第138話 実戦の枠に視線の把握
談話室というのは、基本的に会話をする場であって、一見すると図書館の入り口のよう、パイプの椅子とテーブルが並んではいるものの、決して読書に向いた場所ではない。
ただ、周囲の会話が気にならない芽衣にとっては、ここで本を広げていたところで、なんの問題もなかった。それどころか、本の内容と同時に、周囲の声をいくつか拾っているため、彼らの状況を推測することもできる。一石二鳥とは、このことだ。
といっても、談話室のメインは喫煙所としての役割だろう。談話は二の次、あるいはついで。だからこそ芽衣のような人種は珍しくもある――が。
基本的に、芽衣の周囲には人がいない。
というのも、朝霧芽衣が何をしてどうなっているのか、朝刊の見出しのごとき速度で情報通達が行われるのだから、トラブルの種になど近づこうとしない。だが逆に、逆らえない教官に対しての抑止力として期待されている部分もあり、一定の距離を置けばむしろ、近くに訓練生が多くいたりもするのだが、話しかける者は少ない。
せいぜい、今日は便所掃除じゃないのか、くらいなものだ。
実際、この年の罰掃除率は極端に低くなっている。見習うわけではないにせよ、芽衣の班以外もまた、暇があれば進んで掃除を行うようになり、そもそも罰にならないからだ。居残り訓練の方がよっぽど罰になる。
良いのか悪いのか――そんなことを、芽衣は気にしていない。
「アサギリ、ここにいたか」
「ん? ……ああ、ファーゴ。どうした?」
そろそろ二ヶ月になり、髪がだいぶ伸び始めた頃。さすがに元通りとはいかずとも、それなりに切り揃えている者は多く、そんな中で同室のファーゴは、定期的に刈っているため、青白い頭のままだ。
対面に腰を下ろした巨漢と比較すれば、芽衣が小さくも見える。テーブルの灰皿を一つ引き寄せれば、必要ないとファーゴは首を横に振った。彼は煙草をあまり吸わないし、それは芽衣も同じだが――さて。
「探していたのはお前か、それとも教官か?」
「いや僕だよ。ちょっと相談……ん? グアラ!」
廊下を通り過ぎようとしていたもう一人の同僚を呼び、手招き。少し考える素振りを見せたが、ファーゴの隣に腰を下ろした彼は、煙草に火を点けた。
「なんだよ、俺まで呼んで」
「ちょうどいいからな。でだアサギリ、狙撃について聞きたい」
「ふむ……」
手元の本をぱたんと閉じて脇に置いた芽衣は、テーブルの上で両手を組む。
「続けろ」
「どうも僕は狙撃が苦手だ。いや、苦手というのも少し違うか……よくわかっていないんだな。なあアサギリ、どうやれば狙撃は当たるんだ?」
「いやファーゴ、俺が思うに照準をつけて撃てば当たるんじゃね?」
「その当たり前がよくわからんから、アサギリに聞いているんだよ。訓練から試験まで、一発も外していないだろう?」
「あの程度の距離で、障害物もない状況、外す方がどうかしている」
「メイの基準で語るなよ……」
「そう言うグアラも、言うほどの腕前はないだろう? 調子の良い時で10中6くらいなものだよな」
「うっせ。エリザは――ん?」
「バルディにはもう聞いた。どうにもあいつは、10中8以上を当てないと、後が怖いからと言っていたが……」
「具体的にはこの私が説教をするからだ」
「だろうね」
エリザほどではないが、この二人だとて芽衣には頭が上がらない。
「まず極論から教えてやろう。たとえば――む、おいゴリラ!」
「……ケリーだって、言ってんだろ、クソッタレ」
「ゴリラ、質問に答えろ。狙撃が当たらないならば、どうする?」
「あー? んなもん、当たるまで接近すりゃいいだろ。ゼロ距離なら馬鹿だって当てる」
「結構だ、もういいぞ」
入学当時、最初のトラブルに巻き込まれたケリーは、そうかいとため息を落として去って行った。恨みや喧嘩腰なんてことはないにせよ、やはり、関わりたくはないらしい。
「言った通りの極論だが、そういう方法があることは忘れるな。さて狙撃に関してだが、基本的には照準器を覗き込んで調整をして、撃つ。それだけで当たる」
「当たらねえだろ……なんなんだ、その感覚は」
「いいかグアラ、
「弾丸の軌道の調整だろう?」
「結果は、そうだ。だが過程を考えろ」
「過程……」
「あー、そいつはつまり、気温、湿度、風速、そういう環境情報を組み込むってことか?」
「そうだ」
「ああ……そうか、弾丸の軌道に影響するものを前提として、調整を入れるのか。確かにその通りだが、たとえば、右にズレているからその誤差を調整と、そういう考えではいけないのか?」
「状況次第だ。良いのか悪いのかを判断するのは私ではない――が、ファーゴの方法では十五発目からは、必中しだす。ただし、環境が変化しなければ、だが」
「む……」
「一発目から当てたいのならば、まずは手順を少なくして効率化した方がいい。ふむ――では、そうだな。照準器を覗き込んだ時に見えるものは何だ?」
「……? 標的紙だけど、そういう答えじゃないよな……」
「ふむ、それが普通なのかもしれん。まあ簡単に言ってしまえば、照準器越しに気温、湿度、風速における弾丸軌道への影響が見えたのなら、そもそも調整が必要になるか?」
「それは――……そうかもしれんが、見えるのか、アサギリ」
「いや、私はそういう理屈タイプではない」
「マジでお前すげえと、ちょっと先走って感動した俺の気持ちを返せ」
「今更そんな感動をしたお前は、なかなか
「褒め言葉じゃねえ……!」
冗談ではなく言われれば、頭を抱えるしかない。ほかの班の連中は、またやってるよあいつら、などと遠目に見ながらも、けれど傍耳は立てているようだった。
「だが現実に、そういう狙撃手がいることは考慮しろ。そいつらの視界には、特徴はそれぞれあるにせよ、たとえば明確な数値が表示されたり、独自の表記が投影されたり、あるいは色付けされたりと、そういう見え方をする。もちろん、実際にそう見えるのは、狙撃手である本人の脳が、情報を処理していているからであって、照準器にそんな機能はない」
「……どうであれ、環境情報を仕入れて投影している? それは訓練によるものか?」
「もちろんだ。肌で感じたり、あるいは照準器越しに見える障害物から風速などを考察したりと、繰り返し訓練した結果、経験として身についたものが、技術として生きているわけだ。しかし、標的紙をただ見ながら、銃器の調整を行っているだけの者に、そうした思考の飛躍は訪れない。調子の良し悪しで結果が変わるのは、一つの壁だな」
「壁? つまり、そういう狙撃手になれる可能性があるってことかよ」
「可能性ならば、誰にでもある。だが、方向性として、調子の良い時と悪い時、そうした変化が訪れた状況を越えなければ、そういった狙撃手にはなれん。違いを明確にすることで、いわゆる全身で感じたものを、どう調子が良い時には反映しているのか、そうした考察が可能になるからな」
「けど、考え過ぎるなって、よく言ってんじゃねえか」
「現場ではと、私は前置しているはずだ。そうでない今のような時間や、訓練以外の時には存分に考えて悩め」
「へいへい……」
「ちなみに、理屈タイプではないと言ったけど、アサギリはどうなんだ?」
「ん? 私は基本的に、射線が通れば当たるが」
「……は? どういうことだ?」
「コリオリの法則を含めて全ての状況がグリーンになった時点、その瞬間を、私は射線が通ると表現している。狙撃銃を構え、照準器を覗き込み、その瞬間が訪れて
「天才かよお前は……」
「馬鹿を言うなグアラ、こんなものは経験の産物であって、それこそ積み重ねた訓練でしかない。年間、五万も撃てば、さすがの馬鹿でもどうやれば当てられるかを考えるし、当てるようにもなる」
「五万!?」
「む? 一日二百も撃っていれば、年間でだいたい、そのくらいだろう?」
「一発3ドルだとしても、十五万ドルかよ……?」
「そうとも。だからこそ、投入された兵隊の人員数に対して、どれほどの見返りがあるかが戦局には重要な項目になるわけだ。兵隊だとてタダではない」
「マジかそれ。やる気失くすんだけど」
「なんだ貴様、そんなことも知らんのか……? 敵国を焦土にしても、得られるものは何もないぞ。もっとも、それは兵隊の考えることではない。貴様らはただ、眼前の敵を一人でも多く殺し、そして生き残ることだけを考えろ」
「へーい……」
「さて、ともかく実用的なアドバイスとなると、このくらいなものだな。簡単に当てたいのならば、スイッチでも作ればいい」
「スイッチ? それは、どういうものだ? 僕にもできるだろうか」
「照準器を覗き込む、その行動にスイッチを入れる。普段は持たない視界を持つ、その区切りを明確にするわけだ。感覚を掴めばすぐできるし、それこそ照準器だけ買って練習すればいい。五感の投影とも言えるが――そういうものだと、覚えておけ」
「そうか……」
「――ところで、話は変わるが」
腕を組んだ芽衣は、ぐるりと周囲を見渡す。ざっと同期が二十人ほどいるのか。
「そろそろ二ヶ月、訓練にも慣れてきた頃合いだろう? 銃器の扱いを覚えたあとは、それを実際に使っての屋外戦闘、そして屋内戦闘と、そんな訓練を行うはずなんだが――」
「アサギリのその先読み、外れた試しがないんだよな……」
「ファーゴ、余計な文句を入れるな。そこでだ」
両手を一度叩き、注目を集める。
「これからの訓練を効率良くやりたいヤツ、ほかの班よりもちょっとでも上へ行きたいヤツ、いるならば話を聞け」
言えば、雑談が一気になくなった。
「結構。まず屋外戦闘で注意すべきことだが、これは狙撃だ。訓練でやっているように、長距離での狙撃は気付かなければ致命傷になりやすい。では、どうすれば気付くことができる? ――続いて、屋内戦闘の場合、映画を見たことがあるのならば、動きの予想はできるだろう。さて、この場合は何に注意する? 実はこの二つに共通点がある」
なんだと思うと、視線をファーゴ、そしてグアラへ投げるが返事はなく、ぐるりと周囲を見てから、芽衣は頷きを一つした。
「それは、視線だ」
短く、それを断言する。
「射線と呼ばれるものは、視線の延長にある。今の話を聞いていれば、狙撃における照準もまた、同様であると理解できるだろう。それは自分の視線であり、そして、誰かの視線だ。視線とは射線になる――だとして? それを理解している者と、いない者では、いざ訓練と――現場に入った際、致命的な差になるとは思わんか?」
「なるほど、話はそれほど変わっていないな」
「そこで、ごくごく簡単な課題を貴様らに与える。ちなみにファーゴとグアラは強制だ、拒否権はない」
「言われなくてもわかってるっての……おい、ご愁傷様じゃねえよ! 笑ってんなコラ!」
「ははは、――僕は諦めたし、実際にアサギリの課題は役に立つ」
「ったく……んで?」
「この訓練校内部には、一体どれだけの監視カメラがある?」
問えば、やはり談話室は静まり返る。
「まず、その数を確認しろ。そして、位置を覚えろ。覚えたのならば必ず、移動中には意識して――そうだな、最初は必ず、カメラに顔を向けろ。自分は気付いているぞと、表現するわけだ。それが習慣として身に付けば、建物の図面を見せられた時、監視カメラの居場所を推測することが簡単になる。そして同時に、人が向ける視線にも、その延長として捉えられるだろう。だが焦るな、まずは探して位置を覚え、顔を向けることだけを考えろ。貴様らクソ間抜けには、ちょうどいい難易度だ」
「いちいち最後に、一言付け加えるなよ……」
「既に把握している私と比較して、貴様は間抜けではないと胸を張れるのかグアラ」
「う、ぐ……」
「――ふむ。よし、もしもそれなりの数が発見できたら、私かエリザ、ロウ・ハークネスかマカロ・ホウに報告しろ! どれだけ貴様らが節穴か、きちんと教えてやろう!」
「ちょっと待て、おい待てメイ! 俺を巻き込むな!」
「なんだいたのか、ロウ。何だ貴様、まさか把握していないと、この私を前にして言うつもりではないだろうな?」
「……把握は、してる」
「では文句を言った罰則として、貴様はもう一度、坊主頭だ」
「ぐ……! ああクソっ!」
ばらばらと談話室から出て行くのを見送り、ふむと芽衣は腕を組んだ。
「一人でやるか、共同でやるか、最初は制限せずとも構わんが、お前らは二人に限定されているなあ?」
「今更だよ、それは」
「ロウの反応を見せてから、んなこと言われたってな……?」
「ちなみにアサギリは、どうして把握しているんだ?」
「ん? 夜中にこっそり抜け出す時に、上手く回避するために決まっているだろう? そんなものは初日に全て把握済みだ。監視映像の処理まで自分でできる」
「お前何者だよ……!」
「教官殿が諦めるわけだ……」
「だが実際に、役に立つ。ゲーム感覚で遊べるのならば、一緒に学習した方が効率的だとは思わんか?」
「それはそうだが」
「けどメイ、あちこち首が痛くなるまで見回るだけで、発見できるもんか?」
「ふむ、何故そう思う」
「監視ってのは、相手にバレないようやるもんだろ」
「そうだな。一割弱はおそらく、発見が難しいだろうな。ファーゴ、先ほどからの会話をもう一度思い出して考えろ」
「僕か……そうだな、監視カメラの位置、定石もあるんだろうが……――あ、金の話か?」
「やはり貴様は、そういう視点には強いな。逆に言えば頭が固い。発想の飛躍が少ないからそうなるのだ、想像力を鍛えろ」
「できるならば、僕だってやってる……」
「訓練校内部に、一体どれほど監視するだけの価値があるのか、そういう話だ。監視カメラ自体も、それほど多くはない。各部屋に一つずつ配備したとなれば、それだけで随分と金をかけているだろう? しかし、必要だ。となれば?」
「……効率を求めた配置になる?」
「だとして?」
「む……」
「グアラ、答えてみろ」
「……あ。効率ってことは、よくある配置ってことなのか?」
「そこに気付くのは、連中にとってもっと先になるだろうがな。何事でもそうだが、基礎を知らなければ派生はできん。意図したものではないだろうが、この訓練校は教材としてもなかなか、上手く作ってある。私も感心したものだ」
「どんだけ上から目線だよ、なあおい、ファーゴこいつ本当に見た目年齢か?」
「僕に聞くな。実際にやっているんだから文句も言えない」
「ふん。実戦前の練習段階で、よくもまあ、くだらんことが言えるものだ。基礎訓練を終えてからは、現場に一度出た方が進級は早い。私と一緒に戦場に出れば、まあ死ぬことはないだろう。よく考えて先を決めろ。――さて、お前たちもそろそろ行ったらどうだ? 消灯時間には、まだ猶予がある」
「おう」
「じゃあグアラ、東回りは頼んだ」
「あいよ」
そうして、静かになった談話室で、芽衣は一人、再び本を開いた。
――ちなみに。
余談ではあるが、この件に関しては教官連中の頭をそれなりに悩ます結果となる。理由を問われても、彼らは口を揃えて、こう言うのだ。
これは朝霧芽衣からの課題です。
悩んでいた頭を、その言葉で抱えるはめになったのだから、同情すべきだ。
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