第140話 海の上より海の中
訓練校で半年の基礎を終えたあと、そこからの進路は大きく二つにわけられる。つまり、士官学校へ行って勉強を続けるのか、現地へ配備されて実績を積むか。
そもそも大半は士官学校の門を叩くことができない間抜けばかりなので、現地配備がほとんどだ。彼らはまず班ごとに国内に散って、命令待ち状態になる。これは上の配慮でもあった。
厳しい訓練校を終えれば、半年間の報酬も受け取ることができる。
「――しかし」
定期航路を移動する駆逐艦の甲板で、陽光の眩しさに目を細めながらも、芽衣は口を開く。海に慣れておきたいという進言が通ったのか、彼女の班はこの駆逐艦を宿舎として過ごすことになった。
「ファーゴもグアラも、こちらに残ったのだな」
「おいおい、残れって言ったのはお前だろーが」
「私はただ一般論を言っただけだとも。私が傍で見てやれる間に、戦場を経験しておけば、まあ死ぬことはないだろう――とな」
「僕が士官学校へ打診したけど、あっち側も現地配備を推奨していた。――新しい人員を朝霧芽衣の傍に置く方が問題だ、と」
「頼んだぞって、名前も知らない上官に言われたもんな……」
「ははは、お前たちは運が良い。実際に訓練校での成績は良かっただろうし、私に少しは感謝したらどうだ。無事に生きて戻れば、階級なんかすぐ上がるぞ?」
「うるせえよ……階級の代わりに大事なモンまで失いそうだ。嬉しいのは給料が入ったことくらいだぜ、まったく」
「――ああ、とやかく言いたくはないが聞いておけ。いいか? 半年間とはいえ、それは貴様らの初任給だ。親族がいるなら、まずその金を親族に使え。自分のぶんは、酒と飯の代金でいい。でかい買い物は次の給料まで我慢しろ。親族がいないのならば、将来の自分に投資しておけ」
「……驚いたな。アサギリ、お前、まともなこと言えたんだな?」
「私は常にこうだ。受け取り側が捻くれているから、そんな感想が出るんだぞファーゴ、猛省しろ」
「ああ言えばこう言う――エリザ、お前は給料どうするんだ?」
「化粧品と鏡だ」
「なんであんたが答えてんのよ……? 私は親族いないから、んー、自分のサーバを確保した後は、特に決めてない」
「出たよ、電子戦マニア。クソナードよりはちょっとマシな程度ってやつ。そんなだからケツが光るんだぞお前は」
「グアラみたいに頭が光るよりはマシね」
「光ってんのはファーゴだろ!?」
「駄目よ、ファーゴじゃ夜は役に立たないもの」
「クソッタレ!」
「自由に煙草が買えることくらいは、グアラにとっても嬉しいだろ。僕はどうしたもんかなあ」
「ふん……」
「メイはどうすんのよ」
「ん? 私はまず受け取った金を
「また斜め上の返答がきやがった!」
「いやそうは言うが、きちんと洗浄しないと軍から支給された金など、好きに使えんだろう? 出所がはっきりし過ぎている金など、怪しいことこの上ないし、すぐに身元バレする。処世術だろう……?」
誰もが思った。お前と一緒にすんなと。
そんな馬鹿話をしていれば、エンジン音が消えてゆっくりと停止する。日陰から出た芽衣は、ぐるりと周囲を見渡した。
「どうしたんだ?」
「定時連絡だろう。規定航路の移動途中で、ほかの艦とすれ違うことで、航路の確認と挨拶がある。貨物の護衛などは聞いていないし、厳密な上官も今のところ私たちにはいないから確認しようもないが」
すると、すぐに中から軍帽を乗せた男が顔を見せた。挨拶は既に済ませてある、この駆逐艦の責任者、ジェイル・キーア少佐だ。
「寛いでいるようだな」
「どうかしましたか、少佐殿」
「適当でいいぞ、朝霧。定時連絡待ちだ、二十分ほどここらの海域で停止する。退屈だろうが――」
「諒解であります、少佐殿。――よし貴様ら、準備ができたら行け!」
へーい、なんて気の抜けた返事をしたグアラもそうだが、三人はすぐに服を脱ぐと、下着にシャツの姿でナイフを片手に、すぐ海へと飛び込んだ。
「今日の昼食くらい確保できれば良いのですが。少佐殿、甲板の掃除はどうしますか?」
「……」
その行動に、ジェイルはため息を一つ落とした。
「聞いていた通りだな。本来ならば、俺が尻を蹴り飛ばして海に落とすところだが、そうやって行動を先読みして自ら動く。そりゃ教官がやることがないと嘆くわけだ」
「手間が減って楽になるかと」
「言ってろ。掃除はしなくていい、こっちの部下もいるからな。必要なら指示を出す。夜間警備のローテに入れるが?」
「是非お願いします。ここで学ぶべきことも多くありますから」
「卒のない返答だ。そうだな――質問はあるか、朝霧芽衣」
それは、ちょっとした好奇心。どんな質問を寄越すのか、そんな楽しみを少しだけ。芽衣はそれを理解したからこそ、ほかに人がいないことを再確認してから、頷きが一つ。
「では失礼ながら、一つだけ」
「言ってみろ」
「ジェイキル・エイクスとは名乗らないのでありますか?」
「――」
「失礼、過ぎた質問だったようです」
半歩の踏み込みを理解した芽衣は、すぐに首を横に振ってそう言う。何故ならばその行為が、既に返答だからだ。
――肯定である。
かつて、海で名を上げ、あろうことか一時期、全ての海賊を潰して自らも消えた海賊団の首領、その名こそ、ジェイキル・エイクスだ。今はこうして、駆逐艦の責任者として働いている。
ちなみにこれは、事前情報である。かつて師であるジニーから、そういうワケアリの人物の名は一通り、まるで昔話のように聞かされたのだ。
だが、それだけではなく。
「数ヶ月前に、
「――エンスから辿ったのか?」
「ええ」
そもそも海の蠍とは、芽衣と年齢がほぼ変わらない海賊だった。物心つく前から海賊に拾われて育ったこともあり、命令に従順な殺人装置として動いていたが、その海賊が壊滅し、海に投げ出されてもなお、生き残ったガキである。
それを拾ったのが元海賊であり、酒場を経営していた馴染みだった店主、リック・ネイ・エンス。その男はかつて、ジェイキルの右腕として働いていた経緯があった。
世間は狭い――というより、上手くそうやって縁を辿ることが、情報収集の基本なのである。
「残念ながらエンスから俺へは辿れない。お前の空白の経歴が関わっていると予想するが?」
ほうと、思わず声を出しそうになった芽衣は、海に出た彼らを気にするように視線を動かすことで誤魔化した――が。
「ん? 調べればわかることだろう?」
「失礼」
「言葉を崩せ、朝霧。面倒だ。ここには耳がない」
「ええ……いや、失礼ながら、私の経歴を調査した者はいましたが、それが空白であると気付いた者はまだいなかったので」
言葉を崩せと言われても、なかなか、そうもいかない。
痕跡が消えている地点にたどり着くのは、誰だってできる――とは言い過ぎだが、まあ、そう難しくはない。だが、それ以前が空白であると気付ける者は、それを俯瞰できた者だけだ。
消えていると気付いたところで、それは調査不足。空白であると気付けば、それは、調査完了でもある――このジェイル・キーア少佐は、そのあたりがきっちりと、区分できているのだから、さすがだ。
ジェイルは相手をきちんと見る。これは比較ではなく、対等という意味合いだ。相手の年齢や外見、そしてあるいは経験すら、意味を成さない――どうして?
だって、現実は、そういうものだ。
どれほどの強さを内に秘めようと、あるいは弱かろうと、状況がそうなるのならば、誰だとて敵に回るし、味方にもなる。それがわからない今ならば、対等でいい。
「しかし、性格に難ありと考課表に書いた軍曹には、少し同情もするがな。勝手にやれと放任できるだけ、無責任でいられりゃ、楽だったろうに」
「そして、これからも部隊長として配属でしょうな」
「一等軍曹に昇進だ」
「はは、複雑な表情が見えるようです。ならば、これからは厳しい戦地に送られそうですね」
「あるいは、お前が原因でな」
「ゆえに、自分には彼らを最低限、守ってやらねばなりません。自分の得意分野です――が、足手まといのままでは、次に続かない。難しいですな、教育とは」
「だから率先して海に飛び込ませる――か。しかも、どこで泳いでいるのか把握している」
「千五百ヤード以内ならば」
「魔術の
「わかりますか。さすがは
言えば、ジェイルはこれ以上なく嫌そうな顔をして、腕を組んだ。
「それを言われるたびに、俺は大王イカと顔を合わせた時のような気分になる……」
「――、それほど知っている者はいないのでは?」
「だからこそだ、俺の評価にしてもらっちゃ困る。だいたいあれは、
「お話いただけるのでしたら、是非、当時の状況をお聞きしたいのですが」
「大したことじゃない……暴れん坊が二人。前線に送られれば簡単に突破するし、しんがりに配属されれば敵がいなくなる。俺は二人のフォロー、ケイは――そうだな、基礎だけは誰よりも徹底していた。だからまあ、当時も三人で話したもんだが……ケイにはいつか、必ず、追い抜かれると思っていたものだ」
部隊に一人は足手まといを入れろとは、誰の言葉だったか。アリの話と同じで、エリートばかりを集めても、必ずサボるヤツが出てくるよう、突出した部隊は個人行動しかできないものだ。
「上手く部隊が回っていたのですね」
「お陰で、部隊の成果が俺の成果だと勘違いしている野郎が多くてかなわん。だから嫌なんだ……」
「では話を変えましょう。少佐殿は
「外注のお前も、そっちへ行くんだろう」
「ええまあ。確か
「俺自身はこうして、たまに軍部に顔を見せるくらいには、好きにやっている。海の上はだいぶ飽きたが」
「では、今は?」
「今は海の中だ。休暇中はよく潜っている」
「――まさか」
嬉しそうに、芽衣は口元を歪めた。
「〝マンタ〟をお持ちなのですか?」
「ほう……知っているのか」
「いや、現物を見たことはありませんし、カタログデータ以上のことは知りませんが、こう言ってはなんですが――アレは面白いおもちゃです」
「まったくその通りだ」
果たして、戦力的優位をある程度保有したまま、可能な限り人員を削除して小型化をした先に、何が生まれるのか――そんな馬鹿げた思想を現実にした者がいる。
小型潜水艦マンタ。
最高乗組員三名。
必要定員、条件付き一名。
「戦闘機動時であっても、右手と左手の思考を別のものとして動かせるのならば、大した問題にならない。搭載魚雷四発、機雷十六発が限度だがな」
「今ではほぼ、AI任せの操縦になるでしょう?」
「自動設定を入れたって、せいぜいが航路くらいなもんだ。状況に応じるのは人の方が速いし、先読みできる。未だに秘密裏の人物輸送なんかは、海を使うこともあるからな」
「最高深度はデータ上、二千フィートまででしたか」
「実戦じゃ三千まで潜る」
「やはり実際に乗らないと、わからないことが多いですね」
「はは、そういう話はまた夜にでもしてやろう。ところで朝霧、お前はどこに配属されると考える?」
「候補はいくつかあって、絞り切れませんが――願望込みでならば、ギニアを」
「アフリカか……理由を聞こう」
「――撤退戦になるからです」
政権交代から半年、旧政権を支持していた米軍もそろそろ、
そして、今まで戦闘を繰り返していた兵隊に、帰って来いと言うのは簡単で、現実はそうもいかない。
まず、現地部隊の場所まで攻め込んでおいてから、引きつれて戻るのが撤退戦だ。難易度は高く、死亡率も高い。熟練者一人を投入しても、そう上手くいかない現場だからこそ――厄介な兵隊に、死んで来いと、命令が下るわけだ。
撤退戦なんて、聞こえの良い言い訳。現場の兵隊に言わせれば、敗戦でしかない。
「ギニア撤退戦、
「――もう決まっていましたか」
「決まったのは作戦号だけで、人員までは審議中だ――が、お前らは配属されるだろう」
「何故でありますか?」
簡単な話だと、ジェイルは煙草に火を点けて言う。
「お前の予想と、俺の予想が当たった。ならそれはもう、事実とどう違う?」
「――はは、それは買被りでしょう、少佐殿」
「ん? 賭けるか?」
「いえ、それは成立しません」
「だったら過大評価ってわけでもないだろ。さて、定時連絡までには引き上げておけよ。陸地は五日後だ、初日から飛ばしても疲れる――ん、まあ、それも手か」
「自分は優しいので、初日から無理はさせませんよ」
「言ってろ」
煙草の灰が落ちる前に戻ろうと、ジェイルは一度背を向けた。
「ギニアの戦略図を用意させておく、話は夜だ」
「楽しみにしています」
そうかと、一歩踏み出した――その、瞬間であった。
ジェイルは驚いたように振り返る。
「少佐殿?」
芽衣の何かが変わったわけではない。背を向けた時に、たとえば気配が変わったとか、威圧をしたとか、あるいは安堵したとか――そういう気配は、一切ない。
だから、いつも通りで、何も変わらず、普通ならばそこで迷わずジェイルも戻ったことだろう。
けれど、ああ、この感覚は。
――知っている。
「そうか」
だからそれは、納得の意味合いで自分の中に落ちた。
「アイが生かしたのは、お前だったのか、朝霧」
少し、彼女は驚いたような顔をした。
「生かした……と、言われるとは思っていませんでした」
「いや、いい。聞きたいなら話そう、俺からは以上だ」
なるほどと、その背中を見送って芽衣は思う。やはり対等に見られるというのは、プレッシャーもあるけれど、気持ちの良いものだ。
立ち入らないのは、きっと、ジェイルが大人だから、だろうけれど。
「しばらくは退屈せずに済みそうだな……」
だったら今までは退屈していたのかと、そんな皮肉を投げかける者がいないからこその、独白であった。
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