第134話 卒ない最大の問題児
走り込みや筋トレなどの基礎訓練を中心にして一ヶ月、既に朝霧芽衣の名前を知らぬ者は、訓練校の中にいなくなった。それと同時に、ザック班の評価も広まることになる。
「曰く、罰則を受けない班だ――と」
士官室に赴いたザック・フェリエラ軍曹は、軍帽を取って軽く胸に当てた姿勢のまま、小さく苦笑した。
「ほかの教官からは、貴様は甘いと言われる始末。どうしたものかと」
「へえ?」
訓練校に顔を見せたケイオス・フラックリン大佐は、皮張りの椅子に座っていくつかの作業をしていたが、一瞥を投げるようにして、話は聞いていると、そんな態度を示した。
「一応こっちで経歴なんかは軽く調べたが、実際にはどうなんだ?」
「参っています。走り込みをさせれば、ペースを乱さずに最後まで走り通しで、筋トレも同様です。穴を掘らせても指示が的確で早い。お陰で班内も、朝霧を中心にして結束しているようで、出す結果は評価できます」
「だが、罰則くらい、いくらでも探せるだろ?」
「大佐殿。休憩時間に自ら進んで、便所掃除や窓ふきを率先して行っている相手に対し、どのような罰則を?」
「――先回りしてんのか」
「そうです。なんというか、卒がない……憎たらしいほどに、自分の行動を理解しています。多少のトラブルは起こしますが、理不尽に殴る蹴るなど、そうしたものではありません。最近ではもう、自分に教えることはないとすら思えてきました」
「それで、教官の交代を進言か?」
「情けない話だと受け取ってもらって構いませんが、その通りであります」
「……ん」
手元の作業を止め、一息ついたケイオスは珈琲を手に取ると、ようやく視線を合わせて。
「成果は出てるんだから、自分のものにすりゃいいだろ」
「自分の成果ではありません。そういう楽を覚えてしまえば、自分は二度と戦場に出ることはないと、そう考えてしまうのです、大佐殿」
「お前は立派な軍人だよ……。だが、これから格闘訓練に実弾演習だろ? 決めつけるのはまだ早いんじゃないか?」
「できますよ、朝霧なら」
「何故そう思う」
「一度殴った時に確信しました。まるであいつは、卒業生が身分を偽って再入学したようなものだと、そう感じましたから」
「なんだ? 殴り返されたのか?」
「いいえ――服で隠しましたが、手首、肘、肩の三ヵ所が炎症を起こしました。どうしてそうなったのかは、自分にはわかりませんが、朝霧は立ったまま殴られただけなのに、自分が負傷したのです」
「衝撃を返された――って感じだな?」
「大佐殿、こういうのは意図しなくては引き起こせないものですよね?」
「そりゃ、偶然ってこたねえだろ……だがなあ。こいつを読んでみろ」
数枚の紙を差し出されたので、一歩近づいて受け取り、やはり一歩の距離を取る。楽にしていいと言われて軍帽は取ったが、こうした動作は身に染みてしまっていた。
「情報部に調べさせた経歴だ」
「――失礼、軍情報部ですね?」
「そうだ」
「……」
「いいぜ、言えよ。率直な感想でいい」
「間違いなくこの経歴は情報操作されたものです」
知っている州、聞き覚えのある学校。犯罪歴もなく、志願での入隊でありながら、ほかの組織の外注としてねじ込まれた。
この経歴自体、不自然な点はない――まるで、一から創り上げたように。
「最低でも軍関係者が、親族にいるか、師事をした人間がいるはずです」
「改竄の痕跡は調べちゃいねえが、お前の話を聞く限り、そんな感じだな」
ほかの書類は同期入隊のエリザも含めたものだが、いずれも似たようなものだ。しかし、エリザよりも朝霧芽衣の特異性ばかりが気にかかる。
「んじゃ、ちょっと試してみるか」
「試す?」
「格闘訓練の教官は誰がやっている?」
「ゾーク曹長殿であります」
「第二訓練室に、お前の班を呼び出せ。曹長と訓練をさせる」
「諒解であります、大佐殿」
その選択は吉と出るのか?
――そもそも、物事の見方は人によって違う。
厳密にはその人の立場によって、出された結果そのものの受け取り方が変わってくる。少なくともその結果には、頭を悩ませる人間しか出なかったのは、確かで。
二十分後、外での訓練を終えて戻ってきた彼らは、第二訓練室に呼び出された。レクリエーションも行えるほどの広さがある訓練室であり、こちらは第一と違って訓練器具が一切ない。
三人ほどの教官もいて、さてこれは何事だと思った――のは、芽衣以外の三人だ。
「ではゾーク曹長殿、よろしく」
「ああ。朝霧、前へ出ろ」
「はっ」
そこでようやく、エリザは納得した顔をして、すぐ渋面になって舌打ちした。
「おいエリザ、なんだこれ」
「メイに格闘訓練よ。――クソッタレね」
小声での質問に、エリザは短くそう答えた。そして芽衣が中央付近に出れば、禿頭の曹長が改めて言う。
「今から貴様は、俺と格闘訓練をしてもらう。なんでもありだ、かかって来い」
「それが命令ならば」
芽衣はいつも通り、いつもの態度で、端的に答えた。
「……フェリエラ教官殿」
「なんだバルディ」
「メイが勝つ方に一万ドル。無駄だと思うけど忠告しとく。なんでもありって言葉を撤回するか、今すぐ中止した方がいい」
「それは……無理だ」
「そう」
呆れたような、諦めたような声色に加え、普段はきちんと丁寧な口調を使っているのに、仲間内での会話と同じ言葉。その意味は、もうすぐわかる。
ゾークは左手を軽く前に出すような半身――それを見て、芽衣は腰から模擬短剣を引き抜くと、それを放り投げるようゾークに渡した。
「――、これは何だ?」
「なんでもあり、そうおっしゃったのは曹長殿では?」
「……いいだろう」
ちらりと一瞥が投げられたので、ザックは咳ばらいを一つ。
「では始め!」
合図があっても、お互いに動かない。芽衣は腕を組んだままであり、戦闘をする気がないように見える――それを挑発と受け取ったザックが踏み込み、ナイフで突くが、芽衣はそれを回避した。
そこからの攻撃を、足さばきだけで芽衣は回避し続ける。ナイフだけではない、合間に挟まれた拳や蹴りも同様だ。
――そして、六度の回避を見せた瞬間、芽衣は視線をこちらに向けてきた。
よそ見? いや、違う。
ケイオスが到着したのだ。
「どうだ、軍曹」
「あ、いえ、まだ始まったばかりで」
こちらを見たまま、芽衣は回避を続ける。それがどういう理屈かはわからず、ただゾークはこの状況に対し、踏み込み過ぎるのは駄目だと思い、一度大きく距離を取った。
「――ふむ」
芽衣が頷く、組んでいた腕がほどける、視線をようやくゾークへと戻す。
一拍。
芽衣の姿が消えたように見えた。
左足を床につけたまま、振り上げるようにした右足は膝を突き出しながらも、その膝に己の右手を当て、肘を顔より前へ――その突き出された先に、ゾークの腹部があった。
その技を、芽衣は〝
とかく一定距離をふらふらと舞うようにして戦う
ゆえに仕組みとしても、ただただ直線を誰よりも速く移動して攻撃するだけ、である。
――だけ?
一瞬、時間がそこで停止したような錯覚を持ったのならば、次には結果が訪れる。
肘で軽く躰を押すような力、それによって芽衣からやや離れたゾークは、膝を叩くようにして踏み込みを行った芽衣が、肘から先を伸ばした拳を放ち、それを身に受けた。
ゆうに十メートルは躰を折るようにして吹き飛ばされたゾークが壁に激突し、跳ねるよう前へ倒れ――る前、空中に飛んだナイフを掴んだ芽衣が踏み込みを。
「む……」
しようとして、やめた。
手にしていたナイフを軽く投げれば、床に倒れたゾークの傍に、くるくると回転して飛んだ後に突き刺さった。
地面ではなく、床なのに、刃を潰した模擬短剣が、刺さったのだ。
「訓練ゆえ、以上の追撃は必要ないとの判断でありますが、いかがでありますか、ケイオス・フラックリン大佐殿?」
「――、結構だ。おい、曹長を医務室へ運んでやれ。だが朝霧、どうして俺の名を知っている?」
「大佐殿は自分の名をご存知でしょう?」
「そうだ」
「でしたら、自分が知っていてもおかしくないのでは?」
「だがお前は――」
「大佐殿」
踏み込んで問いかけようとしたケイオスを、ザックは止めた。
「少し早いが、食堂で飯の時間にしろ。今回のことでの追及はない――
「諒解であります、教官殿」
ナイフだけは回収した芽衣が、ほかの三人を伴って出て行き、ようやくザックは肩の力を抜くように吐息を一つ。
「失礼しました、大佐殿。しかし、あれ以上の問いかけは無駄です」
「無駄?」
「彼女は入隊前から、訓練校の入学生のリストおよび、教官のリストを手に入れていたそうです。これは初日、班の四名を部屋に閉じ込めて会話をさせた際、本人が口にしていました。記録も残っています。そして、追及には応えません……」
「……なあザック、あいつ問題児だろ」
「自分は最初からそう申し上げてるつもりですが」
「手に負えないって意味だ」
おそらくと前置して、初見では今の攻撃を、ケイオスは回避できない。しかも今のケイオスは軍属というより、軍部を間借りした組織に属しており、そこで術式を中心とした訓練を、これまた芽衣のような年齢の教官にして貰っていて、随分と自分も上達したと思ってもいるが――それでも、だ。
サギシロ先生ならどうするだろう、と思った。
初手から回避するイメージしか浮かばなかったけれど、しかし、まさか鷺城鷺花と朝霧芽衣が知り合いなどと、ついぞ、思い付きはしない。
「ちなみに、あいつの戦闘を見たのは?」
「初めてです。回避能力も随分と高いですね……」
「ん、ああ、そうか。こういう戦闘を見る機会は、お前にはそうないか。ああいう速度重視の攻撃は、いわゆる初見殺しに該当する。室内戦闘よりもむしろ屋外、そして障害物があった方がいい」
「――、あった方がいいのですか? 見たところ直線移動ですし、邪魔になるのでは?」
「言ったろ、初見殺しだ。何度も使うような技じゃねえよ。だから、狙撃と似たような感覚で射線が通った瞬間に、間合いを詰めて攻撃をする。どちらかといえば、吹き飛ばしの効果があるから、障害物にぶつけた方がダメージはでかい」
「では、戦場でも?」
「無手格闘術は、状況に応じて必要になるだろ。ただ、あそこまでの錬度を持つ兵隊は、まずいない……そもそも、育てる方向性が違うからだ。つまり、お前が受けてきた訓練の中に、あいつが使った技が入っていないのと同じだな」
「独学で覚えた可能性はありますか」
「ない」
そう、ありはしないと断言したケイオスは、訓練室だというのに、煙草に火を点けた。
「技だけなら閃く可能性はあるだろう。だが、あそこまでの完成度にするなら、基礎が必要だ。しかも走って体力をつけるようなやり方とは違う……誰かに教わらなければ無理な領域だ」
「そこまで……」
「ん、ああいや、あくまでも推測だからな? 銃の腕はともかく、格闘訓練なんてさせなくても良いレベルだ。むしろ教えろって感じのな」
「それなんですよ、大佐殿。朝霧がほかの三人にも指示を出して教えるから、自分の言うこともなくなるのです」
「お前は上手くやってると思うけどなあ……」
煙草の灰が落ちそうになったので、二人はそのまま談話室へ。
「ちなみに、五分後に朝霧は戻ってきて、訓練室の清掃を始めますよ」
「指示せずとも?」
「そういうやつです……お陰で、何故やらないんだと、怒鳴ることもない」
「楽をしてるなら、いいじゃねえか」
「よくはないですよ。俺なんか必要ないと、態度で示されてる気がしてなりません」
「そうは見えなかったけどな。あとな、ありゃ軍人ができる動きじゃねえよ」
「では?」
「傭兵か、あるいは
「ええ、視線をこちらに向けながら回避してましたね……」
「俺もそうだが――」
いや、偉そうなことを言っていると、笑われるかもしれない。こういう思考だとて、サギシロ先生から教わったものだったから。
「――戦闘において最も気を付けなければならないことは、第三者の視点なんだ。観察者と言ってもいい」
「それは、技術を見抜かれるから、ですか?」
「それも一つだが、本質じゃない。その第三者がいるかいないのか、それを戦闘中に把握できていない状況こそ、最悪なんだよ。遊び感覚で殺されても文句は言えない」
「それは……そう、かもしれませんが、目の前の戦闘の方に意識は向いてしまうものです」
「だから、そういう育てられ方をしたって推測だよ。ま、そこらはお前が気にすることじゃない。俺も時間がありゃ調べてもいいが――そのうち、忘れちまいそうだな。上手くやれよ、ザック」
「はあ、まあ……やっぱ自分が継続でしょうか」
「そう思うぜ」
そう言われてしまえば、わかりましたと飲み込むしかないのだが、これで本当に良いのだろうか。
「ははは、今日は酒でも飲んでストレス発散しとけ」
「そうしますよ……」
いずれにせよ、あの問題児に関してはもう、諦めた方が胃には優しいかもしれない。
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