第139話 同期の閑談に陰気な影踏み

 サンディエゴの訓練校において、ロウ・ハークネスと同じ班である東洋人、鷹丘たかおか少止あゆむに関しての評価は、ミスタ平均点アベレージであった。

 成績は良くもなく、悪くもなく。器用貧乏なんて言葉が浮かぶくらい、全体の平均値を的確にたたき出す。基準を作りたいなら彼を見ろと言われるくらいなのに――しかし、存在感が薄く、朝霧芽衣もいることから、比較されることも注目されることもない。

 ロウに言わせれば、だ。黙っていることが多いので、根暗野郎ダークフェロウと言われることもある。


 ――だが、そんな異質さを芽衣が見逃すはずがない。


 そもそも芽衣は、強さや弱さを比較しているわけではなかった。

 では何を見ている?

 普通であるとは一体どういうなのか、実はきっちり把握している者は少ない。髪の色が違う? 躰の色? 規則を破る行為で目立つ? それらが普通ではない個性? 朝霧芽衣にそんな問いを投げかければ、鼻で笑うだろう。

 他人と違うことをするなんてのは、あたり前だ。違って当然のものなのだから、そもそも、普通の範疇に含まれる。学校に通って垢抜けたって、試験をサボったって追試があって、進学して卒業、そんな普通のレールに乗っているだけ。

 だとしたら、レールから外れれば普通じゃない? ドロップアウトした者を見て異端と評するのは勝手だが、それは、普通に道を外れだだけだ。

 実はこれ、普通じゃないことを発見するのは難しいが、行為そのものは簡単なのだ。


 ――普通の、当たり前のことを、


 状況に流されることは普通だが、自覚的に流れに乗っている者が、異質であり、普通ではないのだ。波に乗るのではなく、隣で乗っている相手に合わせている。一見すれば普通と呼ばれる中に溶け込んでいるのに、自然とそうできるから、異質だ。

 つまり、鷹丘少止にはそれが該当する。だからこそ芽衣も気にしていた。


 だとして、ミスを犯したのはどちらだ?


 状況の中に溶け込んでいた場合、探りを入れた方が下手を打つか、入れられた方がボロを出すかの、どちらかになる。本格的に溶け込んでいるのだから、見てわかることなど、そうそうない。あとは勘だ。

 同じ東洋人ということもあって、芽衣が二度ほど声をかけることはあった。けれどそれは、本当に挨拶程度であって、腰を据えて長話をしたわけでもなし――現実として。

 ミスを犯したのは少止であり、それを芽衣が指摘した。


「――私の影を、踏んでいるぞ?」


 口の端を僅かに歪めるよう、耳元で小さく呟いたその一言が決定打。たったそれだけで少止は、内心で白旗を上げた。勝ち負けではない――わかっていても、隠すのは無駄だと認めてしまうくらい、決定的な言葉だったのだ。

 それは。

 少止の術式の根源に位置するものだったから。

 さて、だったらこれからどう対応すべきか。一応、今までのスタンスを崩さず、接触を少なくしておきたいが、相手の影響を受ける可能性は高くなる。

 ああ駄目だなと思えば、少止は夜に宿舎を抜け出して酒を飲むことにした。

 事前にいくつか調べていたので、その屋台を選択して、のれんをくぐるようにして中に入り、隅に腰を下ろす。

「ネバダ……いや、カルーアミルクを」

「……悪いが、ここはカクテルバーじゃない」

「ならパープルヘイズ」

 店主はその符丁を受け取り、棚に並んだビールを一本取り出し、グラスと一緒に少止の前に出して、吐息が一つ。

「世代交代か? 仕事としてガキが来るとはな。何が欲しい?」

「ただの挨拶だ、気にするな。欲しい情報はない」

「ない?」

「厳密には、だ――そうだろう、朝霧芽衣」

 三つの椅子を空けて、そこに座る少女に視線を投げれば、彼女は小さく笑った。

「今日、私がいると思ったか、鷹丘少止」

「今日、私が来ると思っていたのか?」

 ほうと、芽衣はようやく顔を向ける。対応そのものではない、だからそれは雰囲気と呼ぶべきものだろう――今は。

 今の鷹丘少止は、全ての雰囲気が沈んで、何もないようにすら思えた。

 一人称を変えてみたり、言葉遣いを変えてみたりすれば、なんとなく人は変わることができる――が、さすがに、ここまでを作る人間を、芽衣は初めて見た。

「顔は変えないんだな」

「整形は趣味じゃない」

「――ふむ」

「私を調べたのが先か、それとも気付いたのが先か?」

「その二つは同列で比較すべきではないな。今の私が調べられるのは、せいぜい、貴様が私と同様に外注であり、アキラを経由しているくらいなものだ、兵籍番号KK-304。それ以上を調べることは難しい」

 だが、目の前の相手を知ることはできる。

「立場を調べる方が難しく、相手を知ることは簡単だ。何しろ、お前はここにいるのだからな。お前が迂闊だったのは、影を踏んだ時の癖だ。それがなければ、あるいは見逃していたのかもしれん」

「癖?」

「影踏みに、魔力が僅かにでも乗っていれば、私は気付く」

「……」

「影を扱う術式は少ないが、致命的なものが多いからなあ……」

 魔術としてはまず影を、決して自分の躰から離れないものとして定義し、であるのならばそれが、躰そのものと変わらないと決定づけるのだが、それすらが既に術式になってしまっている。

 影を踏むのと同時に定義、加えて命令を与えれば、命令通りに動く影に、躰の方が釣られてしまう。これで主導権を握られて自殺など、笑い話にもならない――あの鷺城鷺花は大笑いしてたが。

 あの戦闘を経て、知覚範囲が広くなったのは確かだろう。何しろ、自分の影の位置まで気にしながら、その上であのクソ女は、自分の影を別物として扱うのだから、四つの意識を持たなくてはならなかった。それからだ、影に対しては常に注意を払うようになったのは。

「まさか、影を扱うのが自分だけだと思っているわけではないのだろう?」

「だがお前は使えない」

「だから対処できないと断言できる理由にはならんな。そこからは推測、つまり知識の問題だ。日本にはかつて十一じゅういち紳宮しんぐうと呼ばれる繋がりがあり、影を使っていたのは闇ノ宮やみのみやの家名だ。さて、どうやらお前の年齢が一桁の頃に滅んだそうだな? 関連性がないと考えるならば、理由が欲しいところだ」

 魔術師の家名が滅びるだなんて、そうそうある話ではないが――あったとしたのならばそれは、親が子を越えた時、歩く道が違った場合がほとんどで。

 ガキによって潰されるなんてのは、統計を取るとそれほど少なくない。

「と、まあこんな情報を私が明かしたんだがな、情報屋?」

「俺に振るな、聞いていないし買ってもいない。もちろん売りもな……」

「長いのか店主」

「いや、お前と違ってコイツは訓練校に入る前に顔を出して、そこからは酒を飲みに来るだけだ。情報の売買は一切ない――だから、客じゃない」

「今のところ、求める情報がないのでな。ネット上の情報を拾うなら、悪いがこの男よりも私の方が上手い」

「あんたの話は耳に入ってる。ハークネスが嘆いていたよ、昨日からひっきりなしに野郎が集まって来るってな」

「だが今日になって、不真面目な馬鹿が図書館から図面を見つけ出して、コピーを配っていただろう?」

 芽衣が指示したわけではないが、おそらく、こういう者が出てくるだろうと予想はしていた。真面目と言えば聞こえはいいが、ちょっとくらい不真面目でないと、効率良く物事を進められなくなる。集団生活というのは、こうした面でバランスが取れるものだ。

「お前は最初にやっていそうなものだがな?」

「聞いた時に、今更かと思ったのは確かだが、一緒にはしないでくれ」

「なるほど。つまり私のように、図面など入学前に入手しており、最初に監視カメラのポイントをチェックしておきながら、正解はどうかと心を躍らせながら内部を歩いたわけではないと?」

「店主……」

「諦めろ、こういう女だ。何事にも楽しんでおきながら、効率良く――、やる」

「さすがにそれは過大評価だ――が、どういうわけか、お前のことを調べていたら、ゴーストバレットに当たってな。なんだか問題を出される前に答えを知ったような気分だ、どうしてくれる」

「知るか。……G・Bガーヴがどうしたって?」

「あれについて、どう考えている?」

「兵隊どもの噂話だとは思っちゃいない。単独でふらりと出現しては、殺害をばらまく災害だ、気を付けろとよく言っているらしいが――その実はおそらく、子供兵器の類だと考えている」

「ふむ、続けろ」

幽霊の弾丸ゴーストバレットだ。ちゃんと調べれば、死の商人に同じ名前があるのにたどり着く。もっとも、既に殺されてはいるがな……そこの施設では、戦場向けではなく、特定状況への潜入、そこからの殺害で、成功後の自殺まで組み込んでいたらしいが、どうもG・Bには最後の自殺が組み込めなかったんだろう。だから何度も名前を聞いた」

「そう、そこが勘違いだった」

「それは明かせる情報か?」

「なあに、世間話だとも。ただし、危険な情報かもしれんので、店主は耳を塞いでいた方がいいかもしれんな」

「気遣いされても嬉しくはない、口を噤むから安心しろ」

「まあいい……実際には売り込みだったそうだ」

 ちょっとした勘違い。だから、少止が口にしたデータに間違いはない。

「施設での育成プランに間違いはないし、オークションにかけられていなかったのは、国家権力が少し絡んでいたからだ。もちろん、直接ではないがな。まあ、そうした施設での成果次第で、軍用のブースタードラッグなども改良が進むわけで、世知辛いと思うべきだろうが……当の本人であるG・Bは、ある東洋人でな? いわゆる成功例として、外からぽんと、施設に売られたらしい」

「東洋人……あんたってオチか?」

「ははは、まさか、私ではない――あの程度では私は殺せない」

 だろうなと、店主が頷いたのに対し、少止は一瞥を投げるだけに留めた。この状況で、多少の探りは入れているが、少止は芽衣の術式はおろか、体術そのものの本質にさえ、手が届いていない。

 人には傾向があるのだ。何事にも、今まで積み重ねてきた人生の結果とも言うべき偏りが存在してしまう――それを上手く使うのが、周囲に溶け込む技術であり、他人と呼ばれる仮面そのものだ。少止にとっては、そうすることで、他者を演じているに過ぎない。

 とはいえ、他人になり切るだけのスキルはないので、あくまでも、今の自分とは違う何か、という程度だが、訓練校の中では充分に効果を発揮している。

 いやそれにしたって、芽衣からは読み取れるものが少なすぎやしないか?

「暗殺兵器として、買った組織は上手く使っていたんだろう。一度の使い切りと思えば、あっさりと戻ってくる弾丸が手元にあれば、さて、どうする?」

「三度だ――それ以上は、リスクが高すぎて使い物にならなくなる」

「ゆえに使われるのは戦場だ。お互いに顔を知って殺し合うわけではないからな……そこで一度痕跡を消そうとしたんだろうが、いかんせん、戦場でもあのガキは殺害の戦果をあげすぎて、噂話になる始末。仕方ないと五度目の仕事で、幽霊の弾丸は戻ってこなかった」

「……もういない、その事実まで掴んだのか」

「ふむ、確かにのだろうな、ゴーストバレットは」

 含みのある言い方に、ピンときて。

「新しい人生を始めてるってか……?」

「まあ、そうだな、そう思っておけ。他人をよく見ているお前ならばあるいは、出逢う機会があれば匂いで気付くかもしれん。G・Bは引退した、そう思っても構わない」

 ああと、今度は店主が口を開いた。

「だから俺に、海の蠍シースコーピオンの話を振ったのか」

「……? ヨーロッパの元海賊だろう?」

「ほう、知っていたか。海賊から一転、今度は殺人装置となったから、通称が海の蠍。傭兵が何度か接触しているが、ほとんどが返り討ちだ。傭兵の棺桶屋あたりは、上手く切り抜けたようだがな」

「棺桶屋は悪い噂も聞かない、上手くやってる。それだけの技術もある」

「うむ、その通りだ。なるほどと私はその結果に頷いたものだ――しかし、海の蠍は、そのG・Bの標的となって生き残っている人物でな。これはなかなか、面白いと思って話を振ったのだが、どうやら私以上の情報をこいつは持っていなかったようで、それほど盛り上がりはしなかったとも」

「悪かったな……」

「……朝霧」

「なんだ?」

まで調べたのか?」

「ふむ、事前に知っていることも含める話にはなるが、ある程度はな。注意喚起だとて、時代によって変わるものだ。最近ではG・Bガーヴに気を付けろ。その前はJAKSジークス

「更に前は狂狼きょうろうだ」

「――それ以前は、ない」

「……ない?」

「それこそ、三百年ほど狂狼の時代が続いた。そしてまだ生きている」

「断言か、まあいい。JAKSは四人だ」

「あれは軍の部隊だろう? 相当なパーティだったらしいからな……目立っていたのは、その内の二人だが」

 そして、アイギス・リュイシカの名は、芽衣にとって忘れられない。

「次は朝霧芽衣に気を付けろ?」

「はは、それは教官連中の台詞だな。ところでお前は、訓練校を出た後はどうするつもりだ? 現地配備されるようなら、私も少し配慮せねばならんのだが?」

「なんの配慮だ……私は組織に行って、別の教育を受ける」

「情けない状況なら、叩き直しておけ」

「それは私の仕事じゃない……」

「気楽にやれってことだ。わざわざこうして、私に付き合う必要もない」

「当然だ。二度と関わりたくはないと思うくらいにな」

「――おい店主、どうしてこう、私はこの台詞をよく聞くんだがな?」

「……それに対する感想は?」

 ふむと、芽衣は腕を組み、首を傾げて。

「軟弱者が多いのか?」

「小僧、言ってやれ」

「トラブルを起こすのを止めてから、もう一回言ってくれ……」

 自分が作った仮面や状況すら、あっさりと壊されるような未来だけは御免だと、少止は二杯目のビールを頼んだ。

 ちなみに余談であるが、翌日に少止の担当教官から、夜間外出とは何事だと説教を受けそうになるものの、ただ短く、朝霧芽衣と飲んでいたと伝えたところ、それ以上の追及はなかった。

 ――まあ、どんな厄介者も、使い方次第なんだろう。


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