第142話 迷わない幸運、まあ良い内容……ん?

 補給部隊よりも二時間早く、そのバンは基地を出た。

 隊列も組まず、単独での移動となると、事前に情報が流れている場合を除き、襲撃の可能性は低くなる。なるが、のだから、可能性なんてあってないようなものだ。

 ハンドルを握った芽衣が、ミラー越しに後ろを見れば、だいぶ緊張しているのがわかる。いや、それを言うならば助手席に座ったザックだとて、やや硬いとすら思えるほどの緊張をまとっている――それは、悪いことではないが。

「まだ少し早いんだがな」

「――なんだ、朝霧」

「緊張するのは構わないが、囚われるなよ、ザック。お前らにも、繰り返しだが言っておく。これから出逢う誰であっても、年齢や性別、あるいは性格なども含め、外見での判断を一切するな。まずは敵だと思え。そして、味方だと思わず、敵かもしれないと常に考えろ。それが生き残る秘訣だ」

「おう、諒解」

 軍服にヘルメットのフル装備、拳銃にナイフ、小銃も脇に抱えている。兵隊としては一般的な装備だ。シートに座る前の二人はヘルメットまではかぶっていない。

「――エリザ」

「なにメイ」

「すまんが、頼む」

「できることは、やるわよ」

「それとお前ら、荒っぽい運転になるから振り落とされるなよ。荷物拾いは私の仕事じゃないからな」

「加減はしてくれアサギリ……」

「ははは、車酔いをするなら薬を出すところだがな。街に入るまでは問題ない。それまでは気を緩めておいても構わんぞ――警戒はこっちでやっている」

 しかし、車内の空気は緩むことを知らず、街が近づくに連れて緊張感は高まり、これでは相手を警戒させるだけだと思うくらいには、張り詰めていた。初陣を目の前に控えてなのだから、当然であろう。

 ぼそぼそと会話をしていたのもやがて消えた頃、街が見えてきた。

 木造家屋に見えるのはほとんど倉庫であり、基本的には石造りが多い。紛争地帯でもあるためか、低い建物がほとんどで、段差を利用するようにして作られている。


 ――そして、入り口には検問があった。


 芽衣は助手席のザックに一瞥を投げ、速度を落としてゆっくりと停車する。後部座席はカーテンがあるため見えないが、運転席は別であるし、芽衣は気にした様子もなくウインドウを下げた。

「エンジンを切れ」

「すまんが、この街を通り抜けたい。道を貸してくれ」

「――エンジンを切れ」

 小銃を肩に提げた男が言う。軍服こそ着ていないが、妙に重心が整っているし、直立した姿が軍人のそれに近い。となると、ギニア正規軍の者だろう。

「回り道をしてもいいんだが――」

 相手の言う通りにはせず、芽衣はあくまでも言葉を続けた。

「――やはりこの街を通過した方が速い。問題があるか?」

「……、荷物のチェックをさせてもらおう」

「断る」

「なに?」

「断ると言った、勝手に開けるな。こちらにも軍規がある」

「ならば通せない」

「何故だ? ここがギニア正規軍の拠点とは聞いていないが?」

「――通せないと、そう言った」

 小銃をすぐに構える動きに澱みがなく、やはり正規軍の人間かと当たりをつけた芽衣は、その銃口を覗き込むようにしながらも、小さく肩を竦めた。

「わかった、わかった」

 仕方ないと、右の肘をドアに乗せるよう、軽く身を乗り出して。

「――ならば許可などいらん」

 P320から放たれた9ミリ弾丸は二発、その男の額に命中した。

 二秒。

 何が起きたのか、周辺にいる住民や検問人員が理解する時間を、あえて与えてから、芽衣は一気にアクセルを踏み込んだ。

「振り落とされるなよ!」

 装甲車ほどではないにせよ、ある程度のコーティングがされているため、多少の銃撃にも耐えられるバンだが、窓ガラスは一般のものだ。

「エリザ! 応戦!」

「後部ドア開くわよ、狙撃注意! 姿勢を低くして!」

「ザック!」

「右コーナー入るぞ、落ちるなよ!」

「追撃三台!」

「足を狙え! ミサイルならエリザに任せろ!」

「そうやって私の仕事を増やす!」

 指示を飛ばし、車を転がしながらも芽衣の視線はあちこちに飛ぶ。紛れ込んでいる軍兵、民間人を装ったテロ屋――なるほど、想像していたよりも少ないが、目をかいくぐっての潜入は難しいか。

 大通りを二キロで街を抜けられるが、おそらく相手の対応の方が早い――はずだが、妨害車両の設置などがなかった。

 だとして?

 ならばどう対応してくる?

「――はは!」

「あさぎ――」

「全員飛び降りろ!」

 僅かな水の音を含み、何かがフロントガラスにぶつかった。

 ――なにか?

 いや、見ればわかる。両手と両足を広げるようにして、七十マイルの速度で走っている車の正面にぶつかってきて、血液を散らしたのだ。

 それだけでなく。

 時限式の爆弾を、腹に抱えていた。

 芽衣が叫んだ瞬間、エリザが両手でグアラとファーゴを掴み、ザックが助手席のドアを蹴って開けたのを確認してから、内側から発砲して念のため殺しておき、ぎりぎりのタイミングで芽衣も車から飛び出した。

 車は、十五メートルほど走り去り、そこで爆発する。ごろごろと地面を転がって、最初に飛び起きた芽衣は周囲に視線を飛ばし、爆炎に紛れるようにしてザックを引っ張りながら、路地へと誘導する。

 エリザたちが来るまでは応戦、アサルトライフルだが確実に一人ずつ殺し、合流したらすぐに移動を開始。

 無言のまま、最後尾に位置した芽衣が方向を指示。追撃が止んだ頃、一つの廃屋に到着した。

「――よし、予定通りだな。上手くは行っていないが想定範囲。いいぞ貴様ら、幸運がついてる。祈る女神は選んだ方がいいがな」

 アサルトライフルのベルトを外し、それをエリザに渡した芽衣は、この廃屋には屋根がないことを改めて確認する。

「時計を見ろ、文字が読めなくてもいい。可能な限りここで留まれ、移動はエリザの指示に従え。エリザ」

「ん」

「――冷静か?」

「いつも通りとは言わないけれど、ね。かつてほどパニックじゃない」

「三十分、こいつらを頼む。私が戻らないようならば、そのまま外へ出て前線基地へ向かえ。どうやらを引いたようだ」

「――三十分」

「そうだ、カウントを始めておけ。死ぬなよ」

「そっちもね」

 そして、芽衣は一人、部隊を離れた。

 そう、一人で。

 単独行動ソロは、なんだか随分と久しぶりのように思う。不安はないが、やや高揚する気持ちを抑えなくてはならない。

 できるのならば、術式を使わずに終わらせたいものだ。念のため、いくつかの衛星は誤魔化しているが、時間も準備もなかったので、完全とはいえない。これもまた、軍属という規約による制限だ。

 耳を澄ませ、騒がしい方向に当たりをつける。一般市民の避難は、騒がしさに特徴があるため、除外しやすい。ここらの聞き分けは、幼少期にさんざん教えられていた。

 大前提として、指導部などと呼ばれているテロ屋の上層部の人間を殺すことを目的としながらも、しかし、仲間をおとりとして使っていることも考えなくてはならない。可能な限り戦力を減らすことが仲間の負担を少なくすることになる――が、時間制限を忘れてはいけない。とろとろしていれば、増援がこの街に来る可能性が高く、それは避けるべきだ。

 つまり、できるだけ殺して、標的を探す。

 シンプルでいい。

 そもそも朝霧芽衣は、こうしたゲリラ的な行動を行うことに慣れている。

 身を隠しながらのヒットアンドアウェイ、短時間で最大効率を狙い、身軽なまま相手の武装を使い捨て。騒ぎを大きくしながらも、自分の身を潜めておけば、今度は階級が高い者が動き出す。

 ――相手が軍隊であるならば、使えない手だ。

 あくまでもテロ屋、組織的ではあるものの、部隊として成立しないからこそ、こうした手段が使える。

 軍隊を相手にならば、軍隊を。ゲリラを相手にするならゲリラで。その方が、結果が出るのが早い。効果的かどうかは別だ――何しろ錬度が絡む問題になる。しかし、損害そのものに着眼した場合は、この組み合わせも一律とはいかないので、難しい話だ。

「……ほう?」

 移動を繰り返し五分。街の図面を頭に叩き込んだ上で、当たりをつけた場所の一つに、反応があった。一般人は家屋の中に逃げ込んだようだが――こんな状況で間抜けは、一体なんだろうか。

 ――もう少し数を減らしてもいいが。

 そこはエリザに任せるかと、芽衣は物陰から飛び出した。

 左側の男に当身、右側の男の肩と足を一発ずつ、そのままぐるりと回って左側の男を拘束、中に蹴り飛ばしておき、もう一人の顎を蹴る。

 屋内に飛び込めばもう一人、これはラッキーだ。

 二発の弾丸を、銃口から着弾位置を割り出して回避しつつ接敵。低姿勢のまま膝に蹴りを入れておき、肩を外すよう腕を巻き込んで背後へ回って、手持ちの紐で両手を縛る。その更に奥は武装などが置いてあったが、人はいない。

「さて」

 部屋の隅にあったタオルを手に取り、銃弾を二発当てた男を外から引っ張りこみ、口に当て、きつく縛った芽衣は、ナイフを引き抜いた。

「質問だ。貴様らの上司は今どこにいる?」

 言いながら無造作に、男の親指を切断した。悲鳴を上げる動作に、男の躰が跳ねる。

 芽衣は同じ質問を繰り返しながら、を続ける。両手の指が終わったら、今度は両足。そこから手首、肘、肩と切断してから、ふいに気付いたよう、手を止めた。

「――死んだか。さて、止めろ止めろと、先ほどからうるさいんだが、お前たちは質問に答えるつもりはあるか?」

「こ――ここにはいない!」

「日本には、嘘吐きはどろぼうの始まりということわざもある。いいか、よく考えろ。私の目的は貴様らの上司であって、貴様らではない。抵抗しなければ殺しはせん――が、別に私は次へ向かっても構わないんだがな」

 さあてと、ナイフを手元で一回転。

 こいつらの立場を鑑みれば、酷なことを言っているのだという理解はある。何しろ彼らだとて、知っていて口を割っても、殺される相手が変わるだけだ。

 保護をちらつかせる? それは、こちら側が複数人いる場合の交渉条件だ。単独で突入した時点で信憑性は薄い。

 だから、しらみつぶし。言わないならとっとと殺して次だ。

「貴様らの上官はどこにいる?」

「――ここにいる」

 外から入ってくる気配には気付いていて、あえて声が聞こえてから振り向く。髭のない細顔、米軍のデータベースで見た風貌と酷似。お供の護衛は四人、すぐに芽衣を囲むようにして小銃を突きつける。

「米軍との折衝は、あの野郎の不始末だな。もう殺したが……さて、貴様の階級と所属は? ドッグタグをどこへ送り付ければ良いのかくらい、教えてくれ」

「良い服だな貴様、どこで買った?」

「時間稼ぎをしても、お前の増援は来ない。私の兵隊が増えるばかりだ」

「ならば、稼ぐ理由にはなるな」

 そのぶん、仲間の負担が減る。

「その態度がいつまで持つ? もう三人、外に来たが?」

「貴様が親玉である証明がされているわけだな。これはハッピーだ」

「……本当に米軍か?」

「制服を見ればわかるだろう。では私からいいだろうか」

「なんだ?」

「生きて米軍に捕まるのと、今ここで首だけになるか、貴様はどちらを選ぶ? ――ああ」

 そうだったと、芽衣は僅かに振り返り。

「先ほどからをしているそこの貴様にも、選択権をやろう」

「選択をする必要はない」

「だろうな。貴様らの未来は決まっている――」

 屋内戦闘ならば、問題ない。


「死人に口なし、だ」


 廃屋の出入り口は二つ。一つをエリザが、もう一つをグアラとザック。上空警戒をファーゴが行って十五分。暑さに額から流れる汗すら、冷たく感じるような緊張感を保ったままの銃撃戦は、その頃から波が引いていくように静かになった。

 だが、それを不思議に思うことはあっても、警戒が解かれることはない。何故、どうしてと疑問を浮かべて頭を動かしながらも、まるで別物のように目の前の現実を視認する――それができるのも、芽衣がそう教えてくれたからだ。

 遠くで銃声が鳴れば、びくりと躰が震える。呼吸は浅く連続して、時折驚いたようにして背後を見た。何もないことに安堵するより早く、眼前に注視する。

 そして、二十五分を過ぎた頃、エリザはその合図に気付いた。

 芽衣からさんざんやられた、術式の初動、魔力波動シグナルでの危機喚起かんき。かつては、さて攻撃するからせいぜい抗ってみろ、みたいな合図だったので、思わず術式含みの全力警戒をしそうになってしまった。

「――街の外まで後退する。ザック、そっちから先頭で出ろ。グアラ、ファーゴと続け。途中でメイと合流」

諒解アイコピー

 正直にエリザが内心を吐露すれば、敵が明確で助かった。武器を持っているのか否か、それが敵なのかどうかような、その一瞬が致命傷になる。迷いを生まなかっただけ、幸運だ。

 細い路地を移動していけば、突き当りに塀があった。それを乗り越えれば街の外――。

「早く乗り越えろ、私を待たすな」

 反対側から芽衣の声。振り返ったザックに対し、エリザは頷いてやれと伝える。まずはグアラから、続いてファーゴ。壁に背を当てたエリザは先にザックを移動させ、最後に塀を乗り越えた。

 そこに、麻袋を片手に持った芽衣がいる。

「ご苦労、エリザ。残弾確認、口頭」

 それぞれの残弾数を口頭で聴きながら、ふむと頷いた芽衣は、麻袋をザックに押し付けた。

「よし、まだ残っているようだな。では徒歩移動だ、警戒レベルを落としていい。とっとと離れるぞ。ザック、前線基地に連絡を入れろ。テロ屋の首が二つ、手元にあるから情報部に回せとな。それと、他部隊の補給に関しても聞いておけよ。歩きながらだ」

「おう……これ、首なのな」

「いいから――ん? いや、その必要はないようだ。足を止めろ」

「どうした?」

「グアラ、耳を澄ませろ。車だ――が、同時に隠れる場所を視線で探せ。味方とも敵ともわからんだろう? まあ、軍用装甲車のエンジン音だから、今回はしなくてもいいが」

 エリザはちらりと、芽衣を見るが、服の汚れは多少ついているものの、返り血の類は一切ない。果たして9ミリを何発使ったのか、それすらも疑問だ。

 わかっている。

 飾らない朝霧芽衣が、どれほど怖いのか、その片鱗を見たエリザですら、それ以上は止めてくれと願うくらいだ。ここで同情すべきは、テロ屋だろうが――しかし。

 忘れてはならない。

 芽衣と違ってエリザも、これが初陣なのだ。

「――ザック班か!?」

「そうだ!」

 装甲車は七台、その中のジープ一台が停車するが、残りは街へ向かった。残党退治をついでに行い、これから始まる撤退戦の退路にするつもりだろう。それも、開始前に芽衣が打診しておいたものだ。

「戦果はどうなってる!」

「テロ屋の首が二つある、情報部に照会を頼みたい!」

「諒解だ、基地に連絡を入れておく! 後ろに乗れ、基地へ戻るぞ!」

「すまん頼む!」

 幌つきのジープに全員が乗り込んだタイミングで、ゆっくりと方向転換を行って走り始め――五分ほど、経過して。

「――」

 エリザも含めた三人は、荷台から顔を出して胃の中身を吐き出した。

 どれほどの訓練をしていたところで、実戦は初めて。それはつまり、作戦における緊張感を身に受けた上で、明らかな殺人を犯したのが初めてと、そういうことで。

 その生理的嫌悪には、抗えない。

「全部吐いておけ。恥ずかしいことではない、誰だとて通過する道だ。自分が死ぬよりはマシだと思っておくといい……」

「朝霧……あの短時間で、お前は」

「報奨はいらんと突っぱねろ。たまたま、運が良かったとでも言っておけばいい。そんなことよりも、撤退戦げんじつが待っているからな」

「俺の成果にされても困るから、適当に逃げるつもりだが……この二つ、どう見る?」

「最低でも、どちらかはだろう。運が良ければ二つだ。ま、いずれにせよあの街の戦力はあれで激減した、掃除も楽になる。六人編成が七台ぶん、そう下手を打つこともあるまい。それより本隊はどうなった?」

「襲撃はほぼなし、九割以上は基地へ向かっているそうだ。こっちにきたのは、逃げるようにして街へ戻って行くテロ屋の、殲滅作業の途中だってさ」

「そうか。それなりの正当性は確保できたか……」

「おいおい朝霧、そこで安心するのか?」

「軍法会議にかけられるのが私だけならば良いが、今は貴様らがいるのでな。そこらを最優先に考えるようにしている。……ハッピーだろう?」

「ああまったく、その通りでクソッタレだ」

 ありがたい話だが。

 ――こいつの配慮は、わかりにくくって、いけない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る