第135話 素質や資質の選択性
果たして、酒を飲むのは胃に優しいのだろうか。
そんなことを本格的に考え出せば、どうせ飲めなくなるのだから、せめて酒を飲む時くらいは雑事を忘れてアルコールに酔おう、そう思って学校を出ていつもの屋台に顔を見せたザック・フェリエラ軍曹は、席に座ってすぐ、いつものを頼んでから、隅に座っていた小柄な女性を二度見した。
「ちょ、な、おまっ――なんでここにいる!?」
「場所を弁えろザック、大声を上げて立ち上がれば、どんな修羅場だと店に誰も寄り付かなくなる。それを嬉しく思うのは私も同感だが、店主には良い迷惑だ。なあ?」
「はは、お二人とも上客ですからね」
「返事になっていないな」
そもそも、訓練生は夜間外出など認められていないし、出入りのゲートを通り抜けられるはずもないのだ。
「どうやってここに?」
「質問を返そう。貴様はどうやってここに来た?」
「おい、上官に対する態度を忘れたか?」
「貴様はここでも学校を引きずりたいのか、教官殿? プライベイトならば、相応の態度で接した方が気が休まるという私の配慮に、何故気付かない。それとも、本当に普段通りでいいのか?」
そう問われれば、――少し考えて。
「まあいい……」
ザックの上官が、気を楽にしろと個室などではよく言う理由が、わかった気がした。状況と相手に合わせろ、なんて話だ。
「で、何故ここにいる」
「酒を飲みに来て悪いか?」
「悪いだろう……?」
「ふむ。では繰り返すが、貴様はどうやってここへ来た」
「ゲートを通って、認識票を見せて出てきただけだ」
「では、私も同じ手順で出てこられる。違うか?」
「それは違うだろう、立場が」
「おい店主、助言をしてやれ。こんな間抜けだとは思ってなかった」
「おっと、私ですか?」
「いやお前もお前だ、何してんだおい」
「といっても、私は客商売ですよ、ザックさん。それにほんの先ほど、いらっしゃったばかりですから」
「そうとも。海にも蠍がいるんだと、そんな話をしていただけだ」
「なんだそりゃ……」
酒を一口飲んでも、あまり気分は良くならなかった。
「ザックさん、裏の出入りは確か、機械式でしたね」
「ああ、変わっちゃいない。一応、監視員が立っているが、ほぼ素通りだよ」
「彼女の言葉を素直に受け取るのならば、認識票を使って機械式のゲートを通り抜けたと、そういうことです」
「……? いや、そもそもどうやって。通れないだろ」
「貴様、やはり頭が固いな……現実を見ろと教わっているのならば、理由ではなく結果から推測してみろ。いいか大前提だ、私は通ってここへ来ている。だとして?」
「……、……おい、待て朝霧」
「気付くのが遅い。店主の方がよっぽど賢いぞ」
「ははは、私の場合は
「待てって……そんな簡単な話じゃねえぞ」
「なんだ、今から戻って調べるか? 私は呼び出されても構わんぞ?」
ザックは残った酒を見て、それから腕時計も一瞥して、ため息を一つ。
「明日にしとく。それより今日のことだ。ゾーク曹長は骨折なし――重症だが、後遺症はないそうだ」
「では貴様から、恵まれた体格に産んでくれた母親に感謝しろと言っておけ。それに心配など最初からしていない。手加減したのは私だ」
「――手加減したのか?」
「当然だろう? ちなみに、私が最初に使った時の相手は、肋骨三本に内臓亀裂、ただし外傷はなし。加えてガードした両腕も骨折だ。それを今の私があんな無防備なまでに間抜けな相手に本気で使ってみろ、骨の上から心臓を破壊できる。その場合、せいぜい三センチほどしか相手は動かない――今回のように吹き飛んだだけ、威力は低いと考えろ。いわば、半分以上は後ろへ押す動きに変えている」
「とんでもねえなお前は……。フラックリン大佐殿は、お前は傭兵か
「子供兵器の可能性について言及したんだろうな?」
「説明してくれたよ。あれは成長を前提としない、使い捨ての兵器運用を目的に作られるガキだから、そもそも基礎がほとんどないし、人格がまともじゃない。加えて販売用の商品は洗脳ありきで、主従関係が絶対だ。該当しない――そう聞いた」
「ふむ、まあ正解だろうな」
「どうせ
「どういう意味だ? 使用に関しては問題ないが?」
「そっちの意味だ」
「ふむ。屋内戦闘での制圧手順を口頭しようか? まず、押し開きの扉は鍵を二発入れて壊したあと、蹴って内部に突入。直後、扉に二発、これは裏側に隠れた一人を狙ったものだ。視界は正面、敵の数を確認、警戒はまず右手、そして上だ。なんなら仕事をやらせてみるか?」
「できるのかよ……狙撃は?」
「7.62ミリを使用時の必中距離は千百ヤードだ。千五百以上なら
「マジか」
「冗談ならば、私はきちんと、冗談だとつける。嘘は言わん」
「なら聞こう。お前は傭兵か、狩人か?」
「過去、私が傭兵だったことはなく、もちろん狩人であったこともない。そして今の私は兵隊だ」
「それにしちゃ、できすぎだ」
「疑問に思ったのならば、自分で調べろ。そこまで私に任せるな」
「無茶を言うな……肩書は軍曹、俺は軍人としての生き方しか知らない」
「そうだったな」
煙草に火を点けたザックを横目に、芽衣はグラスを傾ける。
「ふう……ああ、そういや、フラックリン大佐殿のことも、知っているようだったな?」
「別口の情報だ、料金も別で支払ってくれ」
「お前はまたそういう……ああ本当に、教官なんて辞めちまおうか」
「む、なんだ。そんな悩みを抱いていたのか? よせよせ、手間が増えるだけだ。あのクソ曹長を見ただろう? あんなのはよくある結末でな、私を殴った時点でもう教官としてやっていけなくなる連中ばかりだ」
「何してんのか、さっぱりわからねえけど、こっちにダメージくるんだよな、あれ。いや、そうして考えてみりゃ、店主の見立てが正しかったってことなんだろ」
「ほう?」
「見た目で判断できるほど、簡単な方ではない――そう言っただけですよ」
「ああもう、まったくその通りで、俺のストレスが溜まるばかりだ。もういい、ご馳走さん。店主、今度はこのガキがいねえ時に、ゆっくり飲ませて貰うよ」
「毎度。じゃあ次を楽しみにしていますね」
「おい朝霧、朝には戻れよ」
「うむ。巡回があるようなら誤魔化しておいてくれ」
「知ったことか……」
躰をのれんの外に出すようにして、とぼとぼと戻って行くザックの背中を見送った芽衣は、小さく苦笑して二杯目を頼む。昔、潰れるまで飲んだことがあるため、ペースや分量はよく自覚しているので、明日に残すようなこともない。
「――心中、察するよ。俺が同じ立場だったら、とっくに白旗だ」
「何を言う、まだ一ヶ月だぞ店主」
「それだけもてば充分だ」
彼はすぐ、言葉を崩す。相手が芽衣だからだ――ザックと違い、情報屋として最初に接触してきたからこその、態度だ。
「大佐から打診があったよ。軍内部の情報を誰かに売ったか、とな」
「ほう、どう答えた」
「買い付けも売りもしていない、と答えておいた」
「嘘ではないが、真実も伝えてないのか。その程度の話術ならお手の物だな」
事実、芽衣から貰った情報は買い付けではなかったし、直接の金銭の授与は存在しない。その上、売ったどころか、持ち込まれただけの代物で、それは彼の商品になっていないのが実情である。
「その年齢で――その領域に足を踏み入れるのは、並大抵のことじゃない。彼の言葉じゃないが、狩人としてもやっていける」
「町の便利屋さんになるつもりはない。だが、できるかどうかと問われれば、ある程度ならば可能だろう」
「……あまり、立ち入りたくはないが、弟子か?」
「すまん、まだそれに肯定できるだけの立場を得ていない」
「そうか」
立場があれば肯定できると示したようなものだが、きちんとそこを弁え、彼は頷く。立ち入った質問にはなったが――探りを入れたわけではないし、それは芽衣にも伝わっている。
「どうするつもりだ?」
「正直、わからん。現状では訓練校を出ることが前提だ、しばらくは猶予もある。ただ教育に関しては、実践も含みで覚えておきたいとは思っている」
「教育?」
「経験で得た全てのものを、誰かに教えてこそ、ようやく一人の人間として完成する――その実感を得たいのだ」
「まだ早い……いや、もしかしてお前」
「なんだ?」
「自分に素質があったとは、考えないのか?」
「――」
ごくごく自然な思考だろうに、彼の問いかけに対して芽衣は驚いたように動きを止めて。
「……考えたことが、なかった」
「たとえば俺が後継者を作ろうとした場合、まず資質を持つ人間を選ぶ」
「聞こう。私もお前と同様に、見た目で人を判断しない」
「言ってろ」
だが自分の話になると、さすがに客と店主の立場では難しい――そう思ってグラスを一つ手に取ると、適当な酒を自分用に注いだ。
「情報屋稼業は、そもそも引退が難しく、できないと言ってもいい。たとえ身を退いて、ほかの仕事に手をつけたとしても、名前を知られている限り同業者や、客が顔を出すこともあれば、意図せず耳を澄ませてしまうものだ。何故か、わかるか?」
「情報屋を稼業だと言ったが、それは、仕事ではないからだ。高ランク狩人によくあることで、逆に言えばそうでなくてはランクB以上にはなれない。――既にそれが、生活になっているからだろう?」
「そうだ。そして、そうでなくてはならない理由もある」
「ふむ。それはあれか、客側の視点か?」
「一番強いのはそれだな……組織に属していても、いなくても、俺たちは同業者の横繋がりが深い。情報を持っているだけに危険視されるから、お互いに身を守ろうって算段もあれば、自分の持たない情報を、どうしてもと組織にせっつかれた場合、頼ることもある」
「そうか、身を退いても繋がりは残るわけか」
「これ以上関わらないような配慮であるのと同時に、それは監視でもある。情報屋稼業の格言だよ――新入りと隠居には監視をつけろ」
昔はよく師に言われたもんだと、彼は苦笑した。
「情報屋のほとんどは、一ヶ所に留まって動かない。その方が効率は良いし、店舗を構えないと固定客が増えないからだ――が、移転がそもそも難しい点がある」
「縄張りか?」
「新入りと隠居に監視をつけろ、だ。このご時世、空白地帯なんてそうそうない。トラブルで逃げた先にも、既に情報屋が居座っている。そこで店を開こうもんなら、それ自体がもうトラブルだ。安定していた場所を引っ掻き回すのが新入りのやることで、その場所のルールを知ろうとしない」
「つまり、お前はここで上手くやったわけか」
「訓練校のおひざ元、どこに許可を取ればいいと思う?」
「――軍部そのものか」
その通りと、彼は小さく笑う。その手配をしてくれたのがジニーだった。戦後処理というか、前回のトラブルがジニー絡みだったため、その補填になるのだろう。
「この稼業に必要なのは、世渡りの上手さだ。あっちとこっちを仲介できるスキルが重要であって、情報収集能力なんて二の次。加えて、鼻が利かなきゃ上手くいかない――そういう素質を持ってなきゃ、何を教えても下手を打つ」
「なるほど、そういうことか。ならば私は答えよう、――私に素質など、なかった」
「なかった?」
「まず一つ目、見た目で人を判断しないのは良いが、私の実年齢をまず考慮してくれ……む、そういえば、訓練校に提出した書類には多少の上乗せがしてあるが、まあ気にするな」
「実年齢ではさすがに通らなかったか……」
「まあな。そして二つ目、素質を変える、ないし与えるならば幼少期の方が良い。ただし、方向性の問題は孕む」
「お前はどうなんだ?」
「特定の方向性や素質まで、操作された覚えはない。ないが、この道を選んだのは私だ。そちらに寄せられたのかもしれんが、口で言うほど容易い問題ではないのだろうな」
「それで銃器やら体術やら、電子戦やら……?」
「そうではない。だからこそだ――方向性が定まるまで、私が決めるまで、全ての選択肢を内包するよう教えるのが、師の役目だと、あのクソ野郎は思っていたんだろう……。まったく、高度なことをあっさりとやってのける」
「尊敬してるって感じじゃないな」
「馬鹿を言え、尊敬はしているとも。だが同時に、あいつは性格が悪すぎる。まったく、何度この私が煮え湯を飲まされたことか……ん? いや、飲まされたことはなかったな。つまり私の性格が悪いだの、口が悪いだの、そういう評価は全て師に向けられて然るべきだ。なあ?」
「俺に同意を求められてもな……?」
だが少し、わかった気がした。
たぶん、何でも教えたのではなくて――いや、それも事実なのだろうけれど。
どこに行っても生きて行けるようにした。
できるできないかはともかくとして、師の考えとしては、至極まっとうな答えだ。いわば理想である。
だとして、この少女は、師の理想だったのか?
――それはまた、別の話だ。
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