第136話 トラブル起きても実害ならば
その日、昼休みに士官室に呼び出された朝霧芽衣ではあったが、入室して踵を揃えながらも、動作に澱みもなく、そして想定していたことは、たぶんザック軍曹しか知らないだろう。部屋の中にいるのは負傷明けの――まだ治ってはいない――ゾーク曹長と、そして冷たい印象を受ける女性が執務机の椅子に座っていた。
しかし。
「俺からの報告は以上だ。退室してもいいか?」
「ええ」
ゾークはため息を落とした動作で、痛みに顔を引きつらせながら、芽衣を一瞥だけして横を通り過ぎて、すぐ部屋を出て行ってしまった。日常生活には問題なさそうである。
「――朝霧芽衣」
「はい」
「
「は……なんでしょうか」
「今から私はどういう手口で行ったのか、誰がやったのかを調べる。結果、そう遅くなく貴君は追及されることになるだろう。その時には何の言い訳も通じず、ともすれば軍法会議だ。故に、その前に聞いておく」
淡淡とした口調に、ぴくりとも表情を動かさない――が、椅子に座っていても随分と小柄なのはわかる。年齢的に見ても、芽衣と同じならば、成長の可能性を残している芽衣の方がきっと、背丈だけでは有利だ。
――いや。
だけ、ではないか。
「誰に依頼した?」
「少尉殿、自分は誰かに頼んだ覚えはありません」
「――結構。では以上だ」
「は、それでは」
「待て」
続く言葉を遮ったザックは、一拍の間を置いて大きく息を足元に吐き出した。
「……少尉殿、一つ確認を。朝霧に対する追及は、以上でよろしかったのですね?」
「ええ」
「では、この部屋の記録を終わらせてください。――ああ、稼働状態はそのままで構いません、記録しなければ」
「いいわ。これ以上はないもの」
ザックは監視カメラの赤ランプが消えたのを確認してから、軍帽を取った。
「ここからはプライベイトとして、話をさせてもらう。少尉殿、すまないが」
「いないものと思って結構よ。もう調査を続けるから」
「ありがとうございます。――朝霧、軍帽を取れ。ここは定食屋と同じだ、対応を変えろ面倒だ」
「――ふむ」
軍帽を取り、ソファの上に乗せた芽衣は扉に背中を押し付けて開閉をできなくすると、腕を組んだ。そこだとぎりぎり、口元が監視カメラに映らない位置であることも知っている。
「こっちで調査はした。データベースにはお前の記録があって、確かに認識票で機械式ゲートは通れるようになっている。俺からも聞くが、依頼してはいないんだな?」
「返答は先ほど、そちらのクソ女にもうした」
「クソ……?」
「ほう、聞こえていたのか? いないものと思えと言われたので、その通りにしたのだがな、天来
「貴様……!」
「よせ朝霧……対応を変えろとは言ったが、配慮しろ」
「配慮? しているとも。わざわざ机を叩いたこのチビ女は、これから、ありもしない依頼を探して、いもしない誰かを調査し続けるんだぞ? 私が嫌味の一つでも言って、止めさせてやらんでどうする。フタマルの椅子に座った小娘が情報戦でこの程度では、あの組織の程度も知れるというものだ」
「誰から聞いた? フラックリン大佐か?」
「質問ばかりだな、少尉殿。程度が知れるから、そろそろ黙った方がいい」
「朝霧、いいか朝霧、あまり挑発をするな」
「図星を衝かれて逆上するヒステリー女とどこが違う? 警告の前に対応している私に同情でもしてくれ。まったく貴様らは想像力が足りない、まるでティーンエイジャーだ」
「――っ」
思わず、拳銃を引き抜きそうになった天来は、ぎりぎりのところでそれを耐えた。ここで暴力に訴えてしまえば、ゾークの二の舞になる。
「記録を取っていないとはいえ、記憶には残るから不用意なことは言わない。でだ軍曹殿、話を円滑に進めるために、電話を一本入れたい」
「どこにだ?」
「電子戦公式爵位本部、ライセンス再発行窓口だ。ああ少尉殿、今から検索しても無駄だ。最新のものは申請すれば閲覧可能だが、そこに私の名前はない」
「何故だ?」
「訓練生に質問をするくらいなら、少しは階級にふさわしい思考と会話を心掛けて欲しいものだがな、少尉殿。さっきから目の前の問題に、なんでだなんでだと文句を言うだけのガキみたいな台詞しか聞こえん。まったく頭を使わんやつは会話にすら困る――ザック軍曹」
「いいだろう。ただし、電話回線は記録される」
「構わない」
小型の電話を受け取った芽衣は、迷わずいくつかのボタンを押し、電子音声に従って操作をすれば、すぐに相手からの声がかかった。
『はい、再発行窓口』
「朝霧芽衣だ、手続きを頼む」
『一般回線だけど訓練校宿舎から?』
「似たようなものだ、説明どうも。そちらが把握している情報を流してくれると、私の立場も良くなる――かも、しれんな」
『ふふ。では基本情報を』
「2046年四月二十七日、朝霧芽衣。A級ライセンス取得」
『――はい、情報が一致しました。紛失ではなく返納されていますので、再発行は可能です。業務上、改めて説明しますが、再発行された時点でライセンス保持者として当方より世界へ公表させていただきます』
「構わない」
『では、返納時の登録コードをお願いします。こちらも今回のみの適用となりますので、口頭で使用された時点で、失効されますのでご了承下さい。またその時点で、二度目の返納は許可されず、資格を失うことを承知していただきます』
「グリニッジ標準時、〇六三一時、〇九秒、コード0F294DC1。暗号数列91BFA8だ」
『返納時、該当文字列の
電話を軽く離して、苦笑を一つ。
「返納時には、いくつかの手順があり、その一つが再発行手続きの際の登録だ。なかなか手が込んでいるだろう? もっとも、そこのアイスなんて呼ばれている女は、まだB級しか所持していない上に、返納することで検索から除外される可能性なんてことを、知らずに生きてきている間抜けだ」
「……なあ、朝霧」
「どうした軍曹殿、あまり驚いていないな?」
「お前ならそんくらいは、まああるかと納得しちまった俺は、ちょっとまずいよな……?」
「私への理解が深まっていて何よりだ」
いや、たぶんそれは、ちょっとどころじゃない。かなりまずいだろう。
「考課表にどう書けってんだ……」
『――解除が完了しました。サンディエゴの訓練校に送付で良かったですか?』
「そうしてくれ。ネッタ・ラックエット、受付業務の次は、同じ仕事だが、職場が変わる。楽しみにしておけよ」
『はあい。じゃあね』
そこで通話が切れたので、ザックへと電話を返し、芽衣は視線を天来へと向けた。
「貴様がすべきことは、私の兵籍番号を確認しての調査だ。それと軍曹、貴様はどうやって私の名前がデータベースに登録されたのか、その物理的な行動へのアプローチが欠けている。ノート型端末の申請をしたところで、
「お前は本当に、口が悪いな……」
「そう思うならきちんと反論しろ。そんなだから間抜けと言われるんだ」
「ふん。しかし、それほど軍部の中はセキュリティが甘いのか?」
「なんだ知らんのか。――いいだろう、一つ教えてやる。そもそも軍内部における電子的なセキュリティは、均一ではない」
「ん? 情報別に選択しているのか?」
「馬鹿者、思い付きで口を開くな。いいか、事実を一つ語られたのならば、まずその言葉の対義を思考しろ。それが理解の第一歩だ。セキュリティ構築における基礎である可変など、知らなくても答えは出る。均一であったのならば? ――それは一ヶ所が破られればそれで終わり、ということだ」
「……餌か」
「そうだ、気付くではないか。セキュリティの甘い部分から進行する手段は、当然かとも思えるが、古今東西、戦場において手薄な場所には罠があるのと同様に、間抜けを誘い出す手段としても常套だろう。ただし甘い故の欠点も、そこには存在する」
「ああ、そうだな」
あるいは、今回のように。
「痕跡を消すのも簡単になる――か?」
「であれば? そこで結果を考察する。甘くしているのは、そもそも、盗まれてもさして問題にならない情報しかないからだ。ついでに言えば、ここからステップして次の場所へ行く経路には、高度なセキュリティが組み込まれている。ともすれば、本拠を直接攻撃するよりも、厄介なものがな」
「なるほどな……」
「理解できたようならば、以上はない。私は退室するが構わないか? ――午後からの訓練が始まりそうだ。食事の時間はなくなったがな」
「食堂に行け、俺から指導教官には伝えておく」
「構わない。満足に食事が取れない戦場で、飯を食っていないからと言い訳をだらだと並べるような、そんな間抜けになるつもりは毛頭ないのでな。――では朝霧芽衣、退室します」
軍帽を乗せれば、きちんと両足を揃えて挨拶とし、部屋を出て行った。
ため息が一つ。
「ったく……どうしようもねえな、あいつは。ああ、いや、失礼しました、少尉殿」
「いや構わない、そのままでいいわ。私は厳密には軍人ではないし」
「はあ、気にされていないようならば、幸いです。しかし――あいつは一度も、自分がやったとは口にしませんでしたね」
「そうね。A級ライセンス取得者じゃ、痕跡は出てこない。でも七年前……軍曹、訓練校での彼女の評価は?」
「全部最高評価ですよ。銃器訓練はこれからですが、狙撃なら特Aです。あいつは嘘を吐きませんし、実際にやるでしょう」
「少人数の四人一班ね? 同期の反応は?」
「目立ったトラブルは何も。朝霧を中心にして班は結束し、技術向上も見られます。ほかの班からは、やや距離を取られていますが」
「何故、距離を?」
「嫉妬を向けるよりも前に、彼らの努力が目に見えています。朝霧の指示によるものですが、訓練内容の過酷さがほかとは違い、であればこその結果であると、理解が進んでいるからでしょう。特別扱いの一歩手前、それが自分の指示であれば、素直に評価を受けられるのですが」
「先ほどの会話を聞く限り、貴君以外には務まらんだろう」
「フラックリン大佐殿にも、似たようなことを言われましたよ。お陰で、どうやれば胃痛が解消されるかを、毎日探すばかりです」
「先日だったか」
「ええ」
「少し待て」
兵籍番号はRH-601で、外注。さすがにああ言われれば、気付く。
天来は自分の組織のトップに座っている者へと、自分の携帯端末で連絡を入れてみた。
『どうした』
「天来です、大佐殿。朝霧芽衣についての質問があります」
『ケイオスに続いてお前もか……』
どこか、呆れたような吐息があった。
『同じことを伝えよう。トラブルがあった、そうだな?』
「はい」
『内容はいらない。だから続けて問う――実害はあったか?』
「――」
それは。
「いえ、ありません……」
『だろうな。その上で伝えておく。仮に実害があったとしたのならば、お前が朝霧に突っかかった時だけだ。それを踏まえて問題が出るようならば、連絡しろ。――以上だ、質問は?』
「……ありません」
『結構。――ま、やられたと思ったのなら、お前の錬度が低い証左だ。専門だと言うのなら、結果を示せ』
アキラ大佐の言葉はそこで途切れ、通話も切れた。
「……」
「どうしました、少尉殿」
「いや、知り合いらしい上官に連絡を入れたが、説教された。手を出さなければ実害は出ない。その上で問題になるならば連絡をしろ、と」
「――ああ、なるほど。そういう理屈でしたか」
「納得か?」
「ええ、そういう女です。よほどのことがない限り、自分からは手を出さず、そして勝手に決めることをしない。同じ班の相手でもそれは同じです。連帯責任がある部分は指示もしますが、あくまでも、決めるのならば自分でやれと、そう言って背中を向けるタイプです」
「教育面においての適性があると?」
「そこまでは言いません。知っていることをただ口にしていると、そう捉えられる部分も大きい。ただ、仲間を見捨てるヤツでないことは確かです。だからこそ、ほかの連中も、どうにかして食らいつこうと、ついて来る……」
「だが、錬度そのものは高い」
「
「A級ライセンスを保持している時点で、電子戦公式爵位に挑む資格が既にあるレベルだ。はっきり言おう、私ではおそらく、彼女の痕跡を追うことはできない。電子戦で直接対決しても、勝てないだろう」
「現実を否定するのはナンセンスですが、そもそも、あの年齢であの錬度は、可能なのでしょうか」
「私には不可能でしょうね。加えて、あの子が完成しているとは思えない」
「それは年齢的な部分からの推察ですか?」
「それもある。けれど、今回の件も考察に含まれる。そもそも、どうしてこんなことをしたのか?」
「外で遊ぶタイプではなく、手の込んだやり方をしていながらも、あえて発覚するような形をとった理由ですか」
「そう」
「こちらを試す意図もあったのでしょう」
「同時に、対応を見たかったのだと私は考える。ただし、早すぎだ」
「早い、ですか?」
「考えてみろ、まだ一ヶ月だ」
「――、そういえば、そうでした。ようやく状況に慣れ、ここから上手く悪さをする連中が出てくる、そういう時期ですね」
「そして、そんな馬鹿と違って実害を出していない。それこそ、上手くやっている」
「……ああ、なるほど、そうですね」
本当に、その通りだからこそ。
「俺、もういらないんじゃ……」
「少なくとも、私に教官をやれと言われないだけ、貴君には感謝している」
「面倒を押し付けられてるってことじゃないですか……?」
肩を落としたその返答に、天来は小さく苦笑するだけで、答えなかった。
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