第141話 撤退戦の現実、嫌だって切実に

 朝霧芽衣、グアラ・エッカート。

 ファーゴ・フグルサン、エリザミーニ・バルディ。

 この四人の部隊に配属された部隊長――。

「ザック・フェリエラ軍曹だ……」

 整列した四人の前に顔を見せたザックは、今にも死にそうな顔をしていた。

 上陸の回数など覚えてはいないが、この駆逐艦に乗ってもう一ヶ月にもなる。あれこれと小さい仕事は振られたものの、現地配備がようやく決まり、これから補給して現地に一番近い基地へ向かうと、そうなってからの顔合わせだった。

「ふむ、つまり部隊長とはいえ、同じ部隊ならば遠慮はいらんな、ザック」

「お前は最初から遠慮してねえだろ、朝霧」

「何を言う。遠慮しなければ貴様の顔はもっと酷いことになっているとも」

「これ以上酷くなんねえよ……」

「軍曹殿、どうです、俺らと被害者同盟とか組まないか? 訴訟したら勝てるって」

「エッカート……お前は気楽になるのが早すぎる。まあいい、とりあえず任務内容を教える――ああ、楽にしていい。階級がどうのと、あまり気にするな。同じ部隊だ、命令だけは一応聞けばそれでいいし、――朝霧には何を言っても無駄だ」

「おい待てザック、それは一体どういうことだ? 私は貴様を一応上官であると認めているし、命令を聞かなかったことはないし、無視もしない。ただ、もっと効率の良い命令を進言しつつ、それを結果で示すだけだ」

「はいはい。もういいから、とりあえず座れ」

 食堂兼談話室のようになっている一角に陣取り、テーブルを一つ使っているわけだが、そもそも六人掛けのテーブルだ、対面の席は三つとなれば、必然的に芽衣がザック側の椅子に座ることになる。

 一応、配慮して一番隅のテーブルにしたが、昼食時は過ぎているので、閑散としており、わざわざ厨房からコックが珈琲を持ってきてくれるサーヴィスまであった。

「――これから、俺らはギニアへ向かう。作戦内容は撤退戦だ」

「待ってください、軍曹殿」

「フグルサン……気を遣われると惨めになるから、楽にしてくれ」

「はあ。いや、僕の知識不足かもしれないけど、撤退戦を今から行うのか?」

「そうだ。いいか、そもそも――」

「待てザック、説明は早すぎる。ファーゴ、そもそも何故、そう考えた?」

「軍曹殿?」

「答えてみろ、俺に窺いを立てなくてもいい」

「撤退戦とは、何かしらの作戦を行っている最中に、そこから撤退するための行うものだろう? 僕たちはこれから現地入りするのに、撤退戦というのはおかしくないか? 撤退支援なら、わからなくもないが」

「朝霧、お前が続けろ」

「職務放棄か? いかんぞ軍曹、階級に相応しい仕事をしろ」

「お前ができるならいいだろ」

「――ふむ。ではエリザ、答えろ」

「そこで私かい。まあでも、撤退支援と似たようなものよ。ただし、撤退戦と名を打つ場合、まずこっちが前線に行くわけ。で、撤退の時間稼ぎとして戦闘しつつ、本隊が撤退したのちに、今度は私らが撤退する。――ともすれば、私たちが前線を必要もあるの」

「マジかよ……すげー過酷じゃね?」

「ふむ、では軍曹が良いことを教えてくれるぞ、よく聞いておけ。ザック、補給成功率を教えてやれ」

 言葉を投げられたザックは、煙草に火を点けて時間を置き、ゆっくりと紫煙を吐き出した。

「今から向かう海に面した基地から、前線基地まではおおよそ四十キロ。今まで何度も補給を行っているが、平均して六割の物資しか輸送できていない」

「つまり、戦地に向かうまでにこの中で最低でも二人は脱落するわけだ」

「朝霧、脅すな」

「事実だろう。多少の緊張感を持ってもらわねば困る」

「――どうしてそこまで、補給が難しいんだ?」

「いい質問だファーゴ、答えよう。まずギニアに関して米軍は、半年前に変わってしまったが、前政権を支持していた。今は中ロ連合が支持している専制政せんせんせいへと変わっているため、これ以上の関与は難しいこともあって、撤退の決断が下された。これが大前提となる」

「政治的な問題ってやつかよ……俺、疎いんだよなあ」

「僕だって詳しくはないが、アサギリ、もしかして前政権が引きずり落された理由と、何かしらの繋がりがあるのか?」

「良い思考だぞ、ファーゴ。代理戦争の様相を呈していたのだが、米軍としてはあくまでも、口実が欲しかったのであって、領地が欲しかったわけではないと私は考えている。つまり、政権を支持しますよと、そういうスタンスを表向きに掲げたかったわけだな。実際、米軍はこれを機に撤退するが、政治的――経済的に見れば、この一件を理由にして、中ロ連合は痛手を被っている。――話を戻そう」

 珈琲を一口、やや緊張の空気が流れる中、あくまでも芽衣はいつも通りだ。

「簡単に言ってしまえば、テロ屋が中ロ連合と交渉して、米軍の敵になっているからだ。空輸をすれば対空ミサイル、陸送であっても待ち伏せは当たり前。補給線を確保しておくことはできているが、万全ではない」

「――ああ、そういうことか。んで、ミサイルにはメイドイン中ロってか?」

「そういうことだ。今回の作戦の危険度が理解できたのならば何よりだが?」

「前線に行けば、目の前には現政権軍、後ろを振り返ればテロ屋かよ……なんの冗談だ」

「しかも、政権軍は一人でも多くの米軍を殺せば勝てる、などと本気で信じている。経済効果など一切考慮しないのだから、呆れたものだ。あれでは戦後復興もままならん――紛争地帯として継続するのが関の山だが、それは私たちが考えることではない」

 言えば、三人は口を開くことを忘れたように黙した。ザックが灰皿を中央に寄せれば、グアラが煙草に火を点ける。

「――メイ」

「おお、キーア少佐殿、丁度良いタイミングです。まったく、どこで聴いていたんですか?」

「ザック軍曹が挨拶にきたから、察したんだよ。伝声管に耳を当てる趣味はない」

「はは、潜水艦でもありませんからね。ありがとうございます」

「おう」

 さてと、受け取った筒状の髪をテーブルに開き、灰皿を重しにする。

「これが、今から向かう先の地図になる」

「朝霧、書き込みがいくつかあるが、これは?」

「ああ、ザック、あまり気にするな。どうもこの艦に乗り込んでからは暇を持て余していたのでな、夜な夜な、キーア少佐殿と一緒に戦術面での考察を、意見交換していたのだ。その時のものだからな――ま、現実はなかなか上手く行かないと、そんなオチがついたところか」

「なにか妙案があるなら、上に打診することもできるが?」

「うちの班だけ個別行動を伝えておけ。いくつか考えはあるから説明もする――が、おそらくお前らは納得できんだろう。キーア少佐殿は、よくよく理解していたがな。さて、この経路が補給線になっている」

 赤色のペンで描かれたラインを指で示せば、前のめりになるようにして全員が覗き込んだ。

「ん? いや、どうして朝霧が知っている?」

「衛星映像で確認済みだ」

「そうかい……」

「む、この間抜けたちを責めるなよ? いくつか課題を与えていたので、そんな暇もなかったという言い訳を作らせてやっている」

「しねえよ。お前と一緒にしたら、こいつらが可哀想だ」

「そんなに私を特別扱いするな。先ほども言ったが、補給物資を乗せたジープで四十キロ、ほぼ障害物のない地帯を行くことになる。砂漠地帯ほどではないが、石造りの建造物が多く、森林地帯は前線基地の周囲くらいなものだ。つまり、私たちの主戦場がそこになる」

「衛星情報ってことは、敵も掴んでる可能性は高いのか、アサギリ」

「当然だろう。ただ、敵軍の襲撃はほぼない――何故なら、米軍が前線で戦っているからだ。テロ屋はゲリラ的な行動を中心にして活動しているため、壊滅が難しく、それでいて突発的な遭遇になりやすい」

「だったら――そもそもだ、メイ、どの道を選んだって、危険度はそう変わらねえってことだろ?」

「ふむ」

 腕を組み、頷きが一つ。それだけで気配を察したエリザが、隣のグアラの足を蹴り飛ばした。

「いってぇな!」

「迂闊なこと言わないの」

「つまりグアラは、別のルートを移動したいと、そう言うわけだな? いいだろう――ではテロ屋の巣窟とも思われるここ、小規模な街を通過しようか」

「おいなんだそれ待ってくれ俺の責任かよ!?」

「冗談だ、そうグアラを睨んでやるな。――最初からそのつもりだからな私は」

「それこそ冗談だろ……ザック軍曹、何とか言ってくれ」

「補給成功率はどのくらい上がる見込みだ?」

「ほう?」

「上に説明して単独行動できるだけの理由は必要だぞ、朝霧。考えているのならば話せ」

「陽動作戦だけでは不十分か?」

「陽動? テロ屋の巣窟ならそもそも、うちが最初に攻めてるはずだ。それを今更、ここで攻める合理的な理由は?」

「どうして、攻めなかったと思う? 本当にここの拠点を潰さなかったが、国際法に基づくものだとでも?」

「アサギリ、それは経済の話か?」

「覚えていたかファーゴ、だがそうではない。実際に今まで何度か、この街を利用して補給もしているし、調査も入っているが、白だ。だからこそ巻き込むわけにはいかないと、緊急時以外の立ち入りを禁じている――当然の配慮だ」

 だがと、芽衣は左手を差し出す。

「……おいグアラ」

「なんだよこの手は」

「お前は煙草を差し出す気遣いを見せたらどうだ? どれだけ私の相方をやっているんだクソ野郎」

「あー悪かったはいはいどうぞ」

 そもそも、日頃から煙草を吸わない女なのだから、察しろというのが無理な気もするが、箱をその手に乗せれば、珍しく煙草に火を点ける。

「撤退戦が行われる情報は、一体どこまで?」

「思考のとっかかりだな。漏れていたとして……妨害が入る?」

「それは当然だファーゴ。まあ貴様では今は無理な思考だ――たとえば、私ならこう考える」

 芽衣は笑う。

「ほう、ようやく米軍が撤退するのか。どれ、さんざん遊んでやったが、遊び相手が逃げ帰るというのなら、せめて見送りくらいはしてやらねばな。では、どこが一番見晴らしが良い?」

 指先が、地図上の街を叩く。

「――そうでなくとも、テロ屋の指導部に関わる人物がこの街へ来ているはずだ。あるいは最初からいた可能性もある。ただ撤退戦が始まるのならば、警戒レベルを引き上げているはずだ。しかし、米軍は入れない」

「は? なんで入れないんだ?」

「自殺志願者を集めても、部隊数は増えない」

「おいおいマジかよ……そんなところに俺らが行く? なんの冗談だ?」

「実際、私一人でやった方が確実なんだがな……軍規があるから、そういうわけにもいかん。なので一応、優しい私は貴様らに選択肢をやろう。いいか? どこから来るかもわからん襲撃にびくびくと怯えながら、生き残る六割に入ってくれと祈りながらの移動と、自ら道を切り開く道、どちらが良い? 九十分やろう、答えを出しておけ。休憩してきていいぞ」

「朝霧、それは俺の台詞じゃないのか……? まあいい、遊んでこい」

「あ、私に相談しないでね、野郎ども」

「そりゃまたなんでだ、エリザ」

「え? ――だって、メイに逆らわないもの」

「バルディ、命がかかっているんだぞ?」

「命を落とすより、メイに逆らう方がよっぽど怖いわよ。知らないって幸せよねえ」

 三人は、ばらばらと食堂を出て行き、芽衣は煙草を消して地図を見る。

「朝霧、どのくらいの確率で、いると考えている?」

「確率自体を私は計算しない。常に確率とは、、その二つのいずれかだからな。しかし、いなかったのなら、相応の騒ぎを起こせばいい――キーア少佐殿」

「珈琲、持ってきたぞ」

「おお、これはありがたい。少佐殿の珈琲は美味くて困る」

「ほれ、ザック」

「は、ありがとうございます」

 ジェイル・キーアは対面に腰を下ろし、ざっと地図を見て、自分の珈琲を傾けた。

「知らないことが幸せ、か。確かに――メイの怖さを知っている連中は少ない。俺だって実際に見たわけじゃないからな」

「少佐殿は朝霧の進言について、どのように?」

「やれと命じられれば、俺はやるだろうし、できる。ならばメイができない理由はないと思うがな」

「……そう、でありますか」

「――ま、こいつを敵に回すくらいなら、米軍そのものが敵の方が、よっぽどマシだ」

「大げさですよ、少佐殿」

「どうだかな。さて、一応部隊長だ、いくつか補足をしてやろう。この街に、テロ屋の上層部は、ほぼ間違いなく――いる。上で情報を掴んでいるからな」

「ならば何故?」

特殊部隊スペシャルフォースを派遣しても無駄だ。軍人は、一般人を殺害できない」

「どういうことです……?」

「紛れ込んでいるってことさ。証拠がなけりゃ、何もできない。街なんてのはテロ屋の巣窟――いや、巣そのものだ。いくらでも補充できる拠点になってる。破壊できないのは国際法、倫理規定、まあ何でもあり。そして連中は証拠を見せない」

「だから、貴様が上層部に打診すれば、喜んで死ねと言うことだろう」

「しかも撤退戦の最中だ、花火が一つ上がったところで、終わり際に散る余韻のようなものだ。もちろん、ある程度の陽動作戦にもなる――が、メイ」

「ええ。勘違いして欲しくはないのだがザック、私もまた、一般人を殺すつもりはない」

 ただし。

「銃を向ける相手ならば、別だがな」

「九割がた敵になるな、それだと」

「まったく、その通りですな、はははは」

 二人は笑うが、内容が笑いごとじゃない。マジで止めて勘弁してと泣きを入れたい気分だ。

「で、どうするんだ?」

「……ええと、どういうことです、少佐殿」

「何か勘違いをしているようだな、ザック。貴様、まさか私たちの作戦を忘れたんじゃないだろうな?」

「街に突貫して仕事だろう?」

「任務は撤退戦だぞ、軍曹」

「……あ」

「本気で忘れてどうする……。街を襲撃したあとでも、前線基地まで六キロはある。車が残っていればいいがな」

「キーア少佐殿、忘れていて貰っていた方が、私には都合が良かったんですが」

「朝霧……?」

「上手くを、逸らしたかったんだろうなあ」

「少佐殿、その通りなので黙っていてくださいよ」

「……、…………あいつら、思い出すか?」

「ああ、連中は放っておけ。エリザは最初から知っているので、それとなく教える――かもしれん。ザック、何か勘違いしていそうなので、訂正しておくが、街への襲撃よりもよほど、撤退戦の方が難易度は高い」

「頭が痛くなってきた……」

 失礼と、一言置いて、ザックは甲板へと歩いて行った。

「精神面がまだ弱いなあ、あいつ」

「仕方ないでしょう。軍曹とはいえ、部隊長になったのも初めてですし、戦場経験が豊富とも限らない」

「お前だって同じだろう?」

「ええまあ、戦場経験そのものは」

 ――だとして、あれは?

 鷺城鷺花との戦闘訓練は、違うと?

 ああ違うとも。あれは戦闘であって、戦場ではない。少なくとも、どろどろと濁った感情の海は、戦場でしか見られない。

「戦場において、突出した力が投入されたところで、戦況を覆すことはありえない。私一人が紛れ込んだところで、せいぜい、部隊を守るのが関の山です」

「そうだな――兵隊として投入される以上は、そうなる」

 どれほどの鬼才、どれほどの力――それがどうした。

 兵隊のできることは? 戦闘をすることだ。逆に言えば、何を持っていたって、それしかできないのである。

 だが世の中には、一つの因子がなくなっただけで、何もかもが瓦解することがあるものだ。方向性を変えるのに、わざわざ川をせき止める馬鹿はいないのと同様に――方法ならばいくらでもあるのに、兵隊は、それでも戦う以外の方法がない。

 馬鹿だと思うか? なんでそんなことをと、戦争好きだと嫌悪するか?

 ――愚かしい。

 それで救われる者だっているのだ。

 あるいは、兵隊そのものも、誰かを守ることだって自覚する。

「ただまあ、制限ですな……」

「一人の方が楽だろう?」

「まったくです。しかし、それでもやれる範囲ならば、やらねばなりません。上から成果を見せろと言われているわけではありませんが――どうも、できることをしないのは、性分ではありません」

「だろうよ。この作戦が終わったら軍を出るか?」

「そちらの組織へ行きます。状況次第な部分もありますが」

「そうしてくれりゃ、俺も遊ぶ時間が取れそうだなあ……」

「ははは、ではそのためにも、とっとと片付けたいものですな!」

 ――現実として。

 朝霧芽衣が軍部において、作戦に加わったのはこの一つだけ、となっている。

 のちに語り継がれるほどの影響がなかったのは、それほどの戦果が出なかったからだが、軍上層部は手放すのを惜しんだと、ある。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る