは、一撃で死ぬものだ。ともすれば、あっさりとな……劇的な戦闘など、ありはしないし、逆転劇なんてものもない。だが最初から決まっている勝敗も存在しないものだ。そもそも、お互いに殺すためにやっているのだからな」

「目的の話か、アサギリ」

「そうだファーゴ、目的の話だ。貴様らを背後に守りながら、LDルディの相手をするのならば、私が攻めて殺すことは、困難だと判断した。相手が時間制限つきなら、それを待つことを考えた結果が、あれだ。――エリザ、見解を言ってみろ」

「回避だけに専念して、守ることだけを考えれば、相手は標的を変える。変えれば今度は、メイが追う側、つまり攻勢に出なくてはならない――から、けたかった?」

「何故そう考える」

「最後、相手がメイの見せた踏み込みに対し、攻撃したけど……あれが、なんかこう、印象になかったから」

「そうだな――あいつは最後、迎撃を選択した。迎撃とは、守っていた側が行うものだ。それは隙になる……立場を変えるとは、それだけの危険性を孕むものだ。だから私は、時折攻め気を見せることで、私を相手にしろと示し続ける必要もあった。エリザ、貴様の分析は当たっている」

「それはどうも……」

「一瞬の隙が致命的ってことか……?」

「そうだグアラ。だが、その一瞬の範囲が違う。先ほどの戦闘で言えば、私はまばたきのタイミングですら、相手の行動に同調して計算していた――何故って、あいつは戦闘中、一度もまばたきをしなかったからな。いや、相手が化け物では、比較にならんか」

「……軍曹」

「どうした? 俺はもう口を挟みたくないんだが?」

「軍曹、なあ、……俺らがこうして生きてるの、奇跡ってやつじゃね?」

「現実逃避したくなる気持ちはわかるが、エッカート。奇跡なんてものは、この世にない……今まで朝霧にかけられた迷惑が、結果となって返ってきたと思え。……そう思ってないと、現実を疑いそうになる」

「うんまあ、うん……だよな」

「まったく面倒な連中だ――っと、友軍と合流だザック、挨拶は頼む。交代だな」

「おう。よしおまえら、仕事を始めるぞ」

「もう始まってるだろ……?」

 まったくだと芽衣は頷くが、こいつが一番、変わらない態度なのだが、これはまた一体、どういうことなのだろうか。


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